イスラム教徒にとっての喜びの日

今日6月25日は、言うまでもなく6月最後の日曜日ですが、全世界のイスラム教徒にとっては、1か月間の断食月を終えた喜びの日、イード(Eid)です。インドネシア語では、イドゥル・フィトゥリ(Idul Fitri)と呼ばれます。

世界中のモスクでは、夜明け過ぎから、ムスリムの方々がたくさん集まり、断食月を終えた自分をたたえ、アッラーへ感謝の祈りを捧げたことでしょう。日本でも、そんな光景を見ることができた場所もあったことと思います。

イードを迎えるにあたっては、新しい服などの物を揃えます。また、過去1年間におかした過ちへの赦しを求めます。こうして、新しい真っさらな人間となって、再び次の断食月までを過ごしていく、という日が今回は今日だったわけです。

何となく似ていませんか。私たちの新年に。新年を迎えるにあたって、除夜の鐘を聴きながら1年間に溜まった108の煩悩を振り払い、また新しい服に着替え、初詣に行って新しい年への願いをかける、清らかな自分になるのが、一般的な私たちの新年の迎え方です。

断食明けを祝い、インドネシアの各地ではたくさんの花火が打ち上げられました。最近では、新年の年明けの時にも、花火が打ち上げられます。しかし、スハルト時代の終わり頃の1990年代末までは、花火が打ち上げられることもなく、静かな断食明けのイードでした。新年もそうです。花火だらけになったのはごく最近のことなのです。

その意味では、かつてのインドネシアのイードは、日本の正月を思い出させるような雰囲気がありました。

今から26年前、ジャカルタに2年間滞在していた際、本場の断食明けを見たいと思い、西スマトラ州パダンで、知り合いの大学の先生の家族訪問(日本のお年始のようなものでしょうか)に付いて行ったことがあります。

敬虔なムスリムである先生はまず、自分の家の近くのモスクで、説教をし、近所の方々と一緒に礼拝を行いました。先生の家でお食事をいただいた後、車で出発、パダンパンジャンにある家族の家に立ち寄りました。そこでも「食べろ、食べろ」の接待を受け、さらに車で、ブキティンギのご家族の家へ行きました。もちろん、そこでも「食べろ、食べろ」の接待を受けました。

最初、さすがに本場のパダン料理なので、とても美味しくたくさんいただいていたのですが、段々にお腹がいっぱいになって、食べられなくなりました。正確に言うと、お腹がいっぱいになったという以上の理由がありました。

それは、一族を訪問して回るので、出てくる食事の味付けが全て同じだった、ということです。よく考えれば、当たり前のことなのですが、当時の私には、3軒目で初めて体でわかったことなのでした。

話は変わりますが、ジャカルタでは、カトリック大聖堂と大モスクが道路を挟んで隣にそびえ立っています。日曜日といえば、キリスト教の礼拝・ミサが行われる日でもあります。

イードの朝の祈りと教会の朝の礼拝が時間的にぶつかります。そこで、教会側は、今日の朝の礼拝の時間を30分遅らせて、イードの祈りの時間とバッティングしないように配慮したということです。ムスリムの方々からは、こうした教会側の配慮に対する感謝の言葉がSNS上に溢れていました。
ジャカルタだけでなく、マランなどの地方都市でも、従来からそのように配慮してきた、ということです。州知事選挙などを通じて、宗教的寛容への懸念が出ていると多くの人々が感じているからこそ、そんな教会の配慮を素晴らしいと思ったのかもしれません。
でも、これまで当たり前だったことを素晴らしく感じる、という世の中の空気の変化をどうしても感じざるをえないとも思いました。もう一度、昔のような「当たり前」という感覚へ戻っていって欲しいと思いました。

改修前のアチェ州バンダアチェ市のバイトゥラフマン大モスク(2010年10月)。
個人的には、インドネシアで一番美しいモスクだと思います。
スマトラ沖大地震の際、人々の心の拠り所となった重要なモスクでもあります。

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