マカッサルでの用務を終了

3月10日からのマカッサルでの用務を首尾よく終了しました。

物件探しでお世話になった方々にご挨拶をし、今後の活動に関する様々な助言をいただくことができました。

おそらく、今年から今までよりも頻繁にマカッサルへ、スラウェシへ、東インドネシアへ来ることになりそうな予感がします。こうありたい、という自分の希望する方向へ、状況が徐々に動いているのが嬉しいです。

これからジャカルタへ飛びます。2時間のフライトです。

明日、ジャカルタでいくつかの面会を終えた後、夜便で帰国します。

今日のブログはここまでで失礼します。

震災6年目をマカッサルで迎えた意味

東日本大震災から6年の今日を、インドネシア・マカッサルで迎えました。

日本時間の14時46分は中インドネシア時間の13時46分、マカッサルの大好きなシーフードレストランNelayanで昼食を摂っていました。

時間を気にしながら、Ikan Kudu-Kudu(ハコフグ)の白身の唐揚げをつまんだ手を拭きながら、静かに黙祷しました。「え、ごちそうさまなのー?」とびっくりした2人の友人も、すぐに気がつき、続きました。

6年前、東京で迎えた強烈な地震。そのすぐ後の原発事故の可能性を感じ、日本は終わる、この世が終わる、と本気で思ったあの日。今でこそ、その反応は過敏だったと言わざるを得ず、苦笑してしまうのですが、福島の実家の母や弟たちも含め、家族みんなを連れて、日本を脱出しなければ、と思ったものでした。

その脱出先として想定したのが、今滞在しているマカッサルです。ここにはたくさんの友人・知人がいる、我々家族のために長年働いてくれた家族同様の使用人がいる、住む場所も容易に確保できる。自分の故郷のような場所だから、いや故郷以上の場所だから、と思うからでした。

いざとなった時に、この地球上で自分を受け入れてくれる、自国以外の場所があるという幸運を確信していた自分がそこにいました。

結局、日本を脱出することはなかったのですが、震災6年目の今日、マカッサルとの結びつきを改めて強く感じる出来事がありました。

今回の用務の中で、物件探しがあったのですが、今日訪ねた物件のオーナーが、1996年に私がマカッサルでJICA専門家として業務を開始した際の最初のアシスタントMさんだったということが判明しました。紹介して案内してくれたのは彼女の姪だったのです。

姪は早速、叔母さんである私の元初代アシスタントへ電話をかけ、再会を祝しました。電話口の彼女の声が昔と全く変わっていなかったのにはびっくりしました。Mさんは、1年ちょっと勤めて、諸般の事情により退職してしまったのでした。それ以来、消息は不明で、今回、20年ぶりにコンタクトしたのでした。

また、別のオーナーは、よく存じている大学の先生の教え子でした。彼との共通の知り合いの名前もボンボン飛び出します。

何といったらいいのでしょうか。こんなことが起こってしまうマカッサルは、自分にとってよその町ではない、怖いくらいに自分にマカッサルが絡みついてくるかのようです。それは、生まれ故郷の福島市とはまた違った意味で、自分の人生にとって不可欠な場所なのだという感慨を強くしました。

今回一緒に動いた友人2人は、違う物件オーナーに会うたびに、また私のコネクション再確認が始まってしまうのではないか、時間がなくなる、と戦々恐々の様子で、申し訳ないことをしてしまいましたが、やめられないのです。

福島とマカッサル。東京とジャカルタ。自分にとっての福島=東京の関係とマカッサル=ジャカルタの関係との類似性を感じます。この関係性こそが、これからの自分のローカルとローカルとをつなぐ立ち位置の基本となる気がしています。

そう、日本では福島へ、インドネシアではマカッサルへ。自分の今後の活動の第1の拠り所としていきます。4月、福島市で始めます。

ジャカルタでの国際線と国内線の乗継(お役立ち情報)

3月4日朝、東京へ戻りました。到着が午前9時で、それほど気温が低くもなく、極度な温度差で体が戸惑うこともありませんでした。飛行機のなかでそれなりに眠ったはずなのに、眠くてしかたのない一日でした。

今回、往復に利用したのは、インドネシアのガルーダ・インドネシア航空でしたが、ジャカルタのスカルノハッタ空港での国際線と国内線の乗継について、ちょっと気をつけておいたほうが良い点があるので、以下、メモとして残しておきます。

羽田空港のガルーダ・インドネシア航空機
(ボーイング777-300)

<ビザ>

現在、インドネシアへの入国にあたっては、観光、親族訪問、社会訪問、芸術・文化活動、政府用務、講義・セミナー等参加、国際展示会参加、インドネシアでの本社または代理店の会議出席、他国への乗り継ぎを目的とする場合で、滞在期間が30日以内の場合には、滞在ビザが免除となります。

なお、上記目的で31日以上滞在する場合には、到着ビザ(Visa on Arrival: VOA)が必要になります。VOAは30日有効で、入国後1回のみ延長可能ですので、最長60日以内の滞在となります。VOAは1回あたり35米ドルの有料です。

なお、商業目的ではないスポーツ、研究・短期留学・短期トレーニング、商談(ビジネス・ミーティング)、物品購入を目的とする場合は、30日以内でもVOAが必要となります。

インドネシアへの入国ビザについては、在インドネシア日本大使館のホームページに詳しい情報が載っております。ビザなし入国後のVOAへの変更不可など、留意事項も詳しく説明されているので、ご参照ください。

 インドネシアへの入国・滞在(在インドネシア日本大使館ホームページ)

<入国審査>

ジャカルタのスカルノハッタ空港では、かつては到着ロビーへ向かう途中の左右で外国人向けの入国審査が行われましたが、現在は、到着ロビーへ向けて直進した先で行われるように変更されました。

ビザなしの場合はそのまま、あるいはVOAを支払い後、動く歩道等でまっすぐ到着ビーへ向かって直進します。直進すると、左側が「一般の外国旅券保持者」、右側が「長期滞在許可(KITAS)を持つ外国旅券保持者」「外交官等」に分かれます。

「一般の外国旅券保持者」のほうは、ジグザグに一列に並ぶように指定されていて、先頭から順番に、空いた入国審査官のブースへ進むようになっています。

入国審査官のブースでは、基本的には旅券を出すのみですが、帰国便のチケット控の提出を求められることもあります。滞在目的、滞在日数、宿泊先などを英語で質問されることもあります。

<ガルーダ国際線からガルーダ国内線への乗継>

ガルーダ・インドネシア航空で国際線から国内線へ乗り継ぐ場合には、通常は、スーツケースなど預け荷物は最終目的地までスルーで行きますので、ジャカルタでピックアップする必要はありません。入国審査後、そのまま税関検査へ向かいます。

税関検査では、検査官に税関申告書(機内で配られます)を渡し、乗り継ぎであることを伝えた後、求められた場合には手荷物をX線検査機へ通します(今回、私は求められませんでした)。

税関検査終了後、到着ロビーへは出ずに、左側へ向かうと、ガルーダ・インドネシア航空の乗り継ぎカウンターがあります。すでに国内線の搭乗券を持っている場合はスルーしてよいのですが、搭乗ゲートなどの情報を得るために乗り継ぎカウンターに立ち寄っても構いません。

乗り継ぎカウンターの後は、右へ曲がって、まっすぐ進みます。国内線第2Fターミナルに入り、そのまま進んで突き当りを左へ曲がり、向かって右側の通路をまっすぐ進むと、F6と表示された場所に「第3ターミナルへの乗り継ぎ(Transfer to T3)」と書かれた表示があり、そこを入ってまっすぐ行くと、椅子のたくさん並んだ場所があります。ここから、ガルーダの無料専用バスで、ガルーダ国内線の発着する第3ターミナルへ向かいます。このバスは、駐機場を見ながら、空港ターミナル敷地の中を走って行きます。

第3ターミナルに到着すると、手荷物検査の後、そのまま出発ゲートへ出ます。

<全日空からガルーダ国内線への乗継>

なお、全日空はガルーダ・インドネシア航空とコードシェア便を飛ばしていますが、ガルーダ国内線への乗り継ぎの場合、現在のところ、最終目的地まで預け荷物はスルーで行きません。いったん、ジャカルタで預け荷物を回収し、税関検査を受けた後、到着ロビー(1階)へ出ます

到着ロビーから外へ出てすぐのところに大きなエレベーターがあるので、それで2階へ。2階の着いたところのすぐそばに、無料ターミナル間連絡バスの乗り場がありますので、そこからバスに乗り、第3ターミナルへ向かいます。乗り口に段差のある小さなバスですので、預け荷物を車内へ持ち込む際にはご注意ください(下に荷物入れがある場合でももすでに荷物でいっぱいの場合があります)。

第3ターミナルでは、改めて、ガルーダ国内線のカウンターでチェックインし、回収して持ってきた預け荷物を預けなおします。

<日本航空その他で国際線からガルーダ国内線への乗継>

上記の全日空からガルーダ国内線への乗継の場合と同じです。

<<修正&再修正!!>>

ブログの読者の方から、ガルーダ・インドネシア航空以外の国際線からガルーダ国内線へ乗り継ぐ場合でも、到着ロビーへ出ずに、乗り継ぎカウンターで発券、チェックイン、荷物預入れが可能、との情報をいただきました(情報提供をありがとうございます!)。

その場合には、預け荷物をターンテーブルから受け取った後、すぐ近くの税関ではなく、「ガルーダ国内線へ乗り継ぐため」と言って、ガルーダ国際線到着時と同じ税関まで、ずーっと(到着ロビーへ出ずに)中を歩いて移動し、税関検査後、左へ向かって、乗り継ぎカウンターで対応してもらう、ということになります。乗り継ぎカウンターはガルーダ国際線到着時の1箇所のようです。

ちょっと裏技的ですが、お試しになられてください。

<ガルーダ国内線からガルーダ国際線への乗継>

この場合も、出発地で預けた荷物はスルーで最終目的地まで行くはずです。

ジャカルタ第3ターミナル内の「国際線への乗継」表示場所から、ガルーダ国際線の発着する第2ターミナルへ無料シャトルバスで向かいます。バスは、第2ターミナルのF6に到着します。到着後、左へ曲がるとエスカレーターがあり、それで2階へ上がります。

「国際線への乗継」表示に沿って歩いていくと、ガルーダ国際線チェックインカウンターに出ます。そこをまっすぐ進むと、イミグレ(出国審査場)があります。

<ガルーダ国内線からガルーダ以外の国際線への乗継>

まず、到着した第3ターミナルで預け荷物を受け取ります。それを持って、いったん到着ロビーから外へ出て、一番左端から無料ターミナル間連絡バスに乗り、国際線のある第2ターミナル(2Dまたは2E)へ向かいます。

<ジャカルタ・スカルノハッタ空港の航空会社別ターミナル>

参考までに、現時点での航空会社別のターミナルは以下のようになっています。

*国内線
ライオン(ジャワ、カリマンタン、スラウェシ、バリ、ロンボク以外の東部地域) : 1A
ライオン(スマトラ各地、ロンボク) : 1B
バティック : 1C
シティリンク : 1C
スリウィジャヤ、ナム : 2F
エアアジア : 2F
ガルーダ : 3

*国際線
ガルーダ、中国東方、中国南方、エアアジア、エティハド、大韓航空、サウディア、ベトナム、アモイ:2E
上記以外:2D

なお、国際線は全て、いずれは第3ターミナルへ移転する計画のようです。また、各ターミナル間を結ぶトレインを現在建設中です。

スラバヤに着きました、が・・・

ジャカルタ経由でスラバヤに着きました。

今回はガルーダだったのですが、機内で見たガルーダの機内誌COLOURがなかなか面白かったので、いただいてきてしまいました。

日本時間で、もう間も無く日付が変わりますので、今は、これぐらいにして、後ほど、追加したものを掲載します。

スラバヤは日本と時差が2時間ありますので、まだ午後9時台。空港で荷物が出て来るのを待っています。

(1時間後)

荷物が出てくるのを待っているのですが、出てきません。羽田からスルーで荷物はスラバヤで受け取れるという話だったのですが。

どうも、ジャカルタでの乗り継ぎ時間が短くて、スラバヤ便に荷物を乗せられなかったようです。たしかに、羽田からジャカルタの便は、ガルーダ国内線第3ターミナルから一番遠い駐機場に着き、バスでイミグレのある第2ターミナルへ移動、そして第3ターミナルへ移動しました。

乗り継ぎ時間は約1時間半、それでも時間が短かったと言えるのかどうか、よく分かりませんが、ガルーダでインドネシアの国内線に乗り継ぐ方は、このような事態も想定されておいたほうがいいと思います。

荷物は、次のジャカルタ発スラバヤ行きの便で来るということで、もう1時間ぐらい待たされています。

お、やっと出てきました。(午後10時40分)

インドネシア政治の連載記事、執筆終了

明日から3月4日までのインドネシア・スラバヤ出張を前に、4回分のインドネシア政治に関する連載記事を書き終えました。

最近は軽いものしか書いていないので、久々に真面目に書いたせいか、くたびれました。

最初はもっとサラッと書こうと思ったのですが、書いているうちに長くなってしまい、結構な分量になってしまいました。書き込めなかった材料も色々あるのですが、また機会を改めて書いてみたいと思います。

おそらく、他のメディアではまだ出ていないような分析も含まれていると思います。例えば、2019年の大統領選挙につなげた私なりの見方を出してみました。

以下に、タイトルとサブタイトルを記します。よろしければ、ご一読いただき、コメント・ご高評等をいただければ幸いです。また、ご希望があれば、講演会等でお話をすることも可能ですので、ご興味のある方は、お知らせください。

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「ジャカルタ州知事選挙からインドネシア政治を読む」(全4回)

はじめに

1.反アホック勢力の候補ペア選定過程
 1.1. 統一候補ペア擁立への模索
 1.2. 統一候補ペアはなぜ実現しなかったか
 1.3. ユドヨノとプラボウォの歴史的確執
 1.4. イスラムを共通項に大衆動員へ

2.選挙運動でイスラムはどう使われたか
 2.0. はじめに
 2.1. ユドヨノ側のイスラム利用
 2.2. イスラム冒涜とされた問題ビデオ
 2.3. 素早かったMUIからのファトワ発出
 2.4. 体制内活動を担うイスラム団体はアグス=シルビア組を支持
 2.5. 筋金入りのイスラム強硬派はアニス=サンディ組を支持
 2.6. イスラム強硬派による反共喧伝

3.イスラム大衆動員の裏に隠された政治のリアル
 3.1. アホック公判で大衆動員の大義名分が失われる
 3.2. ジョコウィはアホックを見限っていない
 3.3. 大衆動員に付けられた政権転覆の匂い
 3.4. ジョコウィの汚職疑惑追及姿勢
 3.5. ジョコウィの汚職追及の標的はユドヨノ?
 3.6. ユドヨノと親族による汚職疑惑
 3.7. ユドヨノの本当の敵はアホックではなくジョコウィ
 3.8. プラボウォ側はどう出たのか

4.今後のインドネシア政治地図への影響
 4.0. はじめに
 4.1. 動員された者の多くはジャカルタの外から来たよそ者
 4.2. 安定化するジョコウィ政権
 4.3. 今後の政治地図を彩る3つのグループ
 4.4. ジョコウィ再選を狙うグループ
 4.5. ユドヨノ側の対応
 4.6. プラボウォ側の対応
 4.7. 注意すべき退役軍人グループの動き
 4.8. まとめと展望

インドネシア政治の連載記事を書いています

ここ数日、「ジャカルタ州知事選挙からインドネシア政治を読む」と題して、4回に分けた連載記事を書いています。久々に、インドネシアの政治ものの記事を集中して書いているのです。下記のリンクから飛べます。

    第1回 / 第2回 / 第3回 / 第4回

なぜ書こうと思ったのかというと、メディアの伝えるジャカルタ州知事選挙の記事が表面的なものに留まっていて、とくに、イスラムという要素に目を奪われすぎていると感じたからです。

たしかに、インドネシアの9割近くの人口を占めるイスラムのことは十分に見ていく必要があります。でも、何でもかんでもイスラム過激思想と結びつけて、意味のない恐怖心を煽るようなことがあってはいけないと思うのです。

この間、イスラムを旗印として、ジャカルタで起こった何万人ものデモや集会がインドネシア政治に大きな影響を与えたかというと、私にはそうは思えません。インドネシア政治のドロドロしたリアルな部分は、あの大衆動員の陰でうごめいていて、主要グループの対抗構造が変わり始めた気配があります。

また、ジャカルタという一地方の首長選挙であるにもかかわらず、それが次の大統領選挙を視野に入れた流れの中で動いており、今後、安定しているかに見えるジョコウィ政権が必ずしも盤石とは言えなくなる可能性も見えてき始めたように思えます。

そんな私なりの分析を記事にしたのですが、あえて有料とさせていただきます。というのは、様々な記事の切り貼りやコピペ記事とははっきりと区別したいからです。

いつものこのブログのように、サラッと書いてもよかったのですが、今回は、クロノロを作り、けっこうな量のインターネット情報を読み込みながら、書いてみました。時間と労力をいつもより費やした分、分量も長くなってしまいました。

ジャカルタやインドネシアの現場にいないということは、巷のゴシップなどを含む一次情報へのアクセスが限られるというデメリットと引け目を感じないわけではありません。しかし、今までの自分の経験からすると、現場にいると、逆に入ってくる情報が限られてしまう、俯瞰して立体的に物事を考えられない、ということも起こります。

有料ではありますが、よろしければ、是非、ご一読いただき、払った分の価値がある内容だったかどうかをお知らせいただければと思います。もちろん、厳しいご批判も覚悟しています。よろしくお願いいたします。

ジャカルタ州知事選挙の結果から読み取れること

2月15日に行われたインドネシアの101地方首長選挙の中で、内外のメディアに最も注目されたのが、首都ジャカルタの州知事選挙でした。

各種クイック・カウントでの得票率を見ると、候補ペア番号1番のアグス=シルヴィ組が16〜17%、2番のアホック=ジャロット組(現職)が42〜43%、3番のアニス=サンディ組が39〜40%、という結果でした。過半数を獲得した候補ペアがいなかったので、上位2ペア、すなわち2番と3番で決選投票が4月に行われます。
これまでの下馬評からすると、1番の票がかなり3番へ流れたことがうかがえます。1番はすでに敗北宣言をしました。
クイックカウントの結果には、意外に大きな違いはなかったですね。以前は、それぞれの候補ペアが自分に有利な数字が出るようにクイック・カウント会社を「買収する」といった話があり、結果が大きく異なることもあったのですが、今回はそのような様子は見られなかったように思えます。
私の予想では、2番がもう少し票を伸ばして過半数をかろうじて獲得し、僅差で当選するかなと思っていました。下馬評では3番がいま一つ伸び悩んでいましたが、私は3番は指示を伸ばしてくるだろうと思っていました。
インドネシアの選挙では、あえて2つのペアがガチンコで対決するのではなく、1つのペアが、自らの別働隊として、弱そうなペアを別に仕立ててあえて3ペアにして票を割り、決選投票へ持ち込んで勝つ、というやり方を戦術上採ることがあります。今回のジャカルタがそうだとは思いませんが、流れとしては、そんなふうにも見えてしまいます。
つまり、1番と3番は嫌アホックの票で概ね一致するので、次の決選投票では、1番の票を従えた3番が2番のアホックに勝つのではないか、という見方です。2番が勝つためには、イスラムか否かを基準に投票する人をいかに懐柔するかと同時に、3番のクリーン・イメージをいかに貶めるか、が鍵になってくると思われます。
現段階では、アホックが順当に勝つのはかなり厳しいと考えます。アホックがイスラム勢力を懐柔するのが難しいからです。となると、3番にこれからマイナスの何かが起こるのを待つしかないのかもしれません。

前回、ジョコウィが当選した2012年のジャカルタ州知事選挙のときも、今回とは違った形で、イスラムの名による大衆動員や誹謗中傷があり、もちろん、副知事候補だったアホックへの批判も渦巻きました。今回も、その片鱗は残っていました。

ジャカルタ州知事選挙を巡っては、表向きのイスラム主義の台頭(のような現象)やアホック自身の性格の問題などの裏に、様々な政治勢力の思惑があります。けっこう中身がゴチャゴチャしているのに加え、2019年の大統領選挙へ向けた動きとも関連してくるいくつかの要素が、すでに今回のジャカルタ州知事選挙に現れています。

それらについては、この数日の内に、Noteというアプリに記事を書きたいと思います。私なりの分析を加え、もしかすると中身が物議を醸すものになる可能性があるので、誠に恐縮ですが、有料記事とさせていただく予定です。僭越ではありますが、どうかご容赦ください。

地方首長選挙はジャカルタだけではないが・・・

インドネシアでは、ジョコ・ウィドド大統領の一声で、今日、2月15日は全国で休日となりました。

そう、今日は、ジャカルタ首都特別州の正副州知事選挙の投票日。だからって、全国も休みになるのかあ、と思った方は間違いです。なぜなら、地方首長選挙はジャカルタだけで行われているわけではないからです。
7州の正副州知事、76県の正副県知事、18市の正副市長、合わせて全国で101の地方首長選挙の投票日なのです。ジャカルタはその一つにすぎません。選挙費用がかかってしまうので、できるだけ統一して行うようになったのです。
大統領から州知事、県知事・市長に至るまで、インドネシアでは、正・副のペアで立候補し、有権者が意中の候補ペアを直接投票で選ぶ、という方法を採っています。この方法を採ることで、人口の拮抗するような種族、宗教、出身地盤などを基にした対立を回避し、これまで、(地域)社会の分断を少なくするような作用が果たされてきました。
たとえば、イスラム教徒とキリスト教徒の人口が拮抗しているところでは、首長候補がイスラム教徒ならば、副首長候補をキリスト教徒として、両者がペアを組むというのが一般的です。このため、種族対立や宗教対立が選挙運動で起こりにくい構造となっています。
かといって、候補ペア同士が細かな政策論争を繰り広げるという要素も少なく、最終的には、その土地の有力者や名士の一族かどうか、資金力があって選挙戦を十分戦えるかどうか、などが投票に影響を与えます。
選挙には金がかかります。その資金を作るために、候補ペアは自分の資産や財産を売却したり、多額の借金を作ったりますので、もし選挙で負けると、借金の返済に苦しむだけでなく、一気に貧困にあえぐ状態に陥る可能性もあります。実際、選挙で負けて、精神的におかしくなってしまう者もいると聞いたことがあります。
資金を作るのは勝者も同じで、だから首長は任期中に当選前の「投資資金」を回収するのに忙しく、汚職への動機がどうしても生まれてしまうとも聞きます。
インドネシアにも政党はありますが、地方首長選挙では、まず有力者がいて、彼がどの政党の神輿の上に乗るか、という力関係になります。すなわち、政党が地方首長をて下にするのではなく、政党が次回総選挙を有利に進めるために、どの勝ち馬に乗るか、という形になります。ですから、1期目と2期目で与党が異なるという事態が一般的になります。
ということで、101の地方首長選挙は地元の方々にとっては大変重要なものであり、私も幾つかの地方首長選挙の結果が個人的に気になっています。ジャカルタ首都特別州知事選挙もそうした選挙の一つにすぎないのです。
日本でジャカルタ首都特別州知事選挙が注目されるのは、それを取材する日本のメディアが皆ジャカルタにおり、他の100の地方首長選挙を取材する余力がない、という物理的な理由もあります。ジャカルタだけがインドネシアではない、ジャカルタがインドネシアを代表するわけでもない、と私は何度も声を大にしてきました。
しかしながら、やはりジャカルタ首都特別州知事選挙は、他の地方首長選挙よりも重要な意味を持つものとなってしまいました。なぜならば、今のジョコ・ウィドド大統領がジャカルタ首都特別州知事から大統領へ就任したことで、ジャカルタ首都特別州知事ポストが次期大統領へ向けての重要ポストとなってしまったのです。

そのような文脈で、今回、現職のアホック知事(華人・キリスト教徒)が再選されるかどうかが注目されるに至ったわけです。

今回のジャカルタ首都特別州知事選挙の持つ意味は何か、この選挙の裏で起こっている重要な動きとは何か、イスラム関係者の動きや数万人を動員したデモはどのような意味を持つのか。そういった話は、このゆる〜いブログではなく、別のところで、私なりの考えを述べてみたいと思っています。お楽しみに。

「バレンタインデーを祝わないように」との通達

明日2月14日はバレンタインデー。日本で最もチョコレートの売れる時期でもありますが、インドネシアも、今ではバレンタイデーが有名になりました。

そして、毎年のように、「バレンタインデーを祝わないように」という呼びかけが出されます。

たとえば、首都ジャカルタの南隣にあるデポック市は、優秀で想像力に富み、宗教的で競争力のある人材を作り、将来に活躍する最良の世代を準備するため、2017年2月8日付市教育局回状を通じて、次のことを求めました(元のDetikの記事はこちら)。

1.生徒に対しては、学校内外でバレンタインデーを祝わずに、インドネシアの東洋的な文化価値に沿ったポジティブな活動に勤しむことを期待する。
2.生徒の親に対しては、子供たちを誘って家の中あるいは外で、家族の調和やつながりを高めるレクリエーションなどで一緒に過ごすことを望む。
3.すべての学校関係者は、学校内におけるインドネシア民族の代々伝えられてきた文化価値を踏まえた性格や態度を根付かせることを願う。

この通達の文面を見る限り、デポック市は、イスラム的価値にふさわしくないからバレンタインデーを祝ってはならない、と言っている訳ではないことがわかります。

この通達は、バレンタインデーそのものを批判している訳ではありません。そうではなく、最近の若者たちのバレンタインデーの過ごし方が尋常ではなくなっていることへの懸念が強く表れています。

以前聞いた話では、バレンタインデーに異性と食事やデートするだけならともかく、未成年どうしで外泊したり、バイクで走り回ったり、アルコールを飲んで騒いだり、とにかく風紀がものすごく乱れているということでした。どうやら、若者たちが自分たちの行動を自制できない事態が多々起こっているようなのです。

話は変わりますが、インドネシアのコンビニでビールが売られなくなり、在留邦人や日本人出張者の間でずいぶん話題になったのを覚えている方も多いと思います。

それを「イスラム教の影響が強くなっているから」と解釈する向きもありましたが、必ずしもそうではありません。

実は、コンビニが未成年者へアルコール類を売ってしまい、それを飲んだ若者が騒ぎを起こすという事件が相次ぎ、なかには、メチルアルコールにまで手を出して飲んで死んでしまう事件が起こるに至り、アルコール類の販売禁止策が出されるに至った、という経緯があります。

コンビニでのアルコール販売禁止も、今回のバレンタインデーを祝わないようにという通達も、自制できない若者たちを鑑み、彼らが欧米の真似をしてそれにうつつを抜かしている状況を懸念した、風紀の乱れ対策と見るのが適当かと思います。

しかし、この風紀の乱れに歯止めがかけられないと、イスラム法で治める以外に手段はない、という声が出てきてしまいます。すなわち、頼れる規範がイスラムしかないと考える向きが強まるのです。本当に風紀の乱れ対策をいろいろ考えてやったかどうかは分かりませんが、イスラムを出すほうが手っ取り早い、と考える人々も多いと思われます。

かつて、汚職撲滅が進まないのは世俗法で処しているからであって、イスラム法の世界になれば汚職は摘発できる、と汚職構造の抜本的改革にはイスラム主義で処するしかないという考えが現われたことがありました。インドネシアで10数年前、イスラム国家か世俗国家という議論が現れた背景には、こうした汚職対策への無力感がありました。

そして、イスラムの名を使いながら、そのような状況を利用しようとする政治勢力も現れてきます。

うがった見方をすれば、バレンタインデー反対に象徴されるのは、己を忘れ、欧米から入ってきた風習を無批判に無節操に受け入れ、それを自分でコントロールできないように見える若者たちを、東洋的とか土着文化とかいう曖昧な概念を用いて、インドネシアという国家に引き止める方策にも見えます。

本当に重要なのは、自制できる若者をどのように作っていくか、ということでしょう。それは、自分で分別をわきまえ、節度ある行動のできる若者になっていくことであり、それは今の教育のあり方と深く関わってくると思われます。

でも、どうしてこんな風になってしまったのか、とても不思議な気がします。

というのは、私がジャカルタに住んでいた1990年頃は、キリスト教徒以外は、誰もバレンタインデーなど祝っていなかったからです。それも、好きな相手に花束を贈る(多くの場合は男性から女性へ)のが一般的で、「日本では女性が男性にチョコレートを贈るのが流行っているんだ」というと、皆んなから「変なの!」と言われたものでした。

今では、インドネシアでも、バレンタインデーに女性が男性にチョコレートを贈るのは普通のこととなりました。これは日本の真似なのでしょうか。

東京・銀座のリンツカフェの
チョコレートアイス&クレープ

中国正月に寄せて:華人>プリブミの時代は終わった

今日は中国正月(イムレック)。私は東京ですが、インドネシアでも、各地で爆竹が鳴り、花火が上がり、獅子舞が繰り出し、賑やかにお祝いをしているようです。

2016年2月の中国正月、スラバヤの
タンバック・バヤン地区で見た獅子舞

スハルト時代から30年以上、インドネシアを見てきた自分にとっては、このお祝いをしていること自体が信じられないことのように思えます。

なぜなら、1998年5月のスハルト大統領辞任までの時代は、基本的に中国との対決姿勢をとってきており、中国正月を祝うどころか、漢字の使用も禁止されていました。華人系の人々は、身内だけでひっそりと、人目を避けながら中国正月を祝っていたのでした。

スハルト政権が崩壊し、後継のハビビ大統領の後のアブドゥルラフマン・ワヒド(グス・ドゥル)大統領の時代に中国正月を祝日とすることが決まり、その後のメガワティ大統領の時代に正式に祝日となりました。中国正月が祝日となってから、まだ10数年しか経っていないのです。

そんな歴史を感じさせる様子もなく、街中のショッピングモールでは中国正月向けのセールが行われ、中国正月を祝う赤い色で埋められています。

華人はインドネシア国籍を持つインドネシア人の一部、という認識が定着してきました。華人系の人々も、祖先の出身国である中国よりもインドネシアへの帰属意識が強くなり、華人系だから中国共産主義の手先、という見方も随分と薄れました。

スハルト時代には認められなかった華人系の政治・国防治安への進出も進み、華人系の政治家や軍人・警察官も、一般には特別視されるような状況でなくなりました。

漢字交じりの看板はあまり見かけませんが、中国語の新聞や雑誌などはけっこう出版されています。テレビやラジオでは、中国語ニュースの時間がレギュラーであり、中国語の歌謡曲やポップスも流れます。

スハルト時代に政治・国防治安への参入を禁じられていた華人系は、ビジネスの世界で生きていかざるをえず、その結果として、ビジネスは華人系企業グループが牛耳っている、という状況は、マクロで見ればあまり変わっていませんが、ミクロで見ると変化が起こっています。

すなわち、30〜40代の経営者を見ると、華人系だから優秀で、プリブミ(非華人系)だからダメ、ということはほとんど言えなくなりました。華人系でもそうでなくとも、彼らの多くは海外で教育を受けた経験を持ち、アジア全体に目を向けて英語でビジネスをし、経営手法も、かつてのような政治家と癒着したり特別扱いしてもらうことを前提としない、スマートな経営を行っています。

日本では今だに「華人系でないとパートナーとしてはダメ」といった話をよく聞きます。しかし、何を根拠にそう言えるのか(おそらく話者の幾つかの経験に基づくのかもしれませんが)、疑問に感じます。

華人系とか非華人系といったレッテルで見るのではなく、個々の経営者が優れているかどうかを見極めて、判断する眼力が求められていると痛切に感じます。

そして、華人系を中国と常に結びつける見方も適切ではなくなっています。たしかに、彼ら華人系は中国の政府や企業とビジネスを行っていますが、それは人種的な親近感に基づくのではなく、純粋にビジネスとして有望かどうかを判断して行なっているのです。非華人系でも、同じように中国の政府や企業とビジネスを行っている者が少なくありません。

スハルト時代の末期には、スハルト・ファミリーのビジネスを非華人系の代表として優先的に拡大させることを暗黙の目的として、華人系をディスる傾向が見られましたが、現在は、非華人系が政治家と結託して華人系をディスるような傾向は見られません。その意味で、何の根拠もなく、「華人系のほうがプリブミよりも優れている」といえる時代はもはや終わったのだ、と思います。

ただし、昨今の中国人労働者の大量流入や中国企業の進出を背景に、中国ファクターを政治的に使って現政権に揺さぶりをかけたがっている勢力が存在する様子もうかがえます。

ジャカルタ首都特別州知事選挙に立候補しているアホック現知事(休職中)への攻撃も、華人系でキリスト教徒であるという点を執拗に攻めている形です。これは、あくまでもアホックへの個人攻撃とみなせるものですが、これが制御を失って、政治的に中国批判という形になってしまうとまずいです。

現に、現政権の与党・闘争民主党やジョコウィ大統領が中国を利しているとして、共産党との関係を疑うような話題も出始めており、中国ファクターを政治的に使って政権批判を行う可能性がないとは言い切れません。そして、国際政治にそれが連結した場合、今の微妙な日中関係を背景に、インドネシアにおける日本や日本人の立ち位置が難しくなりかねません。

もっとも、今のインドネシア社会では、(インドネシア人である)華人系と(外国である)中国とを区別するという態度が一般的になってきています。ですから、それほど過度に心配する必要はないのですが、一応、気をつけて見ていく必要はありそうです。

少なくとも、「華人系だから」といった色眼鏡でインドネシアのビジネスを見ることなく、経営者やそのビジネスの中身で判断する時代となっていることを理解して行動してほしいと思います。

ジャカルタお掃除クラブの5年間

発展途上国の多くの都市が直面する最大の問題の一つがゴミ問題です。インドネシアもその例外ではありません。

首都ジャカルタの大きな目抜き通りは街路樹の緑に溢れ、色とりどりの花が咲き乱れています。広めの歩道も完備した大通りを通りながら、「インドネシアも発展したなあ」と感じた方々も多いことと思います。

でも、外国人があまり通らない裏通りに入った途端、様相は変わります。下水道の普及率が数%というインドネシアの大都市で、平気で川や側溝にゴミを捨てている人を見かけます。高級車の窓から道の真ん中に堂々とゴミを捨てる人を見たこともあります。

そんな姿を見ながら、一つの仮説を思いつきました。インドネシアと日本では、公園や道路のような「公共の場所」についての認識が違うのではないか、と思ったのです。

日本での「公共の場所」とは、みんなの場所。一方、インドネシアでの「公共の場所」とは、誰のものでもない場所。

みんなの場所だから、次に使う人のことを考えてきれいにするのでしょう。でも、誰のものでもない場所なら、きれいにしようと思うでしょうか。ゴミはそういうところへ捨てられるのではないでしょうか。

実際、インドネシアの低所得層の方々の住むところを訪れると、家の中や周りはみんなきれいにしています。でも、その集落の入口や他の集落との境、あるいは目の届かない隠れた場所は、ゴミでいっぱいです。

誰でも、自分のいるところ(自分のものであるところ)はきれいにしておきたいので、誰のものでもないところ(政府所有のものも含む)へゴミを捨てるように思うのです。

目に見えないところ、みんなのものとは見なさないところだったら、きっと日本でも、分からないようにゴミを捨てるのではないでしょうか。

そして、日本でもインドネシアでも、誰も見ていないときにゴミを捨てるのです。インドネシアでよく見るのは、誰も見ていないと思った人がポロリと路上へ、タバコの吸い殻などのゴミを(捨てるではなく)落とす光景です。たまたま、私がそれを見ていて、落ちたものを「落ちましたよ」と言って拾ってあげると、すごくバツが悪そうです。

みんなの場所の指す範囲や数が日本では広く、インドネシアでは狭いのかもしれません。

また、インドネシアのあるイベントでゴミを拾っていたら、「拾うな」と言われました。ゴミ拾いを職業としている人がいるので彼らの仕事を奪うな、というのです。そういう考え方の人は、きっと大多数なのだと思います。

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このようななかで、ジャカルタをきれいにしたいと思う人々が始めた「ジャカルタお掃除クラブ」の活動が、様々な紆余曲折を経て、5年目を迎えました。

「インドネシア=日本の新たなパートナーシップ」セミナー」
(2015年1月28日)に登場したジャカルタお掃除クラブの面々

人口1000万人の大都市のゴミ問題とゴミに対する人々の認識を考えると、彼らの活動が意味を持つのか、という疑問が湧くのもうなずけてしまいます。日本関連のイベントなどで活動すると、他人のゴミを拾ってくれる清掃員と捉える人が多くいたようです。

でも、5年の間に、いろいろな変化が起こり始めました。まず、日本人だけで始めた活動が今ではインドネシア人が中心の活動へ変わり、参加者も徐々に増えてきています。ジャカルタだけだったのが、スラバヤ、メダン、バニュワンギなどの他都市へ広がり始めました。そして、別の名前のグループが、同様の活動を始めました。

形だけかもしれませんが、可燃ゴミと不燃ゴミとを分けたゴミ箱がジャカルタなどで一般的に見られるようになりました。「ゴミ箱はどこにあるのか」と聞かれることが多くなりました。地方都市などでは、地方政府がリサイクル・ゴミを収集して業者へ売るゴミ銀行の運営にかかわり、住民に「ゴミはお金になる」という意識を植えつけ始めました。

インドネシア第2の都市スラバヤは、ジャカルタとは違ってきれいな街、という評判があります。たしかに街を歩くとそう感じます。でも、それは、今のリスマ市長が環境美化局長だったときから予算を十分にとり、朝も夜も、頻繁に市政府が人員を配して清掃活動を行なっているからなのです。市民のゴミに対する意識が他よりも進んでいるからではないのが残念です。先はまだ長いと言わざるをえません。

ジャカルタお掃除クラブの活動は、市民の意識改革を目指しています。設立者である芦田氏は大事な友人ですが、彼の活動にエールを送りつつ、お掃除クラブが必要でない世の中になることがお掃除クラブの最終目標だよね、とずっと言い続けてきました。

5年経って、意識改革へ向けたその活動は、根っこをしっかり生やし始めたのだと感じています。そして、彼らの真摯な活動から、日本の我々自身が学ぶことも大きいのではないかと確信します。

ジャカルタお掃除クラブが日本を視察した際の活動を振り返るビデオ(インドネシア語版)が完成しました。以下のフェイスブックのサイトで予告編を見ることができます。

 予告編

なお、日本語版全編をご覧になりたい方は、芦田氏(ts_ashida@yahoo.co.jp)までご連絡ください。DVDを無料でお送りするそうです(インドネシア国内のみかどうか、ご本人にご確認ください)。

パサール・サンタは今

このところ、出張中の雑務でなかなかブログ更新ができず、個人的にも少しまずいなと思っているのですが、まあ、やむをえません。できる範囲でゆるーく書き続けていこうと思います。

昨日(7/24)、久々にジャカルタのパサール・サンタへ行ってみました。

パサール・サンタといえば、近年、3階部分の区画を若者たちが借りて、様々な小ビジネスを始め、活況を呈していると話題になっていました。一時は、入居希望者が後を絶たず、半年ごとに入れ替えとするほどの盛況ぶりで、伝統的な市場の活性化モデルとして注目されていました。

とくに、平日はオフィスで働く若者たちが土日のみここで小ビジネスをする、というのも結構あったので、昨日の日曜日、またあの活況に会えると期待して行ったのです。

行ってみたら、シーンとしていました。ほとんどの区画はシャッターが閉まったまま。閑散としていました。

あのかつての土日の賑わいはどこへ行ってしまったのだろうか・・・と訝しがって、開いていた小さな本屋の店主に話を聞きました。

曰く、数年前までは賑わっていたが、その後、急速に客足が減ったとのこと。客足が減るにつれ、短期的利益を目的に事業を行っていた人々が継続できなくなり、どんどん撤退していったとのこと。今も残っているところは、短期的利益を求めるのではなく、しっかりした経営理念のもとで中長期的観点から事業を行っているところだ、ということでした。

その小さな本屋も、大手書店などの流通に乗りにくい地方の小さな出版社の出す良書を集めて、細々とながら、それらを世の中へ紹介していくことを使命としている、ということでした。スラバヤやマカッサルの私の友人たちの名前が何人も出てきて、ちょっとビックリでした。こんな本屋がまだ頑張っているところに、何となく救われる思いがしました。

熱し易く冷め易い。そんなインドネシアの人々の気質が思い浮かびました。

この本屋の向かいには、麺を出すスタンドがあり、そこで食べてみました。これがオリジナルのなかなかの麺でした。

見た目はただの麺ですが、汁がややカレー味で、独特の美味しさを醸し出しているのです。ワンタンも美味しく作ってあり、想像よりもずっと工夫して作られていました。

そう、ほかのどこにもない味でした。そうしたオリジナリティがこうした事業を支えているのでしょう。

この店を切り盛りするアンドゥリ君は大学生ですが、メルボルンにいた兄がこの味を開発したのだとか。本人は、フィリピンへ行ってパイロットになりたかったが、家族の反対で諦めたのだそうです。

この店は今度、スカルノハッタ国際空港の新第3ターミナルにも出店を予定しているそうです。今後の展開が楽しみです。

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