ありのままの普通が続くように

2015-06-26 19.22.06

スラバヤ市の東、パクウォン・シティに来ている。不動産グループのパクウォンが大規模開発した住宅+商業地域である。

ここのショッピングモールの裏には、広い野外フードコートがある。色とりどりのランタンの下で、たくさんの家族連れが楽しそうに食卓を囲んでいる。遊具では、子供たちが歓声をあげて楽しく遊んでいる。金持ち層だけでなく、以前よりもちょっと裕福になった家族が楽しく過ごしているような光景である。

その同じ時間に、東京の国会前では、若者たちを中心に数千人の人々が戦争法案反対を訴えていることを思った。昨日の自民党の勉強会での暴言の数々、釈明にもならないちぐはぐな言い訳、ひたすら責任逃れに走る首相。沖縄のことを、日本の将来のことを、真面目に真剣に考えているとは到底思えない、情けない、哀れで滑稽な人々の姿が思い浮かんだ。こんな人々に日本の将来の道を決められてたまるかという怒りが静かに湧いてきた。

そしてふと我にかえると、目の前には、野外フードコートで家族団欒を楽しむ人々がいた。ここにはあいにく、私の知り合いは見当たらなかった。それでも・・・。

ジャカルタでも、マカッサルでも、シンガポールでも、バンコクでも、マニラでも、コタキナバルでも、ハノイでも、北京でも、上海でも、台北でも、ソウルでも、デリーでも、チェンナイでも、コロンボでも、カラチでも、テヘランでも、ダルエスサラームでも、キガリでも、カンパラでも、ラゴスでも、ロンドンでも、パリでも、ニューヨークでも、サンパウロでも、都会でも、農村でも、漁村でも、世界中のどこでも、時間や場所や程度の差はあれど、人々が楽しくみんなで過ごす平和な時間がある。残念ながら、シリアやイラクなど一部では、そんな時間が不幸にも作れなくなってしまったところもあるのだが・・・。

自分は平和な時間をなくしたくないけれど、他人の平和な時間はどうでもいい、という他者への想像力の欠けた人々が戦争を起こすのだ。自国以外に知り合いがなく、興味もない人が他所を平気で罵るのだ。世界中どこでも、楽しく平和な時間を過ごせるという、全くもって当たり前のことを当たり前に認め合い、尊重し合うことで、戦争をしなければならない理由はフツーの人々から起こりはしないのだ。

戦争は常に、自分が特別だと思い込み、他の人々のごくごく当たり前の日常に思いを至らせることのできない人々が起こすのである。上から目線の差別意識を持った者が戦争を起こすのだ。

若者よ、大人よ、お年寄りよ、地球上の様々な場所に知り合いを増やしていこう。少なくとも、そこに、我々と同じように、毎日楽しく穏やかに平和に暮らしたいと思っているフツーの人々がいるという、全くもって当たり前のことを想像するのだ。簡単なことではないか。一体、誰に我々や彼らのそうした平和な暮らしを脅かす権利があるだろうか。

相手を知らないから、相手が怖いのだ。相手もフツーの人間だとわかれば、フツーの人間どうしのお付き合いをしていけばよい。もちろん、気に入る場合も気に入らない場合もあるだろう。少しでも、相手を知ろうとすること。そこから自分の世界が少しずつ広がり、当たり前になっていく。

日本が何かしようなんて思い上がらないほうがよい。そういう意味では、国会前に集まった若者たちも、「日本が」などと力まずに、世界中に「戦争のできない、しない日本」を愛する仲間をもっとたくさん作っていこうではないか。そして「戦争のできない、しない」仲間をどんどん増やしていこう。そう、憲法9条を堅持する日本は、もしかすると世界の最先端をいっているのかもしれないのだ。

軍需産業の方々には申し訳ないが、できるだけ早くそうした産業がいらない世の中を目指すべきではないか。戦争をすると損をする、誰も得をしない世の中を作っていくべきではないか。

そのためにも、ありのままの普通が続くように、世界中のどこでも、程度の差こそあれ、当たり前の幸せと平和が享受できるように、そしてそれをお互いに当たり前に嬉しく思えるように、もっともっと他者への楽しい想像力を培っていきたいと思うのである。