【インドネシア政経ウォッチ】第95回 プラボウォの大統領職への執念(2014年8月14日)

7月22日に総選挙委員会(KPU)が大統領選挙でのジョコウィ=カラ組の勝利を確定する少し前に、プラボウォ=ハッタ組は、大統領選挙が不正まみれだったとして、選挙プロセスからの離脱を宣言した。プラボウォ=ハッタ組は敗北を認めないだけでなく、KPUが組織ぐるみで不正選挙を行ったと訴えたのである。

当初、大統領選挙結果への不服申し立てを行わないとしていたプラボウォ=ハッタ組ではあったが、そのままでは自らの正当性を確立できないため、結局は7月26日に憲法裁判所へ訴え出た。

不服申し立てに関する憲法裁判所での審議は8月6日に開始。プラボウォ=ハッタ組は、書類の提出や証人の出廷により不正を証明しようとしたが、KPUやジョコウィ=カラ組から反論されたり、憲法裁判所から再度にわたって事実に基づく証言を求められたりした。プラボウォ=ハッタ組は、憲法裁判所前に支持者の動員をかけるなどして圧力をかけたが、審議自体への影響力は乏しかった。

現実的にみて、プラボウォ=ハッタ組が憲法裁判所で勝てる見込みはない。今の構図からすると、不服申し立てが認められなければ、KPUと同様、憲法裁判所を批判の矛先とする可能性もあり得る。どこかでプラボウォ=ハッタ組が矛を収められる落とし所を探らなければならないのだが、その筋書きがまだはっきりと見えていない。

それにしても、大統領職へのプラボウォ元陸軍戦略予備軍司令官の執念は並大抵ではない。軍の後輩で、1998年の活動家拉致事件などをめぐり、プラボウォの軍籍離脱を求めた将校の一人であるユドヨノ氏が、民主党を設立して先に大統領となった。それを見ながら自分もグリンドラ党を設立し、大統領を目指した。

プラボウォは、スハルト時代以来の自身に対する悪名や誹謗を一掃するには、自ら大統領になるしかないとの一心で政治人生を突っ走ってきたのだと想像する。「政治家としては未熟だ」と公言する彼は今、その政治人生の墓穴を未熟のまま掘り続けている。

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