【活動報告】アジアNGOリーダー塾で講義(2015年10月11日)

ずいぶんと長い間、ブログの更新を怠っておりました。もちろん、生きております。この間にも、ボチボチとですが、活動しておりました。

最近は、インドネシアに関する活動もさることながら、日本やアジアの地域づくりに関わる活動も増やしています。

9月からは、発展途上国のコミュニティ・ビジネスに関する研究会にもお邪魔するようになり、早速、9月14日に「一村一品運動の展開とコミュニティ・ビジネス」という題で発表させていただきました。発表では、「コミュニティ」と「ビジネス」、「ものづくり」と「地域づくり」という観点から、日本やインドネシアでの事例や私自身の経験を交えて、お話をしました。ご興味のある方は、その時に提出したA4で1枚のレジュメをご参照ください(リンクはこちらから)。

この研究会の縁で、アジア・コミュニティ・センター21(ACC21)からお話があり、10月11日、アジアNGOリーダー塾で「途上国の地域づくりとコミュニティ・ビジネス~国際協力NGOの関わり方~」と題して、ちょっとした講義をさせていただきました。塾生の皆さんは意欲的な方ばかりで、ミャンマーからSkypeで参加していただいた方もおりました。

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このときの様子がウェブ上で公開されています。以下のリンクをご参照ください。

開催報告

報告の中でも触れられていますが、日本でもインドネシアでも、おそらくその他世界中でも、コミュニティや地域の抱える根本問題は同じであろうという確信を持っています。それは、「我々は一体何者であるか。我々のいる場所はどのような意味を持つ場所なのか」というアイデンティティの危機ではないかと思うのです。

言い換えると、自分の居場所の問題。自分の居場所、安心できる場所、自分であることを確認できる場所がなくなるということではないか、と。その場所にずっと刻まれてきた自然と人間の営み、それによって育まれてきた様々な慣習や広い意味での文化、それらを含む関係性の総体としての人々の暮らし。

それが色々な意味で壊れていくのではないか、という危機感が、ところ変われば品変わり、程度の差こそあれ、世界中で起こっているのではないか。いや、それは歴史の中でずっと起こってきたことかもしれないが、その危機感がますます強くなっていく世の中なのではないか、と。

そんな中で、もう一度、自分の足元を見つめなおし、外にないものをねだるのではなく、自分にあるもの、自分にしかないものを見つけ出そうとする。そのうえで色々な環境や人々との交わりの中で、新たな何かを作り出していく。そんな自分事として動くプロセスが増えていくことで、世の中が徐々に少しずつ変化していくのではないか。そんなことを思うのです。

ちょっと話はずれるかもしれませんが、パリでのテロ事件を見ながら、アイデンティティ危機の深化を感じるとともに、自分と同じ仲間を増やすのではなく、自分と違うことを互いに認めたうえでそれを尊重しあえる仲間、を増やしていくことが求められていると感じました。そのためには、そうした人々やコミュニティをつなげていく役割が実はとても重要なのだということに改めて気づいたのです。

 

ジャカルタで福島の桃と梨に出会う

9月3日、福島の桃と梨のプロモーション・イベントがジャカルタであるというので、物見遊山的に行ってきた。前日、友人のフェイスブックに情報が載っていたので、「地元出身者としては、これは行かずにはいられない」と行ってきた次第である。

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知人の加藤ひろあきさんの手慣れたバイリンガルMCで、イベントはつつがなく進んでいく。プレゼンはちょっと専門的で細かったかなという印象だが、福島県庁やJA新福島の方々が、実際に持ってきた桃や梨を手に、一生懸命プロモーションしている姿が嬉しかった。口下手でお人よしの福島人は、何かを売り込むときの押しの強さが今ひとつ、なので。

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第2部に移ると、ジャカルタの日本料理店・鳳月の高井料理長が、巧みな語りを入れながら、福島の桃や梨を素材にした素敵なデザートを作っていく。そこには、素材への慈しみが感じられ、きっと、福島の桃も梨も、彼に慈しまれて幸せなのではないか、なんて思ってしまうのであった。

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いくつかのデザート、そして、何よりもはるばる福島からやってきた桃たちや梨たちに、ジャカルタで会えるなんて、本当にありがたく、幸せな気分だった。

このイベントには、インドネシアで最も有名な料理研究家であるウィリアム・ウォンソ氏も出席していたので、名刺交換をして、お知り合いになっていただいた。彼は、プレゼンのときから熱心に説明を聞き、実際に福島の桃と梨を食し、その美味しさに驚嘆していた。

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この桃と梨、ジャカルタの高級スーパーであるランチマーケットで9月半ばまで販売されるとのこと。桃や梨という、インドネシアではあまり馴染みのない果物がどのようにマーケットに受け入れられるのか。おそらく、生食のほか、洋菓子などの素材としても注目されるかもしれない。

豊かになってきたインドネシアでは、シェフやパティシエになりたい若者が増えてくると予想される。日本では考えもつかないような、斬新な発想で、福島の桃や梨を使った一品が現れると面白い。

福島人としては、桃や梨に日本の他の生産地との違いを明確に出す戦略が取れればと思うが、それをどのように進めていけばよいのか。桃太郎といえば岡山、のような何かが欲しい。うーん、それは、福島県庁の方やJA新福島の方といろいろ楽しく考えてみたい。

と言いつつ、9月8日に帰国して、今は日本。

 

日系企業でワークショップ実施

一週間前になるが、9月2日、ジャカルタから少し離れた日系企業で、インドネシア人従業員を対象にした1日ワークショップを実施した。

参加したのは、同企業のスーパーバイザークラスの中堅職員24名。同社の日本人幹部からは、近い将来、日本人職員に代わって会社の中核を担ってもらいたい人材である。

今回のワークショップでは、会社経営の観点から自分たちは何をすべきか、それをどう行っていくかというテーマで進めた。

いつものように、会社のなかのよい点とよくない点を挙げてもらって、取り組むべき課題を明らかにしたうえで、その課題解決のために何をするかを具体的に議論する方向で進めようとした。

ところが・・・。というか、予想どおり・・・。

よくない点を挙げてもらったら、結局、会社への不平・不満が噴出した。そのほとんどは、日本人職員の存在に対する不満であった。

しかし、ちょっと議論を促すと、果たしてそうした日本人への不平・不満が事実に基づいたものであるのか、単なる彼らの思い込みによるものなのではないか、ということに参加者が気がついた。彼らが良くないと考える根本が事実でなかったら・・・。そして、事実かどうかを確かめるためには、日本人側とのコミュニケーションを取らなければならないことに気がついた。

ではどうするか。日本人側への要求ではなく、自分たちがどうするか。それを議論してもらった。その結果、彼らは一つのあるプロポーザル案を作り始め、それを人事部を通じて日本人幹部へ提出することになった。

ずいぶんと議論し、整然としたワークショップにはならなかったが、彼ら自身が自分たちで考えたこの時点でのプロポーザル案をまとめられたことで、ワークショップとしての一つの形を保つことができた。

後は、彼らのプロポーザルが社内でどう扱われるか、である。個人的に楽しみである。

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中ジャワは最も投資しやすい州を目指す

先週、北スマトラ州に続いて、6月18〜19日に中ジャワ州を訪問した。中ジャワ州投資局のスジャルワント長官は、「中ジャワはインドネシアで最も投資しやすい州を目指す」と胸を張った。

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中ジャワ州の特色としては、全国最低レベルの最低賃金、極めて少ない(というかほとんどない)労働争議、豊富な資源ポテンシャル、などが挙げられるが、それらはよく知られた特色である。これら以外に、他州には見られない特色があった。

それは、官民一体となって、投資をサポートする体制を整えていることである。州レベルでは、政府と商工会議所が一緒になって投資対策チームを作り、常に県・市政府とコンタクトし、モニタリングする体制になっている。たとえば、ある県で投資を阻害する問題が起こったら、すぐに州のチームも動くのである。とくに、すでに投資した企業が安心して活動できる環境を維持することが狙いである。

それだけではない。州政府は、州内のすべての県・市を対象としたパフォーマンス評価チームを結成し、毎年、表彰している。この評価チームは実業界・学界・市民代表から構成され、政府関係者が含まれていないのがミソである。チームは、実際に現場で行政サービスや許認可事務の状況を把握し、評価の重要な要素としている。

これによって、中ジャワ州の県・市の間で、行政サービスや許認可事務の簡素化を含む善政競争が起こっている。投資を呼び込むために、許認可に要する期間の短縮やサービスの改善にしのぎを削っている。各県・市の創意工夫で、様々な新しい試みが生み出される。たとえば、従来、多くの県・市政府は自己財源収入を確保するために、わざと許認可を面倒にする傾向さえあったが、競争意識によって、それが大きく改善へと向かっているという。

以前、ジョコウィ大統領がソロ市長だったときに、このパフォーマンス評価でソロ市は3年連続で州内第1位に輝いた。そうした実績を引っさげて、ジョコウィは中央政界へ進むことになったのである。ジョコウィが中ジャワ州から去った後は、各県・市が毎年入れ替わり立ち替わり第1位を占めるようになり、競争状態に拍車がかかっている。中ジャワ州の善政競争マネジメント能力の高さがうかがえる。

このように、州全体での投資へのサポート体制ができており、「インドネシアで一番投資しやすい州になる」という言葉もあながち嘘ではない気がしてくる。

とはいっても、日本人駐在員が中ジャワ州に駐在するには、日本的な要素が少ないことは否めない。中ジャワ州には日系の工業団地はまだない。州都スマランには日本料理店もほとんどない。ゴルフ場はあるが、日本人向けの娯楽施設も限られている。この辺は今後の課題となる。

しかし、中ジャワ州は日本に最もなじみのある州の一つなのである。実は、技能実習生や研修生を日本へ最も多く送り出しているのが中ジャワ州とのことである。中ジャワ州のどこへ行っても、日本での経験を持つ若者たちが存在する。日本企業は、そんな彼らを生かすことができるのではないか。

技能実習生や研修生を単なる低賃金未熟練労働力ととらえず、将来の日本企業のインドネシア投資、あるいはインドネシアでのOEM生産などを念頭に、彼らとの関係を戦略的に作っていくことがこれから重要になってくるだろう。実際、日本の中小企業がインドネシアへ来て、自分たちと一緒に低コストで材料や部品を作ってくれるインドネシアの中小企業を探しているという話もある。もしそうならば、戦略的に技能実習生や研修生を日本で活用して、次のステップへつなげることが有用ではないだろうか。

そんな場としても、中ジャワ州はなかなか有望なのではないかと思う次第である。

中ジャワ州に関して、何かお問い合わせになりたい方は、私まで遠慮なくご連絡いただければ幸いである。日本でもっと中ジャワ州を勝手にプロモートしたいと思っている。

 

セイマンケイ特別経済地域はなかなか有望

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6月16日、北スマトラ州のセイマンケイ特別経済地域(KEK Sei Mangkei)を訪問した。

特別経済地域(KEK: Kawasan Ekonomi Khusus)は、中国の経済特区を意識した特区で、単なる工業団地ではなく、許認可手続や税制面で優遇措置が採られる。

KEK指定第1号であるセイマンケイは、2011年5月27日に建設が開始され、2015年1月27日に開所された。敷地総面積は1,933.8haで、そのうち工業用地は1,331haである。工業用地はオイルパーム工業区域(285.85ha)、ゴム工業区域(72.7ha)、一般工業区域(509.61ha)の3つに分けられる。第1期はオイルパーム工業区域から始められ、すでに、第3国営農園のパーム油加工プラントとユニリーバのパーム油原材料加工工場(下写真)が試運転中である。

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敷地内には、国営電力会社(PLN)の変電施設(12MW)が作られるほか、アチェ州のアルンLNGからプルタミナによって75MMSCFDのガスがパイプラインを通じて供給される。

敷地内には、企業幹部向けの高級住宅地や従業員向け住宅のほか、ゴルフ場、学校、スポーツ施設、商業施設なども作る予定である。

セイマンケイ特別経済地域は北スマトラ州の州都メダンから144キロ南東にあり、現時点では、車で約3〜4時間かかる。筆者が行った今回は、途中で渋滞に何度か合い、4時間近くかかった。しかし、今後、セイマンケイ特別経済地域とメダン及びその外港であるベラワン港、クアラナム国際空港が高速道路で直結する計画である。また、鉄道も敷設される計画である。完成後は、セイマンケイ特別経済地域とメダンは車で1時間半で結ばれるということである。

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セイマンケイ特別経済地域で特筆すべきは、ジョコウィ政権が「海の高速」構想で国際ハブ港に指定して整備を進める予定のクアラ・タンジュン(Kuala Tanjung)港と直結することである。セイマンケイ特別経済地域とクアラ・タンジュンとの間も鉄道と高速道路が計画され、これが完成すると、セイマンケイ特別経済地域からクアラ・タンジュンまで車で30分かからなくなる予定とのことである。

セイマンケイ特別経済地域の東部分には、ドライポートが造られ、通関手続はセイマンケイ特別経済地域の中で完結するようになる。すぐ脇に鉄道の駅と高速道路入口が設けられる。

セイマンケイ特別経済地域は元々、第3国営農園の所有するオイルパーム農園の中に造られた。このため、土地収用問題が回避されている。樹齢が長くて植え替え時期に至ったオイルパームの区域を特別経済地域に提供したのである。そして、セイマンケイ特別経済地域の管理運営は第3国営農園が担い、敷地内に事務所もすでに置かれている。事務所内にはまた、所在地のシマルングン県政府の出先が置かれ、許認可関係のワンストップサービスを提供する。

セイマンケイ特別経済地域と直結する予定のクアラ・タンジュン港は、国営アサハン・アルミが持つ輸出港を活用して開発される。港湾の水深が14〜15メートルあり、港湾としても良質である。メダンからのスマトラ縦断道路(一般国道)からのアクセス道路もしっかり作られ、その脇で鉄道レールの敷設工事が始まっていた。これらはすべて、30年間日本が関わってきたアサハン・アルミによるインフラ建設の成果である(といっても、インドネシア側へ移管された後のメンテナンスが良くないという声を聞いた)。

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まだ将来の話ではあるが、セイマンケイ特別経済地域はなかなか有望であるとの印象を持った。

第1に、ASEAN全体のなかで見たときに地理的位置が優れていることである。マラッカ海峡に面し、マレーシア、シンガポール、タイに近い。むしろ、ジャカルタやジャワ島が遠く感じる場所である。セイマンケイ特別経済地域は、インドネシア国内ではなく、ASEANのなかで位置付けるほうがよいと考える。

第2に、インドネシア国内に2ヶ所作る予定の国際ハブ港の1つ、クアラ・タンジュン港と直結することである。クアラ・タンジュン港は、近隣の港湾と競争することになるだろうが、効率性がある程度確保できれば、コスト面で十分競争可能となる。

第3に、土地収用問題が起こらず、土地自体も固い地盤の上に築かれることである。重工業の立地もOKである。現時点での用地価格は1㎡当たり50万ルピア(約4600円)程度である。敷地内に高級住宅も建設されるが、高速道路ができれば、メダンから車で通うことも可能になる。

セイマンケイ特別経済地域のある北スマトラ州は、全体として、電力不足となっているが、セイマンケイ特別経済地域は独自に電力源を確保するため、その影響を受けない。また、第3国営農園が管理し、土地問題を回避し、しかも特別経済地域として中央が直接監視し続けるので、地元で暗躍する政治家やヤクザ集団などからも距離を置くことができる。

セイマンケイ特別経済地域をインドネシアや北スマトラなどの枠で考えずに、ASEAN全体のなかで考えてみると、ここに生産拠点を構えてASEAN市場に浸透していく、世界へ輸出していくということは、一計に値するのではないだろうか。

まだ絵に描いた餅の域を出てはいないが、他の工業団地などと比べても、セイマンケイ特別経済地域の将来はなかなか有望であると感じた。

帰国、5月末まで日本

4月7日に帰国して10日が過ぎた。慌ただしかった3月のインドネシアでの日々とは打って変わって、東京の家族とともに、ゆったりした時間を過ごしている。じと~っとした熱帯の湿気に慣れた肌は、さわやかな春の東京でやや乾燥肌になっている。

帰国した4月7日は真冬日だった。「冬」が再来する前に、ソメイヨシノは終わってしまっていたが、新宿御苑や小石川植物園でヤエザクラを見ながら、今年の花見を楽しんだ。

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今回は、5月末まで日本の予定である。自分なりに活動の区切りをつけるべく、頭を冷やそうと思っている。次のステップへ向けての準備期間でもある。

今後の活動の主拠点は、日本に置く。東京か福島か、どちらをそのメインとするかを思案中であるが、その両方を日本での活動拠点とすることは決めている。

東京の自宅はあまりにも居心地がよく、家族と和んでいると、ついついだら~っとしてしまいがちなので、自宅の近くのレンタルオフィスに仕事場を作ることにした。自宅から徒歩10分、24時間いつでも利用可能。本棚などを入れて、自宅に溜まった本の一部を移動させる。

インドネシアは、今後の活動の副拠点とする。帰国前に、スラバヤとジャカルタに居場所を確保し、引っ越しや家具等の調達も終わらせてきた。インドネシアでの活動拠点は、今のところ、スラバヤとジャカルタだが、マカッサルを追加することも検討している。

5月までに自分の個人会社を設立する予定だが、まだいくつか検討事項があり、ややゆっくりと進めている。すでに単発の仕事の話はいくつか来ているが、昨年度までのジェトロのような長期の契約の仕事はまだない。

今のところ、1年の半分を日本、半分をインドネシアで活動する計画であるが、さらにそれ以外の国での活動も加えたいと思っている。

ローカルとローカル、ローカルとグローバルを結んで、新しい何かが起きていくためのプロフェッショナルな触媒となる。

日本とインドネシアの計4つの拠点を行き来しながら、自分にしかできないような仕事をしていきたいと思っている。

 

【お知らせ】「NNAインドネシア政経ウォッチ」は隔週連載へ変更

ニュースネット・アジア[NNA](インドネシア版)の毎週木曜に連載中の「インドネシア政経ウォッチ」は、本日号(4月9日付)から隔週木曜連載へ変更となります。

引き続き、ご愛読のほど、よろしくお願いいたします。

コミュニティ・デザインと私

なんという運のめぐり合わせだろう。国際交流基金の仕事で、以前から気になっていて、一度会いたいと思っていたコミュニティ・デザイナーの山崎亮さんと約一週間、一緒に仕事する機会に恵まれた。

スラバヤでのワークショップにて。参加者のGatot Subroto氏撮影の写真を拝借した。

スラバヤでのワークショップにて。参加者のGatot Subroto氏撮影の写真を拝借した。

彼の日本での活躍ぶりは重々承知していたので、日本で会うのは難しそうだと半ば諦めていたのだが、まさかインドネシアで、しかもずっと一緒に仕事ができたのはとてもラッキーな出来事だった。

今回の私の仕事は、山崎さんと彼の補佐役で来訪された、同じstudio-Lに所属する西上ありささんの通訳兼コーディネーターである。いつもならば、自分でセミナーやワークショップを進めるのだが、ここはじっと役割をわきまえて、彼らの活動が最大限に発揮できるように努めた。

メダンでのワークショップ風景

メダンでのワークショップ風景

山崎さんは、コミュニティ・デザインに関連して行なった事例を100以上、いつでも発表できる状態にしており、今回のジャカルタ、メダン、スラバヤでの建築学科の学生らを対象としたセミナーとワークショップでも、それぞれ違う事例をふんだんに使いながら進めた。どの事例もなかなか面白く、通訳をしながら私自身も興味をそそられた。

彼らといろいろ話をするなかで、彼らが目指す未来と私がこうありたいと考える未来とがかなりオーバーラップすることが明確になってきた。すなわち、少子高齢化や成熟社会に向かう日本が、かつてのような重厚長大や成長を目指すことは無理だと気づき、エコで足るを知り、コンパクトな社会を目指す方向へ舵を切ったとするならば、インドネシアは日本のような回り道をせず、今からハードとソフトを兼ね備えた形で直接、エコでコンパクトな社会を目指すほうがよいのではないか、という考えである。

山崎さんは、そのソフト面で、建物を建てることを目指さないコミュニティ・デザインの役割が発揮されると語った。建築(アーキテクト)とは、様々な技術を一つにまとめあげていくことだとするならば、様々な人々や考えをつないで問題解決の動きへまとめ上げるコミュニティ・デザインも立派なアーキテクトである、とも述べた。

コミュニティ・デザインのもう一つの肝は、コミュニティの課題に様々な人々が関心を持ち続け、主体的に関わろうとするためには、美しさ、カッコよさ、美味しさ、といった感受性に訴える部分をデザインという形で取り入れることが重要だ、ということである。そう、楽しいから、面白いから、人々はそれを自分でやりたいと思うのである。建築家やデザイナーが地域づくりに関わる意味はそこにもある。

とにかく、山崎さんや西上さんとの今回の仕事は、個人的にとても面白かったし、今後の自分の活動を考えるうえで、様々なヒントを得ることができた。それはたくさんの事例であり、ワークショップのアイスブレイクの手法であり、ワークショップの進め方であり、ダイアグラムを重視した見える化の手法であり、また「よそ者」としてのメリットと限界を熟知した上でのコミュニティとの関わり方であった。

これから福島で、日本の地域で、インドネシアの地域で、私も様々な活動を行っていきたいと考えている。そんななかで、また山崎さんや西上さんとの接点が生まれ、場合によっては再び一緒に仕事をする機会などができれば、とても嬉しいことである。お二人にははた迷惑かもしれないが、久々に同志と思える方々と出会えた気がする。

このような素晴らしい機会を提供してくれた国際交流基金に改めて感謝したいと思う(油井さん、本当にありがとう!!)。そして、さらに、今回のコミュニティ・デザインに関するセミナーとワークショップをきっかけとして、日本とインドネシアとをつなぐ形で次の展開が開けていけるように、自分も努めていきたいと思う。

スラバヤ再発見の活動を続ける若者グループAyorekを訪問

スラバヤ再発見の活動を続ける若者グループAyorekを訪問

1泊2日でKL

3月14〜15日は、気分転換のため、マレーシアのクアラルンプールへ行き、友人と食べ歩きをした。

14日は、KLセントラルから近いバンサールを歩いた。お目当てのニョニャ料理カフェでラクサを食べたあと、ぶらぶら歩いたが、なかなか気持ちのいいところだった。

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バンサール・ショッピングセンターにある一風堂バー。博多ラーメンで名高い一風堂がラーメン店の隣に日本酒などを楽しめるバーを設けた。そこで、ワサビを使ったカクテルを味わってみようということだったが、結局、私はキュウリのモヒートを飲んだ。

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バンサール・ショッピングセンターまではちょっと距離があり、しかも坂なので、タクシーを拾おうと思ったのだが、「距離が近すぎる」ということで軒並み乗車拒否にあう。でもどうも、近くのバンサール・ビレッジとバンサール・ショッピングセンターを混同していた様子。結局、約30分かけて、徒歩で坂を登って、バンサール・ショッピングセンターにたどり着いた。ふーっ。

でも、歩いて、多少道に迷ったおかげで、バンサール・ビレッジ周辺がなかなか住むにはいいところだということが分かった。気持ちのいいカフェの一つで一休みしたが、でかいボリュームのブルーベリーチーズケーキが意外に美味しかった。

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一風堂バーで、友人となかなか気持ちのよいお酒を飲み、楽しく語り合った。

15日は、別の、昔の職場の友人と一緒に、セントラル・マーケットでニョニャ料理のランチ。ココナッツライスとおかずがベストマッチング。美味しくランチをとりながら、昔の職場の話や東南アジア研究のあり方なども含めて、話がはずんだ。

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外に出たらけっこう暑い。たまらなく、KLセントラルへ戻って、元首相のDr. Mが経営しているというカフェで、マイナス60度に凍らせたコーヒーに熱いミルクを注いで溶かして飲む、という飲み物とあんこの入ったクリームパンを食べた。おいしい!

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KLセントラルで友人とわかれ、空港へ鉄道で移動。

空港で、思い切ってiPad Mini 2を買ってしまった。32GBでRM1,569。4月から消費税6%が課せられるとのこと。インドネシアで購入するよりはずいぶん安く買うことができた。

インドネシアの税関申告書に「250ドル以上の購入品を申告せよ」とあったので、スラバヤに着いて真面目に申告したら、「真面目に申告してくれてありがとう」と暇そうな係員に言われた。

15日夜にスラバヤへ戻ったら、この土日のスラバヤは大雨だったとのこと。

16日は午前中に原稿を書き、夜10時過ぎにマカッサルに到着。日本からのお客さんと打ち合わせを午前1時までやり、その後、2時間ほど連載原稿を書いてから寝た。

今回のマカッサルはわずか2日間、しかもお客さんのお供なので、知人・友人ともあまり会えないのが残念。次回のマカッサルは、6月初めを予定しており、このときにじっくりと再会する予定。

 

ブカシで技能実習生OBとの面会

2月13日、ジャカルタで用事を1件済ませた後、スディルマン通りからクバヨランバルを抜けて、テンデアン通りを通って、高速道路に乗るまで1時間半、それから1時間かけて、予定より1時間遅れの夜8時にブカシ着。待ち受けていた技能実習生OBと面会した。

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彼らは、アイムジャパンの技能実習生派遣事業で日本に行った経験を持つ方々で、インドネシア研修生事業家協会(Ikatan Pengusaha Kenshusei Indonesia: IKAPEKSI)の幹部たちだった。IKAPEKSIは、アイムジャパン事業で日本へ行き、帰国した後に、事業を行っている元研修生の集まりで、全元研修生4万5,000人のうち、約6,000人がIKAPEKSIの会員、ということであった。

この組織は、彼らが自発的に作ったもので、日本側からの関与はない、とのことである。

彼らは、今後、日系企業とどのような関係を持っていけるか模索している様子。まずは、IKAPEKSIの存在を日本側へアピールすることが必要だろう。とにかく日本が好きなんだ、と、こちらが恥ずかしくなるぐらい、強くアピールされた。

インドネシアと日本との関係をより深く確実なものにしていくためには、毎年毎年ほぼ自動的に増え続ける日本への研修生とどのように付き合っていくか、帰国後の彼らを日本側がどうサポートしていくかが重要になるだろう。元研修生は、ジャカルタ周辺だけでなく、インドネシアの地方のほぼ全てに存在しており、日本人が地方へ旅をしたり、あるいは日本語パートナーズが地方の高校で活動する際には力強いサポーターになってくれるものと思う。

もちろん、元研修生にも色々な人がいるだろう。真面目に事業を行っている人もいれば、日本へ行ったのはカネだけが目的だった人とか、日本人をカモにしよう、日本人にタカろうと思っている人さえ、いるかもしれない。だから、元研修生といっても、必ずしもいい人とは限らないので、それをどのようにコントロールするかも課題ではないか、とIKAPEKSIの方々にはひとこと釘を刺した。

彼らは3月7日、ブカシで全国大会を開催するそうで、さっそく、そこで講演するよう頼まれただけでなく、アドバイザーになって欲しいとも頼まれた。彼らの存在を活かしていくことが、今後のインドネシアと日本との関係を広く深くするためにも重要だと考え、引き受けることにした。

彼らと一緒に、これから何を起こしていけるのだろうか。彼らには、日本の地方都市で過ごした経験を持つ者が少なくない。また、帰国後、インドネシアの地方で活動しているものも少なくない。日本の地方とインドネシアの地方を結びつけたい自分としては、何か面白いことができる要素があるような気がする。ちょっと楽しみではある。

 

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