スラバヤの街角で、赤い帽子のおじいさんが
スラバヤの街角で、赤い帽子のおじいさんが、制服を着た屈強な男たち6〜7人に取り囲まれ、説教をされ、連れられてトラックに載せられ、どこかへ連れて行かれた。
ただ、それだけのことである。
様子を見ていたら、屈強な男の一人が説明してくれた。「見たらわかるだろ。オラン・ギラ(orang gila)だよ。放置しておいたら何するか分からない。危ないだろ」と。見たところ、おじいさんは酔っている様子も、また誰かに暴力をふるうような様子もない。
屈強な男は続けていった。「都市の景観を悪くするし・・・」と。ええっ、景観を悪くするという理由で、ちょっと「えへへ~」という感じでただ笑って座っているだけのおじいさんを街角から排除するのか・・・。
スラバヤは都市の景観を大事にする街として知られ、大通りには木々や花々が植えられて緑あふれている。清掃係が1日に何回も大通りを掃除している。見た目にはゴミの落ちていない、きれいな町である。
その一端は、異質なものを排除することで成り立っていたのである。スラバヤで見てはいけないものを見てしまったのだろうか。
多様性の中の統一を謳うこの国で起きている様々な少数派排除の動きのことを思った。多様性を強調する世界と「普通」から外れたものを排除する世界は、実は紙一重なのだ。いや、もっと言えば、表裏一体なのかもしれない。
いや、社会ではなく、我々自身にその両面性があるとはいえないだろうか。多様性の尊重をいう場合でもその許容できる範囲があり、その範囲を外れた異質なものを排除するのだ。スラバヤやインドネシア、もしかしたら日本も、許容できる範囲の大きさの差こそあれ、同じなのではないかと思った。
赤い帽子のおじいさんは、きっと、社会施設に連れて行かれ、家族がいるかどうか尋ねられ、いない場合はしばらくそこで引き取ってもらえているのだろう。そう信じたい。