2022年の始まりにあたってー地域づくりとインドネシア

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。皆さまにとって、2022年が明るく、楽しく、面白い一年となりますよう、祈念いたします。

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新型コロナ禍で東京からどこへも行けない日々に加え、「家族」、恩人、親友など、これまでインドネシアでお世話になってきた大切な方々が次々と旅立っていくなか、昨年は、悲しみから逃れることのできない一年となってしまいました。もうインドネシアから離れてしまう運命なのではないか、という気持ちさえ起こりました。

新年を迎え、ようやく少し気持ちが前向きになってきた気がします。今後は、地域づくりとインドネシアの2本立てをより強化していきたいと考えています。

バンドゥンの私立シリワンギ教員養成大学のトラ

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【ぐろーかる日記】かつて馴染んでいたのに使わなくなった言葉たち

いつの頃からなのだろうか。知らないうちに、かつて馴染んでいたのに使わなくなった言葉、使えなくなった言葉があることに気がついた。

それらは、国際協力、経済協力、開発協力、援助、国際交流といった言葉である。

かつて、私はJICA専門家として、インドネシアのマカッサルを中心に、地域開発政策アドバイザーという名前で、国際協力の最前線で働くことを仕事とした経験がある。JICA長期専門家としてのべ7年、それに同短期専門家やJETRO専門家としての年数を加えると、10年近く、国際協力の名のもとに仕事をしてきた。

JICA専門家時代、中スラウェシ州パル市庁舎でルリー市長と面会中の筆者(2000年4月26日)

今でも、便宜的に、法人としてお引き受けする業務のなかに、「国際協力」という言葉が入っている。しかし、「協力する」という言葉に強い違和感をますます感じるようになり、大っぴらに「国際協力」と自分からは言い出せなくなった。

それはなぜなのか。 » Read more

【ぐろーかる日記】ようやく旧宅から新宅へ引っ越した

このブログでも何度か取り上げてきた東京の自宅の旧宅から新宅への「引っ越し」。

2020年10月26日のブログで家の話を書いた。

東京の都心の庭のある我が家でご一緒しませんか

ずるずると時は過ぎ、ようやく2月23日、引越し業者さんの手を借りながら、引っ越しできた。
といっても、新宅は旧宅の隣。業者を頼まなくとも、自分たちだけでできそうに思われるかもしれないが、やはり、タンスやら机やら棚やら、大きくて重いものは、やはり自分たちだけでは無理。専門家に頼んで正解だった。 » Read more

【ぐろーかる日記】新型コロナ禍のおかげで良かった個人的なこと

こんなタイトルをみたら、不謹慎に思う人もいるかもしれない。

皆んなが苦しいときに、自分だけ楽しかったり、笑ったりしてもいいのだろうか。やっぱり、苦しい気持ちでいなければならないのだろうか。

そんな気持ちになることが、10年前の東日本大震災以来、頻繁にある日々を過ごしてきた。

今回もそうだ。新型コロナ禍で皆んなが大変な状況にある。

実は、自分だってそうだ。予定していた昨年から今年にかけての仕事は次々になくなり、どうやって日々を過ごしていくか、家族を養っていくかで汲々としている。

そんななかで、もしかすると、新型コロナ禍のおかげで良かったのかもしれない、と思えることがひとつあった。

自分は、毎月、かかりつけ医のところで血液検査を行い、コレストロール値を測り、診察を受けている。診察を受けて処方される薬を毎日、ずっと飲み続けてきた。これまで、高脂血症と共生してきたのである。

あれは、1990年8月、前の職場の海外派遣員として、初めてインドネシア・ジャカルタに2年間滞在したときから始まる。初めての長期滞在、インドネシアに居る間にしかできないことは何でもやってみよう、と様々なことを体験してみた。敢えて、一軒家ではなく、ふつうのジャワ人の家庭の「長男」として下宿した。

そのなかで、最も熱心に取り組んだことは、食べることだった。

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【ぐろーかる日記】ときどき昔ばなし(2):警察で腕立て伏せをさせられた

初めてジャカルタでの長期滞在を始めた頃に、忘れられない経験がある。

1990年9月のある日、私は、長期滞在を始めるにあたっての手続の一環として、南ジャカルタの国家警察本部を歩いて訪問した。滞在許可には、出入国管理局での許可以外に、警察の許可も取る必要があったからである。

国家警察本部の入口には詰所があり、守衛役の警察官が10人ぐらいいた。中へ入る前に、「何をしに来たか」と尋ねられた。外国人滞在許可の手続のために来た、と答えると、なぜかすぐには入れてくれない。突然、理由は不明だが、警察官に「ここで腕立て伏せをしろ!」と命じられた。

理由を訊こうとしたが、当時はインドネシア語がまだおぼつかなく、モゴモゴしているうちに、「早くやれ!」と罵声が飛んできた。結局、言われるがままに、彼らの前で腕立て伏せをやらされた。

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【ぐろーかる日記】排除される人のない、誰しもが参加できる経済の仕組みを目指すリンクル―ジョン

1月19日は、国際機関日本アセアンセンターのASEAN最新事情ウェビナー「ミャンマーでの小口金融・ラストマイル流通事業の展開」で司会進行役を務めました。講師は、リンクル―ジョン株式会社CEOの黒柳英哲氏でした。

⇒リンクル―ジョン株式会社:https://www.linklusion.co.jp/

黒柳氏の講演は、マイクロクレジット向けのクラウドサービス提供からB2Bコマース事業へ展開した事業内容の経緯、リンクル―ジョンが主とする地方とヤンゴン等都市との比較、B2Bコマース事業で扱う商品等を通してみた地方の生活と消費の詳細、新型コロナの影響、へと展開しました。

具体的な事例に基づく実践的な内容の発表で、行きつく暇もないぐらい、現場の臨場感の伝わってくる興味深い内容でした。講演資料は間もなく、日本アセアンセンターのサイトにアップされるものと思われます(アップされたらこのぺーじにURLを掲載します)。

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【ぐろーかる日記】搾取からの脱出、またグローカルな妄想

宮本常一『調査されるという迷惑』という本をご存じだろうか。私がこの本の存在を知ったのは、インドネシア地域研究を仕事とするようになってしばらくしてからだったが、この本と出会う前から、この本で宮本常一が書いているのと同じようなことをずっと思っていた。

インドネシア地域研究者としての自分は、もちろん、インドネシアについて調査研究をする。インドネシアで様々な人々に会い、地域を訪れ、そこで得た情報をもとに分析し、調査研究報告書をまとめ、論文として発表する。

論文をどこに発表するのか。多くの場合は、日本語の出版物を通じた日本の方々に対してであり、あるいは学会やセミナーなどでの発表や講演という形になる。日本の機関に所属し、日本側に調査研究の費用を賄ってもらうのだから、日本のための調査研究であることは当然である。日本のために、インドネシアを調査研究し、日本社会へ還元するのは、言うまでもないことである。

かつて、地域研究は、相手側の地域において、自国の利害や利益を獲得するために、あるいは場合によっては相手側を屈服させて支配するための基礎情報として、相手側の地域を徹底的に調べるということが行われた。その意味で、地域研究は極めて戦略的かつ意図的に行われた。地域研究者の仕事は、そこではスパイと見なされてもあながち間違いではなかったかもしれない。

自国のために他国・地域の情報を収集・分析することを求められた、かつての地域研究。今はそうではないと思いたいが、本当にそうだろうか。

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【ぐろーかる日記】2021年に始めたいこと

2021年に始めたいことがいくつかある。年の初めに宣言しておきたい。とりあえず、今、思いついている3点、すなわち、(1)インドネシア語でインドネシア社会へ向けて発信するメディアを立ち上げる、(2)「よりどりインドネシア」をウェブ情報マガジンからコミュニティへ拡大する、(3)インドネシア・ウォッチャーに限定したクローズド・サロン(私塾)を開始する、を挙げる。

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【ぐろーかる日記】謹賀新年、ブログを松井グローカルHPへ集約します [2021/01/02]

ぐろーかる日記をご覧の皆さま、2021年の始まりを色々な気持ちで迎えられていることと思います。

2020年中に起きた様々な出来事を思い出すと、あけましておめでとうございます、といってよいのだろうかという気持ちも正直湧いてきます。それでも、皆さまにとって、良き年となりますよう、心からお祈り申し上げます。

ところで、2021年の始まりを機に、これまで書いてきたブログを「松井グローカル」のホームページに集約することにいたしました。同ホームページ(https://matsui-glocal.com)の「Japanese/日本語」メニューの「日本語ブログ」、または「Blog/ブログ」の「日本語ブログ」から入ることが可能です。

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【ぐろーかる日記】年末年始に東京から帰省しないということは・・・[2020/12/30]

2020年12月30日、例年と同じく、この日は正月関連の食材を妻と一緒に買いまわる日である。

いつもだいたい、買い物に行くところは決まっていて、伊達巻と蒲鉾はあそこ、年越しそばと天ぷらはここ、正月3が日におせち以外で食べるための食材はあれとこれをあそこで、といくつかのスーパー、店、デパ地下などをめぐる。

今年はちょっと様子が違っていた。

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【ぐろーかる日記】大好きな洋食屋さんでささやかな夕食 [2020/12/25]

自宅から歩いていける距離に大好きな洋食屋さん「フランス亭」がある。

コック帽をかぶったおじさんと話好きのおばさんで切り盛りしている、町の小さな洋食屋さん。時々、無性に行きたくなる洋食屋さんなのだ。

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【ぐろーかる日記】ときどき昔ばなし(1):ジャカルタ初赴任前

インドネシアと付き合って35年が経つ。最初に赴任したのは、首都ジャカルタ2年間だった。研究所の海外派遣員として、国立インドネシア大学大学院に入った。

入学試験は日本では受けられなかった。入学試験を受けるために有休をとってジャカルタへ飛び、インドネシア人の皆さんと机を並べて、2日間、6科目の記述式試験を受けた。

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【ぐろーかる日記】恋しいが嬉しいに変わっていく、FACEBOOKのおかげ [2020/12/16]

今日(12/16)の朝、自分のFACEBOOKページに、以前、インドネシアに住んでいたときの場所の名前と「恋しい」という言葉をずらずらとインドネシア語で書いて投稿した。

こんなふうに・・・。

Rindu Rawamangun. Rindu Jalan Lombok. Rindu Daeng Tompo. Rindu Perintis Kemerdekaan. Rindu Gunung Batu Putih. Rindu Duku Kupang Barat. Rindu semua.

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【ぐろーかる日記】Googleが突然動かなくなった夜 [2020/12/14]

12月14日夜9時過ぎ、突然Googleが動かなくなって、慌てた。そして改めて、インターネットを使う日常がいかにGoogleに依存していたかを感じ入った。

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【ぐろーかる日記】小石川植物園で紅葉狩りの後、如水会館へ [2020/12/12]

1カ月近くブログを書かないでいたが、これからまた、少しずつでも日記として書いてみたい。途中でしばし途切れるかもしれないが、ご容赦のほどを。

12月12日(土)、今年はこれまで、なかなか紅葉を見に行けなかったので、妻と一緒に、小石川植物園へ出かけた。入場料は500円に値上がっていたが、来場者もさほど多くなく、ゆっくりと紅葉狩りを楽しむことができた。

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【ぐろーかる日記】中スラウェシ州のある親友の訃報

昨日(11/16)、友人のフェイスブック・ページに昨年、インドネシアの中スラウェシ州パルで久々に再会した仲間たちとの写真が掲載されていました。

フェイスブックには1年前の写真などがよく掲載されるので、きっとそれかと思ったのですが、たしか彼らと会ったのは、中スラウェシでの震災(地震、津波、液状化)から1年経った10月2日だったはず。日にちが合わないなあ、と思って、ポスティングを読んでいたら、お悔やみの言葉がたくさん並んでいます。

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【ぐろーかる日記】今年の酉の市はいつもと全然違った

2020年11月2日、天気のよかった土日にこもって作業していた資料作成が終わったので、妻と一緒に巣鴨の大鳥神社へ行きました。今日は酉の市の一の酉。毎年、妻と一緒に出かけるのですが、今年の酉の市は、いつもとは全然違うものでした。

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【ぐろーかる日記】東京の都心の庭のある我が家でご一緒しませんか

色々と怒りや諦めや悲しみを感じ続ける今日この頃で、それをブログに殴り書きしたい気持ちにもなるのですが、敢えて、それを抑えて、現実逃避???

東京の我が家の庭もすっかり秋めいてきました。庭に植えてある柿の木やザクロの木も実をつけて、まさに実りの秋。

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【ぐろーかる日記】インドネシア風ミーゴレン、ハラルにして欲しい

色々日々思うことは多く、ときには絶望感に苛まれることもあって、ブログを書けそうで書けない毎日を送っています。日本学術会議の問題やら菅首相のインドネシア訪問やら、自分の気持ちをうまくまとめられず、たわいのないことを書いて、お茶を濁すような感じになってしまうのが、自分でも残念なのですが・・・。

今回は、インドネシア風ミーゴレンの話。もちろん、これは、最近、某コンビニで新発売された食品です。このところ、シンガポール風福建麺、西安風うま辛香油麺ビャンビャン麺など、アジアづいているこのコンビニが出したものです。

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