休暇一時帰国予定

年末年始は日本へ休暇一時帰国を予定している。12月25日にスラバヤを発ち、クアラルンプール経由のAir Asiaで夜11時に羽田着。戻りは、1月13日夜に羽田を発ち、クアラルンプール経由で1月14日昼前にスラバヤ到着である。

最近、冬に日本へ帰ると、皮膚が乾燥してカサカサになったり、寒さに耐えられなくなったりして、南国仕様の体になってしまったことをつくづく感じてしまう。今年もまた寒い冬とのことで、少々心配ではある。

しかし、今回は長めの休暇を取って、じっくりとこれからのことを日本で考えてみたいと思っている。少しずつ、少しずつ、自分がこうありたいと思う方向へと向かってきてはいるが、まだ、道筋がしっかりできたという状態には至っていない。自分がこうありたいと思う方向と、生計を立てていくということがまだきっちりとクロスしていないのである。

そしてまた、自分たちで選択したとはいえ、一つの家族が日本とインドネシアで長い間離れて暮らしていることが日常となった今、それを生かしながらも、もっと柔軟な形で、家族と一緒にいる時間をもう少し増やせるような活動のしかたを考えてもいいような気がしてきている。

今回の休暇一時帰国で何らかのヒントが得られれば、2014年以降、またもっと面白い活動ができるのではないかと勝手に期待している。

もちろん、故郷・福島にも帰省する。久しぶりに、日本でまた友人・知人たちと会えることを楽しみにしている。

「日本」が人々の胃袋の中へ広がる

ジョグジャカルタの「こてこて」と「わざわざ」の話を前回書いた。そこでは、「日本」がインドネシアの若者たちに、肩肘張らずに自然にすんなりと、受け入れられている様子があった。最近の日本からの企業進出、とくに日本というものを意識した日本側からインドネシア側へのアプローチとの対比で、少し考えてみたい。

たとえば、日本からラーメンなどの飲食業の進出がジャカルタやスラバヤなどで見られるようになって久しい。そこでは、多くの場合、日本的なものを前面に出して、日本を売りにするケースがほとんどである。

基本は、日本で食べるのと同じものをインドネシアにも提供したい、という姿勢である。そして、それは日本好きであったり、物珍しさを好むインドネシアの人々に受け入れられていく。在留邦人も、日本食が恋しくなって、そうした店へ出かける。そうして、日本というものがインドネシアへ広がっていく。

一方、「こてこて」や「わざわざ」のように、日本人がほとんど関与せずに、インドネシア側のイニシアティブで、日本人が知らないところで、勝手に「日本」が広まっていく現象がある。彼らのやっていることは、日本人の我々から見れば、日本の真似事に過ぎないかもしれない。「ちょっとそれは違うんじゃないかなあ?」と首をかしげたくなるような面もある。

そうしたビジネスを行っているのは、留学や研修でかつて日本に滞在した経験のある人だったり、アニメやオタク文化に触れて日本にはまってしまった人だったり、あるいは、ちょっとビジネスをするのに「日本」を借りただけの人だったりする。

これら両者の違いは、日本をどう扱っているかである。日本から進出した企業は、日本をインドネシアの中へ持ち込み、その日本たるものを維持することでビジネスを展開させようとする。その際、最初は物珍しさから注目を集めても、すぐにインドネシア側に飽きられてしまう可能性がある。

気をつけないと、「日本のものだから素晴らしいんだ」「どうしてインドネシアの人々はそれを理解してくれないのか」という話に陥りかねない。もちろん、そして利益を上げなければならないというプレッシャーがかかる。

「こてこて」や「わざわざ」は、インドネシアの若者が、日本が好きで勝手に始めたものである。もちろん、利益を上げることが前提だが、日本礼賛!というように力が入っているわけではない。日本をそのまま伝えなければならないという使命感などない。彼らが最もなじむ形で「日本」あるいは「日本的なもの」が受け入れられていく。そこでは、容易にインドネシアやインドネシア的なものと融合していく。当然、日本的なものを求める日本人や日本通の関心の対象にはならない。

しかし、どうやら、我々の目に見えないところで、この「こてこて」「わざわざ」現象は静かに広まっている様子なのである。

昨晩、スラバヤ郊外の住宅地の細い道路を走っていたら、ワルンのような赤ちょうちんを発見。ちょっと覗いてみると、机一つだけの「ラーメン屋」だった。いかにも、インドネシアの方が試しに始めてみたスモール・ビジネスという感じで、日本人の私の眼から見て、どう見ても美味しそうなラーメン屋には見えなかった。機会があれば、今度、取材をかねて、味を試してみたいと思う。

クールジャパンなどを通じて、日本食をビジネスとする日本企業のインドネシア進出を支援することにも意味があるだろう。

それとともに、いやそれ以上に、インドネシアの人々や世界の人々の胃袋に日本食あるいは「日本食」をなじませ、広めていくこと、日本が世界の人々の胃袋から離れられなくなる(する)ことが、日本が世界のなかで生きていくに当たって、とても重要なのではないかと思える。それは、日本企業だけでできる話ではない。「こてこて」や「わざわざ」のような、現地の人々が勝手に広めてこそ、「日本」が人々の胃袋の中に根づいていくのではないか。

こうした、勝手に「日本」を広げていく動き、とくに胃袋を通じて「日本」が広がっていく動きを、我々日本人は、「本物ではない!」などと目くじらを立てずに、温かい目で見守っていきたいものである。

「こてこて」と「わざわざ」

7月に「中小企業海外展開支援プラットフォームコーディネーター」という長い名前の職務を拝命し、日本の中小企業がインドネシアへ進出する際のコンタクトポイント、あるいはすでにインドネシアへ進出した中小企業の相談窓口、のような役割を果たしている。

昨晩から出張でジョグジャカルタに来ているが、今回はそのプラットフォームがらみの仕事である。

仕事の話はちょっと置いておいて、今回、ジョグジャに来てあらためて思うのは、日本というものがジョグジャの風景の中に溶け込み始めているということである。すなわち、日本に留学したり、日本について学んだりした学生たちが、自分のフツーの感覚で、肩ひじ張ることなく、遊び感覚も兼ね備えながら、ちょっとしたビジネスなどを行なっている光景である。

最初は「こてこて」。これは、広島風と大阪風のお好み焼きを出す小さな店である。ワルン・オコノミヤキと称している。注文すると、お兄ちゃんがお好み焼きを焼いてくれる。ムスリムのお客さんを考慮して、すべてがハラル。お好み焼きのソースも、自分たちで工夫してハラルにしている。しかも、小・中・大とサイズの分かれたお好み焼きは、大でもトッピングなしで3万ルピアと手頃な値段だ。これで十分に元が取れているという。

次は「わざわざ」。「こてこて」からすぐのところに、赤いのれんをかけた屋台があった。ガジャマダ大学日本語科の学生?が始めたビジネスで、まさに屋台をイメージして始めたようだ。ご飯に鶏肉または牛肉のそぼろをかけ、お好みで目の前の春巻、チキンカツ、サテ、サラダなどをトッピングする。あれ、これってジャワでよく見かけるワルンやソトアヤム屋と同じシステムではないか。

まさに、「日本」がすんなりと入っているのだ。ジョグジャの持ついい意味での脱力感とともに。

日本とインドネシアの交流イベントを大々的にやるのもよい。でも、ジョグジャカルタの若者たちは自分たちのアイディアとセンスで、日イ友好などと力を入れることなく、楽しみながら「日本」を自然に自分たちの中に取り込んでいる。そんな動きが自然に広がっていくのがいい。日本人は、「本当の日本とは違う」などと目くじらを立てないほうがよい。

夜だったせいもあり、うっかり、写真を撮るのを忘れた。失敗。

「東京は福島から250キロ離れており、安全だ」発言

インドネシアと直接関係ない話で申し訳ない。

2020年の五輪開催都市に立候補している東京。東京電力福島第一原発からの高濃度汚染水の漏洩・海洋排水の問題が世界的に注目されるなかで、当選へ向けてなりふりかまわぬ姿勢を見せた。

東京が安全であることをアピールするため、「東京は福島から250キロ離れており、安全だ」とプレゼンしたと報じられている。筆者は、科学的な安全性について、客観的にみて、本当に東京が安全なのかを判断する確かな知識を持ち合わせているわけではないので、安全かどうかを問題にすることはしない。

しかし、この発言は、「福島は安全でない」と言ったに等しい。どうしても何かこの種のことを言いたいならば、「(問題となっている)東京電力福島第一原発は東京から250キロ離れており」と言うべきであった。「福島」は福島県全体なのか、他都市よりもまだ相対的に線量の高い福島市なのか。東京並みかそれ以下の線量の会津地方やいわき市周辺も含むのか。この発言からすると、「福島は安全ではない」と受けとめられることになる。

これこそが、いわゆる風評というものではないか。発言者の繊細さに欠ける用語使いで、どんなに印象が変わるか。

この発言を聞いてすぐに思い出したのは、東京の発展を電力で支えてきた福島の歴史だった。奥会津・只見川の電源開発で、巨大水力発電所が建設され、その後、浜通りの相双地区に何基もの原子力発電所が「福島」という名前の下に建設された。それを担ったのは東京電力であり、それらの場所で作られた電気はすべて東京首都圏へ送電された。福島県内の電力は、東北電力による発電所から送電されたのである。

そもそも論として、なぜ東京への電力を福島県に作ったのか。只見川電源開発は、そこに豊富な水資源があったから、という理由で容易に納得できる。

他方、浜通りの 原子力発電所は、そこにウランがあったからではなかった。東京にもっと近いところに作ればいいものを、わざわざ送電コストをかけて流す選択をした。そして、2011年3月に事故が起こって、東京から離れたところに建設した理由が眼前に現れてしまった。やっぱり、実は、最初から「危ない」と分かっていたのである。

「危ない」と言っていたのではどこにも建設できないから、過疎で出稼ぎに頼る貧しかった相双地区が注目され、人口の多い東京首都圏で何か起こるのに比べれば、影響は少ないと勝手に判断され、多額の資金供与を見返りとして、原発が建設されたのである。もしかしたらそこの人々は「騙されている」と分かっていたのかもしれない。でも、生きていかなければならなかった。東京の人たちのような豊かな生活をおくる権利もあるはず。彼らを「金の亡者」と一律に非難するのは難しい。

そして事故が起き、改めて「騙された」ことに気がついたが、それと引き替えに手に入れた自分たちのより良い生活を否定することはできない。けれども、あえて「騙される」ことを選択したことで、間接的にではあっても、事故に荷担してしまった罪悪感が人々の心の一番の奥底でうごめいていることは想像に難くない。単純に「原発反対」などと声を上げられない複雑な気持ち、しかしそれはなかなか理解してはもらえないだろう。

東京オリンピックは、そんな人々を励まし、勇気づけ、復興へ向けて前向きの気持ちにさせる機会になる、と信じて旗を振る人々がいる。たとえ、打ち上げ花火のようなはかないものだとしても、何もないよりは、一時的に気分を高揚できる機会になるかもしれない。何かそれが決定的に復興を継続的に進めていくエネルギーになるとは思えないけれども。線量を気にし、食の安全にピリピリした、日々の生活で精一杯の福島の人々にとって、東京オリンピックとはその程度の位置づけでしかない。

でも、「東京は福島から250キロ離れており、安全だ」という発言がすべてを台無しにした。東京オリンピックが福島の復興のためなんて、嘘だということが明らかになってしまった。東京は福島とは違う世界にあり、東京でオリンピックをやっても、福島の影響は何もない、ということだ。それをいうなら、東京よりも遠い、福岡や鹿児島でやったほうがいいではないか。東京だけでオリンピックをやれればよいのか。

東京首都圏の発展を支えた電力の源の多くが福島県からだったという事実、その見返りは刹那的なカネでしかなかったのか。東京は福島を見ていない。同情はしているかもしれないが、ともに歩んでいこうという姿勢はない。むしろ、東京オリンピックの実現には迷惑な存在と思っているかもしれない。

もっとも、東京オリンピック云々の話題が出たからこそ、世界中のメディアが注目するなかで、東京電力福島第一原発で今本当は何が起こっているかを、東電が騙し続けられない状況が生まれたという面もある。東京オリンピックが実現することで、東京電力福島第一原発の廃炉処理が本当に実質的に進むのならば、それはありがたいことではあるが、そのような説明は政府からも東京都からも東電からも聞こえてこない。

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