【台中】今回の台湾食べ歩き第1弾

しばらくこの食べ物ブログを更新していなかった。面白いものを食べていないわけではなかったが、「インドネシアあるくみるきく」の更新を優先させて、こちらの更新に至っていなかった。

今回、8月の休暇一時帰国の前に、台湾・台中に寄り、友人に付き合ってもらって、しっかり食べ歩きをしてきた。

友人が「おいしい小龍包屋さんに連れて行く」というので、それがあるというトップシティ(遠東百貨)へ。台中の地元の人に大評判で、台中を訪れた政府要人も必ず寄るというその店は、ディンタイフォン(鼎泰豊)だった。

そこには長い行列。待ち時間90分、だった。

もしかしたら、本場のディンタイフォン(鼎泰豊)は東京やジャカルタのそれとは味が違うかもしれない、との期待を抱きつつ、予約番号をもらって、とりあえず、同じトップシティ12階のフードコートへ向かう。

まずは、寧波の看板のある店で、排骨定食。排骨にかかっているタレがご飯とよく合う。

次は、やっぱり、パパイヤミルク。台湾に来たら必ず飲みたい私の大好きな飲み物だ。

90分経ったので、ディンタイフォン(鼎泰豊)へ向かうと、すでに予約番号は呼び出された後で、さらに10分ほど待たされて、店内へ。

頼んだのは、小龍包、カニみそ小龍包と、苦瓜のしょうゆ漬け。

本場・台湾のディンタイフォン(鼎泰豊)、あんなに行列ができていたので、さぞ味は段違いだろうと期待していたが、味自体は、もちろんさすがにおいしいのだが、やジャカルタのものとあまり変わらない感じがした。 そう考えると、豚肉を使っていないジャカルタのディンタイフォン(鼎泰豊)がいかに健闘しているかがわかった。

ディンタイフォン(鼎泰豊)の後、デザートを食べに向かったのは、台中駅前の宮原眼科。名前は眼科だが、眼科があるわけではない。昔、日本時代に眼科だった建物をお菓子屋兼カフェとして使っているとのことだった。

1階がお菓子屋さん、2階がカフェになっている。1階でパイナップルケーキを買った。実はここのパイナップルケーキは、台中の有名店の一つ「日出」のそれだった。酸味のあるチーズ味のバージョンと甘いバージョンの普通の二つ。
2階に上がって、注文したデザート。これが秀逸だった。
まずは、2種類のアイスクリーム+フルーツ。とくに、紅茶のアイスクリームが素晴らしかった。
次に頼んだのは、チーズケーキとフルーツの組み合わせ。これも素晴らしかった。

これらの素晴らしいデザートと一緒に味わったのが、台湾でしか味わえないお茶「東方美人」。ストレートだが味わい深いお茶だった。おまけに、ミニ月餅も出された。

この後、向かったのは、春水堂。やはり、台中に来たら、ここのタピオカミルクティーを飲まないわけにはいかない。

この春水堂、7月27日に、東京の代官山に支店をオープンさせたとのこと。評判と値段はどうなのだろうか。

そして、最後にたどりついたのは、天天見麺店の支店。ここで、老北京酢醤麺(北京風伝統的ジャージャー麺とでも言うのか)を食べた。太い手打ち麺に肉みそが面白いようにからんで、なかなかのおいしさだった。

今回は、台中での食べ歩き入門編といったところか。まだまだ行けなかったところがたくさんある。またそのうち、台中を訪れたら、続きをしたい。

台湾食べ歩き第2弾は、8月16~17日、台北にて。どんな食べものに出会うだろうか。

休暇帰国!

8月3日から17日まで、スラバヤを離れ、台湾経由で休暇帰国する。原稿締切もできる限り休載にしていただいて、しっかり休もう、と思っていたのだが・・・。

6日に大阪、7日に名古屋、9日に東京で講演の予定を入れてしまった。休暇なのに仕事を入れる、自分はまだ仕事と休みのメリハリが付けられないのだとちょっと反省している。

それでも、今回の最大の楽しみは、行きと帰りに寄る台湾。行きは台中、帰りは台北に1泊ずつし、しばらく会っていなかった友人と再会、食べ歩きとなるのが楽しみだ。

最後に台湾に行ったのはいつだろうか。おそらく、1990年代前半、もしかすると20年近く行っていないような気がする。あの頃の記憶ももう薄れていて、しかも、今や新幹線(台湾高鉄)も走っているというではないか。

インドネシアばかり見ていると、ついつい、アジア全体がどのような勢いで進んでいるかに鈍感になってしまう。インドネシアもけっこう発展したなと思っていても、実は、タイやマレーシアはさらにそのずっと先を走っていて、変化の度合いがずっと大きいことに驚いたりしたものだ。

果たして台湾はどうなのだろうか。

上記以外に、福島の実家に行って、3年前に亡くなった父の墓参りをする。あの震災の前に父は亡くなった。家族への感謝にあふれた言葉を残して。私は、父に感謝されるようなことをした覚えはなく、むしろ謝るべきことが多い。ともかく、1年に1度は父の墓前で会話したくてしかたないのである。

家の外では、予約時間の30分前に来てしまったタクシーが待機している。これから、スラバヤのジュアンダ空港へ。休暇帰国中に、人や食べ物や出来事とのどんな出会いがあるのか、 本当に楽しみである。

醜い顔

数日前、鏡で自分の顔を見て驚いた。そこには、醜い顔の自分がいた。

小説を書いているのではない。自分の顔を本当に醜く感じた。何という顔。

いろんなことがあって、いろんなことを考えていて、気分が高ぶれなかった。笑う気にもなれなかった。子連れの通りすがりの人が、私の顔を見て「あの人に怒られないようにね」という声が耳に入ったりもした。無表情で、ムスッとして、微笑のできない自分がいた。

ものすごいストレスがあるわけでもない。難しい問題を自分が抱えている訳でもない。自分でもなぜそうなのか分からない。でも、何かに対して怒っている。その何かがはっきりしない。

そしてふと鏡で自分の顔を見た。醜い顔があった。

形だけでも変えよう、と思って、昨日、ジャカルタでの用事が済んだ後、散髪した。さっぱりした。

散髪した後、なじみの麺屋で麺を食べ、その後、ジェラードを食べた。少し気分がすっきりした気がした。

ジャカルタの宿舎へ戻って、鏡をみた。いつもの自分の顔に戻っていたような気がする。すてきな顔と自分では言えないが、醜い顔はそこになかった。よかった。

そして、いつの間にか眠ってしまった。気がつくと午前3時半。7時間ぐらい寝ていたことになる。久々によく寝た。こんなに寝たのは本当に久しぶりな感じがした。そのあと、3時間ぐらいうたた寝した。幸い、今週は、本当に久々に原稿の締切がないのだ。

原稿を書かねば、といつも睡眠時間を気にしていた。2時間仮眠して原稿、と思っていたのに、寝過ごしたので、午前4時に起きて原稿・・・、といった日々。生活は不規則になった。

これが醜い顔の大きな原因だったような気もする。

でも、それだけではない、もやもやした気分がある。

自分が今何に情熱を持っているのか。それがちょっと怪しくなっているからかもしれない。他人に対して自分の発している情熱のサインが、本当の自分の心の中の正直な情熱のサインではないのではないか、と。その二つは決して相容れないものではなく、むしろ、相乗効果をもたらすと信じてきたのだが、このところ、ちょっとパラレルになっているような気がするのだ。

どうしてこうなったのか。自分でもよくわからない。いろんなことを考えてしまう。インドネシアのこと、日本のこと、家族のこと、次の世代のこと、福島のこと、生きていくということ・・・。

でも、醜い顔はもうごめんだ。毎日、鏡の前でピースサインをしてみることにしよう。

スラバヤへ戻って

7月8〜21日、シンガポールと日本へ行ったため、スラバヤを離れていた。7月9日にシンガポール、7月11日に東京、7月17日に広島、7月18日に福山で講演してきた。結局、家族と一緒に過ごせたのはわずか3日だったが、東京の盆の墓参りをしたり、妻と久々に食事をしたりすることができ、充実した濃い日本滞在だった。

シンガポールや日本での講演で、まだまだビジネス関係者のインドネシアへの期待が高いことを実感した。しかも、単に「儲かりそうだから何かやりたい」という理由ではなく、真剣に前向きのビジネスを考えようとしている方々とお会いできたのはとても有益だった。 そして、昨今のジャカルタ周辺の投資環境の状態に懸念を抱いている方々が多いことも印象的だった。私が東ジャワや中ジャワの状況を紹介すると、真剣な眼差しで聞き入っている方々が少なくなかった。

インドネシアとビジネスを始めたい方々には、是非とも成功してもらいたいと強く思う。そして、そのためのお手伝いを一生懸命させていただきたいとも思う。ただし、これからのインドネシアにとってプラスになるようなビジネス、インドネシアと一緒に自らが成長していけるようなビジネスを創っていけるように、お手伝いをしたいのである。それが、回り回って、日本に対するより深い信頼や愛着心をインドネシアのなかに埋め込んでいくことにつながると信じるからである。

もっとも、私がお手伝いできることは限られている。一人の人間がすべて万能な訳ではない。様々なプロフェッショナルと人的関係を作りながら、自分が間接的にお手伝いできる範囲を広げていきたいと思っている。人は、いろんな人に助けられながら、そしていろんな人を助けながら、生きていくものだと思う。

インドネシアと日本の、そしてアジアと世界の、将来を意識しながら、価値のある活動をしていきたい、という高い理想を掲げていたい。その実現へ少しでも近づいていくための、自分の立ち位置をきちんと見定める時期に入ってきているようにも思える。

だまされ続けるのか、あきらめるのか

参議院議員選挙が予想通りの結果となり、安倍政権は信任され、衆議院と参議院の「ねじれ」が解消された。これにより、景気回復へ一層の弾みがつくという好意的な見方と、憲法が改正されて戦争への道を進むのではないかと心配する見方とが表れている。これについては、今後の展開を注意深くみていくしかない。

それよりも、私が問題にしたいのは、「我々はだまされ続けるのか、あるいはもうあきらめるのか」ということである。選挙が終わって、東電は福島第1原発から汚染水が海洋へ流出していたことを初めて認めた。以前からその疑いが指摘されていたが、これまで東電はそれを否定してきた。

海流出、東電が認める 第1原発の汚染水(福島民友)

もう2年前のことは忘れたのか。東日本大震災が起こってすぐ、ネット上では福島第1原発でメルトダウンが起こり始めた可能性が指摘されていた。日本では経験したことのない大惨事が起こる、と。

このとき、政府は「メルトダウンはない」と言い切り、ネット上の情報はデマと決めつけ、国家予算を使った監視の対象となった。そして、ネット上での予想通り、爆発が起こり、後の検証で、ネット上で指摘されていたのとほぼ同様の経過でメルトダウンが起こっていたことが明らかにされた。

政府は正しい情報を流さなかった。もし「知らなかった」というなら、政府は存在の意味をなさない。知っていたとしても、政府は嘘をつき続けた。パニックを起こさせないために、という理由で。このとき、政府は決して我々を守ってくれない、と悟った。

そして、今も嘘をつき続けている。汚染水が地下水に入り込み、その一部が海洋へ流出する可能性は相当に前から指摘されていた。でも、東電はそれを認めなかった。今回もまた、予測不可能だったのだろうか。知らなかったのだろうか。知らなかったとすれば、それはそれで大問題ではないか。

この問題に関するメディアの扱いは大きくない。多くの人々の反応が「ああ、そうか」で終わってしまうのか。

安倍政権は、原発再稼働を公約としている。福島県向けだけは「県内原発はすべて廃炉」と公約しているようだが、それを全国向けには明示していない。しかし、東電は、福島第2原発の再稼働の可能性を否定していない。「全国向けに再稼働を公約としている」という理由で、福島第2原発を再稼働させようとするのではないか、との危惧を持っている。

我々は、このままずっと、だまされ続けるのか。先のブログでも書いたが、「人の言うことをきく」ことを長所とする人間が増えた社会は、こうした公式発表を鵜呑みにし、だまされ続けることを自ら積極的に選択する社会になるのではないか。そして、「おかしい」と異議を唱える人間をあたかも異常であるかのように扱う社会になるのではないか。

一番大事なのは生活、だからお上に逆らわないほうがいい。それは一理ある。戦争遂行中の日本も、スハルト政権下のインドネシアも、多かれ少なかれ、そのような態度にならざるを得なかった。

しかし、民主化後のインドネシアでは、自分の意見を自由に述べる状況が普通になり、昨日の在ジャカルタ日本大使館前での発電所反対デモのような光景は当たり前になった。

翻って日本は、自ら積極的に、お上に対して従順な人間になろうとする傾向が強まっているような気がする。民主主義国家ニッポンで、それを「お上に強制されたから」というはずがない。参議院議員選挙を通じて、原発再稼働と憲法改正を公約とする政権を強く支持したのである。あとはそれに従え、である。民主主義のなかで、人々が自らそれを選択したのである。

そして、我々はだまされ続けるのか。いや、もうあきらめるのか。

だまされ続けるわけにはいかない。あきらめるわけにはいかない。

戦わなければならないのだ。覚悟を決めて。

長所は「人の言うことをきくこと」という若者たち

7月初め、日本の某大学の先生がスラバヤを訪れ、私に話を聞きたいといってきた。その先生によると、最近の若い世代は日本の外へ出ていこうとしない傾向が顕著で、海外で働いている人の話を伝えることで、彼らの意識を変えたい、というのがインタビューの趣旨だった。

私の生き方が果たして若い世代の参考になるのだろうか。世間から見れば、40代で安定した職場を辞め、その時々の幸運に助けられながら、裕福さとも、安定とも、名誉ある地位とも無関係な生き方を選択してしまった私の話など、彼らは果たして聞くのだろうか。

その先生曰く、学生と面接をしていて、彼らに自分の長所を尋ねた際、「言うことをきく」「言われたとおりにできる」「規則に従う」ということを自分の優れている点として答えた者が多かった、という。

時代は変わったのだろうか。大学生は学問するために大学へ来た、そこで求められるのは批判的思考だ、と私はずっと思ってきた。自分で考えるということを鍛えはじめる場が大学だと思っていた。今、日本の大学で作り出される人材は、人の言うことを(批判的に考えることなく)そのままその通りにできる、ということを自分の長所という人材なのか。にわかには信じがたい。いや、信じたくない。

「人の言うことをきく」ということを、冗談や受けを狙ったり、皮肉を込めたりして言うのではなく、真顔で本当に自分の長所と思っているなら、あたかも、自分から積極的に人間をやめようとしているかのように思えてしまう。

しかし、その状況は学生らだけに帰せられるものなのだろうか。

大学の教師は、学問や研究の中身ではなく、自分の学生の就職率で評価される傾向があると聞く。少子化で経営が最重視されるようになった大学にとって、お客さんである学生に来てもらわないことには話が始まらないのだ。

学生の親は、親心として、子供に苦労を掛けさせたくない。できるだけ冒険せずに、楽にそこそこ安定した人生を歩んでいってもらいたい。大学へやるのは世間体もあり、大学ぐらいは出ておいてもらいたい、ということか。

研究という本分を重視してもらえない教師。自分が安心したいがために子供の将来を案ずる親。

本来ならば、大学では、経営者がしっかり経営して、教師にはじっくり研究に集中してもらえる環境を作るべきではないか。

本来ならば、子供には自分で自分の将来を切り開いていく力をつけて託し、何かあった時に支えになってあげるのが親の役目ではないか。

学生が外に目を向けないのは、学生だけの問題ではない。教師、親、すべてが絡んで、外に目を向けさせることを誰も望んでいない環境が作られてしまったのではないか。

今の日本の閉鎖的な状況を作り出している素の一つがここにある。「人の言うことをきく」、批判的な目を持たずに育ってきた次の世代がまもなく将来の日本を形成していく。自分の頭で考えることをよしとしない人間を作り続ける社会の将来が怖い。

「こうなったのは、しかたないんだ。従うしかないんだ」。

そんな世の中ではない。もっと、前向きの明るい世の中を創っていかなければならない。

アール・イズ・ウェル!

2日に1回更新が目標のこのブログも、しばし間が空いてしまった。日本に帰国中で、東京の自宅にいると、やはり自宅で家族と一緒にいるということが、生活のリズムを変えることになるのだと感じる。日頃、一緒にいないことの後ろめたさもあり、ついつい家族と一緒の時間を求めてしまったりする。

それでも、原稿の締切や講演の時間は容赦なくやってくる。インドネシアで一人でいるときよりも、もっと上手に時間を使わないと、すべてをうまくやり抜けていけない。本当は、完全な休みを作って、もっとメリハリをつけたほうがよいのだが、なかなかそうはいかなくて困っている。

先日も、ある連載の担当者が休みを取るというので、2本分をまとめて事前に提出してほしいとの連絡があった。私だって、休みなので休載してほしいと言えばよいのだろうが、連載という性格上、なかなかそうも言えない部分があり、8月の休暇帰国中も結局、原稿も講演も通常通り行うことになってしまった。

明日は東京で朝10時から夜6時まで立て続けにアポが入り、その足で新幹線に乗って広島へ向かう。新幹線の中でゆっくり休みたいところだが、金曜締切の原稿2本や上記の事前に出す原稿2本の構想をまとめる必要がある。

おっと、その前に、明日に1日締切を延ばしてもらった連載原稿にこれから取りかからなければ。

こうした合間を縫って、3連休最後の今日は妻とインド映画「きっと、うまくいく」を観に行ってきた。この作品は、コメディータッチではあるが、本質的な部分をじっくりと考えさせるとても良い映画だった。

そして、この映画の最も重要なセリフを口ずさむ。アール・イズ・ウェル!アール・イズ・ウェル!と。

怒濤の1週間が終わり、次の怒濤の・・・

今週はこれまでにも増して体力的にきつい1週間だった。

月曜から金曜まで、どんなことをしたのか書き始めたのだが、全部消した。そんなことをこのようなブログで記録したところで、自己顕示以外の何物でもない。

プロフェッショナルは、大変だったことを他人に見せずに、あたかも簡単にさらっとやっているかのように見せなければならないのだ。

もっともっと、厳しい毎日を送っている人々は世の中にたくさんいる。自分など、まだまだ序の口に過ぎない。そう思って、精進しなければならないのだ。

そして、自分一人でそれをやり遂げたと思ってはならないことも肝に命じなければならない。有形無形のたくさんの方々に支えられながら、一つ一つ、やるべきことをやっていけるのである。

毎週あるいは毎月書いている連載やニュースレターも、読者の方々がいるから「書こう」という意欲が湧いてくるのである。こうした作業を通じて、ある意味での自分にとって重要な金銭的なものに限らない「資産」と「信用」を作っているのだと思っている。ありがたいことである。

そう思えば、何日も下痢に苦しんだり、睡魔と闘ったりしても、いずれ回復すれば、それらもまた心地よい記憶として自分の人生の中に刻まれていく。

明後日から2週間はシンガポールと日本。今週に負けないぐらいタフな毎日が待っている。そして、そんな日々がこれからもずっと続いていく。それを前向きに受けとめて進めていける自分であり続けたいものである。

ブルーバードタクシーが来ない

7月1日からジャカルタに来ている。先日、ジャカルタの友人宅からタクシーで宿泊先へ行くために、ブルーバードタクシーを呼ぼうとした。

まず、ブラックベリーのアプリで「今すぐに」と呼んだ。5分、10分、20分、アプリの経過報告には「タクシー探索中」の文字しかない。これはだめだと思い、アプリでの予約を取り消して、今度は電話でタクシーをお願いした。その後、5分、10分、20分、タクシーは来ない。

ジャカルタで最も信用され、スマホやブラックベリーでも配車可能なブルーバードタクシーなのに、これはいったいどうしたことなのか。やむを得ず、通りに出てタクシーを探す。友人たちも協力してくれ、やっとブルーバードタクシー1台を確保した。

このブルーバードタクシーは、私の予約を見てきたのではなかった。たまたま通りかかっただけである。ほどなく、ブルーバードから電話がかかってきて「近くにタクシーがいないのだが・・・」というので、すでにブルーバードタクシーを捕まえたと話すと「じゃあ予約はキャンセルしておきます」という返事。お詫びの言葉ひとつなかった。

捕まえたブルーバードタクシーの運転手によると、配車は地域ごとで行っており、たまたまその地域にタクシーがいないと、配車されない仕組みだそうだ。つまり、タクシーのいない地域へ他の地域からそこへ配車する形にはなっていない。おそらく、ブルーバードタクシーはGPSを活用して配車しているはずだが、GPSで区切られた地域だけを見て配車している様子。無線ならば、そんなことはないはずだ。

技術進歩でタクシーもスマートになったとはいえ、このような弊害も起きるのだと感じた次第。やはり、人間が技術を使いこなせないと、サービス水準はむしろ落ちるかもしれないのだ。ブルーバードタクシーの一件で、そんなことを思った。

 

マカッサルへ行ってよかった

前回のブログを書いた後、急にどうしてもマカッサル国際ライターズ・フェスティバル(MIWF 2013)へ行きたくなり、飛行機のチケットを購入し、6月29日の最終日だけ参加した。やっぱり、マカッサルへ行ってよかった。

午前中参加したセッションでは、3人が「10年後の自分のビッグ・アイディア」というテーマで話をした。ボディ・ショップ・インドネシアのスシ社長は、環境への関心を深め、本当に社会の役に立つビジネスを行いたいと10年前に思い、それを実現させようと努めてきた。

GEインドネシアのアリフ氏は、日頃、無味乾燥で効率性を求められる職場だからこそ、魂を忘れないために、毎週金曜日に、社員がインターネット上に詩を投稿しあう活動を続けている。現場のエンジニアが編み出す珠玉の短い詩に心を打たれた。

オーストラリアから来た詩人であり大学教師でもあるルカ氏は、アボリジニや虐げられた人々が自己のアイデンティティを回復し、尊厳ある生活を取り戻す手段として、詩の活用を進めている。企業内のチームワークを高めるために、詩を作って発表することの効用を熱く語ってくれた。

詩にはそんな力があるのか、という思いにふけりながら、ふと、故郷・福島のことが頭をよぎった。再生・復興へ向かう福島で、詩の果たす役割がもっとあるのではないか。福島を忘れないことを目的に詩を綴り続ける和合亮一氏や、小学校からの詩作活動を長年にわたって進めている「青い窓」という運動。福島にはたくさんの有名無名・老若男女の詩人がいるのだ。

午後は、「植えること、書くこと」というセッションに出席した。午前中も話を聞いたボディ・ショップ・インドネシアのスシ社長、自然と人間との共生について現実に即して書いた本の執筆者のポール氏、都市生活者が身の回りで植物・作物を植える活動を進める「植えるインドネシア」の地方支部「植えるマカッサル」に関わる大学生のシーファ氏、の3人が発表した。

セッションでは、友人で司会者のイダ氏から私もコメントを求められ、日本で都市の若者たちで農村へ向かう動きがあること、震災などを経て自分たちの「生きる力」を得るために農業が見直されていること、植えるという行為はすでに国境を越えて世界中に広がっていること、などを話した。

会場の外では、「植えるマカッサル」がペットボトルを切ってそこにホウレンソウなどの苗を植えたコーナーもあり、参加者が自分のツイッター名をつけ、その成長記録をツイートする、という試みも行われていた。この苗が大きくなったら、畑地に移植するのである。植えることが書くことにつながる、という試みでもある。

マカッサル国際ライターズ・フェスティバルは6月25日から開催され、29日夜がフィナーレ。いつものごとく、開始予定時刻の午後6時半から大幅に遅れ、午後8時半ごろから開始した。友人のリリ・ユリアンティ氏が主催者を代表して述べた挨拶は素晴らしかった。

デモなどマイナスイメージでメディアに取り上げられるマカッサルで、実はこのような創発イベントが行われていることを皆でツイッターやFBでどんどんゲリラ的に発信しよう。このイベントは国際的であると同時に、マカッサルのアイデンティティを深める意味も持っている。誰にでも開かれていて、若い参加者がどんどん増えている。もっともっと、皆でこのイベントを盛り上げて、世界中のライターが集い、マカッサルがより輝けるようなイベントにしてきたい、と。

リリ氏の圧倒的なスピーチの後、インドネシア東部地域の若い詩人たち5名が次々に詩の朗読をした。まだ20~30代の若者たちが生き生きと自分の言葉で詩を読み上げる。その勢いと若々しさがとてもまぶしく、インドネシアの未来、とくにインドネシア東部地域の未来を垣間見るような時間だった。

フィナーレの最後は、クリスナ氏による詩の朗読で締めくくり。マカッサルの伝統衣装をまとい、伝統楽器をバックに、熱のこもった朗読のパフォーマンス。マカッサルがうねりとなって、観ている者に押し寄せてくるような、そんな気がした。

マカッサル滞在は実質わずか1日。でも、マカッサル国際ライターズ・ワークショップの最終日に参加しながら、マカッサルの大切な仲間たちに再会できたのは至福の喜びだった。彼らといろいろ話をしながら、自分の心の中に何とも表現できない熱い想いがどんどん溢れてきた。

3月末に借家の契約を終了し、マカッサルに居場所がなくなった。今回は久々にホテルに泊まった。それでも、マカッサルは旅行で訪れる他のインドネシアの都市とは同じではなかった。今、住み始めて3ヵ月のスラバヤとも根本的に何かが違う。

そう、マカッサルはやっぱり、私が帰ってくる、私が本当の自分に戻れる、大事な「故郷」なのだ。改めてそう、深く思えた。

もう一度、マカッサルに住みたい、と心底思った。涙が出てきた。自分の深いところから出てくる涙だった。自分が忘れてはいけない「原点」をもう一度確認したような気がした。

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