日系企業インドネシア人中堅管理職の声

3月15・16日は、日系企業の経営者・管理者を対象とした人材開発ワークショップを開催している。15日に参加していただいた方々の議論を聞きながら、昨年10・11月に日系企業で働くインドネシア人中堅管理職向けのワークショップでの議論を思い出していた。

率直にいって、その両者の溝は、私が想像していたものよりも大きいと感じた。

昨年10・11月に行なった日系企業で働くインドネシア人中堅管理職向けワークショップでは、終了後、参加者を送っていただいた日系企業宛に、日本語で議論の簡単なフィードバック書簡をお送りした。 以下、その抜粋を紹介する。

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<2012年10月分>

(前部分省略)

日本人トップがインドネシア人ミドルを飛ばして直接現場を視察し、状況次第でインドネシア人ミドルが日本人トップに叱責される例。あるいは、インドネシア人ミドルとの間で合意していた決定事項を一方的に変えてインドネシア人ミドルへ押し付けるケース。

インドネシア人ミドルは、その日本人トップの行為が自分たちを信頼していないことの表れではないかと思っている。たとえ、日本人トップが単純に現場を知りたいと思って視察しても、インドネシア人ミドルは自分たちが監視されているように感じてしまう(しかし、インドネシア人ミドルとインドネシア人ワーカーとの間のコミュニケーションもよく取れていないことに気づいていく。インドネシア人ミドル、スーパーバイザー、チーフ、オペレーターという上下関係がそのコミュニケーションを形式化している面がある)。

そして、コミュニケーションを阻む原因が、「過ちを認められない」「間違いを上司へ報告できない」ということにあることが明らかになっていく。参加者になぜそれができないかを尋ねていくと「恥ずかしい」「上司に叱られる」「上司に能力がないと思われたくない」という反応。報連相の「報告」の一つである「過ちや誤りがあれば報告する」ができないのである。

そこで「会社としてはそれでよいのか」と問うと、「それはまずい」という答え。「では自分が社長になったとしてどうしたら過ちを報告できるような会社にできるのか」と尋ねてみた。彼らからの提案は、「日本人トップのインドネシア人ミドルに対する叱り方に工夫が必要。多数の面前で怒らない。別室で1対1。最初は褒めてから叱る。インドネシア人ミドルの信頼感を高めるためにあらかじめ業務上のターゲットを設定する、など。しかし、インドネシア人ミドル側がどのように自分を変えるかについて妙案は現れず。

ほかに、以下のような事例や意見も出された。

・任期ごとに交代する日本人上司の性格、態度、能力が大きく変わって対応しにくい。
・一度決めた決定事項が容易に変えられてしまう。
・上司から意見を求められて意見を言って取り入れられても、悪い結果になると、意見を述べた者が後で非難される。
・インドネシアだと間違った報告をしても3日もすれば許されるが、日本だと絶対に許されないのではないかと思っている。
・「何か異常があった場合には誰でもいいから上司へ報告せよ」と言われているが、自分の担当以外の場合でも報告していいのか不安。どの部署が報告すべきか、結果的にみんなが待っている状態ができてしまう。
・様々な余暇活動などで従業員の家族にも留意してくれていてありがたい。

日本人側とインドネシア人側とのコミュニケーション問題の根本は、両者の信頼関係にある。インドネシア人側は、日本人側から「信頼されている」というシグナルが欲しいのかもしれない。日本人側のちょっとした行動がインドネシア人側に「自分は信頼されていない」という感情を生み出させる可能性は少なくない。

インドネシア人側への接し方だが、彼らと議論をしていて感じたのは、彼らのメンタリティや態度が現代の日本の若者たちのそれによく似ているということである。彼らは怒られることに慣れておらず、場合によっては逆ギレする。自分を否定された、信頼されていない、という気持ちを起こしやすい。自分を他人と比較しがち。上司から常に目をかけられているという証が欲しい。日本の若者たちと接するように、インドネシア人側と接してみると、いろいろと共通する面が見えてくるのではないか。

参加者たちへのアンケートでは、「今後どのように日本人側とコミュニケーションを図っていきたいか」についても書いてもらった。彼らの多くが「日本人はそう思っているのか」という新しい気づきをいくつか得た様子で、「彼らのインドネシア人の同僚に話をして自分の気づきを広める」「実際に日本人上司と話し合いをしてみる」といった前向きの内容が多かった。

(以下省略)

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<2012年11月分>

(前部分省略)

●報告すると責任を取らされる恐怖
自分の担当ではないことに関して問題があったので、まずいと思って上司へ報告したら、「お前が責任を取れ」と言われ、責任者にされた。

●決定や判断が不明確
日本人側によって、根拠や背景が明確でない決定や判断がなされる場合がよくある。そしてインドネシア人側から何か提案しても受けつけてもらえない。

●日本人側から信頼されているのか疑問
インドネシア人側が日本人側に十分な説明をしても、日本人側が同じ内容を外部コンサルタントに「正しいかどうか」を聞いている。自分たちは信頼されているのか。

●日本人駐在員の交代ごとに指示や態度が変わる
日本人駐在員が交代するたびに、仕事のやり方や物事の進め方が変わることに戸惑いを感じている。インドネシア人側は交代前後の日本人駐在員を比較している。

●日本人側の管理職としての適性への疑問
日本人側は、日本で管理職の経験がなくても、ここでは管理職としてふるまわなければならない。このため、殊更に見栄を張ってインドネシア人側を叱責するようにみえる。

●日本流の押しつけへの反発
インドネシア人側は「日本とインドネシアは違う」という意識を強く持ち、日本流の押しつけに批判的。「むしろ優秀なインドネシア人に任せるべき」と思っている。

(途中省略)

以下は、筆者の所感である。

第1に、今回の出席者は彼らなりに日本人側を理解しようと努めている様子だった。しかし、全面的に日本側の言い分ややり方を受け入れたいのではなく、自分たちもよりよい企業にするために貢献したいという意志が見えた。

第2に、日本人側にもっと話を聞いてもらいたい、もっとインドネシアのことを理解してもらいたい、という声が多かった。話を聞くだけでなく、きちんと議論をしたいという出席者も多かった。

そして第3に、日本人側と本当に信頼関係を築けるのかという気持ちさえ吐露された。出席者は、社内でのイベントや家族行事などをもちろん大歓迎しているが、実際の現場仕事のなかから信頼関係構築のヒントを見つけ出したい様子だった。

彼らとの議論を振り返りながら、1960~1970年代の日本企業の姿を思い起こした。社長が従業員とその家族のことを思い、彼らを宝としながら会社一体となって豊かになっていこうとした姿を。インドネシア人マネージャーは決して賃金のためだけに働いているわけではない、という気概がワークショップの議論で伝わってきた。成長続くインドネシアで、我々はもう一度、そんな一体感を彼らと共に作っていけないだろうか。

前回のワークショップでも感じたが、日本人側とインドネシア人側とのコミュニケーション問題の根本は、両者の信頼関係にある。インドネシア人側は、日本人側から「信頼されている」というシグナルが欲しいのではないか。日本人側のちょっとした行動がインドネシア人側に「自分は信頼されていない」という感情を生み出させる可能性は少なくない。

また、インドネシア人側への接し方だが、彼らと議論をしていて感じたのは、彼らのメンタリティや態度が現代の日本の若者たちのそれによく似ていることである。彼らは怒られることに慣れておらず、場合によっては逆ギレする。自分を否定された、信頼されていない、という気持ちを起こしやすい。自分を他人と比較しがちで、上司から常に目をかけられているという証が欲しい。日本の若者たちと接するように、インドネシア人側と接してみると、いろいろと共通する面が見えてくるかもしれない。

出席者からは、日本人側を対象に、インドネシア人についての理解を深める機会を設けてほしいという要望が出された。当方としても手法等をいろいろ検討してみたい。

(以下省略)

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日系企業における日本人経営者・管理者の思いと、インドネシア人中堅管理職の思いとをクロスさせながら、両者の信頼関係を高め、深め、一体感を持った企業経営が行えるようになって欲しいと私は願っている。それがまた、日本とインドネシアとの関係を現実レベルで強め、深めていくことにつながると考えるからである。

その一助となるべく、今年は、昨年以上に、日本人経営者・管理者向け、インドネシア人中堅管理職向け、そしてできればその合体版も含めて、ワークショップを頻繁に行なっていきたいと考えている。工業団地や個別企業への出張ワークショップも、喜んでお引き受けしたい(ご希望の方は、matsui@jac-bc.co.id までご連絡ください)。

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