Kucumbu Tubuh Indahku (Memories of My Body) を観て

4月19日、エアアジアの夜行便乗り継ぎで、午後1時半頃、ジャカルタに到着。

アジトでしばし昼寝をして、いつものように、携帯電話のインターネット用SIM利用分の追加をしました。

その後、モールのフードコートでハズレのTongseng Kambingを食べながら、今日からガリン・ヌグロホ監督の作品”Kucumbu Tubuh Indahku”、英語名”Memories of My Body”が上映されることを思い出しました。

上映館を調べると、ちょうど19時15分から、チキニのタマン・イスマイル・マルズキ(TIM)で上映されることが分かりました。急いでフードコートのある5階から1階へ降り、停まっていたよく知らないタクシーに乗り込んで、一路、TIMへ。上映まで30分しかなく、大雨の後で、果たして間に合うのか・・・。

タクシーの運ちゃんが頑張ってくれて、TIMに着いたのが19時15分。チケット売り場の受付嬢は「まだ大丈夫」という返事。最後に残っていた最前列の1席をゲットし、満席の会場で観ることができました。

前評判は聞いていたものの、どんな内容なのかは全く知らずに、とにかくガリンの新作を観る、ということで観たのですが・・・。

すごい作品でした。映像はガリンらしくとても美しく、音楽も明るく軽妙。でも、それが故に、人間の暗さや絶望や行き場のない怒りなどが際立ってしまうのでした。

踊り手となるジュノという男性の子供時代から青年になっていくまでの多難な人生を、彼や彼に関わる人々の身体を通じて描いていく内容で、物語としての一貫性といった分かりやすさを目指したものではありませんでした。

ジャワの狭い社会のなかで、ジュノの家族が置かれた状況とそれがジュノに強いる様々な苦悩が描かれ、ときにはそれが身体から現れる血を象徴として、ジャワの伝統社会のもつ陰の部分が色濃く表されていました。

ジュノの人生は、救われることのない厳しい試練の連続ではあるけれども、今は踊り手として生きている、様々なトラウマを抱えながらも、身体は生き続けている、というメッセージを受け取ったような気がしました。

この手の作品は、最初は人気を博しても、すぐに上映が終わってしまう傾向があります。明日から火曜までは映画館へ行ける時間が取れなさそうだったので、まだまだ眠い目をこすりながらも、観に行ったのでした。

感動作、というのではありません。問題作、というのでもありません。でも、このような作品は、おそらくガリンしか作れないのではないか。彼はもうそんな域に達したのかもしれない、と思える作品でした。