ハイ・アンド・ロー

昨日(6月1日)は、久々にブログ更新やインドネシア語ブログの開設など、けっこう前向きにハイな気分でいられたが、今日は逆に、一気にローな気分で落ち込んでしまった。

友人と楽しく昼食をした後、買い物をし、路上でタクシーを待っていた。ちょっと疲れを感じてボーッと立っているところに、1台の乗合バス(コパジャ)が私の前に停まった。なぜか分からないが、私はコパジャに乗るそぶりをした。判断力が希薄だったのかもしれない。

その時、私の前に誰かが立ち、ふわっと私の肩掛けカバンが上に舞い上がった。そして気が付くと、カバンの左ポケットに入れてあったはずの愛用のデジカメ(リコーCX3)がなくなっていた。コパジャのコンダクターは、「向こうに逃げて行ったやつがいる」と後ろを指差したが、ボーッとした私にはなんだかよく分からない。誰かがいたようには見えなかった。コパジャは走り去っていった。

コパジャのコンダクターが盗んだのではないか。我に返ってよく考えると、おそらくそうなのだ。コパジャの中にデジカメがまだあったかもしれなかった。でも、それを追いかける気力は沸いてこなかった。怒りを感じるよりも、へなへなと茫然自失の状態になった。

幸い、隣のポケットに入れてあった携帯電話も、その他の財布もパスポートもすべて無事だった。

リコーCX3はいいカメラだった。とくに、マクロ撮影に優れていて多用した。でも、このカメラはインドネシアで売られていないし、チャージャーもないし、説明は日本語にしてあるから、きっと、盗人の役に立たずに、捨てられてしまうのだろう。これを運命と受け入れてしまう私は、相当にインドネシア化しているといっていいのだろうか。

数日前のワークショップで撮った参加者との記念写真も、今日の昼食で食べた料理の写真も、すべて消えてしまったのが残念である。昨日は、デジカメを持たずに夕食に出かけたので、今日は持っていこう、と確認して出発したのが、リコーCX3との別れとなってしまった。

何となく、今日はやばいのではないか、と感じていた。そういう時に限って何かが起こるのだ。そう、過去もそうだった。

土日も休まずに、原稿を書き続けたこの数ヵ月、休暇らしい休暇を取っていないし、原稿の締切が次から次に来る生活では、休むわけにもいかない。そういう生活にしたのは自分自身だから、もちろん自己責任。今日の事件は、自業自得というしかない。

楽あれば苦あり。自分がうまくいって得意になっているときほど、細心の注意を払わなければならないのだ。

自分の恥をさらすような話を書いている自分にも嫌気がさすが、ともかく、書かないと何となく落ち着かない気分になってしまったので、こうして恥をさらしてしまった。不愉快な気分にさせてしまったとしたら、大変に申し訳ない。

 

インドネシア語版のマイ・ブログ

本日6月1日より、本ブログに加えて、インドネシア語での個人ブログを書き始めた。以前から、インドネシア人の友人に「インドネシア語でブログを書かないのか?」と言われていたこともある。

もっとも、2009年まではインドネシア語ブログ「Kabar dari Daeng KM」というのを書いていた。しかし、長い間、休眠状態となっていた。今回、改めてインドネシア語版ブログを書いてみようと思った次第である。

インドネシア語版新ブログは以下のとおりである。まだ1本、自己紹介しか書いていない。

Indonesia Campur

Campurというのは、インドネシア語で「混ざる」「混じる」の意味。沖縄料理のチャンプルーや、長崎のチャンポンと同じ意味の言葉である。

インドネシア政治・経済・社会、日本との関係、自分なりに出会った面白いこと、などを自由に、私なりの考えやコメントを付け加えながら、インドネシアの知人・友人たちに投げかけていきたいと思っている。

さっそく、インドネシアの友人たちが「読むよー」と言ってくれている。どんな反応があるか、楽しみである。

インドネシアの人々へ日本を伝える、ということも一つの役目と考えている。日本語での発信に加えて、インドネシア語でも発信していく。

ブログに加えて様々な媒体への原稿執筆で、1週間、毎日締切という状態になるかもしれないが、これも私なりの使命と心得て、チャレンジしていきたい(今日は、1時間ほど昼寝したせいか、ずいぶんと元気になった)。

【スラバヤ】豚飯 @ Depot Purnama

スラバヤで重宝している食べ物はNasi Cap Cai、すなわち肉野菜あんかけ炒めご飯、早い話が「中華飯」である。簡単に肉や野菜が食べられ、それなりの満腹感もある。

スラバヤに来てからしばらくNasi Cap Caiを食べていたのだが、中華料理屋のメニューに載っている「牛飯」(Nasi Sapi)、「鶏飯」(Nasi Ayam)、「海老飯」(Nasi Udang)、「豚飯」(Nasi Babi)に興味をそそられた。

「鶏飯」(Nasi Ayam)といえば、普通は、海南鶏飯を想像する(日本では、大分の「吉野の鶏めし」も思い出すが・・・)。「牛飯」は牛めしではないだろうし・・・。

「豚飯」は、刻まれたチャーシューなどの入ったNasi Campurとは別のもののようだし・・・。いったいどんなものが出てくるのだろう? そう思って、試しに頼んでみた。

出てきたものは、Nasi Cap Caiのようなあんかけご飯。野菜の種類は2~3種類と少なく、豚肉、それもハツやレバーも入っている。この店では、ご飯の上に薄い目玉焼きがのっていた。

食べ始めてすぐ、味に懐かしさを感じた。日本の中華丼の味、なのだ。個人的に豚レバーが入っているのがとても良かった。これは、外食の定番になりそうである。

しかし、ジャカルタでもマカッサルでも、このような名前のメニューはみたことがなかった。どこにでもありそうな料理だが、この名前はスラバヤにしかないのだろうか。今度、行く先々で調べてみたい。

Depot Purnamaは、かつてJl. Pahlawanにあった店が移ってきたようだ。Jl. Pahlawanといえば、このブログの最初に書いた海南鶏飯屋さんのある通りでもある。この店、夜遅くまで、華人系の家族連れなどで賑わっている。我が家のすぐ近くにあり、重宝しそうだ。

Depot Purnama
Jl. Mayjend Sungkono, Surabaya

 

【スラバヤ】Nasi Sayur @ Depot Pak Djo

5月15日に、職場の友人に連れて行ってもらったのがここ。Nasi Sayur、すなわち「野菜ご飯」の店。安くてうまい、というので試してみることにした。

ところが、メニューが下の写真の通りになっていて、なんだかよくわからない。

店員に尋ねると、次のような説明。

「Nasi Sayur Ayamには麺がつき、Nasi Ayam Sayurには麺がつかない」。

でも、ほかに、Nasi Mie Ayam Sayurというのがある。これって、Nasi Sayur Ayamと同じではないか。いや、麺の量が違うのか。というのは、ジャワの屋台でNasi Rames(皿の真ん中にご飯、その周りにおかず、という定食)を頼むとほぼ必ずインドミーの麺だけが乗ってくるから。

謎は尽きないが、とりあえず、今回食べたのは、Nasi Ayam Sayur、麺がつかないバージョンである。

思い出したのは、昔、子供のころに食べた大根飯。大根に付いている緑色の葉・茎の部分を細かく切って、ご飯に混ぜて食べた大根飯。

このNasi Ayam Sayurの葉っぱは大根ではないけれど、茎の食感がよく似ている。これに細かく切った鳥肉が絡む。

決して凝った味とは言えないが、サンバル(チリソース)を加えれば、よりおいしさが引き立つ。

これこそ、スラバヤの屋台で食べる庶民の味、である。でも、味付けにはもっともっと工夫が必要な気もした。

Depot Nasi Sayur Pak Djo
Jl. Embong Blimbing, Surabaya
(Jl. Baski Rahmatの英雄の像から左に入った屋台街のちょっと奥、右側)

 

「笑うな。黙れ」の日本イメージ

人間の本性というのは、意識的に隠すことはできても、無意識に表れてしまうものである。日本という国がいくらよいイメージを作れたとしても、国際会議の場での個人の無意識の態度によって、日本という国の本当の姿が露わになってしまうことになる。

国際会議の場で「笑うな。黙れ」と言った日本人の外交官は、日本という国を背負っていることを忘れたのか、あるいは相当重荷に感じていたのか。下記を参照されたい。

‐ 日本の刑事司法は『中世』か

または、無意識のうちに、日本は上、アフリカの小国なんぞは下、という個人の持つ差別意識が思わず無意識のうちに出てしまったのか。相手への尊敬があったのだろうか。

3月にジャカルタで出席した国際会議で、日本の外務省の方がインドネシアとのパートナーシップについて話をされた際に、日本が黒子役となって、一緒に調和のとれた新しいアジア社会を作っていきたいという趣旨のことを発言されていた。韓国や中国の代表が「教えてあげる」という上から目線だったこともあり、「日本は一皮むけて円熟した」と思った。新しい日本のアジア外交が始まる兆候さえ感じた。

それだけに、「笑うな。黙れ」はとても残念でならない。

でも、それは、国際会議での当の日本人外交官個人に帰せられる問題だろうか。

私自身、これまでにそういうことが一度もなかったかといえば自信がない。

たとえば、ずっと昔に、インドネシア語がまだよく話せず、いつもインドネシアの方々に笑われ、間違いを指摘されるたびに、自信をなくしたものだった。とくに小さな子供に笑われたときに、爆発しそうになった。

あるいは、25年以上前、ビザの手続がうまく進まなくて、役所の間違いで誤った書類が国家情報庁へ送られてしまったとき、ビザが更新できないことを恐れて役所へ窮状を訴えた際、笑いながら適当にあしらわれ、怒ってしまったことがあった。

今でも、イライラして、ちょっとしたことで笑われると、ムカッと来ることがないわけではない。

インドネシアの人たちの笑いには、純粋な笑いとともに、自分の不備や能力不足を恥じるのを隠す笑いがある。場が悪いので笑ってごまかす、という感じに近い。硬い頭の自分がそれに対して怒ってしまうのは、その時の自分にゆとりがないからだ、と後で気づくのである。

日本国を代表する外交官の傲慢な態度は、日本という国のイメージをよりよくしようとしている人々への冷水である。しかし、我々外国に住む者もまた、広い意味での「外交官」といってもいいかもしれない。

外交官だけでなく「外交官」の日頃の振る舞いが蓄積されて、日本という国の姿やイメージが残っていくのだろう。もちろん、日本の前に、地球上に生きる一人間としての個々人があるわけだが。

また今日から、「笑うな。黙れ」の日本イメージを払しょくすべく、微力ではあるが、ゆとりをもって接していきたい。

 

スラバヤ空港でのGaruda Indonesia職員

5月25日、スラバヤからジャカルタへ日帰り出張した。5月20~22日に一組、5月23~28日にもう一組、視察同行中で、後者については、仏教のワイサックで祝日であることを理由に1日だけあけてもらうことをお願いし、日帰り出張を行った。

25日朝、スラバヤのジュアンダ空港でGaruda Indonesiaのカウンターでチェックイン。通常よりも一人一人のチェックインに要する時間が長いので何かおかしいとは感じていた。自分の番になって、その理由がわかった。カウンターの職員曰く「直前の便がキャンセルになって、その客がお客様の予約した次の便へ振り向けられたため、オーバーブッキングとなり、乗れません。さらに次の便に振り替えます」とのこと。

はあ? 前の便がキャンセルになると後の便に振り替えて、後の便に予約を入れておいた私が乗れないわけ? 午前11時からジャカルタで会議のため、遅れないようにこの便にしたのに、どういうことなのか? これがGaruda Indonesiaの通常のやり方なのか? カウンターの職員に詰め寄ったが、彼女はGaruda Indoensiaではなく空港サービス会社の職員なので、、「Garuda Indonesiaのカスタマーサービスに話してください」と取り合ってくれなかった。

ともかく、次の便に振り向けられ、その搭乗券をもったまま、Garuda Indonesiaのカスタマーサービスへ。同じような運命になったと思われる何人かの乗客がそこにいた。Garudaのネームタグをつけた男性職員に苦情を話す。するとその職員、「ご意見を言っていただいたお客様をとてもありがたく思います」「素晴らしい意見ですね」「ご意見賜ります」と、褒め言葉が並ぶ。それでさらにカチンと来て苦情を言い続けると、今度は何度も「申し訳ありません」を繰り返し始めた。頭にきたが、埒が明かないので、あきらめて、当初乗る予定の次の便を気長に待つことにした。

振り向けられた次の便だとジャカルタ着は10:20、土曜・祝日で空港からジャカルタ市内への高速が空いていたとしても、おそらく間に合わない。会議の相手にお詫びの連絡を入れた。

話はここで終わらなかった。

ジュアンダ空港内のカフェで、中華チマキとコーヒーの朝食をゆったり摂っていると、先ほど私が会ったGaruda Indonesiaのカスタマーサービスの職員が、息を切らせながら私のところへ駈け込んできた。そして言う。「お客様、当初お乗りになるはずだった便ですが、キャンセルが一人出ました。お客様だけ特別にご案内したいのですが」と。

私と同様の運命になった乗客はたくさんいたはず。なぜ私だけなのか。他の乗客にもちゃんと情報を流したのか。病人や急用のある人など、緊急性の高い乗客がいるのではないか。私だけが特別扱いされるのはおかしい。こんな風にまくし立てていると、「もう時間がないんです。1人分だけですから、どうか搭乗してください」と懇願される始末。

2個あった中華チマキを1個だけ食べ、コーヒーを半分以上残したまま、その職員に急かされながら、搭乗口へ向かった。搭乗券の便名やシート番号は手書きで直され、日帰りで手荷物のみだったので、そのまま搭乗。本来、自分が乗るはずだった便に結局乗ってしまった。

便は約30分遅れで出発。最後の乗客である私を待っていたためだろうか。

機内を見ると、同じ柄のバティックを着たウムロ(断食明け以外の時期に聖地メッカへ行くこと)に行くと思われる方々が多数乗っていた。見た感じ、政府高官やその子弟のような方々が多いように見えた。

もちろん、ジャカルタでの会議の時間には間に合った。きっと、素直にラッキーと思えばよいのかもしれない。でも、後味の悪い何かが残る顛末であった。

【マラン】Nasi Bakmoy @ “Yan” Pangsit Mie

5月18日にマランのブラウィジャヤ大学で講義をする前に、朝食を食べたのがこの店。最初は、ワンタン麺(Pangsit Mie)が目当てだったが、Nasi Bakmoyという、見慣れない名前がメニューにあった。写真を見る限り、ご飯に肉などのおかずが乗っている様子だが、ともかく頼んでみた。値段はRp. 12,000である。

実際は、ご飯の上に細かく刻んだネギ、小さく薄く切った油条、味付けした鶏肉、煮玉子が乗り、その上からちょっと鶏だしの利いた汁がかかっている。汁かけご飯の類。お茶漬けに近い感覚である。サラサラッと食べてしまった。

おかゆとも雑炊とも違う食感。ラーメンライスよりは洗練された感じがする。もちろん、お腹にもたれる感じはない。煮玉子が何ともいえず相性がよい。

インターネットでNasi Bakmoyを検索すると、けっこう色々載っている。あるサイトには中ジャワが起源と書かれており、Nasi Bakmoyの写真も載っているが、マランで食べたそれとはだいぶ様相が違う。それは汁かけご飯ではないのだ。

J’s Kitchen

お茶漬け感覚でサラサラッと食べられ、しかも美味しく、お腹にもたれない、このマランのNasi Bakmoyは、ほんと、朝食にもってこいだった。

次回、マランへ行ったときには、ここのワンタン麺を食べてみよう。

“Yan” Pangsit Mie Ayam
Ruko Soekarno-Hatta A2, Malang
Phone: 0341-415590

ブラウィジャヤ大学での特別講義

5月18日、朝5時起きして、スラバヤから車で2時間のマランにある国立ブラウィジャヤ大学へ行き、日本語学科の学生を対象に「インドネシアの日系企業」という題で特別講義を行ってきた。

集まった学生は約120人、正直言って、かなりたくさんの学生が日本語を勉強していることに改めて驚いた。聞くと、ほとんどが日本語検定3〜4級程度、2級以上の学生は少ないようだ。2級以上になれば、そのほとんどが日系企業に就職できている。

床に薄いカーペットを敷いて座る形。考えてみれば、日本もそうだが、椅子はもともと外から持ち込まれたもので、床に座って、低い机に向かって学んだり作業したりするのが一般的にみえる。

かつて、マカッサルにいたとき、我が家の4分の3を地元の若者たちの活動に開放した際、彼らの運営する図書館(実はマカッサルで最初の民間図書館といってもよかった)では、床に座って低い机で本を読む形式だった。椅子は夭死していたにもかかわらず、である。

ブラウィジャヤ大学の学生たちは、床に座る形式のほうがリラックスして和やかな雰囲気でよい、という。たしかにそう思う。私の特別講義も、いつもより容易に笑いがとれ、リラックスした気分で行うことができた。

ブラウィジャヤ大学の日本語学科は、日本語検定2級取得を目標としている。講師陣も充実しており、日本人の講師の方が2名活躍されている。大学では4年時点で実地研修(KKN: Kuliah Kerja Nyata)を数ヵ月間行うが、将来の自分の職業に合わせて、学生が自分で探す。日本語学科の学生たちは、日系企業でのKKN受入を希望しており、実際、経験者もいるようだ。

また、ブラウィジャヤ大学は、株式会社ニキサエ・ジャパンと協力して、スカイプによるインドネシア語講座を開設している。最近、じゃかるた新聞などでも取り上げられた。

日本インドネシア語学院

学生は講義をとても熱心に聞いてくれ、質問も活発だった。情報が行き交っているためか、以前に比べると、的外れな質問は本当に少なくなった。日本があこがれの国であることは確かだが、かつてのようなステレオタイプな日本イメージがいい意味で変わっていく様子がうかがえた。

現地視察同行中

昨日と今日はスマランに来ている。日本からのお客様の視察同行中。単なる視察ではなく、今後に何かをつなげられるような、ヒントをつかむためでもある。

その意味で、今回の視察は、スラバヤも含めて3日間という短いものだが、今後の様々な展開を意識させられるような内容になった。お客様も、「こんな方々と会えるとは思わなかった」「新しい発見がいろいろあった」と満足されている様子。

現地視察同行の中身を常に充実させ、お客様の満足度とその後の展開へつなげられるような、質の高い視察同行を行なっていきたいと思う。

インドネシアの、特に地方への視察同行の希望があれば、当方へご連絡いただきたい。

これからまた、スマランでアポ3件、朝食もまだ食べていないのでこの辺で。

 

ジャワ・ポス紙編集部訪問

5月15日、パートナーコンサルタントのM氏の紹介で、スラバヤを本社とする全国日刊紙『ジャワ・ポス』(Jawa Pos)の編集部を訪問し、編集長はじめ編集スタッフと面会してきた。その様子が、さっそく、5月16日付の『ジャワ・ポス』に掲載された。

実は、『ジャワ・ポス』の編集部へ行ったのはもう10年ぶりぐらいだった。あの頃からずっと、ジャワ・ポスの編集ルームはインドネシアで一番広いと言われていたが、どうも今もそうらしい。変わっていなかった。

この『ジャワ・ポス』紙は、全国の地方紙100紙以上にネットワークを持ち、記事を配信している。おそらく、全国をくまなくカバーしている新聞メディアといってよいだろう。

実は、首都ジャカルタに本社を置く新聞社で、『ジャワ・ポス』と同様のネットワークを持っているところはなく、クォリティペーパーとされる『コンパス』が『ジャワ・ポス』を追い上げようとしているが、全国地方紙のカバレッジでは、『ジャワ・ポス』に大きく後れを取っている。

『ジャワ・ポス』は、数は多くはないが、スラバヤがジャカルタを凌駕する事例の一つといってよいかもしれない。

この『ジャワ・ポス』に、定期的に日本=インドネシア関係に関するエッセイをインドネシア語で書いてみたいと考えている。その話を持ちかけると、編集部は大賛成。まずは、こちらで書いたものを読んでもらってから判断する、ということになった。

うまくいけば、この前のブログで呼びかけた「日本企業がインドネシアでどのような役割を果たし、どう貢献しているのか」をインドネシア語で発信する場を確保できそうである。しかも、うまくいけば、系列の地方紙にも転載されるようだ。

さあ、これから、である。

1 48 49 50 51 52 55