ウガンダでの1週間(3)サファリとナイル

ウガンダではしっかり観光もした。北部のグルからカンパラへ戻る前に、途中のマーチソン滝国立公園でボート・サファリとゲーム・ドライブをした。

サファリには「人間は野生動物よりも上だ」という臭いがして、偏見というかあまりいい印象を持っていなかったのだが、実際に行ってみると、これがなかなかの面白さだった。

宿泊した「ブアナ・テンボ・ロッジ」は国立公園の外だが、ここまで野生のゾウがやってくることがあるのだという。部屋には「ゾウがやってくることがありますが、そのときには部屋にこもって静かに彼らが居なくなるのを待ちましょう」という注意書きが置かれていた。ちなみにテンボとはスワヒリ語でゾウのことらしい。

ロッジは丘の上にあり、ナイル川を見下ろす眺望が美しい。

実際、ロッジから国立公園の入口へ向かう間に、いきなりゾウに出くわした。

8月5日は、船に乗ってナイル川をマーチソン滝まで上るボート・サファリに参加した。川岸に集まるバッファローなどの動物や水中にいるカバなどの動物、ホワイト・イーグルを始めとする様々な鳥を見ることができた。

一番奥のマーチソン滝の近くまで来て、折り返すコースである。

8月6日は、朝6時にロッジを出発して、ゲーム・ドライブ。陸上でのサファリである。まずは、サバンナに昇り始めた朝日を拝む。

ゾウの集団が木をなぎ倒したため、道が通れなくなっていた。やむをえず、草原の中を迂回する。

ウガンダの国獣であるウガンダ・コープという鹿の仲間やジャクソンなどが草原に無数にいる。

とても運よく、ライオンにも出会えた。すれ違うサファリの車が皆、「ライオンがどこにいたか」と私の運転手に尋ねてくる。雌ライオンは至近距離で見えたが、雄ライオンは離れた茂みのなかでじっとしていた。

キリンにも遭遇。

でも、圧巻は、前日に船で近くまで行ったマーチソン滝だった。6日は滝の上から見たのだが、その水量の迫力には度肝を抜かれた。

そして翌7日には、ジンジャへ行き、ビクトリア湖とナイル川源流の境目に立ってきた。

ナイル川源流には標識が立っているが、そこへ行くには、お土産物屋さんに寄らなければならないのだった。

ナイル川源流へボートで向かう際、30分で100米ドルとふっかけられた。ナイル川源流は目と鼻の先。1時間で15万シリング(約60米ドル)ぐらいが相場と聞いていたので、30分で10万シリング(約40米ドル)と値切った結果、30分11万シリングで行ってくれた。

しかし、船頭がとてもサービス熱心な人で、船の上で「あと4万シリング出してくれたら、養魚場などを2時間でまわってあげる」と言われたが、丁重に断り、結局、1時間半乗って、当初の11万シリング及び船頭へのチップとして2万シリングを払って終わらせた。

あとで聞いたら、10人ぐらいの団体でいくと、一人1万シリングぐらいで1時間なのだそうだ。

古い建物の残るジンジャの街も堪能できた。

ウガンダでの1週間(2)シアーナッツ・オイル

8月4日、KNさんが活動する北部のグルから車で約1時間半の村へ行き、シアーナッツ・オイルを作る農家Bさん宅を訪問した。

これがシアーナッツとそれが実る木である。

シアーナッツ・オイルづくりは、手間隙かかる作業である。まず、シアーナッツを集めて火にかけ、灰をかけて熱した後、それを土の上に落として冷ます。

冷ましたシアーナッツを網に入れ、篩(ふるい)のようにして灰や砂などを取り除く。

これらの作業のほとんどは、Bさんの奥さんが執り行う。Bさんは、ソルガムの「ビール」を飲みながらその様子を見守る。私も午前中からそれに付き合わされて飲んだ。

ようやくBさんの出番。シアーナッツを臼に入れ、棒で上下に叩きながら潰す。

潰してドロドロになったシアーナッツを容器に移し、それを石の上に出して殻などを丁寧に濾す。

濾したドロドロのシアーナッツ液を鍋に入れ、再び火にかける。そして、煮詰まって、油になってくる。

最後に、これを濾して、ペットボトルに詰めて完成である。

Bさん宅では、豪勢な昼食も振る舞われた。ご飯とスパゲッティ(ここではマカロニと呼んでいた)と一緒に食べる。そして、これらの料理に、シアーナッツ・オイルがたっぷりとかけられた。こってり感を満喫する。

昼食の後、シアーナッツ・オイルを1瓶5,000シリング(約200円)で買った。それをインドネシアまで持って帰ってきたが、何にどう使えばよいのか。誰か使用法をご存知の方がいれば、教えてほしい。

最後に、Bさんの家とその周辺を写真に撮ってくれと言われた。ルワンダでもそうだったが、1軒の家の中がいくつもの部屋に分かれているのではなく、夫婦の家、子供の家、などと小さな円形の家の形で分かれていた。周辺には、キャッサバ、バナナなどが植えられていた。

土の上には、小さなソーラーパネルが置かれていた。電気のないこの村で、携帯電話の充電に使っているのだった。

Bさんは、医師も看護師もいないこの村に病院を作りたいと話してくれた。「土地はいっぱいある。日本から誰か来て病院を作ってくれないか」という。

病院はないけれど、こんな小さな村にも酒の飲めるバーがある。酒を飲まない人が多数のインドネシアの村の風景からすると、ちょっと違和感があった。

ウガンダでの1週間(1)

ウガンダには8月2〜9日の8日間滞在した。今回は、ウガンダ在住の友人KNさんとそのご家族に何から何までお世話になった。

まず、入国の際に、50米ドルを支払って到着時査証をとる。このときに、係官から「どうしてケニア、ウガンダ、ルワンダ3ヵ国共通ビザを取らなかったんだ?普通はそれを取ってくるもんだ」というので、「ケニアに寄らないし・・・」とか色々説明していたら、「ちょっと訊いてくる!」といって退席し、5分後にOKといって到着時査証をパスポートに貼り付けてくれた。

KNさんの運転手がエンテベ空港に迎えに来てくれ、カンパラのホテルまで送ってくれた。エンテベからカンパラまでは一本道で、ときには渋滞で2〜3時間もかかると聞いていたが、途中で渋滞したものの、運良く1時間ちょっとでホテルに到着した。

カンパラの宿はシャングリラ・ホテル。旧名は上海ホテルという。レセプションは階段を上がった外にある机一つ。「クレジットカードの読み取り機がちゃんと動くかなあ?」などという状態で、絶対に「なんちゃってシャングリラ」と信じていた。実は、本当にシャングリラ系列だと別の知人に教えてもらった。

このホテル、見た目以上に基本がしっかりできていて、シャワーの温度調節に難があるほかは、インターネット接続をはじめ、部屋の設備やアメニティにも手抜きがなく、ランドリーはタダという、なかなか居心地の良いホテルだった。

かつての職場の先輩アフリカ研究者の定宿だったそうであり、日本人客の利用も多いようで、たくさんの日本語の書籍が置いてあった。

朝食はお庭で。小さい傾斜のある庭だが、これがなかなか素敵な空間である。

ウガンダに来て感じたのは、人々の表情が豊かで、融通がきくゆるさだった。タンザニアやルワンダよりもずっと英語が通じるせいか、ホテルの従業員に冗談を言ったり微笑んだりすると、ちゃんと反応してくれる。ちょっと、インドネシアに似た感じだった。

融通がきくといえば、カンパラから車で4時間のグルという都市へ行ったときのこと。その日は8月3日(日)で、夕方6時頃、無線Wifiルーター用のSIMを探していた。ようやく見つけた店には鍵がかかっており、閉店の様子。でも、まだ中に職員がいる。

ダメもとでノックすると、何と職員がやってきて鍵を外し、「中に入れ」という。こうして、めでたくSIMをゲットできた。ある人は「きっとその日の唯一の売り上げだったかもよ」と言っていた。

ウガンダでは、幹線道路のいくつかのポイントに交通警察が張っていて、車を止めてはチェックする。とくに、シートベルト着用は厳しく見られる。筆者はそれに気づかず、シートベルトをしないで後部座席に座っていたのだが、交通警察が鬼の子を取ったようにニコニコしながら「はい、罰金でーす」と近寄ってきた。

「ウガンダに昨日来たばかりなんですー」と言い訳しても、「イイですかあ?この表にシートベルト未着用は2万シリング(約800円)と書いてありますねえ。払ってくださいねえ」と言い寄る。払ってあげたら、とても嬉しそうだった。ウガンダは汚職がひどいらしく、なかでも警察はその筆頭。インドネシアもそうだったなと思いだした。

タンザニアやルワンダと同様、ウガンダで道路を走る車はほぼ9割以上が日本車、しかも中古車である。トヨタが圧倒的に多い。ルワンダは左ハンドルだが、それでも日本車が多かった。日本を始めとして、世界中から日本車の中古車がここに集まってくる。10年程度のものは、ここでは新車扱いなのだという。

それらの中古車には、かつて使われていた会社や組織の名前がついたまま走っているものが少なくない。加えて、いったん消したものの、新たに怪しげな漢字を施した中古車もみかける。何と書いてあるのか、解読不能だが、おそらく、漢字らしきものがあると、高く売れるのかもしれない。

中古車がほぼすべてのこの国では、おそらく今後、自動車を作るということは起こらないだろう。これらの国が中古車を輸入してくれるから、日本などでは安心して車の買い替えが行えるのだと思った。そして今後は、タイやインドネシアなどからの中古車輸入へシフトしていくのではないか。

これらの国で日本からの中古車が使われた後、どうなるのかというと、ボディは鉄板として使われ、その他部品は売買される。ここが中古車の最終目的地のようである。