【インドネシア政経ウォッチ】第133回 内閣改造に潜む様々な思惑(2015年7月9日)

6月末になって、ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領周辺から内閣改造を示唆する発言が頻繁に聞かれるようになった。メディアによる世論調査で政権への支持率が35%前後へ落ち込み、ジョコウィ大統領が焦っている様子がうかがえる。

大統領の批判の矛先は経済閣僚に向けられた。通貨ルピアの下落が止まらず、物価上昇が続き、経済成長率が4%台へ低下して、国内の経済活動が減速し始めた。マクロで見れば、これは、中国の経済成長低下などによる世界的な景気後退の影響をインドネシアも受けているに過ぎないのだが、インドネシア国内での対策が遅れていることは否めない。

支持率の低下を背景に、ジョコウィ大統領は、何らかの成果とともに自身の指導力も国民に見せる必要があることだろう。各閣僚の実績評価に基づき、評価の低い閣僚を新閣僚に入れ替える内閣改造は、その格好の機会と言える。

もっとも、ジョコウィ大統領による各閣僚の実績評価が客観的かは疑問である。各政党や業界団体などは、気に入らない閣僚を落とすための情報リークとともに、自薦他薦の閣僚候補を大統領周辺にささやき始めている。

一例を挙げると、「大統領を無能呼ばわりした」との理由でリニ国営企業大臣の更迭が噂される。リニ大臣は国営企業幹部人事で自身に近い人物を配置したことで、それらポストを欲する与党各党などから痛烈に批判された。とくに、リニ大臣に近いとされた闘争民主党のメガワティ党首や他の党幹部は、彼女を裏切り者呼ばわりしている。

一方、闘争民主党など与党との軋轢に悩むジョコウィ大統領側には、野党から閣僚を入閣させて自身の政治基盤強化へ動き出そうという思惑もある。すでに、国民信託党や民主党などからの入閣を示唆し始めている。

ジョコウィ大統領が批判する経済閣僚にはプロフェッショナル出身者が多い。彼らが内閣改造で更迭されれば、プロフェッショナル重視の「働く内閣」の看板が色褪せ、政党以外の大統領支持者からの批判が高まることは間違いない。

 

【インドネシア政経ウォッチ】第112回 政党の内部分裂の歴史とアブリザル氏(2014年12月11日)

インドネシアでは政党の内部分裂がよくある。為政者側が分裂をけしかけ、反対勢力を非主流派にし、政権基盤を安定化させる。ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)政権もそれを踏襲しているのか。

先の大統領選挙でジョコウィ氏支持かプラボウォ氏支持かで割れた各政党は、ジョコウィ政権発足後も内部分裂を深めている。分裂と比較的無縁だったゴルカル党も、反ジョコウィのアブリザル・バクリ党首派と親ジョコウィのアグン・ラクソノ副党首派に分かれ、双方が党大会を開き、執行部を選出するという異常事態となった。

ゴルカル党内では、アブリザル党首の強引な党運営への批判と総選挙で劣勢に終わった責任を問う声が上がった。しかし、アブリザル氏はそれを無視し、党首再選のために2015年1月開催予定だった党大会を14年11月へ繰り上げ実施し、満場一致で再び党首となった。

アブリザル党首は内部分裂に縁がある。10年のインドネシア商工会議所(カディン)会頭選挙で、資金力に物を言わせて腹心のスルヨ・バンバン・スリスト氏を会頭に据え、自身の大統領立候補のためにカディンを政治的に活用できる体制を敷いた。そうした動きを抑えるため、カディン内部でスルヨ執行部を否定する別のカディンが結成され、内部分裂した。

スルヨ氏率いるカディン執行部が目の敵としたのが、インドネシア経営者協会(APINDO)のソフィヤン・ワナンディ会長(当時)である。彼は今、カラ副大統領の顧問として政権内にいる。そして、労組デモ解決のためにソフィヤン氏が頼りにしたのは、ゴルカル党幹部でパンチャシラ青年組織代表のヨリス・ヤレワイ氏で、彼は分裂したインドネシア労働組合総連合(KSPSI)総裁でもある。そのヨリス氏は今、アグン・ラクソノ派に属し、反アブリザルの急先鋒(きゅうせんぽう)だ。

すなわち、アブリザル氏の権力への異常な執念は、それを阻止しようとしてきたソフィヤン氏やヨリス氏との長い戦いの結果、生み出されたのである。それ故、アブリザル氏はプラボウォ氏と組み、紅白連合に固執し、ジョコウィ大統領やカラ副大統領を支えるソフィヤン氏に対抗し続けているのである。

【インドネシア政経ウォッチ】第106回 新内閣が発足、工業化戦略に不安(2014年10月30日)

10月26日、ジョコウィ新政権の閣僚名簿が発表された。「働く内閣」と命名された新内閣の閣僚34人のうち、19人が政党無所属の専門家、15人が政党所属という構成で、過去の閣僚経験者はわずか3人というフレッシュな陣容となった。宗教別や地域出身別にも配慮がなされ、女性閣僚数8人は過去最多である。

閣僚名簿の発表は何度か延期された。閣僚候補の過去の汚職疑惑履歴を汚職撲滅委員会(KPK)が精査し、8人が問題ありとされ、差し替えに時間がかかったためである。問題となった8人が誰かは明らかにされていないが、事前に有力だった閣僚候補の何人かはここでふるい落とされた。KPKの事前精査は今回が初めてである。

新内閣では、国家官房と国家開発企画庁(バペナス)が、調整4大臣が束ねる各省の枠外に出た。実際の開発政策においては、バペナスが開発計画全体の立案と調整を担当し、それに基づいて各省庁が計画を実施するという形になる。今後の開発の方向性を明確にしていくうえで、バペナスの計画立案能力が大きなカギを握ることになる。

新政権の重点部門とされるのは、農業と海洋である。それに比べると、工業に対する関心はあまり高くない印象を受ける。農業大臣に農薬製造を中心に成長した企業グループのアムラン・スライマン最高経営責任者(CEO)が就いたのに対し、産業大臣は東ヌサトゥンガラ州出身のハヌラ党のサレ・フシン国会議員である。過去に産業大臣候補として何度か名前の挙がった実業家のラフマット・ゴーベル氏は貿易相に就いた。当初、産業省と貿易省は商工省として統合が構想されたが、実現しなかった。

中進国を目指すインドネシアにとって、過去10年以上の製造業部門の後退を克服するためにも、新たな工業化戦略が必要とされているはずだが、今回の組閣からはその意向が読み取れなかった。ミクロ志向の強い新政権のなかで、今後の国家開発の方向性を示すマクロ面が疎かにならないためには、バペナスの役割に期待するほかはない。

【インドネシア政経ウォッチ】第28回 民主党は「ユドヨノの党」で終わるのか(2013年 2月 28日)

ハンバラン総合運動公園事業をめぐる汚職疑惑は、アンディ・マラランゲン青年スポーツ大臣辞任後の第2幕に入った。2月22日、ユドヨノ大統領を支える与党民主党のアナス・ウルバニングラム党首が汚職容疑者に断定され、翌23日に党首を辞任した。同事業を落札した企業から謝礼を受け取った収賄容疑だが、汚職で禁固5年のナザルディン元民主党会計役による証言などで、アナスの関与は以前から取り沙汰されていた。

おそらく、ユドヨノ大統領も民主党もアナスが容疑者になることを事前に知っていたに違いない。2月3日発表の最新の世論調査で民主党の支持率は8.3%に落ち込み、ゴルカル党(21.3%)や闘争民主党(18.2%)に大きく水を開けられた。2014年の総選挙を控え、何としてでも、党勢回復を図らなければならない。とりわけ、党の汚職イメージの払拭が必須である。しかし汚職疑惑に対するアナスの潔白を証明するのは難しい。党内から公然とアナスの党首職辞任を求める声が高まる。そこで、党創立者でもあるユドヨノ大統領は自身が最高会議議長として前面に出ることを決断。息子のイバスも国会議員を辞めて党書記長職に専念させ、ユドヨノ色で民主党の立て直しを図ることとした。

ユドヨノはこうしてアナスを「切る」準備を整えた。そのうえで、ユドヨノ自身がアナスに「汚職撲滅委員会との法的問題へ集中するように」と指示し、柔らかに辞任を促した。自分が復活するまでの緊急措置と信じていたアナスは、党首辞任演説で「これは最初のページに過ぎない。次々にページをめくっていく」と反抗を示唆した。

次の民主党を担う逸材として期待され、有望な大統領候補と目されたアナスは脱落し、民主党はユドヨノの陣頭指揮に委ねられた。それは、民主党が設立後10年を経ても「ユドヨノの党」を超えられなかったことを意味する。政党組織として成熟できず、汚職イメージの剥がれない民主党は、2014年のユドヨノ引退とともに終わるのだろうか。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第25回 「純潔」を守れなかったイスラム政党(2013年 2月 7日)

1月31日、福祉正義党(PKS)のルトゥフィ・ハサン・イサック党首が汚職撲滅委員会(KPK)に逮捕された。牛肉輸入枠の設定に関連して、国会議員である同党首が便宜を図り、特定業者が有利になるよう具申した見返りに金銭を受け取ろうとした収賄の疑いである。KPKは、輸入業者のインドグナ・ウタマ社の重役2名が同党首に近いアフマド・ファタナ氏に現金10億ルピア(約950万円)を手渡したことを突き止め、これがルトゥフィ党首へわたると見て収賄罪を適用したのである。

福祉正義党といえば、政党カラーは白で、汚職に対して最も厳しい「純潔」の政党として勢力を伸ばしてきた経緯がある。「イスラムの教えを正しく教え広める役割を担う政党」を標榜し、学生や若者を中心に支持層を広げてきた。汚職まみれの既存政治とは一線を画す「希望の星」として、国の将来を担う彼らの期待を集めてきたのである。

イスラムには、汚職の対極にある「清潔」のイメージがある。2000年代前半、「汚職をなくすには、イスラム法に基づく国家を目指すしかない」という気運が高まり、イスラム法適用運動が脚光を浴びた。地方レベルでイスラム法に基づく地方政令が連発され、イスラム政党は支持を伸ばした。その一躍を担っていたのが福祉正義党(あるいはその前身の正義党)であった。同時に、それは「インドネシアがイスラム国家になるのではないか」と欧米諸国が危惧(きぐ)した時期でもあった。04年のバリ島爆弾テロ事件はその最中に起こり、治安当局は、テロ対策の名の下に、イスラム強硬グループの摘発に躍起となった。

あれから約10年、イスラム法適用運動は下火となり、イスラム強硬グループは力を失い、イスラム政党は国民の支持を減らした。イスラム政党の国会議員も汚職に関与し、今や最後の砦(とりで)と見られた福祉正義党の党首が汚職で逮捕された。イスラムの「純潔」イメージはすでに政治の世界で守れず、イスラム政党がインドネシアで政治的に力を持つ可能性はなくなった。

 

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