友人であるマカッサル市長代行が任期終了

5月13日、私の友人がマカッサル市長代行としての一年の任期を終えた。最後は、マカッサル市に大規模社会的制限(PSBB)と呼ばれるセミ・ロックダウン措置を発動し、新型コロナウィルス対策の陣頭指揮を採っていた。

彼と出会ったのは1996年4月、インドネシア国家開発企画庁(BAPPENAS)所属のJICA長期派遣専門家(インドネシア東部地域開発政策アドバイザー)として、マカッサルの南スラウェシ州開発企画局(BAPPEDA)に赴任したときだった。
BAPPEDAで職員全員を前に赴任の挨拶をした際、私は生意気にも「私にカネや援助を期待する人はこの場から去っていただいてかまわない」と述べたとき、そこにいた半数近くがゾロゾロと退場していった。その光景を今でもよく思い出す。
そのときに残った者たちと一緒に活動しようと思った。彼はその残った者たちの一人だった。
その後、彼を含めた若手職員とほぼ毎日夕方、寛いだ雰囲気の中で、地域開発政策に関する様々な議論をざっくばらんに行なった。それらの若手職員の多くが今、南スラウェシ州政府幹部として大活躍している。
彼もそうしたうちの一人だった。常に何か新しいことを考えようとしていた姿が今も脳裏に残っている。
BAPPEDAでの彼は、特定の部門に特化する対応ではなく、とくに総務・管理畑で重要な役割を果たした。その後、州知事選挙などを通じて、州政府内で政治的な派閥対立が先鋭化したときも、うまく立ち回って生き残り、着実に出世の階段を上がっていけた。
今の南スラウェシ州知事(彼も古くからの友人の一人だが)にも重用され、1年前、マカッサル市長代行に任命された。
マカッサル市長は空席だった。マカッサル市長選挙が行われたが、現職が汚職疑惑で立候補できず、立候補したのは1人(インドネシアの地方首長選挙は正副のペアで立候補するので正確に言えば1ペア)だった。彼は地元有力実業家の一族で、当選は間違いないと思われていた。インドネシアの選挙では無投票当選はなく、信任投票のような形で、立候補した1ペアは投票箱と戦う、という構図になった。そして選挙結果は、投票箱の勝利だった。
この結果、市長職は空席となり、2020年以降に改めて選挙を行うまでの間、州知事が任命し内務省が承認する市長代行が置かれることになった。複数の候補の中から、当時、州研究開発局長を務めていた彼が州知事によって抜擢された。
2017年1月、彼は家族を連れて、日本へ旅行に来た。そのとき、リクエストに応じて、1日、富士・箱根を案内し、新宿でハラルラーメンを食べてもらった。
彼の後任は、現職の南スラウェシ州BAPPEDA局長。国立ハサヌディン大学林業学部教授でもあり、同学部教授でもある州知事の後輩にあたる。市長代行の任期が当初の予定通りの1年で、延長されなかった理由は不明である。
ともかく、今は、市長代行を終えた彼にご苦労さまでしたと言いたい。次回、マカッサルへ行ったら、シーフードかチョト・マカッサルを一緒に食べたいものだ。

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