映画「アンダーグラウンド」完全版5時間を観に行く
台風18号が西日本で猛威をふるっていた9月17日の夜、まだ小雨程度で済んでいた東京・恵比寿ガーデンシネマで、エミール・クストリッツァ監督の映画「アンダーグラウンド」(1996年)の完全版を観てきました。
前編で3話、後編で3話の計6話から構成され、前編と後編は別々に鑑賞券が売られる、という形式でした。前編が16:15〜19:00、後編が19:25〜22:05、合わせておよそ5時間以上の作品でした。
時代設定は、ナチス・ドイツによるベオグラード爆撃からユーゴスラビア崩壊までおよそ50年以上のスパンでの物語でした。
しかし歴史大作というわけではなく、出演する人物は、ヒーローや偉人が活躍するわけでもない、人間味あふれたフツーの人々でした。人間のエゴや醜さ、友情と裏切り、信頼と背信などが、時には暴力を伴い、やや露骨に表現されていました。
そんな人々の姿は、基本的に、喜劇として描かれていました。そして、だからこそ、戦争に翻弄され、国家に裏切られ、挙げ句の果てにはその国家さえ失ってしまうということの無情さがかえって迫ってくるような印象を持ちました。
ネタバレになるので、具体的なあらすじは述べません。同じく長編の台湾映画「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」のような、様々な伏線が最後につながっていくようなストーリーの重厚さを感じることはありませんでしたが、手法は違うとはいえ、時代の闇をフツーの人々の目から表現しようとした作品だったのだと思いました。
映画終了後も、しばらく、ずっと作品の中で流れていたブラスバンドの曲が耳から離れませんでした。政治的に物議を醸した映画とも評されているようですが、ストーリーは単純でも、勧善懲悪からは程遠い筋書きでした。
ナチズムにせよ、共産主義にせよ、そして民族対立にせよ、結局はフツーの人々の生きざまとは関係のない話なのだ、という静かなメッセージが聞こえたような気がします。
この写真は結婚披露宴のシーンなのですが、本当の世界を知らないままで幸せを感じている人々の姿が描かれていて、現代を生きる我々自身の状況を示唆しているようにも感じてしまいました。
9月29日まで公開予定ですが、上映スケジュール等については、以下のサイトをご参照ください。