【ぐろーかる日記】インドネシアの若者とナショナリズム

2020年8月25日付のインドネシアの日刊紙 KOMPAS を読んでいたら、小さいが、興味深い記事が載っていた。「インドネシアの若者におけるナショナリズムの意味合いはより主観的である」(Pemaknaan Nasionalisme di Kalangan Anak Muda Lebih Subyektif)という記事である。

https://www.kompas.id/baca/muda/2020/08/24/pemaknaan-nasionalisme-di-kalangan-anak-muda-lebih-subyektif/

この記事は次のような文章で始まる。

(1998年以降の)改革の時代以降、若者はナショナリズムの意味合いをそれぞれの経験に基づいたより主観的なものと捉えている。若者のナショナリズム意識の実践は、地域資源を使ってコミュニティを開発する方法といった形で現れる。

この出だしだけで興味をそそられる。なぜなら、これまで、インドネシアにおける民族主義の象徴と言えば、独立闘争であったり、国家の豊かな自然であったりしたからである。

従来のナショナリズムで強調されていたのは、インドネシアという独立を勝ち取った国家であり、ときには国家を第一とする国家主義とも受け止められるような捉えられ方もよく見られた。なぜなら、ジャワ族とかミナンカバウ族とかいう「民族」(あるいは種族という言葉で区別する)をもとにした「民族主義」を強調することは、統一国家インドネシアの分裂の危機を招きかねないからである。インドネシアをまとまらせるためにも、ナショナリズムは国家を意識したものにならざるを得なかった。

ところが、この記事によると、民主化以降のインドネシアの若者のナショナリズム意識は、国家よりもローカルへ向かっているというのである。そして、ナショナリズムを環境保全、地域文化の振興、インドネシア語使用への誇り、コロナ禍の保健衛生プロトコルなどに関連付けている。その結果として、多くの地域に様々なコミュニティが生まれ、連帯のイメージが変わってきており、この傾向は、他国の若者のナショナリズム意識とも異なる、という。

記事によると、インドネシアの若者は、インターネットや携帯などの利用などで個人主義的になったというよりも、地域の価値を前面に出すような集合的(kolektif)になってきている。ナショナリズム意識が変わってきたのは、以前と今とで脅威の中身が変化したからである。かつては侵略や異なるイデオロギーがナショナリズムに対する脅威だったのが、今では、地域資源や環境の絶滅を脅威と感じている。

このため、若者は地域で起業し、天然資源、人的資源、地域文化を活用して付加価値のある商品を作り出そうとしており、このような起業こそが、若者のアイデンティティとして認識されているのだという。

若者どうしの連帯を促している最大の要因は環境問題であり、気候変動や水不足は直接地域に影響を与える現実のイシューである、とする。

でも、これは本当にそうなのだろうか。

この記事を読みながら、私は、スハルト長期政権が崩壊した1998年以後の民主化されたインドネシアの歩みを振り返ってみた。この期間は民主化の時代であるとともに、地方分権化の時代でもあった。

私がJICA長期専門家(地域開発政策アドバイザー)として赴任していた1995~2001年の間に、インドネシアは中央集権から地方分権へ大きく舵を切った。ドイツのGTZや世銀が法規など地方分権化の制度設計を支援しているなかで、私は、日本の一村一品運動のエッセンスを地方政府に伝え、自分たちの地域をどう開発するか、地域が主体的に考える必要性とその方策を助言し続けた。それまでの地方政府の開発政策は、中央政府からの指示待ちだったからだ。そして、地域開発政策が中央=地方の垂直的関係から、地方どうしが学び合い、健全な地域間競争と協力を行う水平的な関係へと変化することを願い続けた。

そして現在、地方分権化で汚職が地方へ広まったという負の側面は否定しがたいものの、地方政府による他地方視察が盛んに行われ、ある地方でのグッドプラクティスは中央を経由することなく地方が勝手に学び合うようになり、地方どうしが様々な産品開発や住民サービスなどで競争するようになった。私が20年以上前から望み続けてきたことが、インドネシアの地方アクターによって、ある程度は実現されてきたのだと思う。

そしてそれは、地方政府レベルだけではなかった。たしかに、地方へ行く先々で、様々な若者グループに出会い、その構成員はゆるく重なり合っている。彼らの活動は歯を食いしばるような悲壮感溢れるものでは全くなく、仲間どうしでやれる範囲のことを無理なくやるような形で進められている。かといって、自分の地域だけに留まっているわけではなく、インターネットやSNSを通じて、他の地域、時には外国の若者ともゆるくつながっている。

若者のナショナリズム意識が主観的になっていることで、トップダウン型の開発パラダイムはボトムアップ型に変えられていくべきではないか。技術を活用して同じ仲間を助ける、環境を守る、といった今の若者のナショナリズム意識に基づく行動は、ローカルからグローバルへと展開していくのではないか。そんなふうに記事は指摘している。

ああ、そうなんだ。私は、そう思った。

私が描いているグローカル、すなわち、生活の場であるローカルから深く発想して行動し、ローカルとローカルがつながって新しい価値を創り出す、ということが、インドネシアの地域の若者によって現実化しているではないか。そこには、彼らがナショナリズムを自身のコンテクストで考え(それを主観的といってもよい)、起業のような形で自立的に動き、地域資源や地域文化を絶滅から守り、育てる、という動きがある。

もし、この記事が本当で、インドネシアの地域で、そんなことが起こっているなら、そうなるとは20年前には思いもしなかった。そうなったらいいなあという希望はかすかにあったが。でも、現実に、そのような方向で動いているということなのか。

この KOMPAS の小さな記事は、私が思い描いてきた、空想とも思えた新しい世界が本当に生まれてきているのだという小さな確信を抱かせてくれた。

よし、前へ進む!

2006~2010年、マカッサルに長期滞在していたとき、我が家の大半のスペースを敢えて地元の若者のコミュニティに開放し、活用してもらった。この写真は、彼らが敷地内に建てたスペースにゲストを招いて、ディスカッションミーティングを行なっている様子。その後、彼らの多くが様々なコミュニティを作り、今もゆるくつながって活動している。
(2007年10月7日撮影)

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