あるくみるきく

3月1日、今日から新しいブログを開始する。題名は「インドネシアあるくみるきく」。この題名は、宮本常一氏の「あるくみるきく」から拝借した。

宮本常一氏(1907〜1981)は山口県周防大島出身の民俗学者で、戦前から亡くなるまで日本全国をくまなく歩き、各地でフィールドワークを行った。宮本氏の足跡を赤い線で辿ると、日本全土が真っ赤になる、と言われたほどである。

宮本民俗学の特徴の一つは、世の中から省みられなくなったもの、無視されたもの、忘れ去られたもののなかに、遠い過去からの永続的な営みの蓄積とそこに刻まれた人々の営為を見出し、それを新たな時代のなかに生かす、という姿勢にある。高度成長時代の日本で時の流れに取り残され、忘れ去られてしまうものを、懸命に記していこうとした宮本氏の調査記録は、とてつもない膨大なものとなって、現在も整理しつくされていない。

宮本氏は、単に民俗学の調査を行っただけでなく、行く先々でそこに生きる人々の話をじっくりと聞き、彼らの人生に思いを馳せつつ、どうすれば彼らやその子孫、そして彼らの生きる地域が生き生きとしていけるのか、厳しく複雑な現実に直面して、ときには絶望に苛まれながらも、彼らを励まし続けたのである。

宮本氏の活動は、経済成長の大きな流れのなかのほんの一滴に過ぎなかったかもしれないが、それによって励まされ、前を向いて地域とともに生きてきた人々がたしかに存在する。そうした宮本氏の姿勢を表す言葉が「あるく・みる・きく」であった。

何よりもまず、現場の事実から始まること。相手をして語らしめ、相手が自分自身で何かに気づき、行動を起こしていくこと。それを促す働きかけが、民俗学調査という名前で行われた宮本氏の「あるく・みる・きく」であった。

インドネシアのマカッサルという地方都市で、日本政府の名の下に、地方政府へ政策アドバイスの仕事をしていた15年前、学生時代に読んだ宮本氏の『忘れられた日本人』を読み返し、「学ぶこと」が「教えること」と同じになること、相手を敬い、励ませられるようなアドバイスをさりげなく行う技術が必要なこと、を強く感じた。そして、自分は長年なじんだインドネシアで宮本氏のようにありたいと思うようになった。

今もその思いにいささかの変化もない、と自分では思っている。ただし、宮本氏のような、インドネシア全土を赤く染めるような手法はとれていない。民間コンサルタントという今の自分の立場のなかで、何がどのようにできるのか、日々模索しているのが現状である。そんな自分への自戒も込めて、このブログのタイトルを「インドネシアあるくみるきく」と命名した。

これから、このブログを通じて、政治、経済、社会、文化、生活、たべもの、ふと思ったことなど、私なりの「あるくみるきく」のインドネシアを表していきたい。この拙いブログを通じて、インドネシアに対する興味や関心を高めていただけるなら、とても嬉しく思う。

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