【スラバヤの風-10】公共交通が退化した町

スラバヤに住んで、ずっとタクシーで移動していた。スラバヤのタクシーはブルーバードとアストラ系のオレンジが二大勢力で、ほかにも、かつてタクシー会社として最初に上場したゼブラや南スラウェシ出身のボソワ・グループの持つボソワなど多数ある。タクシー移動で生活上や仕事上、困ったことはとくになかったが、街歩きをするようになって、はたと気づいた。バスや乗合などの公共交通機関がすぐに見つからないのである。

スラバヤに公共交通機関は存在する。バスは国営ダムリが19系統を運行し、冷房バスも走っている。ダムリ以外の民間会社のバスもある。また、系統ごとに色分けされた「リン」と呼ばれる小型乗合(ジャカルタのミクロレットとほぼ同じ)も、調べると、計60系統以上走っていることが分かる。しかし、その存在が見えない。

実は、公共交通機関の台数がここ数年、減少している。6月2日付『テンポ』誌(東ジャワ版)によると、バスは2008年の250台から2011年には167台へ、「リン」は同じく5233台から4139台へ、それぞれ急減している。

対照的に、自家用二輪車・四輪車の台数は、そのわずか3年間に140万9360台から699万3413台へ激増している。経済成長に伴う所得上昇は、スラバヤの人々に二輪車や四輪車の購入を促し、公共交通機関ばなれを急速に引き起こさせたといえる。

もともとスラバヤは、公共交通機関が大きな役割を果たした町だった。オランダ植民地時代の1881年から約100年間、市内を路面電車や蒸気路面列車が走り、人々の足となっていた。モータリゼーションの進行とともに、路面電車や蒸気路面列車は交通渋滞を引き起こすと敬遠され、バスに取って代わられた。1980年代に筆者が訪れたスラバヤには、その頃のジャカルタと同様、ボルボ製やレイランド製の二階建てバスが走っていた。もちろん、ベチャの台数は今よりはるかに多かったし、一時期、バジャイもこの町を走っていた。

二輪車・四輪車台数の急増により、スラバヤも5年後にはジャカルタのような渋滞に直面することが確実と見られる。このため、スラバヤ市政府は、2015年の開業を目指して南北線(トラム「スロトレム」)と東西線(モノレール「ボヨレール」)を組み合わせた公共交通機関の整備を計画している。

公共交通機関が退化した町・スラバヤで、「スロトレム」と「ボヨレール」が自家用車利用者を本当に引き込めるのだろうか。タイミングとしては遅すぎた感が否めない。

 

(2013年9月21日執筆)

 

 

【スラバヤの風-09】東ジャワ州知事選挙と今後の政治

スラバヤは、インドネシアの政治を占うバロメーターといわれる。1945年8月17日の独立宣言の後、連合軍(英国軍)が進駐してきた際、それへ最初に抵抗したのが、同年11月10日にスラバヤで起こった市民蜂起だった。これをきっかけに、連合軍への抵抗闘争が全国へ拡大し、独立戦争が本格化した。それ以後、多くの国内政治ウォッチャーが、スラバヤで何が起こるのかに注目してきた。

その観点からすると、8月29日に投票が行われた東ジャワ州知事選挙の結果が今後のインドネシアの総選挙や大統領選挙へどんな影響を与えるかが注目される。開票結果はまだ未確定だが、クイックカウントによれば、スカルウォ=サイフラー(現正副州知事)の現職ペアが勝利を収めるのは確実である。

現職ペアは、与党民主党など30政党以上の推薦を受けただけでなく、東ジャワ社会に大きな影響力を持つ国内最大のイスラム社会団体ナフダトゥール・ウラマ(NU)の高僧(ウラマー)の支持も取り付け、万全な体制で選挙戦へ臨んだ。

ここで、筆者は、政党間の駆け引きよりも、現職ペアが作り上げてきた政治の中身に注目したい。もともと、現職ペアは1期目に致命的な問題を起こさず、調整型の行政運営を通じて明白な政敵も作らなかった。筆者が会った州政府高官たちは、「誰が州知事になってもシステムとして行政は回る」と自信を持って答えた。以前の「選挙があると行政がほぼストップしてしまう」という感覚はもはやない。

スカルウォ州知事は元州官房長という官僚出身者で、自分が前面に出て指導力を発揮し、部下をぐいぐい引っ張るタイプではない。組織のタテ割りの弊害を防ぐために部局長間の相互人事を進め、各部局間の意思疎通を円滑化するなど、見えないところで様々な工夫を施してきた。その結果、2012年の地方政府運営パフォーマンス評価において、東ジャワ州政府が全国第1位に選ばれるなど、着実に実績を積み上げてきた。

地方行政改善のためには、「王様型からマネージャー型へ」という地方首長の態度変化が求められるが、東ジャワ州はそれを先取りしている。大変な親日家としても知られるスカルウォ州知事の2期目がその中身をさらにどう進化させていくのか。

政治の中身に注目するという意味で、東ジャワ州知事選挙とその後の行政運営は、たしかに、大統領選挙とその後の国政のバロメーターになるかもしれない。

 

(2013年9月6日執筆)

 

 

【スラバヤの風-08】再び脚光を浴びるサトウキビ

東ジャワといえば、植民地時代から有名なのはサトウキビ栽培である。オランダ支配下の強制栽培制度で本格導入され、1930年代前後の最盛時には年間約300万トンとアジア最大の生産量を誇った。世界恐慌の後、生産は衰退したが、今でも、アジアでインドネシアは、今でもフィリピンに次ぐ第2のサトウキビ生産国である。サトウキビは、ブランタス川下流のモジョクルトからシドアルジョにかけての地域を中心に、土地の肥沃度を維持するため、水田にコメや畑作物と組み合わせた3年輪作の1作として栽培された。

サトウキビを原料とする砂糖の生産は主に国営企業が担ってきたが、設備が老朽化したにもかかわらず、機械の更新など設備投資を長年にわたって怠ったため、生産性が低下し、多額の損失を出し続けた。一時、ジャワ島に集中する製糖工場をスラウェシやパプアへ移転して生産拡大を図る計画もあったが、結局頓挫した。政府は砂糖の輸入を増加させ、現在では、年間200万トン以上を輸入する世界有数の砂糖輸入国となっている。

しかし、サトウキビに砂糖生産の原料以外の用途が現れたことで、状況に変化が生じた。8月20日、モジョクルトにある国営第10農園グンポルクレップ製糖工場にて、日本の新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)がインドネシア工業省と共同で設置したバイオエタノール製造プラントが実証運転を開始した。日本の発酵技術を応用し、製糖工場から出る廃糖蜜(モラセス)を原料に純度99.5%のバイオエタノールを輸入代替生産する。バイオエタノールはすべて国営石油会社(プルタミナ)に買い取らせる計画である。

さらに、同じく国営第10農園は、マドゥラ島に日産6000トンの製糖工場を2014年までに建設する予定のほか、国営第3・第11・第12農園の合弁である国営インドゥストリ・グラ・グレンモレ社は、東ジャワ州東端のバニュワンギに日産6000トンの製糖工場を2015年までに建設し、サトウキビ糟から有機肥料やバイオエタノールの生産を計画している。製糖工場が新規に建設されるのは実に30年ぶりということである。

これら製糖工場の新しい動きが軌道に乗れば、砂糖の輸入抑制、ガソリンからバイオエタノール燃料への転換、有機農業の拡大など、インドネシアが直面するいくつかの深刻な問題の克服へ貢献する。サトウキビ栽培農家の生産意欲も向上するだろう。東ジャワのサトウキビは、再び脚光を浴び始めている。

 

(2013年8月24日執筆)

 

【スラバヤの風-07】東部地域との結節点

筆者が東ジャワ州やスラバヤに注目する理由の一つは、インドネシア東部地域(以下「東部地域」と称す)との結節点となっているためである。東部地域とは、カリマンタン島、スラウェシ島、マルク諸島、パプア、バリ島以東のヌサトゥンガラ諸島の広い地域を指す。

ジャワ島内で生産された生活物資・消費財は、州都スラバヤのタンジュン・ペラッ港から東部地域の各地へ運ばれる。一方、東部地域からは、木材、鉱物、商品作物、水産物などがスラバヤに集まり、一部は加工され、一部は海外へ輸出される。

遠い昔からスラバヤは物流交易都市であった。ジャワ島で生産された生活物資・消費財は、東部地域にある中心港(スラウェシ島ならマカッサルやマナド、マルク諸島ならアンボンやテルナテ、パプアならジャヤプラやソロンなど)へ大型船で運ばれ、そこから小・中型船ないし陸送へ小分けされて中小都市へ運ばれる。最終的には、客と一緒に乗合自動車に積まれたり、バイクや馬、果ては人力で運ばれたりしながら、生活物資・消費財が東部地域の末端の村々まで到達する。

一方、東部地域の豊富な天然資源を求めて、地域の隅々までスラバヤなどから商人が入り込んでいる。現場で買い付け、用意した船で一次産品などをスラバヤまで運ぶ。あるいは、スラバヤからの商人が現場で注文し、現場の元締めや商人が物品を用意して、船でスラバヤへ送る。カカオやコーヒーなどの商品作物も、マグロやロブスターなどの水産物も、木材や鉱産物も、東部地域の各地からダイレクトにスラバヤへ運ばれてくるケースが多い。そして、その船で生活物資・消費財を積んでスラバヤから東部地域へ戻るのである。

こうした東ジャワ州やスラバヤと東部地域との相互経済関係を意識して、東ジャワ州政府と州商工会議所は、東部地域の各州政府と協力協定を結び始めた。そして、東部地域各州に東ジャワ州の連絡事務所を開設し、両者の相互経済関係を一層緊密化させ、東ジャワ州が東部地域の発展に積極的に貢献しようとする姿勢を示している。そこでは、東ジャワ州の実業家が東部地域でのさらなるビジネス機会を求めていることはいうまでもない。

南スラウェシ州の州都マカッサルも、東部地域での経済センターを目指すが、物流の搬入量が搬出量よりずっと大きく、港湾施設も非効率なため、スラバヤを使うほうが低コストとなる。東部地域との結節点としての役割は、スラバヤのほうがまだ大きいのである。

 

(2013年7月26日執筆)

 

 

【スラバヤの風-06】「日系専用」の国営パスルアン工業団地

先週と今週は、講演のためシンガポールと日本に出張中である。参加者と話をすると、交通渋滞やコスト高の進むジャカルタ周辺への懸念が大きく、代替先を探している様子をひしひしと感じる。インドネシア政府も、低賃金労働を求めてインドネシアからカンボジアやミャンマーなどへ日系企業が移転することを恐れており、ジャカルタ周辺からの移転先として、同じジャワ島内の東ジャワや中ジャワの魅力を伝える必要を感じている。

そのなかで、今後の日系企業進出の受け皿として有望なのが、東ジャワ州の国営パスルアン工業団地(PIER)である。スラバヤから南へ60キロ、約1時間半の距離である。敷地面積500ヘクタールのうち200ヘクタールが工業団地であり、そこに60社が立地し、そのうち21社が日系企業である。毎月第3木曜日に「三木会」(さんもくかい)という日系企業間の情報交換を行う定期会合が開かれている。

PIERは、2014年末までにさらに92ヘクタールを造成予定だが、そこを日系企業専用工業団地とする方針で、東ジャワ州政府も全面的に後押ししている。 さらに、現在、スラバヤからの高速道路をパスルアン方面へ延伸する工事が進められているが、このPIERの敷地内、「日系企業専用工業団地」のすぐそばにインターチェンジが2014年末までに設置される。おそらく、高速道路のインターチェンジが敷地内にある工業団地としては、このPIERがインドネシアで初めてとなる。これが完成すると、PIERからスラバヤ港まで約1時間弱で結ばれる。

インドネシアの工業団地開発は、1980年代半ばまでは国営が中心だったが、その後は民間が主となり、ジャカルタ周辺はほとんどが民営の工業団地である。そこでは、高速道路から工業団地までのアクセス道路における交通渋滞が大問題となっている。

PIERは、現在でも工業団地本体から幹線道路沿いの出入口まで長いアクセス道路があり、その出入口を閉鎖することで外部から来た労働デモ隊をシャットアウトしている。インターチェンジができれば、高速道路が閉鎖でもされない限り、物資の搬出入も影響を被ることはまずない。

用地取得価格は現在1平方メートル当たり100万ルピア(約1万円)前後とジャカルタ周辺に比べればまだ低いが、値上がり傾向にある。PIERは、「日系専用」のために諸手続の簡便化など様々な改善を積極的に進めていく意向である。

 

(2013年7月12日執筆)

 

 

【スラバヤの風-05】中小企業向け信用保証

中小企業がなかなか育たない理由の一つは、銀行から安心して融資を受けられないことにある。このため、中小企業向けの銀行融資を保証する仕組みづくりが重要になる。 中央レベルでは、信用保証会社(PT. Jamkrindo)と信用保険会社(PT. Askrindo)の二つの国営企業が信用保証を行っているが、中小企業については地方でよりきめ細かな対応が必要になる。日本の国際協力機構(JICA)による技術協力の下、中銀が中心となって各州での信用保証会社の設立へ向けた制度づくりを行ってきた。

その第1号となったのが東ジャワ州である。2010年1月、中小企業向け融資を保証する信用保証会社・東ジャワ州ジャムクリダ(PT Jamkrida Jatim)が他州に先駆けて設立された。最大出資者は株式の9割以上を持つ州政府であり、州内各県政府も出資する。

ただし、保証対象は東ジャワ州開発銀行(Bank Jatim)による融資に限られる。2.5億ルピアまでの融資はすべて自動保証されるが、2.5~7.5億ルピアの融資は審査が必要となる。保証期間は3カ月から最長6年、多くは3年以下である。保証料は保証対象融資額の1.5%を毎年支払い、これが信用保証会社の収入となる。インドネシアでは信用保証会社は利益を上げて、株主である州政府へ利益を還元することが求められる。実際、州議会では、ジャムクリダの収益がどれぐらい上がっているのかが常に議論となる。

2013年4月時点の保証総額は8000億ルピアに達しているが、一顧客当りの平均保証額は2000万ルピアと少額である。顧客の中小企業は約4万社あり、約12万人の雇用を支えている。しかし、東ジャワ州ではまだ290万社の中小企業が信用保証の恩恵を受けておらず、ジャムクリダがカバーしているのはごくわずかに過ぎない。

それでも、ジャムクリダの信用保証のおかげで、ある金属加工の中小企業が日本への委託生産品の輸出を始めるなど、いくつかの成功事例が生まれ始めた。ジャムクリダのヌルハサン社長は、「ジャムクリダの目的は中小企業振興を通じた貧困撲滅」と言い切る。もっとも、ジャムクリダの直接取引先は東ジャワ州開発銀行であり、その顧客である中小企業の融資を保証することで、間接的に中小企業振興に関わっているのである。

東ジャワ州ジャムクリダには、同様の信用保証会社を設立する他州からの視察者が後を絶たない。利益確保など困難に直面しつつも、ジャムクリダは中小企業向け地方信用保証会社のリーダーとしての役割を果たし続けようとしている。

【スラバヤの風-04】中小企業が地域経済に高い貢献

東ジャワ州は、インドネシアのなかで、協同組合や中小企業の振興に最も力を入れている州の一つである。その結果は、2012年の州内総生産(GRDP)に占める協同組合・中小企業部門の貢献が54.4%という、他州に比べてかなり高い数字に表れている。

活動停止中の協同組合の比率は、全国平均が27%であるのに対して、東ジャワ州はわずか12%に過ぎない。中小企業の事業所数は、2006年の420万事業所から2012年にはその1.5倍に当たる682万事業所へと大幅に増加した。682万事業所の6割以上が農業関連で占められている。東ジャワ州は農林水産業・同加工業の振興を地域開発の最優先課題と位置づけているが、その担い手のほとんどは協同組合や中小企業によるものといえる。

スラバヤ・ジュアンダ国際空港近くの東ジャワ州協同組合・中小企業局を訪問すると、役所棟に向かって左側に工芸館、右側にバティック(蝋纈染め)館が配置されている。いずれも州内の協同組合や中小企業によって作られた製品を展示即売する場所で、日本でいうところの地方特産品センターの位置づけである。

そして、役所棟の裏側には、州中小企業クリニックが配置されている。同クリニックは州内の中小企業に対し、事業相談、情報提供、アドボカシー、短期研修、起業家関連書籍センター、資金アクセス、市場アクセス、移動式クリニック、IT起業、中小企業オンラインテレビ、などのサービスを提供し、中小企業コンサルタントが常駐している。中小企業向けの短期研修は生産、経営、IT起業の3分野に分かれ、合計で1ヵ月に3〜4回の頻度で実施されている。

中小企業コンサルタントには、事業者と銀行を結ぶ役割も期待されている。彼らが有望な事業者を見つけ、帳簿つけからビジネスプラン作成に至るまで指導するとともに、銀行はコンサルタントを信用して融資を行う。インドネシア銀行の後押しで養成された銀行パートナー金融コンサルタント(KKMB)もそのような中小企業コンサルタントの一つであり、東ジャワ州では、KKMBの属する42団体の連合会が作られている。

2012年に東ジャワ州では一般銀行81行、庶民信用銀行(BPR)363行によって約240兆ルピアの融資がなされたが、実際の中小企業向け融資はその約3割に留まる。さらなる中小企業向け融資の促進には、もちろん信用保証を充実させる必要がある。そう考えた東ジャワ州政府は2010年、州レベルでは全国初となる信用保証会社(PT Jamkrida Jatim)を設立した。

【スラバヤの風-03】村へ戻る運動(GKD)

東ジャワ州政府は、1990年代に大分県の一村一品運動を取り入れようとしていた。インドネシアで初めてそれに注目したのは西スマトラ州で、1993年に大分県を訪問し、導入を試みていた。東ジャワ州は1996年11月、大分県の平松守彦県知事(当時)をスラバヤへ招いて一村一品運動の紹介セミナーを開催した。それをきっかけとして、当時のバソフィ・スディルマン州知事が『村へ戻る運動』(Gerakan Kembali ke Desa: GKD)を提唱したのである。

GKDは、都市に比べて発展の遅れた農村を開発政策の重点とし、開発に必要な技術、人材、資金を農漁村の外から注入して開発のスピードを加速化させようとした。その際に、単に農業生産を上げるだけでなく、加工して付加価値をつける方向性が強調され、そこに、「グローバルに考えローカルに行動」「自立・創造性」「人材育成」という一村一品運動のエッセンスを入れようとした。

当時はまだスハルト政権下で、政府主導の開発政策が主流だった。バソフィ州知事が軍人出身だからかもしれないが、GKDは、1970年代に全国で実施された『軍人が村へ』(ABRI Masuk Desa: AMD)、『新聞が村へ』(Koran Masuk Desa: KMD)という軍の社会政治機能に基づく政策と発想が基本的に同じだった。

すなわち、「外部から何かを入れて遅れた農村を開発する」という発想であり、そこには、一村一品運動の最も重要な根幹である「農村の自立」という姿勢は希薄だった。外部から入れた技術・人材・資金は外部の論理で動き、農村は外部者がやりやすいように協力してあげるという形になる。こうした話は東ジャワ州に特有なのではなく、程度の差こそあれ、全国どこでも起こっていた。

結局、バソフィ州知事の退任とともにGKDは廃れ、州政府が一村一品運動を東ジャワ州に定着させることは叶わなかった。1998年にスハルト政権が崩壊して地方分権化の時代になると、GKDは旧来型の開発政策として厳しい批判を受けた。しかし、今に至ってもまだ、州政府からは、GKDに代わる有効な開発政策が提示されていない。

だが、GKDは「種まき」の役割を果たしていた。GKDをきっかけに農漁村が自らの足元を見つめ直し、もっと儲かる事業を志向し始めたのである。それが農水産物加工だった。人口が多く、他人や近隣農漁村の動きを気にしやすい東ジャワ州では、誰かが成功するとそれを真似する人々が続出し、必ず他とは違うモノを作る人が出てくる。GKDが失敗したからこそ、人々は政府に頼らず、儲かる食品加工ビジネスを自ら求めていったのである。

【スラバヤの風-02】食品加工業の一大中心地

東ジャワ州政府が経済開発で最も重視する産業は、食品産業である。東ジャワ州ではもともと、シドアルジョ周辺のエビ養殖・エビせんべい(クルプック・ウダン)製造をはじめ、様々な農水産加工品が製造されてきており、インドネシアでも有数の食品産業の中心地となっている。昨今では、南東のジェンブル付近を中心とした日本向け枝豆の生産や、マラン周辺での乳牛飼育・牛乳生産など、食品産業のラインナップがより多彩になってきた。

東ジャワ州が食品産業の中心地となっているのは、早くからサトウキビ栽培・製糖、エビ養殖・加工といった食品加工業の歴史を持っているためである。ただし、多くの場合、これら食品加工に携わる企業は中小企業であるため、ジャカルタから見るとあまり目立たない。私自身も、東ジャワ州に来て、加工食品の種類の多さを改めて感じるほどである。

以前、南スラウェシ州マカッサルを拠点に活動していたとき、インドネシア東部のスーパーや商店に並んでいる加工食品の製造元をよく見て回った。ジャカルタ周辺の大企業製の食品に混じって、スラバヤやマランなど東ジャワ州製の食品が意外に多く流通していることが分かった。とりわけ、ピーナッツ、せんべい、クッキーなどの地場製のスナック菓子では、マランの企業製のものが目立った。サンバルなどの調味料でも、スラバヤ製の製品が店頭に並んでいた。

加えて、同じ製品でも味のバラエティがどんどん増えている。大豆発酵食品のテンペを油で揚げたテンペせんべいには、チーズ味、エビ味、甘辛味などのほか、ピザ味、海藻味、スパゲッティ味などというものまである。あいにく、すべての味を試してはいないのだが、やはりスパゲッティ味には興味がある。東ジャワ州では、こうした新しいものへのチャレンジ精神をよく見かける。

以前から、有名な日本の食品会社がエビフライなどの冷凍食品を委託加工させていたのも東ジャワである。その経験が生かされて、シーフードを原材料とした冷凍食品を製造するインドネシア企業もある。

東ジャワ州は、3,000万人以上の人口を養うための農水産品生産を基盤とし、そのうえに食品加工業が存在する。各県・各企業間に競争意識が強く、新製品開発への意欲もそれなりに高い。こうした食品加工への意識を高めるきっかけとなったのが、実は、20年以上前に東ジャワ州政府が試みた日本・大分県の一村一品運動の導入だったのである。

【スラバヤの風-01】ジャワ島で最も成長率の高い東ジャワ

交通渋滞、物流遅滞、最低賃金上昇、工業用地不足。ジャカルタ周辺でのビジネス環境が急速にコスト高、非効率になってきたという声をよく聞くようになった。2013年1月にジャカルタが大洪水に見舞われて以降、インドネシア政府・財界が明示的にジャカルタ周辺から他地域への産業移転を促す発言をしている。ジャカルタ周辺への一極集中を和らげ、他地域での経済発展を促進させる動きが本当に起こるのだろうか。

ジャカルタ周辺の次はどこか。まず、思い浮かぶのが、国内第二の人口を持つスラバヤ(311万人)を州都とする東ジャワ州であろう。人口3747万人を擁する東ジャワは、実はジャワ島で最も成長率の高い州である。

経済規模は884兆ルピア(2011年)であり、全国の14.7%、ジャワ島の25.4%を占める。 経済成長率は2009年以降、ずっと全国を上回り、2011年は7.2%(GDP 6.5%)、2012年は7.3%(同6.2%)となった。産業別(2012年)では、商業・ホテル業(10.1%)、運輸・通信業(9.5%)、金融業(8.0%)、建設業(7.1%)が高成長で、製造業(6.3%)が追う。

需要面では、東ジャワから他州への移出が20.5%と大きく伸びる一方、 移入も12.6%と急増した。州経済に占める民間消費のシェアは67.5%と大きく、依然として州経済を支える主役となっている。

東ジャワへの投資実施件数・額は2012年に大きく増えた。外国投資は2011年の208件、13.1億ドルに対して2012年は403件、23億ドル、国内投資は同じく157件、9.7兆ルピアから289件、21.5兆ルピアへ増大した。

ジャワ島内の他州では投資件数が減少傾向にあるが、東ジャワは唯一、外国・国内投資とも増加している。もっとも、2012年のGRDPにおける総固定資本形成(投資)成長率は3.68%と低く、投資の経済成長への効果が表れるのは2013年以降になるものとみられる。

東ジャワ州政府は、自州が全国で最も投資効率の高い州であると自負する。2011年の限界資本係数(ICOR)は全国最低の3.09、ジャカルタや西ジャワよりもかなり低い。最低賃金上昇があるとはいえジャカルタ周辺よりは低く、渋滞もまだ少ない。既存の工業団地は埋まってきているが、新規建設計画も進んでいる。 こうした東ジャワへジャカルタ周辺から産業移転が本格的に進むのか、大いに注目されるところである。

【インドネシア政経ウォッチ】第114回 スラバヤでテロ警戒の声明(2015年1月8日)

新年早々の1月3日、アメリカ大使館は、エアアジア機墜落事故の遺族が悲しみにくれる東ジャワ州スラバヤに住む在留アメリカ人に対してテロへの警戒を呼びかける声明を発表した。スラバヤの米系ホテル、銀行に対する潜在的な脅威がある、という内容である。

スラバヤは「インドネシアの治安状況を判断するバロメーター都市」と治安当局から認知されている。スラバヤ警察は、ときにデモ対策のために首都ジャカルタへ派遣されるほど一目置かれており、スラバヤが平穏であればインドネシアも平穏であるとされる。そのスラバヤでテロへの警戒がアメリカ大使館から呼びかけられるのは異例と言ってよい。

その背景には、インドネシア国内で最近、過激派「イスラム国」へ親近感を抱く者たちが表面に現れ始めたことがある。過去にアルカイダやジュマア・イスラミヤ(JI)などイスラム過激派組織に関わった人物らがイスラム国へ合流し始めている。

スラバヤでは、昨年1月と8月にテロリストが逮捕された。とくに、8月に逮捕されたアブ・フィダは、インドネシア人56人をシリアへ送ってイスラム国に合流させようとした。加えて彼は、2002年にテロリストの大物であるアズハリやヌルディン・トップをかくまったほか、中スラウェシ州ポソで軍事訓練を行うサントソ・グループとも関係することが分かった。

国家警察によると、昨年12月にポソで逮捕した4人のテロリストはイスラム国メンバーと認められた。アメリカ大使館は、イスラム国支持者の隠れた拠点となりうるスラバヤで、ポソのサントソ・グループと連携した何らかの動きが起こるという情報をつかんだ可能性がある。

大統領選挙でプラボウォ=ハッタ組についた福祉正義党(PKS)のアニス・マッタ党首は昨年8月、「わずか30万人のイスラム国に40カ国が宣戦するのは大げさだ」と述べた。すぐにPKSは「イスラム国を支持せず」と火消しに走ったが、プラボウォ支持のデモにイスラム国の旗が現れたことと併せ、ジョコウィ政権がイスラム国と関連づけてプラボウォ側をたたくのではないかとの見方もある。

【インドネシア政経ウォッチ】第91回 東ジャワ3自治体で業種別最低賃金導入(2014年7月3日)

東ジャワ州は、メーデー1日前の2014年4月30日付州知事令により、パスルアン県、シドアルジョ県、スラバヤ市の3自治体において、14年業種別最低賃金を設定した。対象となるのは、海外直接投資(FDI)企業、株式公開している国内直接投資(DDI)企業、国営企業である。

業種別最低賃金は、すでに西ジャワ州ブカシ県やカラワン県などで導入されており、業種ごとに、既に定められた最低賃金に一定比率を上乗せする形となっている。

業種別最低賃金は、就業期間が1年未満の労働者に対してのみ適用される。これに伴う就業期間1年以上の労働者の賃金改定は、経営者と労働者・労働組合との間で書面による同意を取り付けて行うこととなっている。

昨年から業種別最低賃金を導入しているパスルアン県では、今年は第1部門26業種において10.0%を上乗せした240万9,000ルピア(約2万1,000円)、第2部門11業種において7.5%上乗せの235万4,250ルピア、第3部門7業種において5.0%上乗せの229万9,500ルピア、と定められた。第1部門には金属加工、機械、家電、医薬品、化学、製紙、金融など、第2部門には飲食品加工、プラスチック製品など、第3部門には繊維、木製品・家具、ホテル業などが含まれる。ちなみに、13年業種別最低賃金は、48業種に対して一律5.0%を加えた180万6,000ルピアであった。

新たに業種別最低賃金が設けられたシドアルジョ県では、295業種に対して5.0%を加えた229万9,500ルピア、スラバヤ市では78業種に対して同じく5.0%を加えた231万ルピアと定められた。

パスルアン県とともに2013年に業種別最低賃金を定めていたグレシク県は、14年は州知事に対して導入提案をしなかった。モジョケルト県も州から業種別最低賃金の提案を求められているが、まだ対応できていない。このため、この両県での14年業種別最低賃金の導入は見送られた。

東ジャワ州は、他の県・市でも業種別最低賃金の導入を促す意向である。これは、スラバヤ市周辺が、もはや低賃金を理由に企業進出する場所ではなくなりつつあることを示している。

【インドネシア政経ウォッチ】第78回 スラバヤ市長は辞任せず(2014年3月13日)

先週、ジャカルタ首都特別州のジョコ・ウィドド(通称・ジョコウィ)州知事を大統領候補とすることを闘争民主党がほぼ確定した、との記事が出た。そのジョコウィと並ぶ人気を集めているのが東ジャワ州スラバヤ市のリスマ市長である。

市職員からの叩き上げで、2010年に闘争民主党推薦で選出された女性市長(非党員)は、市内の美化・緑化、ゴミや廃棄物のリサイクル処理を進めて、ほこりっぽくて殺風景だったスラバヤを潤いのある街へと変貌させた。市内のブンクル公園が国連人間居住計画(ハビタット)福岡本部によるアジア景観賞の最優秀賞に選ばれたほか、リスマ市長自身がシティーメイヤーズ・ドットコムによる世界最優秀市長に選出されるなど、国内外から表彰が相次いでいる。

このような実績を誇るリスマ市長が最近、辞任をほのめかした。昨年に州知事選挙立候補のため辞任したバンバン副市長の後任に、スラバヤ市議会がウィシュヌ闘争民主党代表を選出したためである。この選出手続き自体に不正疑惑があるほか、ウィシュヌには、リスマがかつて市内高速道路建設を拒否した際に、リスマ下ろしを画策した過去がある。加えて、東南アジア最大と言われた売春街の撤去を強行した際、商業施設への再開発を防ぐためにスラバヤ動物園を市営化したリスマに対して、次期市長選挙での彼女の再選を阻止したい利権絡みの勢力が圧力をかけてきた。

政治組織や実業界と利害関係のないリスマ市長のよりどころは、市民の支持である。その頃、市内各所に「リスマを救え」とのポスターが張り出された。しかしリスマは、市美化条例に違反するとの理由で、それらをすべて撤去した。それでも市民の「辞めないで」の声は収まらず、結局、リスマは辞任を否定する声明を出すに至った。

辞任をほのめかしたリスマに、複数の政党が副大統領候補を打診したが、すべて断られたらしい。頑固で一途なリスマへの支持拡大は、ジョコウィの台頭とともに、これまでとは違う新しい政治への期待を抱かせる現象である。

【インドネシア政経ウォッチ】第75回 クルド火山噴火の影響(2014年2月20日)

2月13日夜、東ジャワ州のクルド火山が噴火した。噴煙は高さ17キロに達し、ガスや火山灰を含む1億3,000万立方メートルもの火山性物質を噴出した。この火山は1990年3月にも噴火したが、そのときの火山性物質の噴出は5,730万立方メートルだった。今回の噴火自体の規模は前回を上回ったほか、2010年の中ジャワ州ムラピ火山の噴火に匹敵する規模だった。

今回のクルド火山の噴火は短いものであり、1990年3月のクルド火山や2010年のムラピ火山のように、噴火が長期化する気配はないとみられる。しかし、噴火がすでに終息したわけではなく、しばらくは警戒が必要である。

この噴火の影響で、東ジャワ州ではクディリ県やブリタル県などで約10万人が避難を余儀なくされ、周囲は火山灰で覆われた。火山灰はマラン、クディリ、ブリタルで7センチ、バトゥ、中ジャワ州ソロ、ジョクジャカルタで5センチ、東ジャワ州シドアルジョで3センチ積もり、遠く離れた西ジャワ州バンドンでも1センチ積もった。

風向きの関係で、火山灰はクルド火山よりも西側へ多く降り注いだ。このため、ジャワ島内では一時、ジャカルタ以外の全空港が閉鎖され、2月19日時点でもソロで空港閉鎖が続いている。筆者も当時、中ジャワ州スマランへ出張中で、飛行機がキャンセルとなり、夜行列車でスラバヤへ戻った。

スラバヤも火山灰が1センチ積もり、一時真っ白となったが、その後、毎日数時間、雷を伴った豪雨があり、市内に積もった火山灰はきれいに洗い流された。2月16日には空港も再開され、スラバヤに限っていえば影響は最小限で済んだ。クルド火山に近いマランでも、場所によっては火山灰がほとんど降らなかったところもある。しかし、もし乾季で西寄りの風が吹いていたら、スラバヤも大きな影響を受けるはずである。

インドネシアでの経済活動にとって最大のリスクは、実は自然災害である。日本でも関東地方の大雪で大きな被害が出ているが、緊急事態に備えた危機管理対策が日頃から重要になる。

【インドネシア政経ウォッチ】第66回 韓国系企業が集中するプルバリンガ県(2013年12月5日)

先週、中ジャワ州プルバリンガ県を訪問した。中ジャワ州の南西部、西ジャワ州との境に近い小さな県である。ジャカルタやスラバヤからは、この地域の商業センターであるプルウォクルトまで鉄道などで行き、そこから車で約30分である。

日本では無名なプルバリンガ県には、韓国系企業が20社以上も立地する。そのほぼすべてが、カツラや付けまつげを作る労働集約型企業である。最初の韓国系カツラ製造企業が操業を始めたのは1985年頃で、当時は従業員50人足らずの家内工業であった。それが90年代半ばから進出が相次ぎ、今では第2工場、第3工場を持つ韓国系企業さえ現れた。

でも、なぜカツラや付けまつげがここなのか。単に最低賃金が低いこと(2014年で102万3,000ルピア)だけが理由ではない。プルバリンガ県は、実は1950年代から「サングル」と呼ばれる伝統的な女性用の結い髪の生産地であり、この地域ではプルバリンガ女性の手先の器用さが際立っていた。韓国系企業はそれに目をつけた。しかし、当初はなかなか韓国系企業の思った通りの製品にならなかったようである。

カツラや付けまつげの製造では、細かな部品を家族の副業などで下請けする。下請先は現在290カ所あり、その一部は規模が拡大し、企業化している。これら下請を含め、カツラや付けまつげ製造だけで約5万人の雇用を生み出している。製造に従事するのはほとんどが女性である。このため、家事労働の使用人を見つけるのが難しいという。他方、男性の雇用機会は限られている。

韓国系企業が集中する別の理由は、県政府の投資認可ワンストップサービスである。県知事署名の立地許可以外の許認可は、県投資許可統合サービス事務所(KPMPT)で片付く。工業団地はないが、工場ゾーンでの用地取得に便宜を図ってくれる。労働組合活動は低調で労働争議もない。現地に根を下ろした韓国系企業は、今やプルバリンガ県にとって不可欠な存在なのである。

【インドネシア政経ウォッチ】第65回 ジャワ島の14年最低賃金を読む(2013年11月28日)

11月になり、各県・市の2014年最低賃金が決定された。政府は14年の最低賃金に関して「消費者物価上昇率+10%以下(労働集約産業は+5%以下)」という目安を提示したが、今年ほどではないにせよ、14年も20%前後の高い上昇率となった。

ジャワ島内では11月25日までに、112県・市のうちバンテン州セラン県を除く111県・市の14年最低賃金が決定した。最高が西ジャワ州カラワン県第3グループ(鉱業、電機、自動車、二輪車など)の281万4,590ルピア(1円=112ルピア、以下同じ)、最低が中ジャワ州プルウォレジョ県の91万ルピアであり、その差は3倍以上ある。

地域別にみると、ジャボデタベックと呼ばれるジャカルタ周辺の県・市が235万ルピア以上だが、そのすぐ後には、東ジャワ州スラバヤ周辺が続いている。スラバヤ周辺の最低賃金はもはや決して低いとは言えなくなった。スラバヤ周辺に続くのが西ジャワ州バンドン周辺で、このあたりで最低賃金200万ルピアの線が引ける。

一方、中ジャワ州とジョクジャカルタ特別州は相対的に最低賃金がまだ低い。最高でも前者ではスマラン市の142万3,500ルピア、後者ではジョクジャカルタ市の117万3,300ルピアにとどまる。特に、中ジャワ州の中央から南側に立地する9県では最低賃金が100万ルピア未満である。

ちょうど100万ルピアは、中ジャワ州に4県、東ジャワ州南西部に6県・市、西ジャワ州に1県ある。これらはいずれも、各州内で開発の遅れた地域に属しており、最低賃金水準から地域内の経済格差の様子が見えてくる。

昨今、ジャカルタ周辺の工場が中ジャワや東ジャワへ移転する動きが見られるようになったが、一般に、最低賃金の低い県・市では、投資認可関連手続きの経験が不足しており、企業設立などで時間的・資金的なロスが生じる可能性がある。企業進出に当たっては、最低賃金水準だけで決めるのではなく、行政サービスの質やインフラ状況などを総合的に判断する必要があるのは言うまでもない。

帰国、5月末まで日本

4月7日に帰国して10日が過ぎた。慌ただしかった3月のインドネシアでの日々とは打って変わって、東京の家族とともに、ゆったりした時間を過ごしている。じと~っとした熱帯の湿気に慣れた肌は、さわやかな春の東京でやや乾燥肌になっている。

帰国した4月7日は真冬日だった。「冬」が再来する前に、ソメイヨシノは終わってしまっていたが、新宿御苑や小石川植物園でヤエザクラを見ながら、今年の花見を楽しんだ。

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今回は、5月末まで日本の予定である。自分なりに活動の区切りをつけるべく、頭を冷やそうと思っている。次のステップへ向けての準備期間でもある。

今後の活動の主拠点は、日本に置く。東京か福島か、どちらをそのメインとするかを思案中であるが、その両方を日本での活動拠点とすることは決めている。

東京の自宅はあまりにも居心地がよく、家族と和んでいると、ついついだら~っとしてしまいがちなので、自宅の近くのレンタルオフィスに仕事場を作ることにした。自宅から徒歩10分、24時間いつでも利用可能。本棚などを入れて、自宅に溜まった本の一部を移動させる。

インドネシアは、今後の活動の副拠点とする。帰国前に、スラバヤとジャカルタに居場所を確保し、引っ越しや家具等の調達も終わらせてきた。インドネシアでの活動拠点は、今のところ、スラバヤとジャカルタだが、マカッサルを追加することも検討している。

5月までに自分の個人会社を設立する予定だが、まだいくつか検討事項があり、ややゆっくりと進めている。すでに単発の仕事の話はいくつか来ているが、昨年度までのジェトロのような長期の契約の仕事はまだない。

今のところ、1年の半分を日本、半分をインドネシアで活動する計画であるが、さらにそれ以外の国での活動も加えたいと思っている。

ローカルとローカル、ローカルとグローバルを結んで、新しい何かが起きていくためのプロフェッショナルな触媒となる。

日本とインドネシアの計4つの拠点を行き来しながら、自分にしかできないような仕事をしていきたいと思っている。

 

【インドネシア政経ウォッチ】第31回 野菜・果物の輸入規制(2013年 3月 21日)

好調なインドネシア経済にインフレの影が忍び寄っている。消費者物価上昇率は2012年通年の4.30%に対して、13年1月は前年同月比4.57%、2月は同5.31%と、上昇傾向がさらに顕著となった。とりわけ、2月に最も上昇したのは食料品である。中央統計局は、政府が野菜・果物の輸入を規制しているのに対し、国内農家からの供給が不足していることが原因とみている。

インドネシアはまだ農業の比重が高い国ではあるが、野菜や果物を中国などから大量に輸入している。このため、政府は、国内農家保護と国内生産振興のため、これらの輸入規制を実施している。ただし輸入禁止ではなく、収穫期などの状況を見ながら、農業省が輸入業者へ輸入推薦状を発行するかしないかで規制をかけている。

300種類以上の野菜・果物のうちで貿易対象は90品目あり、規制対象は20品目。そのうち年前半に収穫期を迎える13品目が1~6月に、年後半が収穫期の7品目は7~12月に規制される。ちなみに、1~6月の規制対象は、ジャガイモ、キャベツ、ニンジン、トウガラシ、パイナップル、メロン、バナナ、マンゴー、パパイヤ、ドリアン、菊花、ラン花、ヘリコニア花である。ただし、これ以外でも、輸入推薦状の発行の可否で輸入規制が可能になる。

このところ大問題となっているのがニンニクである。ニンニクの価格は、数週間前まで1キロ当たり1万ルピア台だったが、たとえば先週の東ジャワ州ジェンブルでは10万ルピアを超えたと報道されている。ニンニクはインドネシア料理に欠かせない日常の食材であるにもかかわらず、需要の95%を輸入に依存している。

現在、多くの輸入ニンニクがスラバヤ港にとどまっている。ニンニク輸入業者側は、農業省からの輸入推薦状の発行が遅れて搬入できないと政府を非難する。一方、輸入許可等の書類は整っているのに、輸入業者が価格上昇を期待して意図的に搬入を遅らせているとの見方もある。庶民の生活に直結する問題だけに、早急な解決が求められる。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第14回 HasmiとHASMI(2012年 11月 1日)

国家警察テロ対策部隊(Densus 88)は10月26日から27日にかけて、ジャカルタ、西ジャワ州ボゴール、東ジャワ州マディウン、中ジャワ州ソロの4都市でテロ容疑者11人を逮捕した。米国大使館、オーストラリア大使館前のプラザ89ビル、中ジャワ州スマランの警察機動隊本部前、東ジャワ州スラバヤの米国総領事館などを標的としたテロを計画していたとの容疑からだ。同時に、爆弾製造の材料や爆発物なども押収した。

警察によると、彼らはハスミ(Hasmi)と呼ばれる新たなテロリスト・グループのメンバーで、中スラウェシ州ポソでの警察官殺害や爆弾事件にもかかわっている。逮捕されたアブ・ハニファ(26歳)はリーダーで、ポソでテロリスト訓練を受けたといわれている。ポソからソロへ戻った後、近隣住民に弓矢や剣のほか、火器の使い方も教えていた。中ジャワやジョクジャカルタ特別州の急進イスラーム組織ラスカル・ヒスバとの強い関係を指摘する評論家もいる。

ところが、すぐに同名の組織がテロリストとの関係を否定し、警察に抗議する声明が出された。この声明を出したハスミ(HASMI)は、Harakah Suniyyah untuk Masyarakat Islamiという組織で前述のHasmiとは別組織。「逮捕された11人は会員ではない」「暴力を否定する」と訴えた。HASMIは、初期イスラーム(サラフ)への回帰を掲げるサラフィー主義の団体で、2004年に社会団体として政府に正式登録されている。厳格なイスラームを希求するが、政治には消極的・保守的とみられている。

警察は結局、HASMIがHasmiと別組織であることを認めるとともに、Hasmiのような新グループが容易に形成される可能性にも言及した。アブ・ハニファはジュマア・イスラミアの信奉者とされるが、Hasmiのメンバーとポソ・グループとは直接の関係はないという見方もある。彼らのネットワークのより詳細な解明が待たれる。

一方で暴力を否定するといっても、HASMIは急進イスラーム組織と思想的に共通する部分があるため、警察が大きな関心を持っていることは想像に難くない。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第11回 魅力的な投資先、東ジャワ(2012年 10月 11日)

日系製造業の多くは現在、ジャカルタ首都圏で操業しているが、用地取得や労働争議などでマイナス面が出始めている。そこで投資先として注目を浴び始めているのが東ジャワ州である。

同州の人口は3,750万人で、2012年上半期(1~6月)の経済成長率は全国平均の6.5%を大きく上回る7.2%を記録した。限界資本生産比率(ICOR)はジャカルタの4.6に対して東ジャワは3.1と低く、投資が経済成長を促す効率はジャカルタよりも高い。州投資局によると、書類がすべて整えば投資認可の必要日数は最長17日。電気などエネルギー供給も現時点では余っている。

既存の工業団地は急速に埋まりつつあるが、ジャカルタに比べればまだ空きがある。州政府は全県・市に「工業団地を急いで造成せよ」と号令をかけ、モジョクルト、ジョンバン、バニュワンギなどで用地買収が進む。価格も現時点では1平方メートル当たり70万~80万ルピア(約5,700~6,500円)と低水準だ。日系企業が多く入居するパスルアン工業団地から州都スラバヤまでの所要時間は1時間強だが、数年後には高速道路でスラバヤ港や空港と直結する。ジョンバンでは韓国企業専用の大規模な工業団地の開発が計画されている。

州知事は、全国に先駆けてアウトソーシング(外部委託)あっせん会社の新たな事業許可を凍結、争議の際には労働組合の代表と直接話し合う姿勢を貫く。実際に10月3日に行われたゼネストでは、多くの工業団地で午前中に終了したもようで、破壊活動もなかった。ジャカルタ周辺では、マネージャークラス以外に一般労働者クラスの採用も難しくなり始めたが、東ジャワではまだ余裕がある。

大阪府と姉妹関係にあるため、日本からの企業視察団が頻繁に来訪する。スラバヤはスラウェシ以東、インドネシア東部地域との交易の中心であり、スラバヤ港は日本と直結する。対日感情も良好である。ジャカルタ以外の投資先として、東ジャワを検討する価値はありそうだ。

 

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