「笑うな。黙れ」の日本イメージ
人間の本性というのは、意識的に隠すことはできても、無意識に表れてしまうものである。日本という国がいくらよいイメージを作れたとしても、国際会議の場での個人の無意識の態度によって、日本という国の本当の姿が露わになってしまうことになる。
国際会議の場で「笑うな。黙れ」と言った日本人の外交官は、日本という国を背負っていることを忘れたのか、あるいは相当重荷に感じていたのか。下記を参照されたい。
または、無意識のうちに、日本は上、アフリカの小国なんぞは下、という個人の持つ差別意識が思わず無意識のうちに出てしまったのか。相手への尊敬があったのだろうか。
3月にジャカルタで出席した国際会議で、日本の外務省の方がインドネシアとのパートナーシップについて話をされた際に、日本が黒子役となって、一緒に調和のとれた新しいアジア社会を作っていきたいという趣旨のことを発言されていた。韓国や中国の代表が「教えてあげる」という上から目線だったこともあり、「日本は一皮むけて円熟した」と思った。新しい日本のアジア外交が始まる兆候さえ感じた。
それだけに、「笑うな。黙れ」はとても残念でならない。
でも、それは、国際会議での当の日本人外交官個人に帰せられる問題だろうか。
私自身、これまでにそういうことが一度もなかったかといえば自信がない。
たとえば、ずっと昔に、インドネシア語がまだよく話せず、いつもインドネシアの方々に笑われ、間違いを指摘されるたびに、自信をなくしたものだった。とくに小さな子供に笑われたときに、爆発しそうになった。
あるいは、25年以上前、ビザの手続がうまく進まなくて、役所の間違いで誤った書類が国家情報庁へ送られてしまったとき、ビザが更新できないことを恐れて役所へ窮状を訴えた際、笑いながら適当にあしらわれ、怒ってしまったことがあった。
今でも、イライラして、ちょっとしたことで笑われると、ムカッと来ることがないわけではない。
インドネシアの人たちの笑いには、純粋な笑いとともに、自分の不備や能力不足を恥じるのを隠す笑いがある。場が悪いので笑ってごまかす、という感じに近い。硬い頭の自分がそれに対して怒ってしまうのは、その時の自分にゆとりがないからだ、と後で気づくのである。
日本国を代表する外交官の傲慢な態度は、日本という国のイメージをよりよくしようとしている人々への冷水である。しかし、我々外国に住む者もまた、広い意味での「外交官」といってもいいかもしれない。
外交官だけでなく「外交官」の日頃の振る舞いが蓄積されて、日本という国の姿やイメージが残っていくのだろう。もちろん、日本の前に、地球上に生きる一人間としての個々人があるわけだが。
また今日から、「笑うな。黙れ」の日本イメージを払しょくすべく、微力ではあるが、ゆとりをもって接していきたい。