嫌な言葉をたくさん目にした日、日本語個人ツイッターを止めます

今日1月6日、官公庁や企業などは仕事始め。新しい2020年を迎え、スタートの日。今年は・・・との決意や希望を表明し、成就を祈る日でもある。

そんな日なのに。いや、そんな日だからこそなのか。

今日は本当に、嫌な言葉をたくさん目にした日になった。そんな日であって欲しくなかったのに。

その1。新宿駅南口で自殺を図った人がいたというツイート。幸い、自殺未遂だったようだが、その人のことを、場所を選べ、とか、みんなの迷惑だ、とか、非難するツイート。そして、その自殺を図った人に向けてその場にいたたくさんの人々がスマホで写真を撮っていたというツイート。何なんだろう、いったいこれは。

その2。ある元政治家が入水自殺したという記事。この方のツイートはフォローしていたのだが、たしかに言われているように、執拗な嫌がらせや誹謗中傷を受けていらした。そして、自殺だったと報道された後も、相変わらず誹謗中傷し続けるツイートが止まらない。何なんだろう、いったいこれは。

その3。朝日新聞で読んだ「津久井やまゆり園」事件の被告の言葉。「障害者は不幸の源だ。ベストを尽くした」「テレビで真実を語るのを見たんです」「『意思疎通ができない重度障害者は要らない』と言えない社会になっている。でも真実を言っていいんだと思った」「人生で一度も一番になったことがない。事件を起こし、かっこいい、役に立つ人になりたかった」「役に立てば金になると思った」

人の迷惑だ。役に立たない。生きている意味がない。

誰に言われなくとも、自分自身でそう思って自分の命を絶つ人。常に人からそう言われて、自分の命を絶つ人。匿名の生身の人間の集団がみんなで殺しているのではないか。でも、誰も殺人罪に問われない。そして、自分の命を絶つ人を「弱い人」といって糾弾し、捨てる。

誰かが勝手にレッテルを貼る。それに匿名の大勢が加勢する。世論を作るのは簡単だと豪語する奴がいる。そして誰も責任を取らない。匿名だから。

私たちは、こんな世の中を作るために生きてきたのか。

こんな病んだ社会を作るために、先達者たちは必死になって働いてきたのか。子供を育ててきたのか。がんばってきたのか。

社会を駄目にしているのは・・・私たち自身なのだ。

日本語の個人ツイッターは止めよう。これまで私は実名で投稿してきた。別に嫌がらせを受けているわけではない。でも、もう加担したくない。

自分がツイッターを始めたのは、その頃はやっていたミクシーが陰湿になっていて、それとは違う、ポジティブな言葉がたくさんあったから。でも、今や、昔のミクシー以上にツイッターは醜くなった。

ポジティブな言葉がまだ生きている非日本語ツイッターは、まだしばらく継続してみる。松井グローカルの法人ツイッター(日本語)は継続する。

自分がこの世を去るまでに、少しでも世の中が温かさ取り戻せるよう、身の回りから努めてみる。

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