ラマダン最終日のザンジバル(1)

7月27日午後、タンザニアのダルエスサラームに無事到着。翌28日は、朝7時に港から高速船に乗って、ザンジバルへ向かった。日帰りツアーである。

インドネシアは7月28日に断食明け大祭を祝ったが、タンザニアは予定よりも1日遅れの7月29日となった。断食明けのザンジバルからインドネシアのムスリムの友人たちに「おめでとう」のメッセージを送ろうと思っていたのだが、ちょっと残念。

行きの高速艇は、エージェントの配慮でVIP席となったが、中はインド系の若者たちの団体でほぼ「占拠」されていた。若干の波はあったが、大揺れすることもなく、1時間半ほどでザンジバル港に到着した。

到着すると「入境審査」がある。ザンジバルはかつて、タンザニアと統合するまで、わずかな期間だが独立国だった。タンザニアと統合後も、連邦制のなかで独自性を貫き、入境審査を継続しており、しっかり入境スタンプをパスポートに押された。たしか、マレーシアもサバやサラワクへ行くときにも、入境審査があったが、旧イギリス植民地で連邦制の国はみんなそうなのだろうか。

入境審査口では、中国人と思われる3人が順番を無視して窓口に詰め寄り、中国語でギャアギャアまくしたてている。入境係員は英語で説明するのだが、彼らは全然意味がわからない様子で、相変わらずまくしたてている。それを尻目に、別の係員にパスポートと入境申請書を提出。「仕事で来たんじゃないだろうな?」と何回かしつこく尋ねられた後、無事に入境。運転手兼任ガイドのムゼーさんと合流。

ムゼーさんの案内で、まずは市場から。風格のある建物の中の市場は、魚の競り市場があり、その向こう側に魚の小売の市場があり、と分かれていた。その後は、野菜・果物の市場。インドネシアでもお馴染みのものが多いが、いくつか見かけないものもあった。

市場をひと通り見た後は、奴隷市場跡とそこに建てられた聖堂を見に行く。ザンジバルはかつて、奴隷貿易で栄えたところでもある。アフリカ大陸から奴隷商人の手によって奴隷たちがザンジバルに集められ、収監されたのが奴隷市場である。地下の狭い空間に何十人もの奴隷たちが男部屋、女子供部屋に分けられて収監され、数日間拘置された後、生き残った者がオマーンなどのアラブ商人のもとへ売られていく。

こうした奴隷たちを解放したのがイギリスから来た宣教師で、彼は、奴隷市場の跡地に聖堂を建てた。奴隷たちは皆、自分たちを助けてくれたキリスト教の洗礼を受けた。

奴隷の子孫だと名乗るガイドがついて来てそんなふうに説明してくれる。まあ、実際はおそらくそんな単純なものではないにせよ、こんなけっこう扇動的な説明をしてしまうのだなと思った。

同時に、ムスリム人口9割のザンジバルでは、たとえ憂さ晴らしのような小競り合いはあったとしても、宗教を理由とした暴動や騒動は現実には起こりにくいのではないかと思った。しかし、それは、奴隷たちの子孫による憎しみが消えることを必ずしも意味しないだろう。

迷路のようなストーンタウンの街歩きはとても面白かった。インターネット接続の状況がよくないので、今回はここまでとし、後は次回へ。

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