タケゴンのラウト・タワル湖の朝

1月17日、中アチェ県タケゴンからアチェ州の州都バンダアチェへ出発して直後、朝日に光るラウト・タワル湖を眺めました。

ちょっと逆光になってしまったのですが、なかなか神秘的な景色です。

坂の下からバイクがどんどん上がってきます。

神秘的な景色をしばし堪能した後、まずは、海岸の町ビルンを目指して、山の一本道を下っていきました。

なお、この道は、我々がタケゴンを後にした後、先週、土砂崩れで一時通行不能となったようです。

タケゴンは美しい街だった

しばらくブログ更新が空いてしまいました。やはり、少しずつでも、できるだけ頻繁に更新していったほうが良いですよね。

というわけで、久々のブログ更新です。

先週、1月13~19日は、インドネシアのスマトラ島の北端アチェへ出張してきました。

といっても、アチェ州の州都バンダアチェではなく、中アチェ県のタケゴンというところです。バンダアチェから車で片道9時間かかる、山のほうのアチェです。

ただし、今は、メダンからタケゴン・レンベレ空港まで飛行機で1時間程度でアクセス可能となりました。ただし、航空会社はあのライオン・エアの子会社ウィングス・エアですので、利用しようという気にはなかなかなれません。

タケゴンの辺りは「アチェ」というよりも「ガヨ」(Gayo)という地名のほうが一般的です。昔から、ガヨの人たちは海岸部に住むアチェの人たちとは自分たちを区別していたようです。

中アチェ県の県都タケゴンは、予想以上に美しい街でした。丘に登って、街を眺めました。

タケゴンは、淡水湖であるラウト・タワル湖のほとりに広がる街です。

街は湖と山々に覆われ、実に風光明媚な落ち着いたたたずまいです。

盆地であるこの街は、ある意味、自給自足的な地域経済を回しているところのように思えました。ジャワなどから入ったフランチャイズはかなり少なく、KFCが昨年、1軒オープンしたのが目立ちました。

アチェと言えば、長年、インドネシア国軍と独立派勢力が軍事的に衝突してきた場所として知られますが、タケゴンとその周辺もそれから別世界だったわけではないのです。

それでも、持ちこたえられたのは、タケゴンを中心としたこの地域の経済的な強さ、というかしたたかさがあったからではないかと思います。

タケゴンはまた、特産のアラビカコーヒー「ガヨコーヒー」の集散地としても知られています。ガヨコーヒーはすでに地理的表示保護(GI)を取得しているのと、エコ・ラベリングにも積極的に取り組んでいます。

コーヒーに続いて、柑橘類も地理的表示保護を取得しました。今後、中アチェとは、この柑橘類の栽培・加工・販売に関する農民研修でお付き合いすることになります。

また、タケゴンへ来るのが楽しみです。

イスラム教徒にとっての喜びの日

今日6月25日は、言うまでもなく6月最後の日曜日ですが、全世界のイスラム教徒にとっては、1か月間の断食月を終えた喜びの日、イード(Eid)です。インドネシア語では、イドゥル・フィトゥリ(Idul Fitri)と呼ばれます。

世界中のモスクでは、夜明け過ぎから、ムスリムの方々がたくさん集まり、断食月を終えた自分をたたえ、アッラーへ感謝の祈りを捧げたことでしょう。日本でも、そんな光景を見ることができた場所もあったことと思います。

イードを迎えるにあたっては、新しい服などの物を揃えます。また、過去1年間におかした過ちへの赦しを求めます。こうして、新しい真っさらな人間となって、再び次の断食月までを過ごしていく、という日が今回は今日だったわけです。

何となく似ていませんか。私たちの新年に。新年を迎えるにあたって、除夜の鐘を聴きながら1年間に溜まった108の煩悩を振り払い、また新しい服に着替え、初詣に行って新しい年への願いをかける、清らかな自分になるのが、一般的な私たちの新年の迎え方です。

断食明けを祝い、インドネシアの各地ではたくさんの花火が打ち上げられました。最近では、新年の年明けの時にも、花火が打ち上げられます。しかし、スハルト時代の終わり頃の1990年代末までは、花火が打ち上げられることもなく、静かな断食明けのイードでした。新年もそうです。花火だらけになったのはごく最近のことなのです。

その意味では、かつてのインドネシアのイードは、日本の正月を思い出させるような雰囲気がありました。

今から26年前、ジャカルタに2年間滞在していた際、本場の断食明けを見たいと思い、西スマトラ州パダンで、知り合いの大学の先生の家族訪問(日本のお年始のようなものでしょうか)に付いて行ったことがあります。

敬虔なムスリムである先生はまず、自分の家の近くのモスクで、説教をし、近所の方々と一緒に礼拝を行いました。先生の家でお食事をいただいた後、車で出発、パダンパンジャンにある家族の家に立ち寄りました。そこでも「食べろ、食べろ」の接待を受け、さらに車で、ブキティンギのご家族の家へ行きました。もちろん、そこでも「食べろ、食べろ」の接待を受けました。

最初、さすがに本場のパダン料理なので、とても美味しくたくさんいただいていたのですが、段々にお腹がいっぱいになって、食べられなくなりました。正確に言うと、お腹がいっぱいになったという以上の理由がありました。

それは、一族を訪問して回るので、出てくる食事の味付けが全て同じだった、ということです。よく考えれば、当たり前のことなのですが、当時の私には、3軒目で初めて体でわかったことなのでした。

話は変わりますが、ジャカルタでは、カトリック大聖堂と大モスクが道路を挟んで隣にそびえ立っています。日曜日といえば、キリスト教の礼拝・ミサが行われる日でもあります。

イードの朝の祈りと教会の朝の礼拝が時間的にぶつかります。そこで、教会側は、今日の朝の礼拝の時間を30分遅らせて、イードの祈りの時間とバッティングしないように配慮したということです。ムスリムの方々からは、こうした教会側の配慮に対する感謝の言葉がSNS上に溢れていました。
ジャカルタだけでなく、マランなどの地方都市でも、従来からそのように配慮してきた、ということです。州知事選挙などを通じて、宗教的寛容への懸念が出ていると多くの人々が感じているからこそ、そんな教会の配慮を素晴らしいと思ったのかもしれません。
でも、これまで当たり前だったことを素晴らしく感じる、という世の中の空気の変化をどうしても感じざるをえないとも思いました。もう一度、昔のような「当たり前」という感覚へ戻っていって欲しいと思いました。

改修前のアチェ州バンダアチェ市のバイトゥラフマン大モスク(2010年10月)。
個人的には、インドネシアで一番美しいモスクだと思います。
スマトラ沖大地震の際、人々の心の拠り所となった重要なモスクでもあります。

インドネシアにコーヒー文化が根付き始めた

インドネシアはコーヒーでも名の知れた場所です。日本でよく聞くのは、トラジャ、マンデリンなどでしょうか。この30年で、インドネシアのコーヒーは大きく変わりました。もしかすると、東南アジアでコーヒー文化が最も根付く場所になるかもしれません。

私がインドネシアに行き始めた30年前、インドネシアでお茶のほうがコーヒーよりもメジャーでした。しかも、砂糖のたっぷり入ったお茶です。コーヒーもありましたが、ネスカフェなどのインスタントが主流で、これもやはり砂糖をたっぷり入れて飲みました。

その後、お茶は瓶入りの甘い茶飲料(Teh Botol、Teh Kotak、Teh Sosroなど)が主流となりました。コーヒーは、コーヒー+砂糖+ミルクパウダーの三位一体型インスタントコーヒーが主流となり、ジャカルタの渋滞緩和策Three in One(朝夕の決まって時間に決まった道路へ乗り入れるには自家用車1台に3人以上乗車する決まり。今は廃止)に因んで、3 in 1などと呼ばれていました。

おそらく10年ぐらい前からだと思いますが、ジャカルタでインドネシア産のコーヒーをパーパードリップで入れるカフェが現れ始めました(それまでのコーヒーは、コーヒー粉に熱湯を注いで、粉が沈殿した上澄みを飲むものでした)。スターバックスがインドネシアで展開し始めてすぐぐらいだったと思います。その後、スターバックスを模したカフェのフランチャイズチェーンが現れるとともに、居心地のいいカフェがジャカルタのあちこちにできていきました。

5年前、私はジャカルタに新たなカフェ文化が根付き始めた、と思い、エッセイも書きました。その後、カフェ経営者はバリスタ認証(どのように取得しているかは定かではありませんが)を競って取り始め、インドネシア各地のコーヒー豆をペーパーフィルターを使って淹れて飲ませるようになっていき、若者たちが集うようになりました。

インドネシアのコーヒー産地は、実はたくさんあります。それも、2000メートル級の高地が多く、各々の土地の土壌や気候の違いから生まれたアラビカ種が出回っています。

ガヨ(アチェ)、マンデリン(北スマトラ)、リントン(西スマトラ)、ランプン、トラジャ(南スラウェシ)、バリ、フローレス、パプアなどなど、インドネシア国内だけでいくつもの産地があり、それらがブランド化しています。ガヨ・コーヒーなどは、地理的表示保護(GI)認証をとって、ブランドを守り始めてもいます。

ジャワ島でも、南バンドンやバニュワンギなどで、オランダ植民地時代からに激賞された高品質コーヒーの復活やよりローカルなブランド化などの試みが次々出始めています。

一国の中でこれほどたくさんのコーヒーの銘柄を楽しめるところは、世界中でもあまりないのではないかという気がします。

この現象は当初、ジャカルタに限られていました。しかし、次第にスラバヤなどの地方都市へも広がっていきました。そして、今では、コーヒー産地にも、そこで採れたコーヒーを淹れて飲ませるカフェが展開し始めました。

アチェ州中アチェ県のタケゴンは、ガヨ・コーヒーの生産集積地ですが、この素敵な高原都市にも、ガヨ・コーヒーを楽しめる何軒かのカフェがありました。コーヒー商がカフェも経営している様子です。

この店にもバリスタの認定証がありました。

別の店は、アチェ州の州都バンダアチェの近くにも支店を出していて、そこでも美味しいガヨ・コーヒーを飲むことができました。

ガヨ・コーヒーも出している豆が3〜4種類あり、それを上澄み、ペーパーフィルター、サイフォンのどれで淹れるかを選ぶようになっています。もちろん、味はなかなかのものでした。

北スマトラ州ダイリ県の県都シディカランは、マンデリン・コーヒーの集荷地ですが、ここにも数軒のカフェがあり、若者たちで賑わっていました。

以前、コーヒー産地ではいいコーヒー豆はすべて輸出し、自分たちはインスタントコーヒーを飲む、とよく言われていたものでした。今では、コーヒー産地でも、いやそこでこそ、地元の人々が地元産のいいコーヒーを飲む、ということがインドネシアで起こっているのです。

植民地支配が長く、外部勢力に搾取されて従属させられている、という風潮が根強いインドネシアの人々が、自分たちの生産物を自分たちでも楽しむようになってきたことで、コーヒー文化がいよいよインドネシアの人々のものになり始めた、と思うのです。

そこで、来年あたり(夏ですかね?)から、インドネシアの複数のコーヒー産地をめぐり、コーヒー産地で地元の方々と一緒にコーヒーを味わうツアーをしてみたいと考えています!! もちろん、ジャカルタなどでのカフェ巡りもしたいと思います。

コーヒー産地はたくさんあるので、期間は1週間、毎年2〜3箇所の産地をまわることにしようかなと思っています。

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