「父」と日本旅行中(1)

4月16〜23日は、ジャカルタの「父」ハリリ・ハディ氏とその奥様と一緒に日本に来ている。

「父」にはすでに30年近くお世話になっている。インドネシアには何人かの「父」や「母」がいるが、そのなかでも最も長くお付き合いしている方である。

初めて「父」が来日したのは1959年、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校で学んだ帰りに3ヵ月間立ち寄ったときである。当時、一橋大学の板垣與一先生(故人)にお世話になったそうである。

その後、1969年に、できたばかりのアジア経済研究所(アジ研)のインドネシアからの初代客員研究員として滞在、1991〜1992年には2回めの客員研究員でアジ研に籍をおいた。当時、筆者は、アジ研の海外派遣員としてジャカルタにおり、インドネシア大学大学院で学んでいた。「父」に保証人をお願いしていたので、滞在ビザ延長のための保証人レターを書いてもらうのに、ちょっと苦労したことを覚えている。

「父」はインドネシア大学の先生だったが、後にインドネシア国家開発企画庁(バペナス)に移り、最後は、バペナスの地域開発担当次官で定年退職となった。

今回の「父」の訪問はそのとき以来、20数年ぶりである。「父」はすでに84歳、毎年、メッカへウムロー(巡礼期間以外にメッカを訪れること)で行っているが、今回はどうしても日本へ行きたくなり、私がフルアテンドで付き添うことになったのである。

私には、「父」にフルアテンドをしなければならないと思う理由がいろいろある。私にとっての恩人なのである。

16日に到着し、17日は、サクラをみるために、東北新幹線で筆者の故郷・福島へお連れした。花見山は全山満開で、福島の春の美しさを堪能できた。

花見山の後は、信夫山の第1展望台にのぼって、福島旧市街を展望した。福島の空は、ちょっと白く曇っていた。

「父」をお連れしながら、福島のことを思っていた。福島へいろいろな人が訪れるということが、今後の福島にとってどんなプラス・マイナスの意味を持っているのか、と。でも、富士・箱根や鎌倉へ行きたいと当初言っていた「父」が、「お前の田舎を見てみたいから、福島へ行きたい」と言ってくれたのは、正直いって嬉しかった。

「父」には筆者の実家にも寄ってもらい、母にも会ってもらった。あまり人と会うこともない母が一生懸命付き合ってくれた。わずか30分の帰省だったのが残念だったが、福島は日帰りで、筆者も東京で夜、予定が入っていたのでやむを得なかった。

福島の春の花々の美しさとともに、実家に寄ったのが、まるで夢だったかのような気分になった。

18日は、筆者の昔の職場であり、「父」が客員研究員として籍をおいたアジア経済研究所を訪問した。筆者自身ももうだいぶ訪問していなかったが、会う方会う方、皆、昔の仲間で、本当に懐かしかった。

仲間たちに心のこもった接待を受け、「父」はとても満足そう。途上国研究としては世界最大級の蔵書数を誇るアジ研図書館では、かつて、「父」が最初に客員研究員だったときの客員研究員レポートがみつかり、大喜びだった。

日曜からは、大阪、京都へ「父」をお連れする。

発信力を強化せよ

5月8日の第1回日本インドネシア経営者会議」で、インドネシア経営者協会(APINDO)のソフィヤン・ワナンディ会長が、「日本企業よ、発進力を強化せよ」と何度も力強く強調していたのが印象的だった。

ソフィヤン会長は、これまで長年にわたり、日本企業のよきパートナーであり、理解者である。彼は日本企業がこれまでのインドネシアの経済発展に多大な貢献をしてきたことを深く理解している。それをもっと、インドネシア社会にアピールすべきではないか、と呼びかけたのである。

何度かお会いし、お話をしたこともあるソフィヤン会長の気持ちは、察するにあまりある。日本に擦り寄るのではなく、かといって日本を利用して自分が、というのでもなく、パートナーとして、互いに確かな信頼を持って、ウィン・ウィンの関係を築きたい、というメッセージと受けとめた。

インドネシアの市場には、二輪車や自動車をはじめ、様々な日本製品があふれている。インドネシアの人々は意外に品質にこだわる。安ければいい、というマーケットでは必ずしもない。しかし、同じ価格帯のモノであれば、品質のよいほうを選び、同じ品質のモノであれば、価格の安いほうを選ぶのは、当たり前のことであろう。

そうやって、たまたま選ばれたのが日本製品だった、ということではないか。日本が好きだから、日本製品を信じているから、インドネシアの人々が日本製品を選んでいるのでは必ずしもないと考える。

しかし、日本製ならば必ず売れる、みんな日本が好きだから、と思い込んでいる向きは決して少なくない。日本を前面に出しているから売れるとは限らない。基本は、いいものを安く、というシンプルな原則である。

実際、日用品や家庭用品でかなりの市場シェアを持っている日本製品について、現場で話を聞くと、人々は必ずしも日本製とは意識していない。日本製と知らないケースも少なくない。彼らは、安くて品質の良いものだから購入しているのである。

フォーラムでは、ユニチャームの高原社長の講演も興味深かった。まず、一般家庭が家計のどれだけを生理用品や紙おむつに支出するかを調べると、わずか5%しか支出しない。一般家庭の平均月収から算出して、その5%内に収まるように製品の価格設定をする。売り方も一回分を小口でバラ売りする。村々までそうやってマーケティングをして、製品を浸透させていく。

しかし、そこで「日本だから」は売り文句にしていない。売り文句にする必要はないし、「日本製品は高い」と思い込んでいる消費者にかえって不信感を与えることになってしまうかもしれない。ユニチャームのやり方は、極めてオーソドックスで、当たり前に思えた。

それでも、日本企業との付き合いもあるであろう同フォーラムの参加者から、「日本企業は閉鎖的でよく分からない」という声を聞いたのは、今さらながら軽い驚きであった。そのイメージこそが、外国(日本)企業はインドネシアにやってきてコストを抑えて生産し、利益はすべて本国へ持ち帰ってインドネシアには何のメリットもない、というステロタイプ化したイメージを植えつけてしまう。

ソフィヤン会長は「日本企業よ、発進力を強化せよ」と訴えた。それは、「日本だから、を強調せよ」という話では必ずしもない。日本からインドネシアに進出して、インドネシアにどのような貢献をしてきたのか、インドネシアの人々にとってどのように役に立ってきたのか、それを淡々と発信すればよいのである。日本というイメージの陰にある、自分の顔を見せて欲しい、ということである。日本で、日本社会にどう貢献してきたのか、日本の人々にとってどのように役立ってきたのか、それを考えてこなかった日本企業はほとんどないと思う。インドネシアでも、それと同じことをすればいいだけの話、ではないだろうか。

日本企業の方々に個人的な提案がある。

日本からインドネシアに進出して、自分の企業はインドネシアにどのような貢献をしてきたのか、インドネシアの人々にとってどのように役に立ってきたのか、を、日本語でよいので、1〜2枚程度書いてみて欲しい。そして、それを私あてに送って欲しい。

それを基に、私は、自分のブログやFacebook、できれば地元新聞コラム等を通じて、インドネシア語でインドネシア社会へ発信する。ささやかながら、日本企業の発進力強化のお手伝いをさせていただきたいのである。

まずは、書いてみて欲しい。そして、それを私の個人アドレス(matsui01@gmail.com)へ送って欲しい。

微力だと思う。しかし、何もしないよりはよいだろう。少しずつ、少しずつ、我々がインドネシアで、インドネシアと何かをよりしていきやすい環境を作ることに関わっていきたい。

日本側の思い込み病

5月8日、ジャカルタで日経BP社とKompas Gramedia Groupの主催による「第1回日本インドネシア経営者会議(The 1st Indonesia-Japan Business Forum)」に出席した。

会議は日本語・インドネシア語の同時通訳で行われ、会場のケンピンスキーホテルには、多くの方々が集っていたが、残念ながら、日本側に比べて、インドネシア側の出席者の数が大幅に少なかった。一つのテーブルに6人いると、インドネシア人の出席者は1人、という感じだった。

タイトルは「生活革命」。インドネシアの消費市場に大きな変化が起きており、それをうまく取り込んで業績をどのように上げていくか。果敢に攻めるいくつかの日本企業のトップにお話をうかがうというのがメインであった。

一言でいうと、いかにインドネシア市場の現実を知るか、ということにつきる。よそから来た者が自分に都合のいい現実を探し、それに合わせるようにマーケットへ強要しても、マーケットがそれに反応するとは限らない。一度、真っ新な気持ちになって、インドネシア市場の現実から学ぶ姿勢が重要であろう。

日本でうまくいったものが、インドネシアでうまくいくとは限らない。それは、日本国内で、関東でうまくいったものが関西で必ずしもうまくいかないのと同じである。基本中の基本である。しかし、日本とインドネシアの関係になると、なぜか、日本でうまくいったものはインドネシアでも必ずうまくいくはず、だって日本のほうが製品の品質が優れているから、という話が聞こえてくる。それは、単なる思い込みにすぎない。

思い込み病は日本企業に限らない。私が研究所に勤めていた頃、理論に基づいて論文を書いた方に「現実はこうなっている」といくら説明しても、「そうなるはずがない」とわかってもらえなかった。私のような地域研究者は理論面が弱い、というのは認めるにしても、だからといって現実を見ないというのは、たとえ理論研究者であっても、許されることではないと思ったものだ。

また、援助専門家として働いていたときに、「インドネシア側はこのように変わった」といくら担当者に言っても、「あいつらがそんな風に変わるはずがない。うそだよ」と相手にされないどころか、担当者から疎まれた。「あいつら」という言葉にもびっくりしたが、せめて、その人には、自分が経験したインドネシアの実際の話をしてもらいたかった。ほとんどインドネシアの方とはお付き合いのない方だったからである。

思い込み病の患者さんたちは、その予備軍ともいえる方々に同意を求め、患者さんたちで閉じられたグループを作る傾向がある。そして、事あるごとにそれが「正しい」ことを、彼らの狭い世界で確認し合う。その間に、現実はどんどん変わっていく。早く気がつけば、現実に向き合って修正することもできるが、遅くなってしまうと、間違った認識を持ってきたことを素直に認められなくなり、逆に意固地になってしまうことさえある。

ビジネスの世界は正直である。意固地になったところに対して、現実は寛容に対応してはくれない。インドネシアは寛容だといわれるが、ビジネスの世界で甘めに見てもらえることはない。思い込み病が悪化した日本企業は、「こんなはずじゃなかった」状態に陥ってしまうだろう。

思い込み病は、実は、インドネシアでの自分たちの外の世界へ向けての発信力不足にも関わってくる。「第1回日本インドネシア経営者会議」で発言した数少ないインドネシア側スピーカーの一人、インドネシア経営者協会(APINDO)のソフィヤン・ワナンディ会長が何度も強調していたのが、「日本企業よ、発進力を強化せよ」だった。

これについては、別のブログで改めて論じたいと思う。

インドネシアは親日、日本は親インドネシア?

インドネシアは、世界でも有数の親日国といわれる。実際、いくつかの世論調査でもその傾向は際立つ。例えば、ある調査でも、「大好き」「好き」を合わせると回答者の90%を超える。

私自身も、インドネシアの人たちが「本当に日本が好きなんだ」と思う瞬間によく出くわす。ディシプリン、清潔、礼儀正しい。日本人と接したり、日本を旅したりしたインドネシアの方々の話だけでなく、インドネシアのメディアもまたそのようなイメージ形成に寄与してきた。最近の若者は、アニメや漫画のなかに描かれた「日本」からそのようなイメージを勝手に作っているのかもしれない。

私たち日本人にとって、こうした自発的な親日意識は大変ありがたいことであり、素直にうれしく思う。翻って、私たちはどれぐらいインドネシアのことを思っているだろうか、と思ったりもする。

しかし、インドネシアが親日国だという認識で、「だから日本のものは何でも受け入れられるはず」「日本が何をやっても大丈夫」と考えるならば、それは浅薄である。「日本が好き」というのと「日本がいい」というのは違うのである。

まず第1に、インドネシアの方々は「国」で商品を見ているわけではない。中低所得層であっても、品質と価格とのバランスをよく見ている。日本製品が受け入れられるのは、このバランスがとれているとインドネシアの消費者に認識された製品である。意外なことだが、インドネシアで広く知られている製品でも、それが日本製だと認知されていないケースもかなりある。「日本」だから売れるとは限らないのである。なぜなら、インドネシアの消費者はいい製品だから買うのである。日本製の自動車が圧倒的シェアを占めるのは、それが燃費の優れたいい製品だからである。

第2に、インドネシアの方々は、日本に対する感謝の気持ちをいつも持っているわけではない。日本側からすると「第2次大戦で日本が植民地から解放した」「戦後賠償から始まってたくさんの援助を供与した」というこれまでのいきさつから、「インドネシアから感謝されて当然である」という気持ちが垣間見える。日本企業にとって不利となるような政策的要求をインドネシアがしたときに、「恩を仇で返すのか」という吐露さえ聞いたことがある。日本に対する感謝の気持ち、というのは、日本側の思い込みに過ぎないのではないか。

第3に、インドネシアの方々は相手に合わせるのが天才的に上手なのである。インドネシアの在留邦人の間では、インドネシアの方々からの日本人への悪口はまず聞こえてこない。むしろ、韓国人など他に比べて「日本人はより好かれている」という話が支配的である。本当にそうなのかと思って、私は以前、韓国人のフリをしてタクシーの運転手と会話したことがある。そのとき、運転手は「日本人ははっきりとした態度を示さない。細かいことばかり言う。カネの払いもケチだ」といった悪口を言うのである。

インドネシアの方々が「日本が好き」という言葉に嘘はないと思う。しかし、「だから日本の製品は受け入れられるはず」「だから日本が何をしても大丈夫」というのは、事実というよりも期待に近い面が大きいのではないか。そして、日本人の間では「日本に対して感謝の気持ちがある」「日本人は好かれている」という話が増幅され、それで、何となく安心している面があるように見える。

もう一度基本に立ち返ることが大事なのかもしれない。すなわち、「日本」というフィルターをいったん外して、よい製品を適正な価格で提供すること、人々と真摯にお付き合いをすること、という基本である。

インドネシアが親日国であることは、日本にとって大変にありがたいことではある。しかし、それですべてが動く訳ではない。

そして、日本は親インドネシア国であるか、という問いを我々自身に投げかけてみたい。我々はインドネシアのことを好きなのかどうか、どこまでインドネシアのことを分かろうとしているのか、と。

この問いにまだ「イエス」と答えられないならば、我々は自分に都合のいいようにインドネシアに好いてもらいたい、と一方的に思っているだけに過ぎないのではないか。

インドネシア側は、そこを見透かしている。それを忘れないようにしたい。