【インドネシア政経ウォッチ】第65回 ジャワ島の14年最低賃金を読む(2013年11月28日)

11月になり、各県・市の2014年最低賃金が決定された。政府は14年の最低賃金に関して「消費者物価上昇率+10%以下(労働集約産業は+5%以下)」という目安を提示したが、今年ほどではないにせよ、14年も20%前後の高い上昇率となった。

ジャワ島内では11月25日までに、112県・市のうちバンテン州セラン県を除く111県・市の14年最低賃金が決定した。最高が西ジャワ州カラワン県第3グループ(鉱業、電機、自動車、二輪車など)の281万4,590ルピア(1円=112ルピア、以下同じ)、最低が中ジャワ州プルウォレジョ県の91万ルピアであり、その差は3倍以上ある。

地域別にみると、ジャボデタベックと呼ばれるジャカルタ周辺の県・市が235万ルピア以上だが、そのすぐ後には、東ジャワ州スラバヤ周辺が続いている。スラバヤ周辺の最低賃金はもはや決して低いとは言えなくなった。スラバヤ周辺に続くのが西ジャワ州バンドン周辺で、このあたりで最低賃金200万ルピアの線が引ける。

一方、中ジャワ州とジョクジャカルタ特別州は相対的に最低賃金がまだ低い。最高でも前者ではスマラン市の142万3,500ルピア、後者ではジョクジャカルタ市の117万3,300ルピアにとどまる。特に、中ジャワ州の中央から南側に立地する9県では最低賃金が100万ルピア未満である。

ちょうど100万ルピアは、中ジャワ州に4県、東ジャワ州南西部に6県・市、西ジャワ州に1県ある。これらはいずれも、各州内で開発の遅れた地域に属しており、最低賃金水準から地域内の経済格差の様子が見えてくる。

昨今、ジャカルタ周辺の工場が中ジャワや東ジャワへ移転する動きが見られるようになったが、一般に、最低賃金の低い県・市では、投資認可関連手続きの経験が不足しており、企業設立などで時間的・資金的なロスが生じる可能性がある。企業進出に当たっては、最低賃金水準だけで決めるのではなく、行政サービスの質やインフラ状況などを総合的に判断する必要があるのは言うまでもない。

中ジャワ州・サユン総合エコ工業団地

5月28日、中ジャワ州デマック(Demak)県にあるサユン総合エコ工業団地(Sayung Integrated Eco-Industrial Park)の建設予定地を視察した。

この工業団地は、中ジャワ州の州都スマラン市のすぐ東隣のデマック県西部サユン地区に建設中である。渋滞がなければ、スマラン市中心部や空港から車で30分、タンジュン・エマス港から車で25分の距離である。スマランとスラバヤを結ぶ国道沿いに建設中で、道路へのアクセスはとても良い。

工業団地が全部完成するのはまだ先で、確保した用地面積は1600ヘクタールに上る。そのうちの300ヘクタールを第1期工事として建設中なのである。下の写真のようなサイトプランが計画されている。

現在の予定では、2014年後半までに用地を整備し、2014年末には入居者が工場建設を開始、同時にガスや電力や用水を供給するインフラ整備を進める。工業団地内の燃料は基本的に天然ガスを使い、それは中ジャワ州東部のチェプ・ガス田からパイプラインで供給されるそうである。

正式オープンは2014年6月を予定し、訪問した時点ではまだだったが、すでに地場企業が1社が用地を購入済みで、マレーシアからの外資系企業1社を含む3社が用地購入を検討中とのことである。

サユン総合エコ工業団地を管理・経営するのは、スマランに本拠を置く地場民間のムガン・グループ(Mugan Group)という企業グループで、同企業グループ内の企業PT. Jawa Tengah Lahan Andalan(通称:Jateng Land)が、スマラン市西部で工業団地を管理・運営する国営ウィジャヤクスマ工業団地(Kawasan Industri Wijayakusuma: KIW)と合弁を組んでいる。

ムガン・グループは、携帯電話のEverCossやタブレットAdvanなど、地場ブランド製品の製造・販売がメインである。これまでは、全面的に中国から部品を輸入して組み立ててきたが、7月以降は、部品調達もインドネシア国内から行う予定とのことである。

今回、たまたまエドワード社長に面会できた。社長は、「ジャカルタ中心ではなく、地方から地場ブランドの製造業を興していきたい」と熱く語り、サユン総合エコ工業団地を「インドネシアにおける本当の意味でのエコな工業団地にしたい」と述べた。

Jateng Landの担当者によると、今ならば、用地価格を特別価格として1平方メートル当たり100万ルピア(約1万円)前後で提供できるとのことである。

より詳しい情報については、下記の連絡先、または私(matsui@matsui-glocal.com)までご連絡いただきたい。

PT. Jawa Tengah Lahan Andalan (Jateng Land)
Menara Suara Merdeka, 8th Floor
Jl. Pandanaran No. 30, Semarang
Phone/Fax: +62-24-76928822
Email: jatengland@gmail.com
Contact Person: Mr. Setyo Adi

ソロの工場に掲げられた標語集

先週の中ジャワ州ソロ(スラカルタ)への出張では、2件の工場訪問も行なった。いずれも繊維関係の有名工場で、そのうちの1社は、従業員数4万人を抱えるインドネシア最大の繊維・縫製企業である。

4万人の従業員を抱える企業では、上のような写真の縫製工場が11棟ある。これ以外に、今回は見学できなかったが、生地を製造する大きな紡績工場が数棟あり、この企業だけで日本全体の2倍以上、韓国全体とほぼ同じ紡績生産を行っているというから、その規模は桁違いである。
中ジャワ州は、ソロを始めとして、ジャカルタ周辺や中国からの繊維関係企業の移転あるいはOEM生産委託先として、注目を集めている。それは、単に最低賃金が低いからだけでなく、このような繊維・縫製関連の実績や基盤がかなり整っていることも背景にある。

今回訪問した2つの工場では、工場内に掲げられた標語がなかなか興味深かった。そのいくつかを以下に紹介する。

「おしゃべりは少なく、働きは多く」。韻を踏んでいるのは、インドネシアの詩ではよくあること。とにかく、インドネシアの人々はおしゃべりが好き。それが職場の雰囲気を和らげているのだが、「おしゃべり禁止!」としないところが興味深い。

「頭のいい人は常に方法を探す。怠け者は常に理由を探す」。問題に直面したときに、どう対応するか、という話なのだろう。まずは自分を守るために「自分は悪くない」と主張し、言い訳を並べる、というのは、何もインドネシア人に限ったことではない。

「怒り。1度怒ると、喜びがなくなる。2度怒ると、理性が飛んで行く。3度怒ると、血圧が上がる。4回怒ると、友だちが去っていく。5回怒ると、すぐに老ける。6回怒ると、罪の扉が開かれる」。最後の6回目のは、怒ること自体が罪となり、地獄への門が開かれる、という意味なのだろうか。

「心。喜びの心は、力強い薬である。頑なな心は、行き止まりにぶつかる。柔らかな心は、親友を招く。貪欲な心は、罠をつくる。きれいな心は、問題を遠ざける」。前の「怒り」と対峙して掲げられていた。もう一つあるのだが、荷物が置かれていて、読み取れなかった。

これらの標語は、社長訓なのだろうか。私には、おそらく、従業員が自分たちで考えて作ったものではないかと思えた。

日本の工場などでは、規律を守らせたり、安全を換気したりする、体言止めの硬い標語が多い印象だったからか、ソロの2工場で見た標語は、思わず「そうだよな」と頷いてしまう、柔らかさを感じた。

標語という些細なものではあるが、職場にストレスを与え続けず、かつ、個々人のモチベーションを高められるような環境づくりという意味では、日本にとっても参考になるかもしれない。

ウォノギリ県の熱血県知事

4月3日、ある企業の方と一緒に中ジャワ州ウォノギリ県へ行った。

ウォノギリ県はソロ(スラカルタ)市から南東へ車で約1時間半、山がちの地形で、出稼ぎの多い貧しい地域として有名だった。若い女性は、ジャカルタなどで家事手伝いやベビーシッターとして働き、男は工事現場などで単純労働力を提供した。経済が発展する現在、ジャカルタ周辺の工場労働者となる者が増えたという。

実際、ジャカルタ=ウォノギリ間には直行バスが何本もある。地元では雇用機会が少なく、夜行バスでジャカルタへ出て働き口を探す。ウォノギリ出身者は、人口圧の高く、雇用機会の乏しいジャワの農村からジャカルタなどの都会を押し出されていく典型的な労働力とみなされていた。

それでも昨今、渋滞や洪水、賃金上昇など、ジャカルタ周辺の投資環境が悪化するなかで、低い最低賃金を求めて中ジャワ州へ企業移転を図るケースが増えてきた。それでも、昔のイメージが強かったからか、ウォノギリ県は取り残されているのではないかと思っていた。

実際は違っていた。貧しくて可哀想なウォノギリ県の姿は影を潜め、企業移転を積極的に受けようとする姿が印象的だった。

企業の方は、ウォノギリ県知事のダナル・ラフマント氏とアポを取ったということだったが、実際に行ってみると、アポは全く取られていなかった。急遽、10分でもいいから会えるようにと、企業の方の知り合いの方が動いて、県知事と会えることになった。

指定場所へ行くと、先客がいた。韓国系企業の方々だった。西ジャワ州かスバンからウォノギリへ工場を移転するという。彼らはすでに3回、ウォノギリ県を訪れており、今回で用地取得の青写真がほぼ決まったようであった。

彼らとの会合を終えた県知事が我々に会ってくれることになった。10分と思っていたが、30分大丈夫とのこと。「韓国系企業は5社程度が頻繁に訪れている」とのことだった。

県知事によると、人口120万人のウォノギリ県のうち、20%が出稼ぎで出ているが、彼らは、「もしウォノギリ県に工場のような雇用機会があればウォノギリで働きたい」という。5月に女性下着を製造する工場、7月に合板工場が操業を開始し、合わせて4000人以上の雇用機会が生まれる予定である。

県内には石灰石が豊富で、セメント工場ができる予定であり、インド洋側にできるそのセメント会社のジェッター付きの港を他企業も利用できるようにする。

ウォノギリ県政府は投資誘致のためにどれぐらい協力的なのか。筆者自身のスラウェシなどでの経験からすると、発展から取り残された投資の来ない地域では、企業投資は役人や地元有力者にとっての格好のたかりの対象になる。ウォノギリ県もそんな要素があるのではないか。色眼鏡で見てしまっている自分がいた。

しかし、次のような県知事の答えにびっくりした。

投資を予定している企業とは、県知事が投資局はじめ関係する県政府機関のトップを一同に集め、投資に必要な許認可や手続についてプレゼンをさせ、それらが何日で終わらせられるかをその場で明言させる。それ以後は、県知事が先頭に立って、許認可や手続などで不都合が出てくればそれを責任をもって解決していく。

ここまでは、威勢のいい県知事ならどこでも言いそうな話だ。でも、一番問題になるのは、用地の取得である。通常は、地権者と企業との間で交渉しなければならない。ところが・・・。

ウォノギリ県では、県知事が前面に立って地権者である住民を説得するというのである。県知事が挙げた事例によると、16ヘクタールの土地を用地として取得したいが、36人の地権者がいる。そう聞いただけでちょっと絶望的な気持ちになるが、県知事が地権者を説得し、わずか2週間ですべての地権者を同意させたのだという。

これは、通常ではあり得ない話ではないか。インドネシアではどこでも、用地買収が困難でインフラ整備が進まない。地権者は地価の値上がりを期待して、なかなか土地を手放そうとしない。

県知事は、工場が来ることで従業員の下宿屋ができ、食事をするワルンが栄え、地域経済への様々な乗数効果が上がることを具体的な数字で示したという。別の事例では、最初は1平方メートル当たり30万ルピアと地権者が言ってきた地価が、このような県知事の説明で地権者が納得し、なんと同11万ルピアへ下がったというのである。

県知事は、我々を前に、30分どころか、1時間以上も熱弁を振るった。そこには、貧しい出稼ぎの地と言われたウォノギリのイメージを変えてやるという、「熱血」県知事の強い意思が現れていた。

県知事は、自ら村々を回って、「工場で働かないか?」とリクルート活動までやった。

そしてまた、ジャカルタなどへ働きに出ている出稼ぎ者に帰ってきてもらうことで、ジャカルタの都市問題の解決にも役立ちたいとも言うのである。彼はジャカルタ首都特別州のジョコ・ウィドド(ジョコウィ)州知事とも親しいが、彼が大統領になったら、各地方に産業を起こすことを提案したいと言った。

実は、県知事と会った後、別の筋から、ウォノギリ県では800ヘクタールの工業団地建設構想があることを知った。すでに民間が用地を確保しているらしい。

筆者は、ウォノギリ県知事だけが突出しているわけではないことを知っている。中ジャワ州南部は、11月末に訪れたプルバリンガ県なども含めて、ジャカルタ周辺からの繊維関連企業などの工場移転ブームに呼応しようとしている。いい意味での自治体間での投資誘致競争が起きているといってもよい。

ウォノギリ県の2014年最低賃金は月額95万4000ルピア、まだ1万円にも満たない。ウォノギリ県への企業移転に絡む話で日本人が県知事に会いに来たのは今回が初めてとのことである。

インドネシア、とくにジャワ島の地方は動いている。首都ジャカルタは、このダイナミズムを知らない。いや、もしかしたら、「知ろうとしない」のではないか。それは言い過ぎかもしれないが。

【クドゥス】さすが本場のソト・クドゥス

昼食としてはナシ・オポールで十分満足しつつも、本場のソト・クドゥスを食さずして、クドゥスを去る訳にはいかない。

向かった先は、クドゥスのやや大きめのパサール(市場)の一角。下の写真が入口。

中に一歩入ると、右も左もソト・クドゥス屋。何軒ものソト・クドゥス屋が軒を並べている。いずれもずいぶんと年季の入った店構えである。

筆者が入ったのは、Bu Ramidjanという店。どの店もカウンター形式で、客の目の前には様々なソト・クドゥス用の食材が並び、客が好みの食材を入れるよう告げると、その向こうで、おじさんやおばさんが手際よくソト・クドゥスを作ってくれる。

注文する際、「肉は鶏肉にするか、水牛肉にするか」と聞かれた。ソト・クドゥスといえば鶏肉だと思っていたのでちょっとびっくり。でも、もともとは水牛肉が元祖だったらしい。そこで、水牛肉にしてもらう。そういえば、チョト・マカッサルも、もともとは水牛の肉と臓物を食べるための料理だった。
これが水牛肉のソト・クドゥス。ご飯が中に入っているので、正確にはナシ・ソト・クドゥス。水牛肉なので固いイメージが合ったが、ええーっと思うくらい、柔らかくなった肉だった。水牛に特有の生臭さもない。
このソト・クドゥス、絶品だった。こんな美味しいソトを今まで食べたことがないぐらい、絶品だった。水牛肉の柔らかさ、キャベツやもやしの適度なシャキシャキ感、それに絡むスープとご飯、アクセント役の揚げニンニク。もう、たまらない。この美味しさを言葉にすることは難しい。これを食べるためだけでも、クドゥスに来て本当に良かったと思えた。
ソト・クドゥス屋では、最初に「ソトにするか、ピンダンにするか」と聞かれる。ピンダンというのは、酸っぱい味のスープである。次に「肉は鶏肉か、水牛肉か」と聞かれるのである。ちなみに、一緒に連れて行ってくれた運転手くんは、水牛肉のピンダン(下写真)を頼んだ。
ジャカルタでは、おそらく水牛肉を使ったソト・クドゥスは見かけないだろう。また、ピンダンを一緒に出すソト屋もないだろう。本場のソト・クドゥスに出会えてよかった。
余談だが、このBu Ramidjanという店で料理を出してくれたのはおじさんだったが、ふと向かいを見ると、同じようなソト・クドゥス屋があり、店の名はPak Ramidjanだった。そこでは、おばさんがソトを出している。この両者、どういう関係になっているのか聞いたが、要領のいい答えはもらえなかった。謎である。

【スマラン】毎度おなじみジャワの庶民料理

2月半ば、中ジャワ州の州都スマランで、毎度おなじみのジャワ料理を堪能してきた。

まずは、筆者が最も好きなペチェル(Pecel)。青菜、キャベツ、もやしなどのゆでた野菜に甘辛いピーナッツ・ソースをかけ、豆や小魚を入れたペイエ(Peye)と呼ばれるセンベイをかじりながら食べる。ジャワでは最もポピュラーな庶民料理で、ペチェルにご飯をつけたり、アヤム・ゴレンやテンペなどをつけることもできる。

今回訪れたのは、スマラン中心部シンパン・リマ(五叉路交差点)のフードコートにあるンボ・サドル(Mbok Sador)。この店だけが、長い行列を作っていた。

スラバヤで食べるペチェルと比べると、ピーナッツ・ソースがややあっさりで、より液状になっている。今回は、ご飯を付けなかったが、ヘルシーフードとして毎日食べても飽きない味だった。

次に紹介するのが、ソト・アヤム・バンコン(Soto Ayam Bangkong)。この店は、ジャカルタにもマカッサルにもあるが、スマランが本店だということを今回はじめて知った。店はシンパン・リマの割と近くにある。一見するとちょっと広めの何の変哲もない、エアコンもない素朴な店。お目当てのナシ・ソト(ご飯入りソト)を食べた。

ナシ・ソトと一緒に、プルクデル(小ぶりの芋コロッケ)、鶏皮の串刺し、ウズラの卵の串刺し、などが出てくる。ウズラの卵の串刺しと一緒にナシ・ソトを食べるのが、私のお気に入り。

スマランのソトは、スープが薄味で、トマトのかけらが浮いているのが特徴である。細かく切った揚げニンニクが香ばしい。

この店の椅子の配置が面白い。四角いテーブルを4つの長椅子が囲む形になっているのだ。店の人に聞いたが、理由はわからなかった。相席の見ず知らずの人々も、ここでナシ・ソトをすすりながらテーブルを囲むのは、何となくいい雰囲気である。

これらの料理は、スラバヤでももちろん食べられるが、スマランの場合、おいしくて、値段がスラバヤよりも安い感じがする。

日本料理屋や高級レストランの少ないスマランだが、こうしたジャワの庶民料理にはヘルシーで栄養価の高いものも少なくないのである。

クルド火山噴火、スマランから戻って

先週は、2月12〜14日の予定で中ジャワ州スマランへ出張していた。用務は順調に進んでいたが、14日朝、東ジャワ州のクルド火山が噴火したとの報道を聞いた。スラバヤでも火山灰が降っているらしいが、それを聞いたとき、スマランはまだその徴候はなかった。

14日朝9時過ぎ、スマラン空港でジャカルタから来た方と合流し、車に乗って訪問先へ向かおうとしたとき、チラチラと白い粉が空から舞い降りてきた。火山灰だった。

このとき、なぜか、3・11の後、原発が爆発した直後、福島県双葉地方に降ったという白い物体のことを思った。

空港には、すでに火山灰で真っ白な車もあった。中ジャワでも、サラティガから南は火山灰に覆われているとのことだった。ジョグジャカルタの友人から電話があり、火山灰が降っていて外には出られない状況とのことだった。スマランの状況からはちょっと信じられなかった。

間もなく、スマラン空港は閉鎖になった。そのときすでに、スラバヤ、マラン、ジョグジャカルタ、ソロの各空港は閉鎖になっており、日帰りの予定だったジャカルタから来たばかりの方々が慌て始めた。もちろん、私のスマラン発スラバヤ行きの便も早々にSMSでキャンセルのお知らせが来た。

用務の合間に、ジャカルタから来た方々の帰りの鉄道の切符確保と私の鉄道の切符確保に走った。その頃にはすでに、スマラン発ジャカルタ行きのほとんどの切符は売り切れになっていたが、スマラン発スラバヤ行きの切符はまだまだ余裕があった。

ジャカルタから来た方々はスマランに1泊して、翌15日朝発の鉄道列車のビジネス席に乗って帰ることになった。私は、15日午前2時半発の夜行列車でスラバヤへ戻ることにした。

1泊を余儀なくされたジャカルタから来た方と夕食を共にし、その後、深夜までワインなど飲んで、すっかり気分が良くなっていた。私はスマラン・タワン駅へ向かい、1時間遅れて着いた夜行列車に乗り、ワインの酔いのせいもあり、スラバヤまですっかり熟睡した。

スラバヤ・パサールトゥリ駅に午前7時過ぎに到着し、タクシーに乗って無事自宅に到着。あーあ、疲れた、と思ってカバンを開けたら・・・。

ない。ない。ノートパソコンとiPadがなくなっている。一体、どこで・・・。

そういえば、列車を降りるとき、網棚の上に置いたカバンの位置がちょっと違っていたのが気になったが、まあ、列車が揺れたりして動いたのだろうと思って、気にしなかった。そして、なぜそのカバンに、今回だけは鍵をかけなかったのだろうか、と後悔したが、後の祭りだった。

手元のiPhoneでiPadを探してみるが、オフラインのままで反応がない。

でも、幸い、パスポートやクレジットカードは無事だった。パソコンのデータもクラウドに保存してあったので、実害はほとんどなかった。

最近、ちょっとポカが多くなった気がする。この間も、パレンバンで古いデジカメを盗られた。年齢のせいなのか、疲れているためなのか。

ショックだったが、しょんぼりしてはいられない。土日を使って、月曜締切の原稿2本、火曜締切の原稿2本を書かなければならないのだ。

とにかく、すぐに代わりのパソコンを手にしなければならない。思い切って、MacBook Airを購入し、18日(火)までに4本の原稿をそれで書いた。このブログもそれで書いている。

原稿を書き終わった後、本当に久しぶりに2時間、昼寝をした。ほんとうに本当に久しぶりによく寝た。

スラバヤは連日の激しい雷雨で、クルド火山の火山灰はほとんど洗い流されていた。16日朝にはスラバヤ空港も再開し、見た目には、噴火の影響は何もないように見える。しかし、スラバヤから車で2時間も行けば、火山灰に覆われ、避難を余儀なくされた人々の場所がある。

スマランからスラバヤへ向かう列車の中で、ボジョヌゴロ付近からしばらく、空の白が異常なほど濃くなっているのが見え、その上に、顔面蒼白のような太陽が見えた。それを見ながら、怖いと思った。再び、3・11後の福島県双葉地方のことを思っていた。

【プルバリンガ】 Soto Campur @ Warung Makan Soto Bu Hj Misdar

11月28日、出張先の中ジャワ州プルバリンガにて、午後3時過ぎに遅めの昼食をとった場所である。地元ではけっこう有名な店らしい。

ソトというのは、ジャワの実だくさんスープのこと。鶏肉を使ったソト・アヤム、牛肉を使ったソト・サピなどいろいろある。地域や店によって味も様々だ。今回は、プルバリンガのソト・チャンプル(この店では基本は牛肉)である。

ソトを食べる前に、まずは机上の揚げ物たちをつまむ。これがまたおいしいのだ。

さて、ここのソト・チャンプルは、牛肉や野菜がたくさん入った豪華版。スラバヤやジョグジャで食べるソトよりも盛りが多く、1杯食べただけでお腹がふくれる。中ジャワ以東では、ソトの中にご飯を入れて食べるのが一般的で、今回もナシ・ソトと呼ばれるご飯入りソトを食べた。

スープ自体はあっさり味。肉や野菜がこれでもかと迫ってくる、ちょっと豪快な感じのソトである。好みに応じて、サンバル(チリソース)を入れる。

この店のもう一つの名物は、ドリアンアイス(Es Durian)。ソトでお腹はふくれたが、食との出会いは一期一会、やはり食べずにはいられない。

ドリアンの固まりがゴロゴロっと入っていて、なかなかのお味だった。さすが、名物だけのことはある。

ご夫妻で切り盛りしている「町の食堂」という雰囲気。「美味しかったよ」と言ったら、二人ともとても嬉しそうな笑顔を見せてくれた。

プルバリンガのお隣のプルウォクルトは、実はソト・アヤムで有名なところ。あいにく、今回はその醍醐味を味わう機会がないままだった。次回は必ず、プルウォクルトのソト・アヤムの名店を3店ほどハシゴしたい。

中ジャワ州山間部にてウナギ蒲焼を食す(一部修正)

すでに以前のブログ「インドネシア・中ジャワ州南西部の投資環境(報告)」に掲載したPDFファイルの報告書でも書いたのだが、11月27日、中ジャワ州のバンジャルヌガラ県でウナギ蒲焼を食べてきた。それも、生きたウナギを目の前でさばき、開いて串に刺し、オーブンでじっくり焼いて、濃厚なタレをつけていただく、というなかなか贅沢なひとときだった。

このウナギ、南海岸に面したチラチャップ付近で漁民が獲った稚魚(シラス)をいったん海水の池に集め、そこから淡水の池に移して徐々に淡水に慣らしながら大きくしていく。種類はジャポニカ種ではなくビコール種、日本の蒲焼用のウナギは体長20〜25センチ程度だが、今回いただいたのはそれよりも若干長い30〜40センチのものだった。

この企業は兄弟・親戚の3人で動かしている小さな企業である。以前、日本で開催されたFOODEX JAPANへ蒲焼を出展したが、「泥臭い」と言われて散々だった。日本滞在中に、彼らは浜松のウナギ養殖業者を訪問し、いろいろ学んだ。「泥臭い」原因 は、海水で大きくしたウナギを使ったからで、地下水などの淡水を使うと臭みが抜けることに気づき、FOODEXの半年後、淡水で育てたウナギの蒲焼で再チャレンジした。評判はよく、日本のウナギ蒲焼と遜色ないと評された。

3人のうちの一人は、スラバヤの料理学校を出た後、ジャカルタのリッツカールトンで修行した男で、彼が浜松で蒲焼の作り方、タレの作り方を学び、短期間でそれを習得した。浜松の巨匠は1分間に40匹のウナギをさばくそうで、技の習得に長い期間が必要とのことだが、この彼は、わずか1年間学んだだけで、1分間で25匹をさばくという。その技も見せてもらった。(このくだりは、この企業の人の話だが、よくよく考えてみれば、非現実的な数字のように思える。1時間当たりの数字なのかもしれない。要するに、このインドネシア人の彼が短時間で技術を身につけたということを強調したい表現と受け取ってもらえれば幸いである)。

このウナギ蒲焼、日本で食べる一般的なものよりも肉厚でふっくらしている。今回は関西風に蒸さずに直接焼いてもらったが、全体に脂っこくなく、適度な脂が乗っている。ビコール種は皮が堅いとよく言われるが、ちょっとカリッとしてはいるものの、食べられないほど堅くない。日本で学んできたタレはそのまま注ぎ足しながら味をキープしてきたもので、浜松の巨匠も太鼓判を押したというのがうなずけるよくできたタレだった。

ウナギ蒲焼を口に運ぶ。ふわっと口の中に広がるウナギの柔らかな肉と脂の絶妙なハーモニー。こんなおいしいウナギを食べたのは本当に久しぶりだった。

しかも、私のためにわざわざ作ってくれた蒲焼。山椒がなかったのが本当に残念だった。

まだまだ手作りという感じの彼ら。今は月に100キロ程度、 某日本食レストランからの注文を受けて生産し、真空パックにして送っている。将来的には、月に5トン程度の蒲焼をつくりたいという計画を持ち、養殖場と蒲焼工場の敷地として24,000m2の土地を確保したという。彼らと一緒にウナギ養殖と蒲焼工場に興味を持つ投資家はいないだろうか。

このウナギ、一食の価値がある。もし、食べてみたい方がいれば、ご連絡いただきたい。彼らのウナギを食べるツアーなど企画してみたい、などと思う今日この頃である。

【バンジャルヌガラ】 Nasi Gudeg @ Warung Bu Sugeng

11月27日、中ジャワ州バンジャルヌガラ県を訪問した際に昼食で食べたナシ・グデッ(Nasi Gudeg)。

グデッというのは、ジャックフルーツの実をココナッツミルクで柔らかく甘辛く煮込んだものをベースに、煮玉子や鶏肉のオポール(ココナッツミルク煮)や牛皮を柔らかくしたもの(Krecek Sapi)を加えた、ジョグジャカルタや中ジャワの郷土料理。ご飯と一緒にいただく。

Krecek Sapiのクチャクチャとした感触がアクセントになる。こちらの人はよく、ご飯にクルプック(せんべい)を併せて食べるが、このようなアクセントのある食感が不可欠のようである。

ジョグジャで食べるグデッよりも甘さは控えめ。この店は、バンジャルヌガラではよく知られた店のようだ。

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