【ぐろーかる日記】ときどき昔ばなし(1):ジャカルタ初赴任前
インドネシアと付き合って35年が経つ。最初に赴任したのは、首都ジャカルタ2年間だった。研究所の海外派遣員として、国立インドネシア大学大学院に入った。
入学試験は日本では受けられなかった。入学試験を受けるために有休をとってジャカルタへ飛び、インドネシア人の皆さんと机を並べて、2日間、6科目の記述式試験を受けた。
なぜ、インドネシアで大学院生になったのか。当時は1990年、スハルト政権の絶頂期である。研究者用の調査ビザを取るのはとても難しかった。今でこそ、数ヵ月でとれる(という話の)調査ビザだが、当時は半年かかるか1年かかるか、出ないか、全く予想がつかなかった。とくに、政治社会関係の調査を行うための調査ビザはほとんど出ないと言われていた。
それで、学生ビザにしたのである。学部卒で研究所に入ったので、インドネシア大学大学院で修士課程に入った。
当初は、国連が資金を出して開設する人口・労働特設コースに入るつもりだった。インドネシアの学卒労働市場を研究テーマにしていたからである。そして、同コースを所管するインドネシア大学人口問題研究所に入り浸る、という計画だった。
しかし、待てど暮らせど、人口・労働コースが開設されるという話が聞こえてこない。当時、ジャカルタ駐在の海外調査員の大先輩が情報を集めてくださっていた。そしてとうとう、人口・労働特設コースを諦めて通常の経済学研究科に入るように勧められた。
人口・労働特設コースならば試験がなさそうだったのだが、経済学研究科だと試験を受けなければならない、という。科目は、もう、うろ覚えだが、小論文、英語、経済数学、統計学、ミクロ経済学、マクロ経済学だったと思う。そして、試験はジャカルタへ出向いて受けなければならなかった。
研究所に「試験を受けるためのジャカルタ行きを出張扱いにできないか」と懇願したが、「落ちたらどうする?」と言われて拒否された。やむなく、有給休暇をとり、自腹でジャカルタへ飛んだ。
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