とねりこ made in Fukushima

先週、福島へ行っているときに、すてきな雑誌と出会った。のはら舎という、福島の小さな地元出版社が発刊した『とねりこ』という雑誌である。リンクページをご覧いただき、是非、皆さんにも購読していただきたい。

とねりこ

「ちいさくても思いたかく」という副題がついている。そこに、この雑誌を出版した側の思いが深く込められている。

とねりこのページには、創刊にあたって次のようなメッセージが書かれている。

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 東日本大震災と原発事故から、間もなく丸3年を迎えようとしています。現在、メディアで取り上げられる関連ニュースはめっきり減り、時間とともに風化していくことが危惧されます。そうしたなか、いまの福島の人々の姿や声を伝える使命を持って、「とねりこ」を創刊します。今後10年、20年と続くであろう原発震災との闘いを前に、いま起きている出来事を、いまの時代を生きる私たちが、歴史の証人として記録することが大切だと考えました。

 とねりこは「いのちの木」と言われ、野球のバットの材料になるほど強く、しなやかな木です。激変する環境のなかで、多くの人々の声を聞き、伝えることで、1本の木が林になり、やがていのちの循環を支える森になるよう、スタッフ一同願っています。

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福島から発信し続けることの重要性を体現した雑誌である。そして、それをがんばりすぎず、しなやかに継続していこうという意思が見える。福島に住む地元の人間が、自ら主体的に、しかし息長く発信を続けていくこと、そしてそれを、福島の外にいる人々が息長くキャッチし続け、見守りながら、他の方々へ発信していくこと、大したことではないかもしれないが、重要なことだと思う。

創刊号のなかに、東北学を提唱してきた福島県立博物館長の赤坂憲雄氏の言葉がある。少々長いが、自分の備忘のためにも、以下に引用させていただく。

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震災のあとに学んだこと

赤坂憲雄


震災のあと、なんだか、とても多くのことを学んできた気がする。

一生分の涙はとっくに使い果たしたはずだった。でも、この間は久しぶりに、夜更け、ひとしきり声を殺し、泣いた。その前の日の午後、なにひとつ残っていない駅舎の跡に立って、ひとりの少女が語ってくれた家族の物語を思い出していたのだった。

諦めたときに、すべてが終わることも知った。それでも、ほんのまれに、落ち込むときがある。顔には出せない。そんなとき、かたわらに元気な仲間がいてくれると、助かる。どん底をやり過ごし、また、少しだけ前を向いて、歩を進めることができる。思えば、そんな仲間のほとんどは、震災のあとに出会った人たちばかりだ。

世界はすっかり変わってしまった。でも、後ろ向きになったら負ける。意地でも前を向いてみせるしかない。そして、今度はこちらが世界を変えてやるぞ、と心に決める。世界はどうやら、待っていても変わらないようだ。ならば、こちらが変わるしかない、世界が変わるために働くしかない、と思う。

それでは、なにをなすべきなのか。たとえば、弱き人々を基準として社会をデザインし直すこと。あえて経済効率に抗い、隙間や無駄をあちこちに作ること。やわらかく壊れる方法を学ぶこと。眼の前に横たわる境界の自明性を疑うこと。縮小と撤退のシナリオを、あくまで前向きに受け入れること。三十年後への想像力を鍛えながら、いま・ここに生きて在ること。そんなことを、ひとつでもふたつでも、ささやかに実践に移してみる。そこから、何かが始まるはずだ。

勝てずとも、負けない戦いを。それぞれの場所から、きちんと引き受けていきたいと思う。

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赤坂氏の著作はいろいろと読んできたが、上記はとても分かりやすい言葉で書かれている。しかも、福島の教訓から忘れてはならない姿勢を思い起こさせてくれる。

あのとき、何かが終わり、何かが変わる予感がした。政府に頼るのではなく、自分たちで生き抜いていかなければならないと心底思った。自分の子供の世代、孫の世代、その先の世代に対する想像力を求められた。

そして、あれから3年、自分たちは自ら変わろうとして動いてきたのだろうか。

福島からの発信を受けとめ、それを再発信していくということは、あのときの自分や子孫のことを思い起こし、自分から変わり、生き抜いて、少しでもましな未来を子孫へつないでいくために働き続けることを、深く自覚し、実際に行動に移していくことにほかならない。

勝てずとも、負けない戦いを引き受けていく。その覚悟を持って、動いていく。

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