ラマダン最終日のザンジバル(2)
ザンジバルといえば、ストーン・タウンの街歩きである。ここの建物は石灰岩やサンゴ石を使い、セメントやコンクリートを一切使っていない。ストーン・タウンの由来である。
細い小路がくねくねと曲がり、ガイドのムゼーさんがいなかったら本当に迷ってしまうことだったろう。その細い小路にバルコニーがせり出していたり、店のしゃれた看板が目立ちすぎずに掲げられていたり、何とも言えない興味深い空間を作り出している。
世界遺産に指定され、町並み保存活動も活発に行われている様子だが、近年、古い家を売って、それを改修してホテルやレストランにするケースが多くなったそうである。たしかに、古い町並みにマッチしたいわゆるブティック・ホテルが迷路のあちこちに建っている。オシャレな小ホテルがいろいろあって楽しい。
海沿いのテンボ・ホテルへ行った。テンボとは象の意味。ザンジバルには象はいないが、かつて象牙取引の一大拠点だった。このホテルは昔、象牙取引会社で、下の写真の向かって左側がその建物である。その後、右側を増築して、ホテルとして生まれ変わった。
テンボ・ホテルの天井には、白壁にマングローブが渡されている。
建物以外に目立つのは、装飾を施された家の玄関ドアである。かなり古いものも改修してまだ使われている。先の尖った突起がたくさん付けられているのも特徴である。
「マーキュリーの家」というのもあった。何かの商館かと思って行ってみると、有名なロックグループ「クイーン」のリードボーカルであるフレディ・マーキュリーの生家だった。彼はザンジバルの出身なのだ。
ストーン・タウンのなかには、日本ゆかりの場所もある。いわゆる「からゆきさん」はザンジバルまで来ていたが、彼女らが居たバーとされる建物が残っている。今は、いくつかの普通の商店が営まれている。
ストーン・タウンのなかでも、市場に近いところでは、レバラン前の最後の買い物をする人々がたくさん集まっていた。
布地を売っている商人がいた。ザンジバルにはキコイという地場のシンプルな布があるが、ここでのオリジナルは白地に線の入ったものだという。
ここで、ザンジバルのバティックを見つけた。デザインは単純で素朴であり、デザイン自体に深い意味はないそうだが、色合いがインドネシアのものとは異なっていて興味深い。
ストーン・タウンの街歩きの最後は、海岸沿いの建物へ。楽しみにしていた旧アラブ要塞(Old Arab Fort)と驚嘆の家(House of Wonder)は改修工事中で、中へ入ることができなかった。
これら二つの建物と海との間には、きれいに整備されたフォロダニ公園がある。
スルタン・ハウスは、スルタンの個人的なコレクションを集めたミニ博物館になっているが、ここの2階から海を眺めていると、風が心地よく、時間が経つのを忘れてしまいそうになる。