【インドネシア政経ウォッチ】第143回 フリーポート口利き事件、録音会話の衝撃(2015年12月10日)

スティヤ・ノバント国会議長が石油商リザ・ハリッド氏とともに米系鉱山会社フリーポートの株式を要求したとされる2015 年6月8日の面会は、同席した同社のマルフ・シャムスディン社長によって会話がすべて録音されていた。当初、その一部のみ公開されたが、その後、全会話の内容がリークされた。その内容は、フリーポート関連に留まらない衝撃的なものだった。

たとえば、大統領選挙において、当初、リザ氏は親友のハッタ・ラジャサ前調整相(経済担当)を副大統領候補としてジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領候補と組ませようとしていたが、ジョコウィ氏が所属する闘争民主党のメガワティ党首から拒否されたこと。大統領選挙では、ジョコウィ=カラ、プラボウォ=ハッタの両陣営に多額の資金を提供したこと。新国家警察長官にブディ・グナワン氏を就けることで政界を説得してきたのに、ジョコウィ大統領が拒否し、メガワティ党首がジョコウィ大統領に対して激怒したこと。

これらは、国営石油プルタミナのシンガポールの貿易子会社プルタミナ・エナジー・トレーディング(ペトラル)を牛耳ったリザ氏が、政商として、いかにインドネシア政界で暗躍していたかを物語るものである。

リザ氏が暗躍できるのは、石油貿易にかかる利権を握っていたためである。その一部は、インドネシア政界に広く配分されてきた可能性がある。今回、リザ氏がフリーポート口利き事件に絡んでいるのも、彼が牛耳ったペトラル解散の話と関連づけて見る必要がある。

国会顧問委員会によるノバント議長の喚問は非公開となった。政界は、フリーポート口利き事件を特定個人の問題として、幕引きしたいようである。実際、同議長辞任要求デモも起こっている。そうでなければ、リザ氏の暗躍に見られるような、政界全体における石油利権の話に飛び火するからである。

この事態をほくそ笑んで静観するのは、リザ氏の宿敵である。ペトラルを解散させ、新たな石油利権を手中にしつつある者たちである。

 

(2015年12月8日執筆)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第142回 フリーポート口利き事件は氷山の一角(2015年11月26日)

パプア州にある米系鉱山会社フリーポート社は、世界有数の金鉱や銅鉱を産出する優良企業である。1960年代半ばにスカルノからスハルトへ政権が移行し、経済運営が資本主義へ変化した後の外国投資認可第1号が同社だった。

フリーポート社の契約は2021 年に切れるが、その2年前の19 年までに契約延長か否かが決定される必要があり、ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)政権は現状では延長しない方針である。同社はもちろん契約延長を望んでおり、仮に同社が21年以降国営化されるような事態にでもなれば、インドネシアへの外国投資に甚大な負の影響を与えることになる。

スティヤ・ノバント国会議長による口利き事件には、こうした背景があった。同議長は15年6月8日、フリーポート社の社長らと会い、フリーポート社契約延長へのロビーの見返りに、同社がパプア州パニアイ県に建設するウルムカ水力発電所の49%の株式を同議長に渡すことを求めた。さらに、ルフット調整相(政治・治安)名で、正副大統領に20%の株式を提供することを求めた。

事態を重く見たスディルマン・エネルギー・鉱物資源相は、上記の事実を大統領へ報告し、国会顧問委員会宛にノバント議長を告発した。同議長には、正副大統領への名誉毀損、フリーポート社への詐欺、汚職の嫌疑がある。

ノバント国会議長は、ハチミツ売りから建設、ホテル、繊維などの実業家へのし上がったゴルカル党幹部で、アブリザル・バクリ党首の側近である。これまで1999 年のバンク・バリ事件など様々な汚職疑惑があったが、今日までうまく切り抜けてきている。

なお、ノバント議長は、フリーポート社社長との会合に石油商リザ・ハリッド氏を常に同席させていた。彼こそ、ユドヨノ政権下で国営石油プルタミナのシンガポールの貿易子会社プルタミナ・エナジー・トレーディング(ペトラル)を牛耳った人物で、選挙で副大統領候補だったハッタ・ラジャサ前調整相(経済)と密接な関係がある。どうやら今回の事件は、ノバント議長個人だけに帰せられる問題ではなさそうである。

 

(2015年11月24日執筆)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第137回 警察高官人事の裏で政権内部の争い?(2015年9月10日)

高速鉄道事業をめぐる日本案と中国案の対決は、最終的にジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領が「両案不採用」という結果を出して終わったが、その陰で、汚職疑惑をめぐって政権内部に対立が起こっている様子がうかがえる。

数日前、国家警察ブディ・ワセソ犯罪捜査局長を国家麻薬取締庁長官へ異動する人事が発表された。ブディ・ワセソ氏はかつて、警察と汚職撲滅委員会(KPK)が対立した際、KPKに対して最も厳しく当たった人物で、闘争民主党(PDIP)のメガワティ党首に近いブディ・グナワン警察副長官の側近と見られてきた。

そのブディ・ワセソ氏が直近で捜査に着手した対象が、ジャカルタ北部のタンジュンプリオク港を管轄する国営プラブハン・インドネシア(ぺリンド)2である。ペリンド2はジャカルタ・コンテナターミナル運営を香港系のハチソン社と契約しているが、同社との2015年の契約額が1999年よりも安価であることが疑問視されるほか、中国製クレーンや船舶シミュレーターの購入に関する汚職疑惑が取り沙汰されている。ブディ・ワセソ氏の標的はペリンド2のリノ社長である。

ブディ・ワセソ氏の動きの背後には、マフィア撲滅を図りたいジョコウィ大統領からの特別の指示があるという見方があり、新任のリザル・ラムリ海事担当調整大臣がかき回し役を果たし始めている。こうした動きに対して、猛然と反発したのがリニ国営企業大臣である。そして、ユスフ・カラ副大統領も、警察に対してペリンド2の捜査を行わないよう要請した。ブディ・ワセソ氏の人事異動は、ペリンド2への捜査を止めさせる目的があったとも見られている。

そういえば、高速鉄道の中国案を強力に推したのもリニ国営企業大臣で、不採用になっても、国営企業4社を中国側と組ませる形ですでに採択へ向けて動いている。中国をめぐる利権では、リニ国営企業大臣と闘争民主党が厳しい対立関係にあり、ペリンド2の汚職疑惑などへの追及もまた、表向きの汚職撲滅の掛け声とは裏腹に、政権内部の利権獲得競争の一部にすぎない可能性がある。

 

(2015年9月8日執筆)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第130回 ペトラル解散の裏にある深い闇(2015年5月28日)

インドネシアのジョコ・ウィドド政権は5月13日、石油マフィア撲滅策の一環として、国営石油会社(プルタミナ)の子会社で香港に本社のあるプルタミナ・エネルギー貿易会社(ペトラル)を解散させた。ペトラルはこれまで、シンガポールの子会社を通じて原油・石油製品の輸出入を取り仕切ってきたが、その機能は、プルタミナ本社の内部ユニットである統合サプライチェーン(ISC)が担うことで、マージンコストが大幅に削減できるとみている。

ユドヨノ前政権でもペトラル解散への動きはあったが、実現できなかった。スディルマン・エネルギー鉱物資源相は「大統領府が支持しなかったため」と発言したが、それに対してユドヨノ前大統領が激怒した。ユドヨノ氏はツイッターで、「大統領府にペトラル解散の提案が出されたことはないし、ブディヨノ前副大統領を含む当時の閣僚5人に聞いたがその事実はない」と反論し、名誉毀損(きそん)だと息巻いた。

ユドヨノ時代のペトラルは事実上、シンガポールの「ガソリン・ゴッドファーザー」と呼ばれた貿易商リザル・ハリド氏が牛耳っていた。リザル氏は、ハッタ前調整相(経済)、エネ鉱省幹部、プルタミナ幹部らと近く、ユドヨノ氏周辺との関係さえうわさされた。大統領選挙でハッタ氏が副大統領に立候補した際、対抗馬のジョコ大統領候補を中傷する大量のタブロイド紙が出回ったが、その資金源はリザル氏だったと報じられている。

一方、ジョコ政権下で石油マフィア撲滅を指揮するアリ・スマルノ氏は、闘争民主党のメガワティ党首が大統領だった時代にプルタミナ社長を務めた人物で、リニ国営企業大臣の実兄である。アリ氏は当時、ペトラルを縮小してISCを主導させたが、偽原油輸入疑惑を起こし、ユドヨノ政権下でプルタミナ社長職を更迭された。スディルマン・エネ鉱相は当時アリ氏の部下で、プルタミナのサプライチェーン管理部長だった。

石油マフィア撲滅を名目としたペトラル解散の裏には、深い闇がある。

【インドネシア政経ウォッチ】第121回 汚職撲滅委員会はつぶされるのか(2015年2月27日)

ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領は先週、唯一の国家警察長官候補だったブディ・グナワン警察教育訓練所長の任命を見送り、バドゥロディン国家警察長官代行を長官候補に改めて指名した。同時に、ブディ氏を汚職容疑者に指定した汚職撲滅委員会(KPK)のアブラハム・サマド委員長とバンバン・ウィジョヤント副委員長を更迭し、タウフィックラフマン・ルキ元KPK委員長、インドリアント・セノ・アジ弁護士、ジョハン・ブディKPK元報道官の3人をKPK委員長代行に任命した。はた目には、警察とKPKへのけんか両成敗となった。

KPKがブディ氏を汚職容疑者に指定したのは、同氏の非常識に多い銀行口座残高、親族への不審な送金、偽造身分証明証(KTP)での銀行口座開設の疑いなどによる。KPKはブディ氏が警察教育訓練所長の職権を使い、警察官の内部昇進に絡む賄賂を求めた可能性があるとも見ている。

他方、警察は、重箱の隅をつつくように、KPK正副委員長の過去から犯罪者として立件できそうな事由を見つけ出した。サマド委員長はパスポート不正申請、ウィジャヤント副委員長は裁判での偽証強要、との容疑で逮捕・勾留した。併せて、警察等から出向したKPK捜査員が拳銃等をまだ所持しているとの理由で逮捕に踏み切る可能性を匂わせている。

3人のKPK委員長代行のうち、ルキ氏とセノ氏の任命には批判が噴出している。ルキ氏はKPKが汚職捜査中の企業で重役を務める。セノ氏は以前、汚職容疑者を弁護してKPKと厳しく対決した。両者とも、KPKによるブディ氏の容疑者指定は不適切との南ジャカルタ地裁の判決を支持し、ブディ氏の件をKPKではなく警察へ委ねるべきとしている。

刑法第77条によると、裁判で適切かどうかを判断できるのは逮捕、勾留、捜査中止、控訴中止であり、容疑者指定は含まれない。しかし、南ジャカルタ地裁の判決を受けて、汚職容疑者が続々とKPKによる容疑者指定への異議申し立てを開始した。KPKは外からも中からも圧力を受けており、このままつぶされるのではないかとの懸念が広まり始めた。

【インドネシア政経ウォッチ】第120回 ブディ氏はなぜ大統領に対し強気だったか(2015年2月20日)

汚職撲滅委員会(KPK)が、唯一の次期国家警察長官候補であるブディ・グナワン警察教育訓練所長を汚職容疑者に認定したのは適切だったのか。ブディ氏側の不服申し立てを受けた予備裁判が南ジャカルタ地裁で行われ、2月16日、容疑者認定は不適切との判決が下された。法的にブディ氏の国家警察長官任命への障害はなくなったかにみえた。

しかし、ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領は18日、ブディ氏を任命せず、バドゥロディン長官代行を長官候補に指名した。同時に、サマド長官らKPK幹部を更迭し、代行3人を指名した。ジョコウィ大統領は、所属する闘争民主党(PDIP)を敵に回す覚悟で決断したのである。

なぜ、ブディ氏は大統領に対して強気だったのか。彼は「ジョコウィ氏の大統領選挙不正の証拠を出せる」と脅しとも取れる発言さえしている。実は 、ブディ氏はPDIPのメガワティ党首が副大統領(1999~2001年)・大統領(2001~2004年)だったときの護衛官だったのである。メガワティ党首の信頼が厚いブディ氏からは、一般党員にすぎないジョコウィ大統領を見下す様子さえうかがえる。

過去に次のような事件があった。 1999年総選挙で第一党となったPDIPのメガワティ党首は、国民協議会による大統領選出で民族覚醒党(PKB)のアブドゥラフマン・ワヒド(グス・ドゥル)党首に敗れ、副大統領に甘んじた。グス・ドゥル大統領は、東ジャワ州での紛争対応に問題があったとして、当時のビマントロ国家警察長官を解任したが、ビマントロ氏はそれを拒否し、警察が内部分裂した。その後、警察、軍、国会に背を向けられたグス・ドゥル大統領が解任され、メガワティ副大統領が念願の大統領に就任、ビマントロ氏は国家警察長官の任を継続した。

ブディ氏は当時、メガワティ大統領の護衛官としてその動きの中にいた。ちなみに、ユドヨノ前大統領が任命し、ジョコウィ大統領が任期途中で更迭したスタルマン前国家警察長官は当時、グス・ドゥル大統領の護衛官だった。メガワティ歴史劇場はまだ進行中なのである。

【インドネシア政経ウォッチ】第116回 国家警察長官の任命をめぐる確執(2015年1月22日)

国家警察長官の任命をめぐって、ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領が大きく揺さぶられている。

国家警察委員会の推薦を受けて、ジョコウィ大統領は1月9日、唯一の国家警察長官候補としてブディ・グナワン警察教育訓練所長を国会へ提示した。

ところが1月13日、汚職撲滅委員会(KPK)はブディ氏を不正資金の流れの証拠が複数あるとして汚職容疑者に断定した。にもかかわらず、国会は15日、民主党会派を除く全会派が同氏の国家警察長官就任に賛成した。結局、ジョコウィ大統領はブディ氏の任命を凍結し、バドゥロディン副長官を長官代行とした。これについては、前職の解任・新職の任命凍結のなかで代行とした手続論にさっそく批判が出ている。ともかく、汚職容疑者が警察トップになるという事態はいったん避けられた。

KPKはなぜこの時期にブディ氏を容疑者にしたのか。一部のメディアは、KPKのサマド委員長の政治的復讐のためと見る。サマド氏は先の大統領選挙の際、ジョコウィ候補と組む副大統領候補としてユスフ・カラ氏と競ったが、最後はカラ氏が副大統領候補になった。その際、サマド氏を外すよう強く進言したのが、闘争民主党(PDIP)のメガワティ党首が大統領だったときの副官のブディ氏だった。今回、サマド氏はその復讐を企てたというのである。

実は、まだ10月まで任期の残るスタルマン国家警察長官を解任する理由が明確でない。ユドヨノ前大統領が任命したスタルマン氏は、特に際立った問題を引き起こしていない。もっとも、スタルマン氏は前任が対立したKPKとの関係を改善し、汚職撲滅に協力する姿勢を見せていた。

ジョコウィ大統領を攻撃する絶好の機会にもかかわらず、国会反主流派までもがブディ氏の国家警察長官就任に賛成したのも不思議である。しかし、「誰が国会を汚職疑惑から守ってくれるのか」と考えれば、その疑問も解ける。

国政運営の観点から、汚職撲滅のトーンを事実上抑えざるを得なくなったジョコウィ大統領の苦悩が見て取れる。

【インドネシア政経ウォッチ】第92回 元憲法裁長官に無期懲役判決(2014年7月10日)

ジャカルタ汚職裁判所は6月30日、地方首長選挙結果の最終判断に絡んで収賄を繰り返してきた元憲法裁判所長官のアキル・モフタル被告に対して、無期懲役の判決を下した。合わせて、100億ルピア(約8,700万円)の罰金を科し、国民としての権利である選挙権・被選挙権を剥奪した。

この判決はもちろん、これまでの汚職裁判での最高刑である。スハルト政権崩壊後の改革(レフォルマシ)の時代のなかで、司法改革の目玉となったのが違憲審査を行う憲法裁判所の新設であり、汚職撲滅委員会とともに国民から高い信頼を受けてきた機関であった。しかし、今回のこの汚職事件により、憲法裁判所への国民の信頼は地に落ちた。アキル被告への無期懲役の判決は、その信頼失墜の責任も負わされたものであった。

地方首長選挙の開票結果に不服がある場合、憲法裁判所に対して不服申立がなされ、憲法裁判所が審査したうえで判断を下す。そこでは、憲法裁判所の判断をチェックする機関はなく、憲法裁判所の判断がそのまま最終結果となる。アキル被告はこれを悪用し、申立者からの収賄を繰り返したのである。

今回の裁判でアキル被告が収賄を行ったと証明されたのは、バンテン州レバック県知事選挙、中カリマンタン州グヌンマス県知事選挙、東南スラウェシ州ブトン県知事選挙、東ジャワ州知事選挙、パプア州の4県知事選挙・1市長選挙など、合計14の地方首長選挙であり、収賄総額は572億8,000万ルピアと50万米ドル(計約5億5,000万円)に達する。

アキル被告は控訴する意向を示した。憲法裁判所は自浄努力を進め、国民の信頼回復に努めているが、本当にアキル被告一人の特殊ケースとして片付けられるのだろうか。

7月9日に大統領選挙の投票が行われた。僅差と言われた一騎打ちの今回、負けたとされた陣営が開票結果への不服申立を憲法裁判所へ持ち込む。その際に、果たして憲法裁判所は公正に判断できるのか。そこで再び贈収賄が行われない保証はどこにもない。

【インドネシア政経ウォッチ】第76回 刑法・刑事訴訟法改正案をめぐって(2014年2月27日)

国会で審議されている刑法・刑事訴訟法改正案をめぐって、汚職撲滅委員会(KPK)が法案の撤回・審議の延期を強く求める書状をユドヨノ大統領宛に送付した。KPKによれば、同案がKPKの権限や活動を著しく制限する内容になっているためである。

同案によると、KPKには取り調べのための拘置期間延長の権限がなくなる。裁判官はKPKによる逮捕を取り消すことができる。容疑者の拘留期間が今よりも短縮される。証拠差し押さえに裁判官の許可が必要となる。盗聴にも裁判官の許可が必要であり、 場合によっては許可が取り消される。無罪判決の場合には最高裁へ控訴できない。最高裁判決は下級裁よりも重刑であってはならない。以上のような内容がKPKから問題視されている。

これまでKPKは、KPK法(法律2002年第30号)および汚職犯罪撲滅法(法律01年第20号)に基づき、大統領直轄の強力な権限を行使して、汚職摘発に努めてきた。汚職捜査での盗聴も認められ、汚職裁判では生々しい録音記録が証拠として提示されることも頻繁にあった。

KPKの懸念の背景には、裁判所への不信感がある。憲法裁判所をめぐる汚職事件では、地方首長選挙結果で不服申立があった場合、主に勝者側の言い分を通すためにアキル前憲法裁長官から贈賄が強要され、同長官はその一部である1,610億ルピア(約14億円)をマネーロンダリングしていた。政治家や官僚と裁判官との癒着も相次いで報じられており、政治家や官僚が裁判官へさまざまな圧力をかけ、汚職捜査を妨害する可能性がある。

こうしたKPKの懸念に対して、アミル法務・人権相は、刑法・刑事訴訟法は基本的な一般法であり、KPK法や汚職犯罪撲滅法を縛るものではないので、従来通り、KPKは裁判所の許可なく盗聴活動などができるとしている。

現在の刑法・刑事訴訟法は、いまだにオランダ植民地時代のものを適用しており、時代に則した新しいものへ変える必要性が以前から指摘されてきた。もっとも、国会会期終了の9月までに、この審議が終わるかどうかは微妙である。

【インドネシア政経ウォッチ】第60回 ついにバンテン「帝国」へメス(2013年10月24日)

10月2日にアキル憲法裁長官が逮捕された汚職事件で、バンテン州レバック県知事選挙結果への異議申立に絡み、新たな贈賄疑惑が発覚した。贈賄したのは同州のアトゥット州知事の実弟ワワンで、事件発覚前にアキル、アトゥットとシンガポールで密談したとの証言が飛び出し、アトゥットを頂点とするバンテン「帝国」の縁故主義と癒着にもメスが入り始めた。

バンテン州の政治は、アトゥットの父親である故ハサン・ソヒブが仕切ってきた。彼は、伝統的武術(プンチャック・シラット)に秀でた特殊能力を持つ者から成る「ジャワラ」という暴力集団のトップに長年君臨し、イスラム教の高僧(キアイ)とともに、ゴルカル党の伸長に貢献してきた。そして、娘のアトゥットを2001年に州副知事、06年に州知事に当選させるとともに、親族を重要な政治ポストに配置させた。

現在、南タンゲラン市長がアトゥットの実弟ワワンの妻であり、別の実弟がセラン県副知事、義弟がセラン市長、息子が州選出地方代議会(DPD)議員、その妻がセラン市議会副議長、義母がパンデグラン県副知事、といった具合である。アトゥット一族に反旗を翻すのは困難な状態だった。

アトゥットの父・故ハサンはもともと実業家でもあり、1960年代からさまざまな政府プロジェクトを受注して富を蓄え、州商工会議所会頭も務め、州内の有力者だった。その影響は今も続き、州内の主な公共事業はアトゥット一族によって担われる傾向がある。

インドネシア汚職ウォッチ(ICW)によると、2011~13年に、アトゥットの親族企業10社と親族の関係会社24社が州内の175事業(総額1兆1,480億ルピア=約100億円)を担当したとされる。これらをめぐる汚職疑惑にもメスが入る可能性が出てきた。

バンテン州に限らず、地方首長を頂点とした「帝国」支配は全国各地に見られる。今回の件については、2014年総選挙をにらんだゴルカル党つぶしという面も否定できないが、「帝国」を脱した新たな政治への一歩となるかどうかが注目される。

 

http://news.nna.jp/cgi-bin/asia/asia_kijidsp.cgi?id=20131024idr020A

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【インドネシア政経ウォッチ】第58回 憲法裁判所長官逮捕の衝撃(2013年10月10日)

10月2日、反汚職委員会(KPK)がアキル・モフタル憲法裁判所長官を贈収賄の現行犯で逮捕し、現場で28万4,040シンガポールドル(約2,210万円)および2万2,000米ドル(約210万円)の現金を押収するという事件が起きた。

憲法裁判所は、スハルト政権崩壊後、独立・中立の立場から違憲審査を行う機関として新設され、その判断は最終決定となる。憲法裁はKPKと並んで、民主化への国民の期待を一身に集めてきただけに、今回の事件が社会に与えた衝撃は極めて大きい。

憲法裁は、地方首長選挙の結果をめぐる不服申立に対して、それを認めるか否かの最終判断を下す役割も持つ。今回は、現職が再選された中カリマンタン州グヌンマス県知事選挙で別候補が不服申立を行い、現職側がそれを認めないよう、アキル長官に働きかけたという話である。捜査の過程で、バンテン州レバック県知事選挙に関しても同様の贈収賄疑惑が明らかになり、バンテン州知事の関与が取り沙汰されている。

実は、アキル長官をめぐっては、不問に付されたとはいえ、長官になる以前、憲法裁の裁判官のときから、同様の贈収賄疑惑が複数起こっていた。彼はまた、地方首長選挙結果の最終判断だけでなく、多くの地方政府分立の是非の判断にも関わった。『コンパス』紙は、「アキル長官への贈賄相場は1件およそ30億ルピア(約2,530万円)」と報じた。

アキル長官は西カリマンタン州出身のゴルカル党所属の政治家であり、今回の贈収賄を仲介した同党のハイルン・ニサ国会議員と同僚だった。それにしても、なぜ政治家が憲法裁のトップに就くのか。それを問題視する意見は根強いが、今にしてみると、実は内部の汚職を表面化させないためという理由がそもそもあったのではないかと思えてくる。憲法裁には、1回限りの判決が最終判断であることを悪用し、内部で汚職が促される構造があったと考えられる。

今回の事件を通じて、既存の多くの地方首長や分立した地方政府の正統性自体が大きく揺らぐ可能性が出てきた。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第28回 民主党は「ユドヨノの党」で終わるのか(2013年 2月 28日)

ハンバラン総合運動公園事業をめぐる汚職疑惑は、アンディ・マラランゲン青年スポーツ大臣辞任後の第2幕に入った。2月22日、ユドヨノ大統領を支える与党民主党のアナス・ウルバニングラム党首が汚職容疑者に断定され、翌23日に党首を辞任した。同事業を落札した企業から謝礼を受け取った収賄容疑だが、汚職で禁固5年のナザルディン元民主党会計役による証言などで、アナスの関与は以前から取り沙汰されていた。

おそらく、ユドヨノ大統領も民主党もアナスが容疑者になることを事前に知っていたに違いない。2月3日発表の最新の世論調査で民主党の支持率は8.3%に落ち込み、ゴルカル党(21.3%)や闘争民主党(18.2%)に大きく水を開けられた。2014年の総選挙を控え、何としてでも、党勢回復を図らなければならない。とりわけ、党の汚職イメージの払拭が必須である。しかし汚職疑惑に対するアナスの潔白を証明するのは難しい。党内から公然とアナスの党首職辞任を求める声が高まる。そこで、党創立者でもあるユドヨノ大統領は自身が最高会議議長として前面に出ることを決断。息子のイバスも国会議員を辞めて党書記長職に専念させ、ユドヨノ色で民主党の立て直しを図ることとした。

ユドヨノはこうしてアナスを「切る」準備を整えた。そのうえで、ユドヨノ自身がアナスに「汚職撲滅委員会との法的問題へ集中するように」と指示し、柔らかに辞任を促した。自分が復活するまでの緊急措置と信じていたアナスは、党首辞任演説で「これは最初のページに過ぎない。次々にページをめくっていく」と反抗を示唆した。

次の民主党を担う逸材として期待され、有望な大統領候補と目されたアナスは脱落し、民主党はユドヨノの陣頭指揮に委ねられた。それは、民主党が設立後10年を経ても「ユドヨノの党」を超えられなかったことを意味する。政党組織として成熟できず、汚職イメージの剥がれない民主党は、2014年のユドヨノ引退とともに終わるのだろうか。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第25回 「純潔」を守れなかったイスラム政党(2013年 2月 7日)

1月31日、福祉正義党(PKS)のルトゥフィ・ハサン・イサック党首が汚職撲滅委員会(KPK)に逮捕された。牛肉輸入枠の設定に関連して、国会議員である同党首が便宜を図り、特定業者が有利になるよう具申した見返りに金銭を受け取ろうとした収賄の疑いである。KPKは、輸入業者のインドグナ・ウタマ社の重役2名が同党首に近いアフマド・ファタナ氏に現金10億ルピア(約950万円)を手渡したことを突き止め、これがルトゥフィ党首へわたると見て収賄罪を適用したのである。

福祉正義党といえば、政党カラーは白で、汚職に対して最も厳しい「純潔」の政党として勢力を伸ばしてきた経緯がある。「イスラムの教えを正しく教え広める役割を担う政党」を標榜し、学生や若者を中心に支持層を広げてきた。汚職まみれの既存政治とは一線を画す「希望の星」として、国の将来を担う彼らの期待を集めてきたのである。

イスラムには、汚職の対極にある「清潔」のイメージがある。2000年代前半、「汚職をなくすには、イスラム法に基づく国家を目指すしかない」という気運が高まり、イスラム法適用運動が脚光を浴びた。地方レベルでイスラム法に基づく地方政令が連発され、イスラム政党は支持を伸ばした。その一躍を担っていたのが福祉正義党(あるいはその前身の正義党)であった。同時に、それは「インドネシアがイスラム国家になるのではないか」と欧米諸国が危惧(きぐ)した時期でもあった。04年のバリ島爆弾テロ事件はその最中に起こり、治安当局は、テロ対策の名の下に、イスラム強硬グループの摘発に躍起となった。

あれから約10年、イスラム法適用運動は下火となり、イスラム強硬グループは力を失い、イスラム政党は国民の支持を減らした。イスラム政党の国会議員も汚職に関与し、今や最後の砦(とりで)と見られた福祉正義党の党首が汚職で逮捕された。イスラムの「純潔」イメージはすでに政治の世界で守れず、イスラム政党がインドネシアで政治的に力を持つ可能性はなくなった。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第18回 汚職疑惑で現職閣僚が初辞任(2012年 12月 13日)

汚職が激しいといわれるインドネシアで、ついに現職閣僚が汚職事件の容疑者にされ、辞任する事態となった。今月7日、アンディ・マラランゲン国務相(青年スポーツ担当)の辞任記者会見は、インドネシア人の多くに驚きをもって受け取られた。

青年スポーツ省管轄のハンバラン総合スポーツ施設事業で汚職疑惑が持ち上がり、当初からアンディ国務相の関与をうかがわせる情報が流れていた。汚職撲滅委員会(KPK)は彼を容疑者に断定し、国外逃亡を防ぐために出国禁止措置を採った。インドネシアの歴史上、閣僚が現職のまま汚職容疑者になったのも、汚職疑惑が原因で辞任するのも今回が初めてのことである。

政治家の汚職疑惑はもはや日常茶飯事といってもよいが、これまで辞任する者はいなかった。辞任すれば、汚職疑惑を認めたと見なされるからであろう。疑惑を無視し、じっと耐え、騒ぎが収まるころ、何事もなかったように地方首長選挙に立候補する。そういう者が少なくない。「何かあれば腹切り(辞任)する日本の政治家を見習え」という批判をよく聞いたものだ。アンディ氏は日本の政治家を見習ったかもしれないが、自分の身の潔白は強く主張した。

アンディ氏は南スラウェシが本拠のブギス族出身である。ブギス族は白黒はっきり、直球勝負という性格で知られる。今回の彼の辞任を「潔い」と前向きに評する者もいる。彼の汚職容疑を断定したアブラハム・サマッドKPK長官も、ブギス族出身の人権活動家である。両者はおそらく、若いころは同志のような関係だったに違いない。ただ、かつてのアンディ氏の「同志」でもある私の友人のひとりは、政治家になったアンディ氏が、若い頃と比べてすっかり変わってしまったことを嘆いていた。

アンディ氏は民主党幹部でもあり、大統領候補のひとりでもあったが、今回の件でその芽はなくなった。1998年のスハルト政権崩壊後、新しいインドネシアを作る意欲に燃えていたころの彼を知る身としては、寂しさを感じる残念な辞任劇であった。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第12回 汚職捜査官の殺人容疑(2012年 10月 18日)

今月5日、警察官5人が反汚職委員会(KPK)の事務所へ押しかけ、立ち入り調査を求めた。警察の運転シミュレーターに関する汚職疑惑を捜査する警察出身のノベル・バスウェダン捜査官に対し、ブンクル州警が殺人容疑をかけているためである。

ブンクル州警によると、8年前の2004年に同州で警察官を務めていたノベルは、ツバメの巣を盗んだ疑いで男性6人を取り調べた際に自白を強要した。取り調べに行き過ぎがあったとの理由で、他の警察官5人とともに倫理規定違反で7日間の拘禁などの処罰を受けた。

処分はこれで終了したはずだったが、今月1日になって海岸での現場検証の際に、容疑者の1人がノベルに銃で撃たれて死亡したという話が出てきた。犠牲者の遺族が弁護士を通じて証言したのを受け、ブンクル州警は殺人容疑でノベルの令状を出し、取り調べを開始したのである。

新たな証言は、警察の運転シミュレーターの汚職疑惑の捜査が進む時期に飛び出した。国家警察は「ブンクル州警の話で汚職疑惑とは関係ない」と説明するが、偶然にしてはタイミングが良すぎる。これまでにも暴動などが起こると、警察は凶器や証拠品をわざわざテレビで放映し、犯人を示唆するようなコメントを出すことがよくあった。その手際があまりにも良すぎて、逆に警察のシナリオが丸見えになるのではないかと思ったものだ。

警官がKPKの事務所に押しかけた直後の週末は、全国各地で「KPKを守れ」「大統領は沈黙なのか」などのプラカードを掲げた市民デモが発生し、「警察がKPKの汚職捜査を妨害しようとしている」と非難の声が上がった。

ユドヨノ大統領はこれを受けて8日、KPKを擁護する演説を実施し、ノベルへの取り調べ時期とやり方は不適当と指摘した。ただ同氏に対する殺人容疑が晴れたわけではなく、ブンクル州警による取り調べは続行される。汚職捜査をめぐるKPKと警察との駆け引きはまだ続きそうである。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第8回 出張旅費の不正支出問題(2012年 9月 20日)

インドネシア語の日刊紙『コンパス』で先週、公務員の出張旅費がやり玉に挙がっていた。2013年度予算案では、国家歳出総額1,658兆ルピア(約14兆円)に対して出張旅費が21兆ルピアだった。額と歳出比率自体は、日本と比べても法外に高いわけではないが、5年前の9兆1,000億ルピアから12年には18兆ルピアへと倍増。来年はさらに3兆ルピアが上乗せされたため、国民も黙っていないようだ。

出張旅費では不正支出のほうが大きな問題となる。会計検査院の報告によると、11年の不正支出の比率は約4割に上り、その額は8,600万人を対象とする庶民向けの社会保険(Jamkesmas)の支出額である7兆3,000億ルピアを上回る。筆者自身もかつて地方政府でカラ出張が恒常化していたのを目撃したことがある。セミナーなどで主催者から旅費が出ているにもかかわらず、職場にも出張旅費を請求して二重取りしているケースも見かけた。

しかし数年前から、汚職撲滅委員会(KPK)が贈収賄疑惑を連日追いかけ、会計検査院も全国の省庁・地方政府の予算に至るまで監視を強めている。そのせいか出張旅費の取り扱いが厳しくなり、会計検査で不正支出とみなされるのを警戒する姿勢が強まった。コンパスによると、スラバヤ市は「これまで各自が行っていた航空券の手配などを総務局で一括する」と市長が発表した。少しずつだが、使途の透明性が確保される兆しがある。

スハルト政権の崩壊後、中央政府も地方政府も自前予算で海外や他の地方を視察し、学習したり情報を得たりする活動が増えた。その結果、画一的でない、新しいアイディアや方法論が政策のなかで試されるようになったのは喜ばしい。しかし、出張に家族を同伴させ、用務より買い物に精を出す傾向はまだ見受けられる。出張者に詳細な出張報告・会計支出報告を義務化し、一般公開でもしないと国民の批判は収まらないだろう。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第5回 汚職について考える(2012年 8月 30日)

インドネシアで汚職報道のない日はない。実際に何人もの政治家や政府高官が実名かつ現職のまま逮捕されており、汚職のイメージを払拭(ふっしょく)するのは容易ではない。

スハルト政権が倒れ、民主化の時代になってからの方がひどくなったような印象だ。地方分権化により全土に拡散してしまったという見解も一般的である。汚職を根絶できない現体制を抜本的に変えるとの期待から、イスラム法適用運動が一時的に支持を集めたが、結局、清廉さを売り物にしたイスラム政党も汚職に染まり、急速に色あせていった。

スハルト時代も汚職は大問題だった。コミッションと称して「袖の下」を要求するスハルト大統領のティン夫人は「マダム10パーセント」と呼ばれ、スハルトの親族はビジネスを拡大させた。国民は「大統領がするなら」と汚職を正当化し、一緒に行ったため、それを暴くことは事実上困難だった。

スハルト後の民主化時代になると、政治勢力が多極化した。大統領公選や地方首長公選が実施されると、競争相手を追い落とすため、汚職などのあら探しが始まった。報道や表現の自由も保証されたことから、メディアは汚職関連記事を連日のように掲載する。記事を書かれた政治家は、別の政治家の収賄疑惑を血眼になって探すなど政争に明け暮れ、汚職をなくそうという機運が高まらない。

大統領直属の汚職撲滅委員会は容疑者への盗聴も許され、訴追された容疑者は汚職裁判所で裁判を受ける。裁判では盗聴された携帯電話の通話録音も証拠となり、有罪となれば執行猶予の付かない実刑判決を受ける。

政府の役人と話をすると、援助機関が実施する研修やセミナーへの交通費や宿泊費さえ、「援助機関側から支出してもらいたくない」と言われる。汚職嫌疑をかけられる恐れがあるからだ。汚職をする時代から汚職を怖がる時代へと変化の兆しはある。でも皆が続けていることに変わりはない。

 

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憲法裁判所長官の汚職と逮捕

この1週間、体調がすぐれず、発熱、悪寒、下痢と戦っていた。そのため、恥ずかしながら、ブログの更新を怠ってしまった。

8〜9日にジャカルタへ出張し、ワークショップなどをこなしたが、急遽、10日にジャカルタで用事が入ってしまった。9日のスラバヤへの帰り便(LCCなのでキャンセルが利かず)をどぶに捨て、10日の便を取り直したが、連休前しかも直前ということもあって軒並み満席、値段も通常のLCCの3倍だった。

何とかスラバヤに戻ったものの、体調がいまいちで、昨晩、日本料理屋KAYUの鍋焼きうどんを食べ、ゆっくり寝たことで、ようやく復活、さあブログ、となったわけである。

先週から今週にかけて、インドネシアのメディアは、憲法裁判所のアキル・モフタル長官が汚職で現行犯逮捕されたニュースであふれている。10月2日、情報をキャッチして張り込んでいた汚職撲滅委員会(KPK)捜査官が現場に踏み込み、アキル長官らを逮捕、贈収賄用の現金(28万4040シンガポールドル及び2万2000米ドル)をその場で押収した。

今回の事件は、中カリマンタン州グヌンマス県知事選挙をめぐるものである。すなわち、同選挙で現職が再選を果たしたが、敗れた候補側が選挙に不正があったと主張し、憲法裁判所に選挙結果に関する異議申立を行った。当選した現職側は、憲法裁判所がこの異議申立を受け入れないようにと願い、アキル長官へ贈賄を行い、長官側もそれを収賄しようとしていた、というものであった。

憲法裁判所は通常、法律等の違憲審査を行うが、それ以外に、異議申立のあった選挙結果についての判断を下したり、地方政府分立の是非に関わる判断を行ったりもする。裁判は1回のみで、憲法裁判所の判断が最終決定になる。インドネシアでは、汚職撲滅委員会(KPK)と並んで、民主化を担う信頼できる機関と見なされてきた。

しかし、よく考えてみると、それは幻想に過ぎなかったことが後付けで分かる。第1に、裁判が1回のみで最終判断ということは、第三者によるモニタリングの利かない機関ということである。審議内容はオープンにされているとはいえ、チェックアンドバランスが制度的に弱かったといわざるを得ない。第2に、政治家出身者が裁判官や長官にさえなる構造である。アキル自身もゴルカル党所属国会議員で、しかも、現役のままだったというから驚く。本当に政治から独立した判断がなされていたのだろうか。

アキルには、これまでも汚職の噂が何度かあったが、それは今回と同様、地方首長選挙結果への異議申立をめぐる案件だった。今回も、中カリマンタン州グヌンマス県知事選挙以外に、バンテン州レバック県知事選挙絡みでも贈収賄があったとしてKPKが捜査中である。過去にも、アキルが裁判官の時に、北スマトラ州シマルングン県知事選挙などで同様の疑惑が出たが、当時は証拠不十分で不問に付された。

また、アキルは、地方政府分立の是非についても多数案件に関与してきた。アキルの判断で分立が正当化された地方政府も少なくないようである。

贈収賄によって生まれた地方首長や分立地方政府はいったいどれぐらいあるのだろうか。今さら、「我々がそうでした」とは言えないだろうが、 KPKの監視は地方へも広がっており、戦々恐々としている者たちはかなりいるのではないか。また、今後、過去のそういった話が蒸し返されて、混乱する可能性もあり得る。彼らの正統性の危機が内在する。

コンパス紙によると、アキルに依頼する場合の相場がすでに存在し、その額は1件当たり30億ルピアだったとのことである。今回の現行犯逮捕の際に押収された金額もそれに相応する。また、アキルには他人名義の隠し口座に1000億ルピアあることが明らかになった。KPKは、マネーロンダリングの可能性もあるとして追及している。

さらには、アキルの執務室から麻薬や覚醒剤が見つかり、そのなかには市中に出回っていない物も含まれていたということである。

果たして、これらは、アキルを糾弾し、憲法裁判所の評判を貶めるためのヤラセなのだろうか。インドネシアで国民が最も信頼するKPKによる捜査であることからして、世論はその見方に否定的である。

アキルは貧困家庭の出身で、子供時代は貧しい生活のなかにあった。ゴルカル党に入るのは1998年、スハルト政権崩壊後であった。国会議員としては主に地方政府分立などに尽力したといわれる。憲法裁判所裁判官は国会承認が必要で、後付けでしかないが、アキルのような人物を憲法裁判所へ送るということ自体、明らかに、政党が憲法裁判所を利用するという意図がそもそもあったとしか考えられない。

日本の大手メディアではあまり報道されていないが、今回の事件はインドネシアの汚職事件の中でも最も影響の大きい事件だったといっても過言ではない。憲法裁判所以外にも、最高裁判所裁判官の選出をめぐる国会議員と最高裁との贈収賄の疑惑も浮上している。

ここで本格的に司法関連の汚職へメスが入るのか、そして、2014年総選挙を間近に控えて、本当に信頼できる汚職フリーの議員をどのように国民が選ぶのか、国会議員を監視する何らかの仕組みができるのか。誰が当選するかよりももっと重要なシステムの話がクローズアップされてくることを願っている。

カネ次第の文化は教育の現場から

1998年5月のスハルト政権崩壊以後、15年が経ち、インドネシアの民主化も地に足がついたかのように見える。かつて、言論や表現の自由が制限されていた時代からすると、雲泥の差がある。おそらく、今のインドネシアはアジアでも有数の民主主義を謳歌している国家であろう。

インドネシアの民主化は、憲法によれば、政党中心の政治をもとにする民主化である。議員の選出も、大統領や地方首長の選出も、すべて政党が基本になる。すなわち、政党から選ばれた者が国民の審判を経て議員になり、大統領になり、地方首長になる。

しかし、これら政治家への国民の不満は極めて高い。3月25日付KOMPAS紙が報じた同紙の世論調査によると、回答者の65.8%は政治家が私利私欲または政党の利益のために活動していると認識している。とりわけ、来年2014年総選挙へ向けた各政党の立候補選抜に対して、87.2%の回答者が「カネ次第」と見ている。立候補するためには、その母体となる政党にかなりの金額のカネを払わなければならない、という認識である。

多くの回答者は、政党は知っているが、候補者までは知らないと答えている。総選挙は比例代表制で、政党に投票するものの、各候補者のプロフィールをもっと知りたいという希望も少なくないようである。

候補者になるのもカネ次第、という構図は、実は政治だけに限る話ではない。学校に入学するのも、進級するのもカネがモノをいっている現状がある。警察官になるのも、公務員になるにも、まずはカネが要求される。すなわち、人物の能力や成績、やる気などが評価されるのではなく、まずはカネ、なのである。そしてそれが、学校という教育の現場で再生産され、それに慣れた子供たちが社会へと巣立っていく。

インドネシアの汚職は文化だという人がいるが、私は、こうした構造的なカネ至上主義の再生産構造をどこかでひっくり返さない限り、人物の能力や成績、やる気などで評価される仕組みは、表面上の格好は作れても(表面を取り繕うのはインドネシア人の特技の一つではある)、本当には作れないと考える。

とくに、教育の現場で、たとえ成績が良くても、カネやコネがないと進級・進学できないとするならば、そこで、子供たちはどのように世の中を渡っていくかをシニカルに学ぶことになる。そして、そこにこそ、世の中に対する不平・不満、宗教に頼って世の中を変えてやる、といった意識が生まれる温床があると思うのである。

参考までに、昔、翻訳+解説した拙稿を挙げておく。

幼稚園入園狂騒曲(ニ・ニョマン・アンナ・マルタンティ)