台湾のインドネシア人労働者
台湾を旅行中に、何人かのインドネシア人に出会った。もともと、台湾には以前からインドネシア人の出稼ぎ労働者が働きに来ている。男性は建設現場などでの労働者として、女性は家事・介護労働者として、今や、台湾社会には不可欠な存在となっている。
8月16〜17日に台北を案内してくれたのは、前の職場の同僚である台湾研究者。私が台湾のインドネシア人に興味があると知っていて、彼女が用意してくれたのが8月12日付聯合報の1面トップ記事。何と、台北駅の地下コンコースを埋め尽くすインドネシア人労働者の写真だった。
最も多いときで約3万人の外国人労働者(ほとんどがインドネシア人労働者)が集結し、床に座って飲み食いをしたり、音楽を大音響で流したり、横になって寝ていたり。さながら無法地帯の様相を呈しているようである。
こうした状況に対して、賛否両論が出されている。「公共の場を勝手に外国人労働者が占拠し、台北駅の他の利用者の通行の邪魔になるのはけしからん。政府は何をやっているのか」という意見がある。その一方で、台北駅側は、外国人労働者の人権やその置かれた状況を尊重し、柔軟に対応するとのコメントを出している。
もしこれと同じような状況が日本の東京駅地下コンコースで起こるとなったら、どんな対応になるだろうか。新宿駅の路上生活者がどんな運命になったかを想像するだけで、日本ではこうした状況をきっと起こさせない、毅然たる措置(強制排除)が採られるものと容易に想像できる。
しかし、台湾においても、以前から外国人労働者に対して寛容だったのだろうか。私が以前、台湾を訪れた1990年代初めの記憶だと、インドネシア人労働者の存在は表面的にはさほど見られなかった。恐らくまだまだ数が限られていたのだろう。
元同僚の台湾研究者によれば、この10年ぐらいの間に、台湾社会はある意味急速に成熟してきたという。それが、地下コンコースを占拠した外国人労働者を強制排除しない台北駅側の態度にも表れているのだろう。台湾社会の「緩さ」という見方もできるだろうが、もはや社会にとって不可欠の存在となった外国人労働者の存在をきちんと認め、それを受け入れる融和な社会をゆったりと作っている、いや、そう出来上がってきているのだと感じるのである。
対するインドネシア人労働者の側には、成熟した台湾社会のなかで、むしろ、台湾の人々の寛容さに甘えてしまっているところはないだろうか。あたかも、台北駅地下コンコース占拠が当然の権利であるかのように振る舞うとすれば、それはやはり問題ではないかという気もする。
甘えという点では、8月4日に台中で出会ったインドネシア人男性労働者3名の話もしておこう。台中では、昔、マカッサルで一緒だった友人が大学教師をしており、彼女に色々と案内してもらった。春水堂にタピオカパール・ミルクティーを飲みに行こうと友人とバスに乗っていたら、彼らが乗り込んできた。
3人とも酔っており、うち1人は一番後ろの席でゲーゲーやり始めた。静粛な車内で、突然、彼らが大声で叫び始めた。「ジャカルタなんか怖くねえ!あの糞野郎!」と汚い言葉を連呼していた。さすがにうるさいので、「他の客の迷惑になるから、ちょっと静かにしてくれないか」とインドネシア語で話しかけると、彼らは一瞬びっくりして、すぐに「すみません」と素直に答えた。
まだ断食中のはずだが、彼らは昼間から酒におぼれていた。お金がなくて断食明けにインドネシアの故郷へ帰れないのが悲しいのか、ジャカルタの派遣元とトラブルがあって荒れているのか、私たちには全く知る由もない。車内の他の乗客は、そんな彼らを見て見ぬふりをしていた。
台北駅地下コンコースを占拠した最大3万人の外国人労働者も、台中のバスの中で荒れていた彼らも、自分たちが「余所さまの国に来させていただいている」という感覚が少ないのではないか。一人ではなく大勢になれば、何となく気分が大きくなり、数の力を背景に、「これぐらいのことをしても許される」と思ってしまうのではないか。
成熟した台湾社会とはいえ、数を背景にいつの間にか当然の権利にすり替わる感覚を持ったインドネシア人労働者の甘えがいつまでも許容されるとは限らないような気がする。
でも、この「既成事実化して当然の権利にすり替わる」というのは、インドネシア社会ではよく見かけることなのではないか。土地を不法占拠して居住権を主張する場合や、ダメもとで賃上げを要求してそれが通るとさらに賃上げを要求する態度とか。それが「小さき民」によるものだと、「小さき民」だから許されるという話が持ち出されてくる。しかし「小さき民」という立場が常に正しいとは限らない。免罪符にはならない。
そんなインドネシア人の「甘え」が台湾のインドネシア人労働者にも見えるような気がする。