【スラバヤの風-32】トロヤ・カフェに集う若者たち

数か月前、知り合いの若者から「カフェを開いた」との知らせが届いた。場所は、スラバヤ市の中心部にあるロイヤル・プラザという、ちょっと古めのショッピングモールから歩いて数分のところ。ふらっと散歩がてら、その「トロヤ・カフェ」へ行ってみた。

ちょっと広めの庭のある普通の民家を使い、その屋外に机と椅子を出してカフェにしている。民家の一階は映画や音楽のDVDやCDをレンタルしたり販売したりするスペースになっている。カフェで飲むコーヒーは1杯5,000ルピア(約45円)、ネスカフェでなく、ちゃんと粉に挽いてお湯を足し、上澄みを飲むインドネシア式のコーヒーが飲める。

このリラックスした空間に様々な若者たちが集まってくる。学生、アニメーション制作者、音楽家、日本オタク、NGO活動家などのほか、「アヨ・レック」という街歩きを通じてスラバヤを記録に残すグループなども集まって、自由闊達に情報交換や談笑をしている。

トロヤ・カフェでは、定期的に様々なミニ・イベントも開催される。よく行われているのは、昔のスラバヤを題材にした映画の上映会や新刊書の出版発表会などである。映画が上映できる部屋の収容人数は約30人であり、イベントは小ぢんまりと行われている。

ここはスラバヤの有名なカフェではない。午後のお茶を静かに楽しむような冷房の効いた空間でもない。いつも若者たちが集まって、ガヤガヤと談笑する空間である。儲け主義に走る様子は全くなく、ただ単に、若者たちが集い、新しい何かを生み出すきっかけを作る場になっている。ここに来た者は誰でもその輪に入ることができる空間である。

数は少ないが、スラバヤにはこうした空間がいくつかある。特筆すべきは、歴史的建造物でもあるインドネシア銀行スラバヤ支店図書館がそうした空間を提供していることである。スラバヤの歴史についてのセミナーや小学生向けの講習会などが頻繁に開催される。

都市では、こうしたゆるい公共空間が住民主体の様々な文化活動を生み出す場となる。筆者は、マカッサルに住んだ際、自宅をささやかな公共空間として提供した経験を持つが、そこから地元の若者グループが育ち、今も活動を継続・発展させているのが嬉しい。

偶然にも、「アヨ・レック」などスラバヤでの若者の活動が、マカッサルでの若者の活動から影響を受けていることを後で知った。トロヤ・カフェに集う若者たちにマカッサルの若者たちの姿をダブらせている。

 

(2014年9月5日執筆)

 

【スラバヤの風-11】カンプン改善事業の先駆地

インドネシアでは、一般に、家屋が集まった集落をカンプンと呼ぶ。都市におけるカンプンは、小さな家屋が密集した場所であり、末端の行政区域・クルラハンの一区画を占める。田舎から職を求めて都市に住み着き、家族も呼び寄せて不法占拠のまま小さな家を建てる。それらが集まってカンプンを形成する場合もある。

都市計画では、カンプンを整理して住民を集合住宅へ移転させる方法とカンプン自体の居住環境を改善する方法の2つが考えられる。スラバヤの都市計画は後者を基本とした。

スラバヤは、インドネシアで最初にカンプン改善事業が始まった都市で、それはオランダ植民地時代の1910年代にさかのぼる。その中心は、カンプン内の排水溝の改善とそれに伴う道路の整備であった。その後、1969年から住民参加型でカンプン整備事業が実施された。すなわち、住民はクルラハンを通じて改善要望を市側に伝え、市側は材料や工具の支給、工事監督者の派遣などを行い、住民自身が実際の道路・排水溝工事を担った。1974年以降は世銀融資で事業が拡大され、小学校、診療所、一体型共同沐浴場・洗濯場・トイレ(MCKと称す)などの公共施設の建設が進んだ。カンプン改善事業はその後、全国へ広がったが、スラバヤはその成功事例と見なされることが多い。

スラバヤの大通り沿いのカンプンを歩くと、道路が舗装されて路幅が広い(自動車が対面運転できる程度)、沿道に植物などが植えられて緑が多いなど、整然とした潤いのある居住空間が作られている。ジャカルタのような、くねくねと曲がった細い道に沿って半ば無秩序に建てられた住宅密集のカンプンとはかなり様相が違う。大通りとの境にカンプン名の書かれたアーチがかけられたところもある。

そんなスラバヤのカンプンだが、狭い居住空間にひしめき合って人々が暮らす状況に変わりはない。なかには、市中心部でも水道がまだ引かれず、井戸から汲み上げた地下水を使っているカンプンもある。公共インフラの整備は引き続き必要である。

カンプンの住民には、日雇いなど不安定な身分で収入の限られた底辺層も少なくない。実際、彼らの生活が豊かになっているという印象はあまりない。むしろ、豊かになるインドネシアから取り残されているようにさえ見える。全国の手本とされるスラバヤのカンプン改善事業は、時代に即したさらなる進化を求められている。

 

(2013年10月4日執筆)

 

 

【インドネシア政経ウォッチ】第69回 都市部貧困人口の増加(2014年1月9日)

1月2日、中央統計庁はインドネシアの貧困状況に関する統計速報を発表した。これによると、2013年9月の貧困人口は2,855万人、貧困人口比率は11.47%となり、その前の13年3月時点での2,807万人、11.37%よりも増加した。これまで貧困人口比率だけでなく、貧困人口の絶対数も着実に減少し続けてきたが、それが久々に増加した。

貧困人口増加の背景には、経済成長の鈍化に伴う雇用創出の不足、失業率の上昇(13年2月の5.92%から13年8月には6.25%へ)、物価上昇などがあると考えられるが、これが一時的な現象なのか、貧困人口はますます増加していくのかを現段階で判断するのは難しい。

貧困人口は13年3~9月に48万人増加したが、30万人は都市部で占められ、そのうちの約24万人はジャワ島での増加である。他方、貧困人口の絶対数では都市部を大きく上回る村落部での貧困人口の増加は18万人にとどまり、しかも、ジャワ島では、全国の村落部で唯一、貧困人口が若干ながら減少している(836万6,000人から831万2,000人へ)。都市部では、バリ島とヌサトゥンガラや、マルクとパプアで貧困人口が減少している。

首都ジャカルタをはじめとするジャワ島の都市部では、高所得者層の消費需要が旺盛で、高級志向が強まり、その予備軍とも言える上位中間層の存在がクローズアップされがちであるが、その一方で、実は貧困人口が増加しているということになる。すなわちそれは、ジャワ島の都市部において、貧富の格差が拡大していることを示唆する。他方、村落部における貧困人口の増大は相対的に少なく、都市と農村との格差の問題が急速に深刻化しているとはいえない。

首都ジャカルタなどでは、狭い長屋のような住宅のすぐそばに高級コンドミニアムがそびえる光景が目につく。貧困人口の拡大に加え、そうした光景がもたらす相対的貧困感が低所得者層に意識され得る。一方、暴動などへの恐怖から、華人高所得者層には低所得者層の居住地から遠くへ移転し、接触を避ける傾向も見られる。都市部の貧困人口の拡大が社会不安につながるかどうか、注意深く見守る必要がある。

スラバヤを「桜」の街に

日本は今、東京を始め各地で桜が満開になっているようだが、インドネシア人の知人たちの間で、なんとスラバヤの「桜」が話題になっている。

雨季が始まる頃に咲く、スラバヤの「桜」。白、ピンク、黄色の花が咲く。花が咲き終わってから葉っぱが出てくるため、「桜」と同じだー、と言われているのである。

インドネシアの週刊誌『テンポ』の以下の写真ページを参照いただきたい。

Indahnya ‘Bunga Sakura’ di Surabaya

以下の日本語ウェブサイトでも、スラバヤの「桜」のことが取り上げられている。

【インドネシアで桜の木?】スラバヤに咲き誇る「桜」の美しさ

このスラバヤの「桜」、実は桜ではない。桜はバラ科サクラ亜科サクラ属で学名がPrunus, Cerasusであるのに対して、スラバヤの「桜」はタベブイアと呼ばれ、ノウゼンカズラ科タベブイア属の花を咲かせる樹木である。

スラバヤは緑の多い街である。よくみると、ただ単に緑が植えられているのではなく、花の咲く樹木が街路樹に植えられ、また、道路に面した公園や花壇には、様々な花が計算された配置に基づいて植えられていることが分かる。

そんな街路樹として、主要な通りに植えられているのが、このスラバヤの「桜」である。スラバヤ市のリスマ市長は「桜を愛でるなら、日本に行かずとも、スラバヤへ来ればいい」と言いながら、積極的にタベブイアを植えてきた。

本物の日本からの桜でないことを残念がる方もいるかもしれない。しかし、日本の桜の美しさをよく知っているからこそ、スラバヤにもそんな「桜」をたくさん咲かせてみたい、「桜」並木のある街にしたい、とリスマ市長は思ったのだろう。

スラバヤ市は、昔のゴミ最終処分場跡を公園化し、そこに「桜」を始めとして様々な花を植える計画を進めている。その計画に対して、国営BNI銀行が30億ルピア(約2700万円)を寄付すると申し出た。以下がその記事である。

BNI Kucurkan 3 Miliar untuk Taman Sakura Surabaya

リスマ市長は、スラバヤを「桜」の咲き誇る街にしたいのだ。街としての美観+潤いのある街にしたいのである。やはりこの市長は只者ではない。

世界中の市長を評価する『シティメイヤーズ』サイトは、リスマ市長を2014年2月の「メイヤー・オブ・ザ・マンス」に選んだ(英文記事はこちらから)。

今年も日本で花見ができなかった。でも、スラバヤが「桜」の咲き誇る街を目指すという話を聞いて、なんだかとっても嬉しくなった。

スラバヤ生活も4月1日から2年目に入った。この街がどんどん面白くなってきた。

スラバヤの街なかに咲く花の写真を少しずつ撮り始めた。「桜」はまだだが、花の話題にしては殺風景なので、花の写真をひとつ載せておく。