【スラバヤの風-19】スラバヤ市長「辞任」騒動

2014年2月に入り、地元マスコミは、「スラバヤ市のリスマ市長が辞任を表明した」とのニュースを流した。清廉潔白で知られる彼女に汚職疑惑やスキャンダルが急に湧いたわけではない。これまで積み重なってきた議会や政党との対立がここに来て一気に噴出したのである。

リスマ市長が辞任をほのめかした理由の一つは、ウィシュヌ副市長の就任である。リスマは2010年、 副市長候補であるPDIPの重鎮バンバン前市長と組み、闘争民主党(PDIP)の単独推薦で当選した。このときのPDIPスラバヤ支部長がウィシュヌ現副市長である。

バンバン副市長は、2013年8月の東ジャワ州知事選挙に州知事候補として立候補するため、副市長を辞任した。これを受け、スラバヤ市議会で副市長候補の選任が行われ、PDIP会派のウィシュヌ代表が選ばれた。この選任プロセスをめぐっては書類偽造の疑いがあり、リスマ市長は結果を認めようとしなかったが、内務省や東ジャワ州知事からの指令で、ウィシュヌ氏は副市長に就任した。リスマ市長は病気を理由に副市長就任式を欠席した。

実は、リスマ市長にとってウィシュヌ氏は怨念の相手である。リスマ市長は、すでに工事が始まっていた市内高速道路建設を「庶民のためにならない」と強硬に反対したほか、路上の広告や立看板を規制するために広告税の引き上げを図ったが、市議会がこれらへ強く反対した。2010年の市長就任から半年も経たないうちに、市議会は、リスマ市長を市長の座から引きずり降ろそうと画策したが、その先頭に立っていたのが、与党のはずのPDIP会派のウィシュヌ代表であった。

その後、PDIP党中央の指示で解任騒動は収まったが、市議会のリスマ市長への不信は増幅し続けた。最近では、ドリーと呼ばれる東南アジア最大規模の売春街の閉鎖や、スラバヤ動物園の管理運営でも、リスマ市長への批判が出ている。市議会は、開発事業を進めたい建設業界などと一緒に、 2015年スラバヤ市長選挙での彼女の立候補・再選を防ぐため、必ずしも必要とはされない副市長選出を強行し、ウィシュヌ副市長を据えたのである。

リスマ市長はまだ辞任報道を否定も肯定もしていない。辞任反対デモも起こった。リスマ市長をめぐる動きは、同様に政治的な思惑と離れた新タイプの政治家で、大統領候補人気トップのジョコ・ウィドド(ジョコウィ)州知事の動きだけでなく、今後のインドネシア政治を展望するうえでも注目される。

 

(2014年2月16日執筆)

 

 

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