ワールドシフト京都フォーラム2018へ行ってみた

2月3日朝、ジャカルタから東京へ戻り、翌4日朝、東京から京都へ行って、「ワールドシフト京都フォーラム2018」というイベントへ行ってみました。

前から興味はあったのですが、何せ、知り合いがほとんどいないイベントです。とはいえ、30年ぶりに大学の後輩に会うなど、いい時間を過ごせました。

このイベントは、一般社団法人ワールドシフト・ネットワーク・ジャパンが主催するもので、持続可能で平和な未来の実現のため、これまでとは異なる、新しい世界や価値観へのシフトを起こし、行動していくことを目指す運動の一環です。

そのシフトはまず自分自身から始まる、という能動的な運動でもあります。世界がこう変わってくれたらいいなあ、という受け身ではなく、まず、自分は何から何へ変わるのか、という問いから始まり、自分から何らかの行動を起こしていく、そんなたくさんの個人が世界中で行動を起こしていくなかで、シフトが起こっていく、ということを目指している、と理解しました。

今回のフォーラムの「まなぶ、つながる、うごく」というサブタイトルにも惹かれました。まさに、自分が今、目指している行動だからです。


「まなぶ」「つながる」「うごく」の各セッションで、様々な方々が、自分は何から何へ変わるのか、を明言しながら、プレゼンテーションを行なっていきました。そのすべてにおいて、他者への想像力と敬意、偽りのない真の自分自身の発見と向き合い、思いを形へ変えていく力、などのキーワードが通底していました。

個人的にとても新鮮だったのは、AIやブロックチェーンなどの最新テクノロジーを、人間と人間、地域と地域がつながるための道具として活用することへの期待が、今の学問の世界に芽生えていることを知ったことでした。

たとえば、環境経済学の専門家で、世界大での水問題を提起した東北大学の佐藤正弘氏が披露した、世界の水の偏在と不確実性を克服するために、異なる地域の違う水をつなげる、といった試みです。

川の水しか使えない地域と地下水の使える地域との間で、後者から前者へ食料を供給し、前者から後者へは水を供給する、その際に、後者が食料生産に費やす水の量を計算してその分を前者から水で後者へ供給してもらう、といった考え方で、バーチャル・ベイズンという用語を使っておられました。

資源を持つ者の力による支配から、テクノロジーを使って人と人、地域と地域を結びつけ、関係性による最適化の形成を目指す。グローバルな安定を目指すことが多様なローカルの創発につながる、という話が、個人的にとても新鮮でした。

これは、まさにグローカルではないですか。

イギリスの団体が取り組む、ブロックチェーンによる記録を活用した、インドネシアのカツオ漁と消費者とをつなげる試みも興味深い事例でした。

アミタ・ホールディングスの熊野英介氏のプレゼンテーションは、自らが主宰する信頼資本財団による共感融資と共感助成の話でした。3人単位で自分たちの思いを実現するための事業を提案し、財団から共感を得られれば、無担保・無利子で融資をする、助成をする。これまでに100件以上の案件が動き、焦げ付きは一切なし。もう何年もそれが続いているというのです。

人間の欲求のゼロポイントは「孤独になりたくない」ということだとも彼は言います。自治的交差共同体ネットワーク化によって、安定社会から安心社会へ変えていく、そこでは共感と信頼で経営力を増やしていくことが求められ、信頼資本主義を目指すべき、という主張が強く響きました。

「つながる」のセッションでは、ただ単につながればいいという話ではなく、誰がどのようにつながるのか、どのようにつながれば社会問題の解決や平和を造っていけるのか、ということを考えながらつながっていくことが大事だということが強調されました。

広島の被爆者や語り部の方々が、アメリカの核の町・ロスアラモスで果敢にも対話を試みた際、意見の異なる者を結ぶための「文化」の力を痛感した、という話も心に響きました。

誰もが何かがおかしいと、本当はうすうす気づいているのに動けない、動かない。大きな流れに身を任せるしかないというあきらめ。でも、もしかしたら、自分の思っている以上にたくさんの人々が同じようにおかしいと思っているという事実を知ることができたなら、新たな行動へのシフトが生まれてくるかもしれません。

分断は、そうしたことに気づかないように仕向けるものです。誰かの意見に賛成する、自分がいいと思う意見を選ぶ、ということではなく、自分で考えて、自分で行動する。そのときに同じような仲間がいることを意識し、それぞれの自分の考えをそのまま尊重し、ゆるくつながれるところで、必要ならばつながっていく。

分断されているのではなく、自分が分断に加担しているのかもしれないのです。

会ったこともない人のことを心配できる能力を人間は持っている、と発表者の一人の方が力強く主張していました。

辺野古をめぐる分断された住民のこと。台湾東部の地震の被災者のこと。何十年もの精神科病院への入院を強いられた方々のこと。シリアで今も爆撃を受けて逃げ惑う人々のこと。ジャカルタの洪水で避難する人々のこと。彼らのために何かがすぐできるわけではないかもしれませんが、そういった人々のことを思うこと、想像すること、それがまだできるということを自覚することが最低限大事なのかもしれません。

何かを思ってすぐに行動に移せる人の数は、決して多くはありません。でも、シフトが起こるには、予備軍がたくさんいるということを想像できることが少なくとも必要なのではないでしょうか。

イデオロギーや教義ではなく、自分たちの人生や日々の暮らしこそが最も基本であり、それを守り、子孫により安心な世界を残していくことが我々の務めであると思います。だから、変化を起こすのは国家や権力者や一部のエリートではなく、地域や私たち一人ひとりのささやかでしたたかな行動なのだと思うのです。

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