【インドネシア政経ウォッチ】第144回 機会の不平等が所得格差の拡大を促す(2016年1月14日)

2015年12月初め、世界銀行は『インドネシアの格差拡大』と題する報告を発表し、「不平等の拡大を放置すれば、経済成長と貧困削減を遅らせ、紛争のリスクを高める」と今後のインドネシアに対して警鐘を鳴らした。

世銀報告によると、所得格差を図る指数であるジニ係数(ゼロに近いほど平等、1に近いほど不平等)は、スハルト時代の1990年代前半までは0.3台前半で安定し、アジア通貨危機とスハルト退陣を経た2000年に0.3と最低になったが、その後じりじりと上昇し、2014年には0.41と過去最大になった。

今回の世銀報告によると、インドネシアの所得格差は個々人では乗り越えられない問題、すなわち、その出自によって、教育や保健などのサービス機会が不平等であることが重大要因である。子どもが産まれる前の栄養、浄水、衛生、保健サービスへのアクセスなど、スタートライン時点の不平等が将来の不平等を促すのである。

たしかに、日本と比べても、インドネシアでは教育、保健などのサービス提供で市場原理がより貫徹してきた。外国で高度な教育や医療を受ける高所得者層がいる一方で、貧困層は学校や保健所にすら行く金銭的余裕がない。

機会の不平等については、世銀報告の指摘以上の問題がある。その一端は学校教育にある。公立校でも入学時に政府高官や国営企業幹部などの子弟枠が暗黙に制定されていたり、有力者のコネによる不正入試が横行したりと、教育を受ける機会や成績評価が不公正な状態がある。子どもたちは、社会へ出る前に機会の不平等を学校の中で学んでしまう。

さらに、首都ジャカルタでは薄れたが、地方では今も昔からの身分階層意識とそれに基づく差別が根強く残り、機会の不平等を再生産する。

過去の経験からすると、経済が低成長になり、失業が増え始めると所得格差が社会問題化し、イスラムへの期待が高まり、それを利用して外資や華人を敵視する空気が台頭する。この観点から、5%前後の成長に留まるインドネシア経済を注視する必要がある。

 

(2016年1月14日執筆)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第115回 分配重視論への警戒(2015年1月15日)

ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)政権は、前半は成長よりも構造改革に取り組み、その成果を後半の成長につなげるというシナリオを描いている。すなわち、今後5年間の経済成長率を2015年の5.8%から19年には8%に引き上げるとともに、階層間の所得格差の指数であるジニ係数を0.41から0.39へ引き下げるとしている。

成長か分配か。これはインドネシアの経済開発論争の中心テーマである。過去50年を振り返ると、経済状況が苦境のときに成長重視論が強くなり、経済成長が進むと分配重視論が強くなる傾向がある。成長重視論は市場メカニズムの役割を強調するもので、インドネシア大学経済学部を中心としたアメリカ留学組が論陣を張った。

一方、分配重視論は貧困層への配慮を強調する立場であり、主にガジャマダ大学の農村経済学者らが論陣を張り、欧米流の手法に批判的な態度を示してきた。とくに外資に対しては、成長重視論は開放・活用を、分配重視論は制限・警戒を主張している。

構造改革の必要性はこれら両者に認知されているものの、その内容には違いがある。成長重視論は効率性を柱とした構造改革で、市場メカニズムが動くことで市場の逸脱を正せるとする。一方、分配重視論は公正性を重視した構造改革で、貧富格差の是正のために市場メカニズムを抑制して格差縮小を図るべきであると主張する。

分配重視論者のなかには、ユドヨノ政権の過去10年は成長重視だったが、ジョコウィ政権は分配重視に転換させると期待する向きもある。彼らは、長期的には資本収益率が経済成長率よりも大きくなり、富の偏在による経済的不平等が高まると論じる、トマ・ピケティの『21世紀の資本論』の議論をジョコウィ政権の姿勢にかぶせているように見える。

過去を振り返ると、分配重視論が前面に出てきたときには、富裕層(とくに華人)への反発、イスラムの政治利用傾向、社会不安の拡大が見られた。世界経済や治安情勢の動き次第では、これらが再起する可能性も念頭に置く必要がある。