地方首長選挙法案の議論に寄せて

「もしも住民が直接県知事を選べるならば、私は絶対に当選するはずなのに」。

この言葉は、2001年に南スラウェシ州の某県知事から出た言葉である。当時、県知事は県議会が選ぶ仕組みだった。

この県知事は、今でいうところの改革派の県知事だった。南スラウェシ州で下から2番目に貧しい県でありながら、県予算の3割を使って、インターネットを駆使した許認可手続のワンストップ・サービスを全国に先駆けて導入した。これにより、住民登録や事業登録などの手続期間が大幅に短縮し(たとえば住民登録は書類が整っていれば窓口で15分)、しかも費用も少額(たとえば住民登録はわずか5000ルピア)となった。今、話題となっている住民サービス改善をすでに15年近く前に実現していたのである。また、「健康野菜」の名前で有機肥料を使った野菜作りも始めた。

反面、この改革によって、許認可手続の仲介を行なっていた業者は仕事を失い、県の役人はそれら業者からリベートをもらうこともできなくなった。今までと違うことを始めると、従来のやり方で恩恵を受けてきた人々が必ず反発するものである。

県知事に対して最も不満に思っていたのは、実は県議会議員たちであった。自分たちが選んでやったにもかかわらず、県知事は彼らに公用車や公営居住宅の便宜を図らなかっただけでなく、公開入札を進めたため、彼らの親族らの経営する土建屋などへ事業が下りなくなった。当然、県議会議員は県知事の再任に反対し、彼らのボスとも言える県議会議長を公認の県知事に選んだ。

当時、他の県でも、住民のために汗水流した県知事が県議会で再任されないという事態が続出した。当時、JICA専門家だった筆者は、そうした優秀な県知事の名前を売って、新しい地方分権化時代の旗手になってもらおうと奔走したが、足元の議会がそれを許さない結果となってしまった。

今、国会では、地方首長直接選挙をやめ、議会が選ぶ形へ変える、いや戻す、地方首長選挙法案が議論されており、6会派がそれに賛成、3会派が直接選挙の堅持を求めている。議会が選ぶ形へ戻す理由は、直接選挙はコストが掛かり過ぎるというものだが、昨今では「リベラルな制度にし過ぎた」という理由も出されている。賛成の6会派はいずれも先の大統領選挙でプラボウォ=ハッタ組を支持した政党からなり、地方政治からジョコウィ=カラ次期政権を追い込もうとしている、と言われている。

純粋な議論ならば歓迎だが、政治的・感情的なリベンジのために制度が強引に変えられることはナンセンスである。議会が地方首長を選ぶ形へ戻ることは、もちろん、これまで築いてきた民主化の後退であり、いずれは大統領も議会が選ぶ形へ変えられてしまうのではないかという懸念さえ出ている。

地方首長直接選挙があったからこそ、ジョコウィは大統領になれたといっても過言ではない。インドネシアにはもっと多くの改革派の地方首長が必要である。過去の失敗を繰り返すことのないよう、そして民主主義の後退とならないよう、地方首長選挙法案の議論を早急に進めることなく、じっくりと議論していってほしいと個人的に思う。

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