【インドネシア政経ウォッチ】第99回 カキリマの合法化(2014年9月11日)

ジャカルタ首都特別州は、カキリマと呼ばれる移動式屋台や露店の合法化を開始した。カキリマとは5本足という意味で、移動式屋台にある2つの車輪、営業場所で屋台を固定する支え棒、それに人間の足2本、の5本の「足」があることから「カキリマ」と呼ばれる。カキリマは、都市雑業層、いわゆるインフォーマル・セクターを象徴する存在である。

州政府は、カキリマに対して事業内容票の作成、州営バンクDKIへの預金口座開設、デビットカード機能付きの会員証の作成を求め、それを満たせば、カキリマを正式の商業活動として認めることとした。カキリマはこれまで1日5,000ルピア(約45円)の場所代をクルラハン(地区)治安秩序員へ現金で支払ってきたが、今後それは、州利用者負担金(retribusi)として、デビットカードによる自動引き落としの形で支払うことになった。

インフォーマル・セクターに属するカキリマは、正式の営業許可も場所の使用許可もなしに活動し、それが故にいつでも警察の取り締まりの対象になるという恐怖感を持つとともに、警察に対抗して彼らを守る「ならず者集団」(プレマン)に金を払ってでも従属せざるを得ない、という弱い立場にあった。参入障壁の低いカキリマは、こうしてなかなか近代的な商業活動へ育つことが難しかった。

そこへ行政が介入した。州政府がカキリマを強制排除せず、フォーマル・セクターへ導く役目を果たし始めた。カキリマの営業上の権利を守る一方、そのために必要な義務を果たすよう求めている。たとえば、先の条件が満たせなければ、カキリマの営業は認められない。また、歩道や公園でのカキリマの営業は認めない方向で、シンガポールのように特定の場所へカキリマを移転させていくことが予想される。

これは、ジョコウィ=アホックのコンビが率いるジャカルタ首都特別州で起こっている変化の一コマである。果たして、ジョコウィ次期大統領の下で、こうした変化が全国各地で見られるようになるのだろうか。

【インドネシア政経ウォッチ】第80回 政府、工業団地開発に積極的関与へ(2014年3月27日)

2013年工業法の成立を契機として、政府が工業団地の量的・質的向上へ積極的に関わる姿勢を見せ始めている。インドネシアでは工業団地の9割以上が民間主導で開発されたことから、政府には、マレーシアのように政府主導で開発を進めた国に比べて土地収用が遅れ、用地価格も高めになったという認識がある。

政府は、14年から、品質基準を定めて工業団地を評価し、2年間有効の認定証を出すほか、優秀な工業団地を表彰することを検討している。また、ジャカルタ周辺から地方への産業分散を図る観点から、25年にジャワ島外の工業生産比率を40%以上にすることを目標に、特にジャワ島外での工業団地開発を促す意向である。

工業団地は現在、全国に74カ所・約3万ヘクタールあるが、そのうちジャワ島には55カ所・2万2,796ヘクタールが集中する。しかもそのほとんどはジャカルタ周辺に立地する。残りはスマトラ島に16カ所、スラウェシ島に2カ所、カリマンタン島に1カ所である。今後、少なくとも20カ所、合計約3万ヘクタールの工業団地開発が計画されている。

ジャカルタ周辺の工業団地拡張の余地は限られている。西ジャワ州カラワン県は、空間計画による工業向け用地2万ヘクタールが満杯となったとして、新たな工業団地向け認可を行わない方針を示した。全国有数の米作地でもある同県には、農業用地を確保する狙いもある。今後の工業団地開発では、まだ余地の大きい東ジャワ州、中ジャワ州、ジャワ島外への注目度が増すだろう。

ジャワ島外の工業団地は、経済特区(KEK)指定と絡めた展開となる。中国などが工業団地開発に興味を示しているが、経済特区といえども、投資企業自身がインフラ整備をせざるを得ないのが現状である。

インドネシアの工業団地開発は、実は1989年まで国営企業が担っていたが、需要増加に追いつけず、民間の参入を認めて対応した経緯がある。政府の積極的な関与が民間の事業意欲を圧迫しないことを願うばかりである。

【インドネシア政経ウォッチ】第74回 トランスジャカルタの機能的進化(2014年2月13日)

首都ジャカルタの渋滞対策は待ったなしである。地下鉄やモノレールの建設が具体化し、大通りの真ん中のバスレーンを走るトランスジャカルタも新車両の導入が進む。国鉄の駅の周辺にはバイクを停める駐輪場が続々と造られ、パーク・アンド・ライドが進む。従来、その場しのぎでバラバラな対策だったのが、さまざまな対策の間の連関が見え始めてきた。

ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)州知事の渋滞対策の基本は、「いかにして自家用車から公共交通機関への切り替えを促すか」の一点に集約できる。すなわち、街中を走る自動車の台数を減らすことである。そのためには、エアコンの効いた清潔な公共交通機関が頻繁に走り、しかも行先に応じて乗り換えがしやすいことが求められる。地下鉄やモノレールの完成を待つことなく、まず標的としたのはトランスジャカルタである。

ジョコウィは、これまでのようにトランスジャカルタ自体の路線数を増やすのではなく、そこへ乗り入れるフィーダー型のバス路線を増やす形へ切り替えた。手始めに、アホック副州知事も住む北西の高級住宅地プルイットからバスレーンへ入り、独立記念塔(モナス)やジャカルタ州庁舎を回るバス路線を開設した。高所得層の通勤や買物にバス利用を促すもので、アホックもバス通勤するという。続いて、タナアバン駅からバスレーンを通ってカリバタ駅までの路線を開設し、鉄道利用者がバスへ乗り換えし易くする。以後、中低所得層居住地を結ぶ路線など計23系統の統合型路線を開設する計画である。

すなわち、トランスジャカルタを機能的に進化させていくのである。今後、トランスジャカルタの乗り場を、日本の駅ナカのような複合施設へと展開させ、乗り換え時に安心して歩ける歩道を整備し、公共交通機関に絡めたにぎわいを作り出すことも期待されよう。

トランスジャカルタの機能的進化でバス利用のイメージは好転するのか。もちろん、窃盗やひったくりなど安全面の対策も忘れてはなるまい。

【インドネシア政経ウォッチ】第70回 ジョコウィ立候補を阻むものは?(2014年1月16日)

7月の大統領選挙を前に、ジャカルタ首都特別州のジョコ・ウィドド(以下、ジョコウィ)州知事への期待が高まり続けている。彼自身は大統領選挙への立候補について何も発言していないが、現時点で選挙が行われれば、確実に彼が当選する。

有力紙『コンパス』の大統領候補に関する世論調査では、2013年12月時点でのジョコウィの支持率は、前回13年6月の32.5%から43.5%へと大きく上昇した。すでに立候補を表明しているグリンドラ党のプラボウォ党首は15.1%から11.1%へ低下、ゴルカル党のアブリザル・バクリ党首は8.8%から9.2%へ微増、ハヌラ党のウィラント党首が3.3%から6.3%へ上昇しているが、ジョコウィへの支持は圧倒的である。

これに気をよくしているのは、闘争民主党(ジョコウィは同党の一般党員)である。同党は「ジョコウィ・ブーム」を活用し、大統領選挙前の4月の総選挙(議会議員選挙)で第一党となる戦略である。そしてメガワティ党首は、「大統領候補の正式決定は総選挙後」「大統領候補の決定は党首に一任されている」とし、自身の立候補に含みを残している。

もっとも、これは選挙へ向けた政党間の政治的駆け引きの一環とみたほうがよい。実際、大統領候補としてのメガワティの人気は微々たるもので、ジョコウィとは雲泥の差がある。闘争民主党がメガワティを大統領候補、ジョコウィを副大統領候補とすれば、不人気のメガワティの個人的エゴと捉えられ、闘争民主党への支持は急速に冷めるだろう。勝手に膨らむ人気に押され、ジョコウィは大統領選挙に立候補せざるを得なくなったと言ってよい。

では、ジョコウィ立候補を阻むものはあるのか。スキャンダルや汚職疑惑以外に、心配なのはジャカルタの洪水である。抜本的な洪水対策に取り組まざるを得ない状況になれば、「それを放り投げて大統領選挙に出るのは許されない」と他党が騒ぎ立て、真面目なジョコウィは洪水対策に専心するだろう。その意味でも今季の洪水は注目である。

【インドネシア政経ウォッチ】第69回 都市部貧困人口の増加(2014年1月9日)

1月2日、中央統計庁はインドネシアの貧困状況に関する統計速報を発表した。これによると、2013年9月の貧困人口は2,855万人、貧困人口比率は11.47%となり、その前の13年3月時点での2,807万人、11.37%よりも増加した。これまで貧困人口比率だけでなく、貧困人口の絶対数も着実に減少し続けてきたが、それが久々に増加した。

貧困人口増加の背景には、経済成長の鈍化に伴う雇用創出の不足、失業率の上昇(13年2月の5.92%から13年8月には6.25%へ)、物価上昇などがあると考えられるが、これが一時的な現象なのか、貧困人口はますます増加していくのかを現段階で判断するのは難しい。

貧困人口は13年3~9月に48万人増加したが、30万人は都市部で占められ、そのうちの約24万人はジャワ島での増加である。他方、貧困人口の絶対数では都市部を大きく上回る村落部での貧困人口の増加は18万人にとどまり、しかも、ジャワ島では、全国の村落部で唯一、貧困人口が若干ながら減少している(836万6,000人から831万2,000人へ)。都市部では、バリ島とヌサトゥンガラや、マルクとパプアで貧困人口が減少している。

首都ジャカルタをはじめとするジャワ島の都市部では、高所得者層の消費需要が旺盛で、高級志向が強まり、その予備軍とも言える上位中間層の存在がクローズアップされがちであるが、その一方で、実は貧困人口が増加しているということになる。すなわちそれは、ジャワ島の都市部において、貧富の格差が拡大していることを示唆する。他方、村落部における貧困人口の増大は相対的に少なく、都市と農村との格差の問題が急速に深刻化しているとはいえない。

首都ジャカルタなどでは、狭い長屋のような住宅のすぐそばに高級コンドミニアムがそびえる光景が目につく。貧困人口の拡大に加え、そうした光景がもたらす相対的貧困感が低所得者層に意識され得る。一方、暴動などへの恐怖から、華人高所得者層には低所得者層の居住地から遠くへ移転し、接触を避ける傾向も見られる。都市部の貧困人口の拡大が社会不安につながるかどうか、注意深く見守る必要がある。

【インドネシア政経ウォッチ】第66回 韓国系企業が集中するプルバリンガ県(2013年12月5日)

先週、中ジャワ州プルバリンガ県を訪問した。中ジャワ州の南西部、西ジャワ州との境に近い小さな県である。ジャカルタやスラバヤからは、この地域の商業センターであるプルウォクルトまで鉄道などで行き、そこから車で約30分である。

日本では無名なプルバリンガ県には、韓国系企業が20社以上も立地する。そのほぼすべてが、カツラや付けまつげを作る労働集約型企業である。最初の韓国系カツラ製造企業が操業を始めたのは1985年頃で、当時は従業員50人足らずの家内工業であった。それが90年代半ばから進出が相次ぎ、今では第2工場、第3工場を持つ韓国系企業さえ現れた。

でも、なぜカツラや付けまつげがここなのか。単に最低賃金が低いこと(2014年で102万3,000ルピア)だけが理由ではない。プルバリンガ県は、実は1950年代から「サングル」と呼ばれる伝統的な女性用の結い髪の生産地であり、この地域ではプルバリンガ女性の手先の器用さが際立っていた。韓国系企業はそれに目をつけた。しかし、当初はなかなか韓国系企業の思った通りの製品にならなかったようである。

カツラや付けまつげの製造では、細かな部品を家族の副業などで下請けする。下請先は現在290カ所あり、その一部は規模が拡大し、企業化している。これら下請を含め、カツラや付けまつげ製造だけで約5万人の雇用を生み出している。製造に従事するのはほとんどが女性である。このため、家事労働の使用人を見つけるのが難しいという。他方、男性の雇用機会は限られている。

韓国系企業が集中する別の理由は、県政府の投資認可ワンストップサービスである。県知事署名の立地許可以外の許認可は、県投資許可統合サービス事務所(KPMPT)で片付く。工業団地はないが、工場ゾーンでの用地取得に便宜を図ってくれる。労働組合活動は低調で労働争議もない。現地に根を下ろした韓国系企業は、今やプルバリンガ県にとって不可欠な存在なのである。

帰国、5月末まで日本

4月7日に帰国して10日が過ぎた。慌ただしかった3月のインドネシアでの日々とは打って変わって、東京の家族とともに、ゆったりした時間を過ごしている。じと~っとした熱帯の湿気に慣れた肌は、さわやかな春の東京でやや乾燥肌になっている。

帰国した4月7日は真冬日だった。「冬」が再来する前に、ソメイヨシノは終わってしまっていたが、新宿御苑や小石川植物園でヤエザクラを見ながら、今年の花見を楽しんだ。

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今回は、5月末まで日本の予定である。自分なりに活動の区切りをつけるべく、頭を冷やそうと思っている。次のステップへ向けての準備期間でもある。

今後の活動の主拠点は、日本に置く。東京か福島か、どちらをそのメインとするかを思案中であるが、その両方を日本での活動拠点とすることは決めている。

東京の自宅はあまりにも居心地がよく、家族と和んでいると、ついついだら~っとしてしまいがちなので、自宅の近くのレンタルオフィスに仕事場を作ることにした。自宅から徒歩10分、24時間いつでも利用可能。本棚などを入れて、自宅に溜まった本の一部を移動させる。

インドネシアは、今後の活動の副拠点とする。帰国前に、スラバヤとジャカルタに居場所を確保し、引っ越しや家具等の調達も終わらせてきた。インドネシアでの活動拠点は、今のところ、スラバヤとジャカルタだが、マカッサルを追加することも検討している。

5月までに自分の個人会社を設立する予定だが、まだいくつか検討事項があり、ややゆっくりと進めている。すでに単発の仕事の話はいくつか来ているが、昨年度までのジェトロのような長期の契約の仕事はまだない。

今のところ、1年の半分を日本、半分をインドネシアで活動する計画であるが、さらにそれ以外の国での活動も加えたいと思っている。

ローカルとローカル、ローカルとグローバルを結んで、新しい何かが起きていくためのプロフェッショナルな触媒となる。

日本とインドネシアの計4つの拠点を行き来しながら、自分にしかできないような仕事をしていきたいと思っている。

 

【インドネシア政経ウォッチ】第50回 ジョコウィは「現場」を作らせない(2013年 8月 15日)

ジャカルタ特別州のジョコ・ウィドド知事(通称・ジョコウィ)は、頻繁に現場訪問へ出かける。しかし、どこへ行くかは直前になっても一部の関係者にしか知らされない。メディア関係者が追っかけをしても、現場へ着く前に振り切られてしまう。

通常、地方政府のトップが現場訪問するとなれば、訪問される現場では周到な準備を行う。しかも、多くの場合、トップは部下を何人も引き連れてくる。現場としては、トップから何らかの見返りを期待するので、トップが立腹しないように細心の注意を払う。食事や飲み物を用意するだけではなく、お土産の準備や、対話する住民の選定と発言内容までチェックする。

しかし、ジョコウィの現場視察ではそれが通用しないのである。ジョコウィは何の準備もできていない現場にやって来る。言い換えれば、部下に「現場」を作らせないのである。実はこれまで、政治家が語る「現場」のほとんどは、作られたものであった。そこで語られる住民の声は、すでにチェック済みのものであった。スハルト政権が崩壊して民主化の時代になっても、「現場」を作ることは続いていた。ジョコウィはこうした現状をいとも簡単に壊しているのである。

ジョコウィの頻繁な現場訪問は予算の無駄遣い、という批判がある。しかし、おカネがかかるのは、ジョコウィの乗る公用車のガソリン代よりも、むしろ「現場」を作る費用ではないのか。「現場」を作る側は、そこから汚職まがいの利益を得てはいなかったか。

ジャカルタ市内のタナアバン市場前は路上営業者で埋まり、深刻な交通渋滞となっていたが、ジョコウィはこの問題をわずか数カ月で改善させた。それは、作られた「現場」を前提とせず、本物の現場を把握したからこそである。

上司の心証を良くするために気に入られるような「現場」を作る。このインドネシアに根強い文化を変えていけるのか。日本でも稀なタイプの一政治家が、それへ果敢に挑み始めている。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第27回 モノレールをめぐる駆け引き(2013年 2月 21日)

洪水と渋滞ですっかり有名になったジャカルタでは、地下鉄やモノレールなど、公共交通機関の建設を通じた抜本的な対策が一層必要性を増している。費用が高いと問題になったものの、ジョコウィ州知事から一応ゴーサインの出た地下鉄に引き続き、先週はモノレール建設にも青信号が灯された。

ジャカルタのモノレール構想は、そのずさんな資金調達計画からいったんは頓挫。数本の細い鉄筋がむき出しになったモノレールの支柱の跡が痛々しかった。運営会社のジャカルタ・モノレール社は今も存続しているが、このほど同社の9割の株式をオルトゥス・ホールディングという企業が買収、と報道された。

オルトゥス・ホールディングを所有するのは、実業家のエドワード・スルヤジャヤである。彼は、トヨタなどの合弁相手であるアストラ・インターナショナルの創始者ウィリアム・スルヤジャヤの長男で、1990年代に破綻したスンマ銀行のオーナーであった。

これにより、ジャカルタのモノレール事業はオルトゥス・ホールディングの手に任されそうだが、ユスフ・カラ前副大統領を総帥とするハジ・カラ・グループがこれに異を唱えている。ハジ・カラ・グループは、バンドン、スラバヤ、マカッサル、パレンバンなどの地方都市でモノレール建設を推進中であり、ジャカルタでのモノレール建設にも関わってきた。ジャカルタ・モノレール社はなぜ、今ここでオルトゥス・ホールディングへ乗り換えたのか。ジャカルタ・モノレール社のスクマワティ社長は同じ南スラウェシ州出身のユスフ・カラ氏とは親しい間柄だけに、謎は深まる。

モノレールの車体は、多くの乗客を乗せられる日本製、価格の安い中国製に加えて、2月11日にブカシで公開されたインドネシア製も候補である。ハジ・カラ・グループの絡むパレンバンでは中国製の導入が検討されているが、ジャカルタではどうか。この辺りの話がオルトゥス・ホールディングの進出と関係している可能性もある。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第24回 洪水と企業移転論議(2013年 1月 31日)

首都ジャカルタで洪水が事業活動に及ぼす影響が議論されている。今月半ばに数年ぶりに大洪水が発生したためで、インドネシア経営者協会(Apindo)のソフィヤン・ワナンディ会長は、洪水を不可避と指摘。最低賃金や電気・ガス料金の上昇で、首都圏の事業コストが既に高いことにも懸念を示した上で、「企業が安心して事業に専念できる環境を得るには、東ジャワや中ジャワなどジャワ島の他地域への移転を政府が促すべきだ」と主張する。同会長の頭にはおそらく、労働争議が激しくなっていることも入っているのだろう。

実は今回の大洪水の前から、労働集約型産業では既に首都圏から最低賃金の低い他の地域へ生産を移管する動きが出ていた。西ジャワ州スカブミ県、中ジャワ州クンダル県、ボヨラリ県などが移転先として名乗りを上げている。特にボヨラリ県では韓国政府の支援を受け、韓国系の繊維企業が工業団地を造成する計画が進んでいる。東ジャワ州も企業移転を積極的に呼び掛け始めた。

ただ政府は、ジャカルタ周辺での事業活動に楽観的な見方を示している。投資調整庁のカティブ・バスリ長官は「今回の洪水は首都中心部でひどかったが、工業団地での生産活動に直接影響しなかった」と述べ、首都圏への投資家の評価は下がらないとの見方を示した。ヒダヤット産業相は、工業団地または産業都市を全国レベルで整備する必要は認めつつ、まだ他地域への企業移転を優先政策としない方針を示した。

確かに工業団地自体は、ジャカルタ東部のプロガドゥン工業団地やバンタン州タンゲラン地区の一部を除いて物的被害は微小だった。これに対して首都圏以外の地域、特にジャワ島以外ではインフラ整備がまだまだ必要な状態だ。

今回の企業移転論議は、地方経済の活性化を進めたい政府にとっては契機となり得る。一方で企業の海外への生産移管こそが、投資を経済成長の原動力としたい政府にとって最大の懸念材料なのである。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第23回 洪水のジャカルタ、遷都論議再び(2013年 1月 25日)

雨季のジャカルタは洪水の街となる。4~5年に一度は大規模な洪水が起こる。そう分かってはいても今月17日に首都を襲った大洪水はかつてない規模だった。

国家災害対策機関(BNPB)によると、1月20日時点で死者20人、避難者4万416人に上った。都心部にあるタムリン通り、スディルマン通りといった幹線道路が冠水して川のようになり、結果的に市内の至る所が冠水した。前日に「ジャカルタ全体が水に浸かる」というショート・メッセージ・サービス(SMS)が流れ、デマとして警察が捜査する矢先に、それが現実となってしまった。

洪水に加えて停電も深刻だった。ジャカルタ市内に電気を供給するムアラカラン発電所の一部が冠水して発電できなくなり、1,245カ所の変電所が停止。広範な地域で停電が長時間続き、一部のオフィスは閉鎖を余儀なくされた。

今回の洪水は基本的に予想を超える長時間の豪雨によるものではあるが、排水ポンプの機能不全、川沿いの堤防の決壊、ビルの浸水対策の不備、川などに廃棄された大量のゴミへの対策の遅れ、などさまざまな問題を浮き彫りにした。西ジャワ州ボゴールやプンチャク周辺での不動産開発による森林伐採・土壌保水力の低下が河川への流量を増やした可能性も高い。地下水汲み上げなどによるジャカルタ全体の地盤沈下も被害を拡大させた要因だ。

洪水対策のインフラとしてジョコ州知事は昨年末に、多目的な地下トンネルの構想を発表した。ジャカルタ東部から北部の全長10キロメートルを3段構造(上2段を自動車道路、下1段を電線・電話線・ガス管や浄水・下水管)とし、洪水時には自動車の通行を禁止して配水管として活用するというものだ。またユドヨノ大統領は20日に、チリウン川から東部放水路へ結ぶ2.1キロメートルの水路建設を決定した。

しかし、ジャカルタが災害への脆さを克服できるまでの道のりは遠い。大洪水を契機に、遷都の必要性がより真剣に議論されるのは確実である。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第13回 MRTと首都交通システム(2012年 10月 25日)

今月15日にジャカルタ特別州の知事就任式を終えたジョコウィ新知事は、「大量高速公共交通システム(MRT)事業に関するプレゼンテーションを早急に求める」と述べた。交通問題の専門家から構成されるインドネシア交通コミュニティ(MTI)がMRTの事業コストの高さを疑問視しているため、より安いコストで建設可能かを再検討するのが狙いだ。再検討作業に時間がかかれば、建設計画に遅れが生じる可能性が出てくる。

一部のマスコミは、事業の遅延だけでなく「白紙化の可能性もある」と報じた。知事が代替輸送手段にも言及したためである。知事は翌日、白紙化の可能性を否定して事業継続を明言した。ただ1キロメートル当たりの建設コストが、生活水準の高いシンガポールよりもはるかに高いことを引き合いに、事業コストに対する説明を求める姿勢をあらためて表明した。

MRT事業とは別に、資金難で一度は頓挫したモノレールの敷設計画が、国営アディカルヤ主導のコンソーシアムで動き始めた。もともとMRTとモノレールは、どちらかをジャカルタに適用するという話だったが、現在では両方とも必要との認識に至っている。今月19日にはアホック副知事から、「MRTとモノレールの運営を一体化してはどうか」との提案も出た。

知事は、MRT、モノレール、バスウエーなどすべての公共交通手段を有機的に統合する方法を考えている。早速、老朽化したバス車両を更新し、中型バスを冷房付きの大型のバスに代えていく構想を示した。

インドネシアでは「まずやってみて問題があれば後で考える」のが一般的である。渋滞解消待ったなしのジャカルタでは、将来を見据えた交通システムの体系化は今さら難しく、やはり「走りながら考える」ことになる。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第10回 高校生、乱闘よりもアイドル(2012年 10月 4日)

先週の地元メディアでは、連日、高校生の乱闘事件が大きく報道された。9月26日付『コンパス』紙によると、ジャカルタ首都圏では、過去1年間に13人の高校生が乱闘で死亡している。

同月24日、南ジャカルタの最高裁近くのブルンガン通りで、ジャカルタの有名校である第70高校の生徒約10人がチェーンや鎌や木片などの凶器を持って、同じ有名校の第6高校を襲撃し、同校1年の男子生徒1人が胸を凶器で刺されて死亡した。その2日後、東ジャカルタのマンガライ地区でカルヤ66財団高校生と技術カルティカ実業高校生が乱闘となり、カルヤ66財団の高校生1人が刃物で切りつけられて死亡した。

24日の加害者はジョグジャカルタに逃亡したが、27日までに警察に逮捕された。26日の加害者はすぐ逮捕されたが、「殺したことに満足している」と語った。警察の調べでは、彼らから薬物の使用反応はなかった。

ジャカルタでの高校生の乱闘は、実は目新しいものではない。筆者がかつて住んでいた1990年ころも頻繁に見かけ、激しい投石の合間をバスで通り抜けたこともあった。近隣の高校同士のライバル意識が根底にあり、口喧嘩など些細な原因で「仲間を守る」意識から乱闘に至るケースが多い。一時期は、軍・警察幹部の子弟が銃や武器を家から持ち出し、乱闘に使うような事件さえあった。

高校生たちは、有り余るエネルギーを上手に発散できないのである。日本のような部活動は発達していないため、有り余るエネルギーを他校への敵がい心として発散させ、乱闘騒ぎになってしまうのかもしれない。こうした乱闘が社会不安につながれば、それを政治的に利用しようとする勢力が現れる可能性もある。

そんなことを思いながらジャカルタ・ジャパン祭りへ行くと、アイドルグループ「AKB48」の姉妹グループである「JKT48」の親衛隊が彼女たちを目の前に、全力でグルグル腕を激しく回しながら一心不乱に踊り続けていた。その多くは高校生である。乱闘よりもアイドルの応援に精を出す。いっそのことJKT48がもっとメジャーになり、より多くの高校生が親衛隊に入って全力で踊って欲しいと思った。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第9回 首都知事選、現職敗退の影に(2012年 9月 27日)

ジャカルタ首都特別州の知事選挙の決選投票は20日、大きな混乱もなく行われた。選挙委員会による得票確定は10月第1週だが、民間各社の開票速報によると、第1回投票で首位となったジョコウィ=アホック組が第2位のファウジ=ナラ組を再度破って当選した。

筆者のみる限り、現職のファウジはこれまでに、糾弾されるような悪政も汚職疑惑も特になかった。首都の抱える交通渋滞や洪水対策など複雑な問題に直面し、目に見える成果は上がらなかったかもしれないが、どんな知事でもすぐに改善できる問題ではない。

選挙戦では自分の施策に予算的な裏付けを考えていたようだが堅実さは注目されず、大まかな政策アピールにとどまったジョコウィに勝てなかった。改革を訴えて勢いに乗るジョコウィが相手でなければ、おそらく再選されていたはずである。

ファウジの足を引っ張ったのは、実は一緒に組んだ副知事候補のナラだったのかも知れない。演説では、地元ブタウィ族やイスラム教であることを強調し、「ブタウィ族を選ばない奴はジャカルタから出ていけ!」という発言で、選挙監視委員会の事情聴取を受けた。

インドネシア語を華人風に面白おかしく発音し、ジョコウィと組んだ華人系のアホックを揶揄(やゆ)したこともひんしゅくを買ったようだ。ブタウィ族の横断組織であるブタウィ協議委員会議長を務め、ブタウィ族の青年団体の親分格でもあるナラは、相当に焦っていたようだ。

ファウジは現知事として、23日のジャカルタ・ジャパン祭りの開会式に出席した。「今年はフィナーレで一緒にみこしを担ぐ」と挨拶し、寿司バトルまで臨席して終始上機嫌だった。肩の荷が下りたかのようなリラックスした姿が印象的だった。

 

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【インドネシア政経ウォッチ】第2回 急速に進む技術格差と脱工業化(2012年 8月 9日)

あるインドネシア企業を訪問した際、複数台のNC機械が止まっているのを見かけた。30年ほど前の日本製の機械だろうか。故障したが修理方法が分からないので、2カ月間放置されているという。日本でも古いNC機械を修理できる人材は少なくなり、新品に替えるのが一般的とのことである。

そんな話を聞きながら、ジャカルタ首都圏を走る日本製の中古の電車やバスのことを思い出した。日本から次々に流れてくるので、修理して長く大事に使う感覚がインドネシア側に生じない。構造的に技術吸収のプロセスが起こらなくなっているのだ。

インドネシアの経済発展は脱工業化を伴っているという指摘がある。実際に製造業でも好調なのは、電化製品、二輪車、自動車などの組立産業である。部品などの現地調達率を高める努力もなされているが、インドネシア企業が部品産業で技術集積・蓄積を進めていくことが、ますます難しくなっているように見受けられる。

日本企業は技術開発を進め、少量・高価格で製品を市場へ出す。生き残るためには、技術が汎用化される前に、さらなる技術開発をしなければならない。一方、後発のインドネシアでは技術開発の資金も人材も乏しく、中古技術を取り入れて吸収しようとするのが精一杯になる。こうして両国企業の技術格差は、埋まらないどころか拡大する。日本企業がインドネシアに進出する際には、必ずこの技術格差の問題に直面し、結果的に日本から機械や技術を持ち込まざるを得なくなる。

「日本企業の進出がインドネシアの工業化で欠けた穴を埋めていくのではないか」という期待もある。しかし、急速に広がる技術格差を考えると、インドネシア企業が独自に工業化を果たすのは難しいのではないかという気がしてくる。昨今メディアを賑わす「経済ナショナリズム問題」も、こうした文脈と決して無関係ではない。

 

http://news.nna.jp/cgi-bin/asia/asia_kijidsp.cgi?id=20120809idr020A

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【インドネシア政経ウォッチ】第1回「ジョコウィ現象」をどう見るか(2012年 8月 2日)

先月半ばに実施されたジャカルタ特別州知事選挙の結果は現地で注目を集めた。現職圧勝を予想した各種世論の調査結果に反し、闘争民主党とグリンドラ党が推すジョコウィ(中部ジャワ州ソロの現市長)とアホック(南スマトラ州東ブリトゥン県の前知事)の知事・副知事候補組が得票率42.6%で第1位となったためだ。ユドヨノ大統領が率いる民主党の推す現職のファウジ組(得票率34.05%)との間で9月に決選投票が行われる。

ファウジ組は、地元ブタウィ族出身、イスラム教徒、広範な支持団体、現職で知名度抜群という要素を持つ。だがジャカルタ生まれでないよそ者であるほか、副知事候補は華人・キリスト教徒(プロテスタント)、強固な支持団体は皆無、知名度は低いといったジョコウィ組に及ばなかった。常識的には考えにくい「ジョコウィ現象」はなぜ起こったのだろうか。

ちまたでは「ファウジの傲慢(ごうまん)なイメージが原因」との見方がある。ただ、自他ともに認めるジャカルタ通で清廉な彼をとがめるほど傲慢という印象はない。むしろ、さまざまな組織を固め、動員力にも優れるなど、ほぼ完璧の体制で圧勝を確信していたはずである。

だからこそ、ファウジ組は勝てなかったとの見方もある。組織的な動員から漏れたホワイトカラー、カネを配れば自分に投票するはずの「小さき民」への接近方法に工夫が足りなかった。お上が下々へ施しを与える旧来の政治家スタイルが通用しなくなったのである。

一方でジョコウィはあえて政党色を封印、「小さき民」の世界へ自らゲリラ的に飛び込み、彼らと同じ目線で交じり合った。中間層・ホワイトカラーに対して「一緒に何かを変えられるのではないか」というイメージを作り出した。しがらみのないよそ者・異端者だからこそ、新しいやり方へ開き直れたのである。

筆者はこの「ジョコウィ現象」に、政治を牛耳ってきた「旧来エリート主義」の時代が終焉する気配を感じている。政党がそれに気付いて修正できるのかどうか。新たな時代に向けて変わり続ける社会、その先に2014年の大統領選挙がある。

 

http://news.nna.jp/cgi-bin/asia/asia_kijidsp.cgi?id=20120802idr027A

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コミュニティ・デザインと私

なんという運のめぐり合わせだろう。国際交流基金の仕事で、以前から気になっていて、一度会いたいと思っていたコミュニティ・デザイナーの山崎亮さんと約一週間、一緒に仕事する機会に恵まれた。

スラバヤでのワークショップにて。参加者のGatot Subroto氏撮影の写真を拝借した。

スラバヤでのワークショップにて。参加者のGatot Subroto氏撮影の写真を拝借した。

彼の日本での活躍ぶりは重々承知していたので、日本で会うのは難しそうだと半ば諦めていたのだが、まさかインドネシアで、しかもずっと一緒に仕事ができたのはとてもラッキーな出来事だった。

今回の私の仕事は、山崎さんと彼の補佐役で来訪された、同じstudio-Lに所属する西上ありささんの通訳兼コーディネーターである。いつもならば、自分でセミナーやワークショップを進めるのだが、ここはじっと役割をわきまえて、彼らの活動が最大限に発揮できるように努めた。

メダンでのワークショップ風景

メダンでのワークショップ風景

山崎さんは、コミュニティ・デザインに関連して行なった事例を100以上、いつでも発表できる状態にしており、今回のジャカルタ、メダン、スラバヤでの建築学科の学生らを対象としたセミナーとワークショップでも、それぞれ違う事例をふんだんに使いながら進めた。どの事例もなかなか面白く、通訳をしながら私自身も興味をそそられた。

彼らといろいろ話をするなかで、彼らが目指す未来と私がこうありたいと考える未来とがかなりオーバーラップすることが明確になってきた。すなわち、少子高齢化や成熟社会に向かう日本が、かつてのような重厚長大や成長を目指すことは無理だと気づき、エコで足るを知り、コンパクトな社会を目指す方向へ舵を切ったとするならば、インドネシアは日本のような回り道をせず、今からハードとソフトを兼ね備えた形で直接、エコでコンパクトな社会を目指すほうがよいのではないか、という考えである。

山崎さんは、そのソフト面で、建物を建てることを目指さないコミュニティ・デザインの役割が発揮されると語った。建築(アーキテクト)とは、様々な技術を一つにまとめあげていくことだとするならば、様々な人々や考えをつないで問題解決の動きへまとめ上げるコミュニティ・デザインも立派なアーキテクトである、とも述べた。

コミュニティ・デザインのもう一つの肝は、コミュニティの課題に様々な人々が関心を持ち続け、主体的に関わろうとするためには、美しさ、カッコよさ、美味しさ、といった感受性に訴える部分をデザインという形で取り入れることが重要だ、ということである。そう、楽しいから、面白いから、人々はそれを自分でやりたいと思うのである。建築家やデザイナーが地域づくりに関わる意味はそこにもある。

とにかく、山崎さんや西上さんとの今回の仕事は、個人的にとても面白かったし、今後の自分の活動を考えるうえで、様々なヒントを得ることができた。それはたくさんの事例であり、ワークショップのアイスブレイクの手法であり、ワークショップの進め方であり、ダイアグラムを重視した見える化の手法であり、また「よそ者」としてのメリットと限界を熟知した上でのコミュニティとの関わり方であった。

これから福島で、日本の地域で、インドネシアの地域で、私も様々な活動を行っていきたいと考えている。そんななかで、また山崎さんや西上さんとの接点が生まれ、場合によっては再び一緒に仕事をする機会などができれば、とても嬉しいことである。お二人にははた迷惑かもしれないが、久々に同志と思える方々と出会えた気がする。

このような素晴らしい機会を提供してくれた国際交流基金に改めて感謝したいと思う(油井さん、本当にありがとう!!)。そして、さらに、今回のコミュニティ・デザインに関するセミナーとワークショップをきっかけとして、日本とインドネシアとをつなぐ形で次の展開が開けていけるように、自分も努めていきたいと思う。

スラバヤ再発見の活動を続ける若者グループAyorekを訪問

スラバヤ再発見の活動を続ける若者グループAyorekを訪問

ワークショップ進行役(2015.1.28)&バンコク(2015.1.29-1.31)

今週は私の誕生日から始まりましたが、怒涛のような一週間でした。ふーっ。

1月27日に某日系企業でインドネシア人職員を相手に、インドネシア語で午前午後2回の講演&ワークショップを行なったことは、一つ前の活動報告で書きました。

翌28日は、経済産業省主催の「インドネシア日本、新たなパートナーシップ」(知日派セミナー)と題するワークショップで、午後の経済分科会のパネルディスカッションにおいて、日本語とインドネシア語で進行役を務めました。

パネルディスカッションなので、台本はなく、パネリストがどんなことを話すかも予め分からず、出たとこ勝負。果たして、3時間の間にうまくまとまるのかどうか、ハラハラのし通しでした。

それでも、中身のある議論をしたいと思ったので、パネリストの話した内容を咀嚼しながら、議論を深めようと努めた結果、「インドネシアの製造業競争力強化のために、インドネシアと日本が協力して人材をどのように育てるのか」という一点に絞った議論とならざるを得ず、他の想定トピックは割愛せざるを得ませんでした。いったい、会場の200名以上の出席者の方々には、どのように受け止められたのでしょうか。

これだけでもうヘロヘロで、終わった途端にどっと疲労感が溢れかけていたのですが、すぐに気を取り直し、休みもとれないまま、ワークショップのレセプションでも進行役を続けました。パネルディスカッションと比べれば、こちらはずいぶんと気が楽。

2人の友人に登壇してもらい、TEDx風にプレゼンをしてもらいました。2人ともインドネシア人と日本人のハーフで、両者の架け橋になるという思いをプレゼンに込めてもらいました。これからの新しいインドネシアと日本との関係の拡大・深化のなかで、彼らのような両者を体現する方々にどんどん活躍していただきたいと願いました。そして、進行役の私は「彼らこそがインドネシア=日本の未来そのものです」と叫んでしまいました。

28日のワークショップとレセプションが終わったら、もうダメでした。27日から連日の疲労がどっと押し寄せ、ベッドの上に横たわったら、翌朝まで眠り続けてしまいました。

29日はジャカルタからバンコクへ移動。同乗したジャカルタの英国国際学校の生徒たちが機内で大騒ぎしていたため、ゆっくりと休むこともできないまま、バンコクに到着。

夜は、束の間の楽しみでした。以前の職場の後輩や知人たちと久々に再会し、沖縄料理屋で飲んで語り合いました。私も含めて、以前の職場を離れてから様々なことがありました。でも、こうやって集まると、あたかも昨日も会ったかのような気分になれるのは、本当に嬉しいことです。ただし、疲労困憊の身に泡盛はちょっと辛かったです。

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30日は、バンコクで朝から夕方まで会議。アジア各国で活動するジェトロの中小企業海外展開現地支援プラットフォーム・コーディネーターが一同に会した会議でした。会議の内容はともかく、素晴らしい方々に出会えて、とてもよい刺激になりました。

さて、今日(31日)は、バンコクからジャカルタへ向かいます。今晩はジャカルタで1泊し、明日、来客アポを1本こなしてから、夜便でスラバヤへ戻ります。その後は、少しゆっくりしたいです。本当に。

 

ジャカルタで地場中小企業調査結果ワークショップ(2015.1.14)

日本経済研究所(JERI)の2名のコンサルタントと一緒に、インドネシアの地場中小企業へのインタビュー調査結果をフィードバックするワークショップを1月14日、ジャカルタのホテル・グラン・メリアで開催しました。

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ワークショップには、工業省中小工業総局長のほか、協同組合・中小事業省からは次官が3名出席するなど、関心の高さがうかがえました。

我々のチームは、2014年10月下旬〜11月上旬に、自動車部品を製造する地場中小企業17社のインタビュー調査を行ないました。その結果を踏まえ、かつ、工業省中小工業総局および協同組合・中小事業省による政策と照らし合わせながら、いくつかのポイントに論点を絞って議論を行いました。

そのポイントとは、地場中小企業による大企業へのマーケティングと新技術導入・設備投資を支える政策金融の2点です。

大企業へのマーケティングのためには、地場中小企業による共同受注をいかに可能とするかが課題の一つですが、そのためには、そこに関わる地場中小企業各々の詳細なデータベースづくりが必要となる、と提案しました。しかし、議論を通じて、データベース作りを担う優秀なコンサルタントをどう確保するか(インドネシアの経営指導員・中小企業診断士では難しいのではないかとの声あり)、データベースを作った後のデータの更新・メンテナンスを継続して行える体制を作れるのか、といった課題も明らかになりました。

また、新技術導入・設備投資のための政策金融については、既存の工業省による機械更新補助金やKURなどが念頭に置く中小企業に比べて、自動車部品製造の中小企業の設備投資額がかなり大きくなることから、同一レベルでは考えられないのではないかという声がありました。政策金融を新たに特殊銀行のような機関を作って実施するというアイディアに対しては、過去の経験を踏まえ、消極的な意見が出されました。

ともかく、今後のインドネシアでの中小企業支援政策を考えていくうえで、いくつかのヒントを提示することはできたのではないかと思います。最終報告書は3月、委託元である日本の中小企業庁へ提出される予定です。

それにしても、日本語とインドネシア語を怪しげに使い分けながら、3時間以上の議事進行を、途中でだらけることのないよう、集中して行なったため、かなり疲れました。しかも、朝から飲まず喰わずだったので、午後3時半に、我慢できずにペペネロでミートソース・パスタを食べてしまったのでした。そして、その2時間半後には焼肉+石焼ビビンバを食べてしまったのでした。

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【スラバヤ】福建麺 @ Hok Kien Mie Akiat

スラバヤでの筆者の大好物の一つが、自宅近くのJl. Mayjend Sungkonoにある Hok Kien Mie Akiat の福建麺である。

この場所に店を出したのは古くはないと思われるが、Akiat自体は創業が1932年の老舗である。

イカ、小エビ、魚団子、蒲鉾のようなものなどの海鮮系、チャーシュー、排骨などの豚肉系、その狭間に青菜と細いモヤシ、薄く切った味付けゆで卵が入れられ、それを太いややコシのあるタマゴ麺がどっと支える、ボリュームたっぷりの福建麺である。

汁麺、汁なし麺から選べ、麺はビーフンもある。筆者はいつもタマゴ麺の汁麺をオーダーする。

太い麺に具と汁が絶妙に絡まり、しかもやや濃い味つけの汁には海鮮系の淡白さがマッチして、もう本当にたまらなく美味しい。

日本のチャンポンとはたしかに近い関係にある、ということを実感しつつ、日本のチャンポンはスープ自体を強調するラーメンの影響を受けているのだなとも思う。福建麺の主役は、やはり麺なのだ。

インドネシアの福建麺でここと互角なのは、ジャカルタのJl. Hayam WurukにあるMie Hokien Medanだろうか。ここは昼間のみの営業で、具や麺もさることながら、スープがとても美味しい。夜は、これも、筆者が20年来の常連のクエティアウ屋に変身する。

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