貧乏人は政治家になれない?

政治にはカネがかかる。政治家になるにもカネがかかる。これは、日本でもインドネシアでもある意味、同じかもしれない。民主主義を標榜し、国民主権を掲げ、政治家は国民の代表なのだが、誰もが国民の代表になれるわけではない。

「貧乏人は政治家になれない」というのが現実である。

インドネシア闘争民主党(PDIP)幹部のPramono Anung国会議員の博士論文からの引用という数字が先週の『TEMPO』に載っていた。曰く、以下の人々が議員候補になるために必要な金額はおおよそ以下の通りである。

・アーティスト、スポーツマン、宗教家:2.5〜8億ルピア
・活動家・政党活動家:6〜14億ルピア
・官僚・ 退役軍・警察高官:10〜20億ルピア
・実業家・プロフェッショナル:15〜60億ルピア

100ルピア=1日本円とすれば、最低でも2500万円の資金を用意しないと、議員候補にはなれないということになる。この額は、日本の衆議院議員選挙に出る場合に用意する費用とほぼ同じ額になるようである。

そんな大金をインドネシアのフツーの人が用意できるものだろうか。いろいろ話を聞くが、家や土地や不動産や財産を売却し、親類・縁者から借金をして、苦労して、それでも資金が足りなくて、といった話を聞く。

だから、いったん選挙に出て、勝てば、その借金や費用の回収にどうしても励まざるを得ない。汚職への強い誘因にもなる。 そして負ければ、すべてを失い、貧困生活に陥る場合さえある。

政党は、資金調達のために、できるだけ金持ちの大企業家を取り込みたいのである。資金力が選挙での勝敗の鍵を握るのは明らかである。

それにしても、日本円で数千万円の住宅を購入するために住宅ローンを組み、勤勉に働きながらせっせと返済しているサラリーマンや、急上昇したとはいえ、1ヵ月2万円前後の最低賃金で家族を養っている人々から見れば、選挙に出て議員になるために積まれる大金は、全く別世界のものであろう。

ここに挙げられた政治家になるために必要な資金額が本当ならば、普通に真面目にコツコツ働いてお金を貯めて政治家になる、ということはもはや現実的に困難である。普通の国民が政治家の世界を別世界と感じ、きらびやかなセレブリティの世界と同一視し、政治家に対する期待も関心も失う理由となるだろう。

余談だが、官僚や軍人・警察官になるためには、試験の成績だけでなく、いくらカネを払えるかが暗黙の条件になっており、採用されるためには、ここでも大金を払わなければならない。そのために、田畑や家や家畜や財産を売り払って資金を作っている人々が相当数いるのである。

貧乏人が政治家になれない国、それでも民主国家、共和国、である。

【スラバヤ】海南鶏飯 @ Rumah Makan “Hay Nan”

5月4日昼、スラバヤで美味しいという話の海南鶏飯屋へ行った。英雄の像(Tugu Pahlawan)の近く、ということで、Jl. Pahlawanへ。

一方通行の通りの右側に2軒あり、1軒目がまだ閉まっていたので、2軒目に入る。

昼間から華人系のオヤジたちがビールや黒ビールをガンガンに飲みながら、ガヤガヤ楽しそうに話をしている。この後、魚やら肉やら、どんどんごちそうが彼らの席へ運ばれていった。

お目当ての海南鶏飯はこちら。

特徴このゆで鶏のゆで加減が絶妙で、鶏皮がプリプリし、肉はパサパサしておらず、やや固めである。スープはネギのみのチキンスープで、大根などは入っていない。

今回は、海南鶏飯(Nasi Ayam Hainan)が Rp. 32,000、パパイヤジュース(Juice Papaya)が Rp. 15,000、だった。

Rumah Makan “Hay Nan”
Jl. Pahlawan 73, Surabaya
Tel. 031-5341224, 5349640

Jl. Mayjend Sungkono Darmo Park II に支店がある(Tel. 031-5685143)。

<余談>

前日の5月3日は、ジャカルタで海南鶏飯を食べた。シンガポールのマンダリン・オーチャードにあるChatter Boxの支店がPlaza Senayanの紀伊國屋の隣にある。

さすがに、シンガポールでも有名な海南鶏飯である(Hainan Chicken Rice Rp. 48,000)。

ジャカルタではほかに、セントラルパークにChatter Boxの支店がある。

ジャカルタで5月2日のワークショップを終えて

5月1日夜からジャカルタに来ている。

5月2日の日系企業で働くインドネシア人スタッフを対象としたワークショップを何とか終了した。ほぼ予定通りに終わったとはいえ、主催側としては、ワークショップの進め方や手法について、まだまだ修正すべき点が多いことを痛感した。参加者アンケートの文面もきちんと読んで、しっかり反省したいと思う。

同時に、今回、参加者には、日本人とインドネシア人とのコミュニケーションをよりよくしていくために、日本人に対して求めるものと同時に、自分たちインドネシア人がどうしていく必要があるかについても議論し、書面に書いてもらった。まだ読み終わっていないが、その内容についても、いずれ、皆さんに日本語で公表したいと考えている。

昨日は、ワークショップの後、インドネシアの民間コンサルタント会社と、夜6時から別件での打ち合わせがあり、終わったのが夜8時過ぎ、さすがにどっと疲れてしまった。

今朝は5時半起きして、スラバヤに関する短い締切連載原稿を1本仕上げた。今夜の便でスラバヤへ戻る前に、また別の連載原稿の打ち合わせを関係者と行う予定である。こうした連載原稿やこのブログを通じて、スラバヤやいくつものインドネシアがもっと伝えられるように努めていきたいと思う。

来週も、5月8~9日にジャカルタへ出張する予定である。

5月2日のワークショップ・ジャパンを前に

明日(5/2)、日系企業で働くインドネシア人向けのコミュニケーション能力向上を目的としたワークショップを実施するため、今日(5/1)の夜から3日夜までジャカルタへ出張する。「ワークショップ・ジャパン」と名付けたこのワークショップを実施するのは今回が3回目、基本的な内容は同じだが、一部内容と構成を変えて実施してみる。

昨今の日系企業のインドネシア進出ブームの陰で、日本人経営者・管理者とインドネシア人中堅管理職・スタッフとのコミュニケーションのあり方が重要視されてきている様子がうかがえる。お互いに「相手はこう思っているだろう」という一種の思い込みを持ったまま、それを確認することもなく、物事を進めてしまう。しばらくは何も起こらないので、一種の思い込みが正しかったと錯覚しがちになる。

インドネシア人中堅管理職・スタッフの側からそれを確認しようとするのは難しい。彼らはこれまで、言われたことを忠実にその通りにやるように仕向けられてきたからである。その背景には「相手を喜ばせる」「相手を決して傷つけない」「相手が思うように自分を合わせる」という態度にも表れている。そうしている間、とくに問題が起こらなければそれでよい、のである。

実はそうでなかった、ということに気づいて、「すまん」「すみません」といって済ませられる状況で済ませられればよいのだが、それが放置されたまま、「実はそうでなかった」が幾重にも重なっていくと、ある日突然、何かのきっかけでそれが表面化する。表面化は、必ずしも、いきなり暴力的行動に出るアモック、日本流に言えばキレる、という形になるとは限らない。通常、それは最後の手段である。

その前に、欠勤したり、モノが無くなったり、誰かの悪口や変な噂が流布されたり、些細だがおかしなことが起こる。表面的には、全く関係のないことが多いので、それが見過ごされがちになるが、コミュニケーションがうまくいっていないことへの不満のサインであるケースも少なくない。

こうした状況を是正することは、実は企業内部の当事者同士では意外に難しい。なぜなら、彼らは日々接し、互いに分かっていると思いながら仕事をしているので、「まさか」という事態を想定していないし、それを期待もしていない。両者の本当の気持ちが表れるようにするためには、第三者による適切な働きかけが必要になってくる。

それは、その第三者が日本人経営者・管理者よりもインドネシア人中堅管理職・スタッフのことを良く知っている、あるいはインドネシア人中堅管理職・スタッフよりも日本人経営者・管理者のことを良く知っている、という意味では全くない。そんなことはあり得ない。しかし、両者がお互いにもっと本当の気持ちを知ろうとするきっかけ作りを起こすことはできる。それだけの話である。

この部分を放置したまま、表面的な友好関係を続けているうちに、インドネシア人は親日的だ、日本人はインドネシアと仲良くやっていける、と互いに思い込んだまま、表面的な友好関係で終わってしまうのではないか、という危惧を最近とくに感じている。

大きな話かもしれないが、こうしたことが日本とインドネシアの今後にとっても重要になるのだと思っている。

そんな気持ちを持ちながら、ささやかな試みではあるが、このワークショップを実施していくつもりである。

5月2日の次は、ジャカルタで6月3日、スラバヤで6月12日に実施することを予定している。定員はいずれも30名である。 企業向けの出張ワークショップも承っている。

もっとも、ワークショップをやりながら、この問題は決して日系企業や日本=インドネシア関係だけでなく、どこにでも起こっている問題だと感じている。インドネシア人同士の間でも、勝手な思い込みで会話がなされ、互いに誤解したまま話が進んでしまうケースが少なくない。言語が通じるからコミュニケーションがうまくいく訳ではないのである。

家の近くの福建麺

4月24日の夕食は、前から気になっていた家の近くの福建麺の店に行った。

この周辺には、メダンを冠する小さな料理屋が何軒かあり、米粉の平たい麺のクエティアウ(Kwetiaw)、蜂蜜漬けチャーシューなどを食べさせてくれる大衆的な店である。

皆、メダン出身の華人の店なのだろうか。何軒か行ってみたが、皆、それぞれに美味しい。レベルはけっこう高い。家の近くに手軽に入れるこんな店がいくつもあるのが嬉しい。

さて、この福建麺の店、Hok Kien Mie Akiatも、店の前にKweitiaw Medanと大きく書かれている。しかし、まずは福建麺を食べなければ。メニューを見ると、汁麺、焼きそばで麺の種類がMie、Bihun、Kwetiaw、Tamieといろいろあり、そのすべてが「福建麺」であった。ちなみに、Tamieというのは、玉子麺を油で揚げた麺である。

注文したのは、Hok Kien Mie Rebus。汁麺である。いつも食べる福建麺と同じようなもの。 出てきた福建麺は、ボリュームたっぷりだった。

このなかに、麺が見えないほどの量の海老、豚肉、豚耳、チャーシュー、もやし、青菜、魚団子などいろいろな具が入っている。途中まで食べて、次の写真のような感じである。

また、この福建麺のスープが何ともいえぬいい味を出している。 太い玉子麺とスープの絡みも絶妙である。

すっかり満足したここの福建麺。おそらく、インドネシアでは、私がよく通ったジャカルタの福建麺を凌駕していると思う。思わず、「最強の福建麺」とツイートしてしまった。

この店、実が創業が1932年。そんな昔からスラバヤにあったのだろうか。あるいは、メダンで創業したということなのか。

Hok Kien Mie Rebusは34,000ルピア。近所のワルンで1万ルピア程度で食べられることを考えれば、決して安い食べ物ではないが、たぶん、ジャカルタに比べれば安いだろう。

スラバヤ西部地区であれば、出前配達もしてくれるようだ。この店の常連になりそうな気がする。

Hok Kien Mie Akiat / Kwetiaw Medan
Jl. Mayjend Sungkono, Surabaya
出前注文:031-6031-5910, 031-838-77-168

 

バティックにロゴマーク

バティックといえば、インドネシアが誇るユネスコの世界無形文化遺産の一つである。

工業省は、インドネシア国産のバティック(蝋纈染め)に対してロゴマークを付けることを明らかにした。近年、中国など他国でバティックの生産が盛んになり、それとインドネシア国産とを区別する必要が出ていたことが背景にある。

もともと、工業省には国産バティックにロゴを付けることを決めてはいた。バティックマークの使用に関する工業大臣令2007年第74号、及びその実施規則である中小工業総局長令2009年第71号である。

バティックは大きく、手書きバティック(Batik Tulis)、型押しバティック(Batik Cap)、印刷バティック(Batik Printing)の3つがあり、価格も大きく異なる。もちろん、最も安いのが印刷バティックである。

工業省によると、手書きバティックはゴールド、手書き+型押しバティックはシルバー、型押しバティックはホワイトのロゴが付く。これらのロゴを使うためには、ジョグジャカルタにある国立工芸品・バティック研究所(Balai Besar Industri Kerajinan dan Batik)が行う認証試験にパスしなければならない。

どんなロゴなのかを探していたら、以下のページにそのサンプルらしきものが見つかった。

The simplest way to determine Indonesia original Batik

ここで注目されるのは、印刷バティックにはロゴがないことである。すなわち、印刷バティックはインドネシア国産バティックとして政府が認証しないのである。なぜなら、それは蝋纈染めではなく、バティックの模様を印刷したにすぎないので、バティックとは見なさないのである。

ところが、バティックが世界無形文化遺産に制定されてからというもの、インドネシア国内各地でご当地バティックが大流行となった。もともと、バティックを作ったり着たりする習慣がないところでも、地元産のバティックが作られ始めた。しかし、それを作る素地がないところは、デザインは地元風でも、実際の作成はジャワ島のジョグジャカルタやバンドンへデザインを送って作ってもらうという体制になった。

もともと、バティックの本拠はジャワである。ご当地バティックの背景には、政府が毎週金曜日、政府職員にバティック着用を求めたこともある。それまで、絣など地元の伝統服を着ていた地方でもバティックを着用するようになった。いつの間にか、ジャワ由来のバティックをその伝統がない地方でも着用し、しかもデザインは地元風でも、作る場所はジャワ、という状態が広がった。

今のところ、こうした状況への反発が地方で生まれているという話は聞かない。スハルト時代には、地方がジャワ風の押しつけに反対し、「ジャワ化」(Jawanisasi)への反発が強かったが、今とは対照的である。

ご当地バティックについては、以下の拙稿も合わせてご覧いただければと思う。

バティック・パプアについて

バティック・バンテン

リアウのバティック

ブンクルのバティック

マランのウベホテル

4月24日にマランへ行った際に、午後2時からウベホテルというホテルで面会者と待ち合わせをした。それまで、国立ブラウィジャヤ大学で用事があるので、その近くのホテルということで、ウベホテルで人と会うことになった。

マランのホテルといえば、1985年に始めてマランへ行ったときに泊まったスプレンディッド・インと、その後何度か泊まった、コロニアルな作りのホテル・トゥグが頭にすぐ浮かぶが、ウベホテルというのは知らなかった。

どんなホテルなのか楽しみにしていたら、そこはブラウィジャヤ大学にあまりにも近いところにあった。

なぜなら、ブラウィジャヤ大学のキャンパス内にあったからである。

ウベホテルというのは、ウーベーホテル(UB Hotel)だった。ウーベーはUB、Universitas Brawijayaの略称だったのだ。大学がホテルを経営しているのである。

たしかに、ジョグジャカルタの国立ガジャマダ大学も、バンドンの国立バンドン工科大学も、ホテルを持っている。当初は、大学への来訪者向けだったゲストハウスや宿泊施設をホテルに変えていったのだろう。

このウーベーホテルの「スアサナ・カフェ」(Suasana Cafe)には、ユニークなジュースがたくさんある。「ヘルシージュース」の項目に、ビタミン繊維ジュース、 スタミナ・ジュース、アスパラガス・セロリジュース、人参セロリジュース、尿酸値を下げるためのレモングラスと蜂蜜など、いろいろである。

私が頼んだのは、こちら。

緑キャベツ・パンチである。説明は英語で、「尿酸値を下げるためのチコリーとからし菜とオレンジとリンゴをブレンドした飲み物」とある。さっぱりしてとても美味しい飲み物だった。

ブラウィジャヤ大学の有名学部の一つが農学部で、ヘルシージュースのラインナップにその一端を見ることができた。

1泊の宿泊料金は以下の通りである(下記の料金に税・サービスが含まれているかどうかは要確認)。

Superior: Rp. 500,000
エアコン、テレビ、電話、コーヒーメーカー、冷・温シャワー、
朝食(2人分)、新聞、ツインベッド

Deluxe: Rp. 600,000
エアコン、テレビ、電話、ミニバー、コーヒーメーカー、冷・温シャワー、
朝食(2人分)、フルーツバスケット、新聞、ダブル/ツインベッド

Junior Suite: Rp. 700,000
エアコン、テレビ、電話、ミニバー、コーヒーメーカー、冷・温シャワー、
朝食(2人分)、フルーツバスケット、新聞、ダブル/ツインベッド
コネクティングルーム可

Executive Suite: Rp. 800.000
エアコン、テレビ、電話、ミニバー、コーヒーメーカー、冷・温シャワー付きバスタブ、
朝食(2人分)、フルーツバスケット、新聞、ダブル/ツインベッド

宿泊のほか、会議、結婚パーティー、テーブルマナーのパッケージもある。

連絡先は以下の通りである。

UB Hotel
Jl. MT Haryono 169, Malang 65145
Phone: +62-341-558585
Fax: +62-341-575810
Email: info@ubhotelmalang.com
URL: www.ubhotelmalang.com
Hotline Service: +62-81-252-11-222-5

なお、余談だが、ブラウィジャヤ大学は日本の様々な大学と協定を結んでおり、最近では日本語教育でも注目されている。現在、日本人ネイティブの日本語教師を募集中。詳細は当方までご連絡されたい。

軽油不足と大渋滞

昨日(4/24)は、スラバヤからマランへ日帰り出張した。マランにある国立ブラウィジャヤ大学の日本文学科を訪問するためである。

スラバヤを出発したのは午前8時。午前10時のアポで間に合うと思ったのが浅はかだった。スラバヤ市内からグンポルまで高速道路を走って、快調に進んでいたのだが、パンダアンの手前付近から大渋滞になった。何台ものトラックが延々とガソリンスタンドへ向けて列を作っていた。

新聞報道にもある通り、軽油が不足気味なのである。多くのガソリンスタンドでは、軽油のストックが無くなっていた。まだ軽油のあるガソリンスタンドへ、トラックやバスなどが集中して押しかけてきたという図である。

5月から、補助金付きのガソリンと軽油の値段が二重になる。すなわち、公共交通機関用とバイク用は現在と同じ1リッター4500ルピアのまま値段が据え置かれる一方、それ以外については同6500〜7000ルピアへ値上げとなることが告知されている。政治的な理由から、石油燃料向け補助金の明示的な削減が難しいので、二重価格制をとることで、少しでも補助金負担を減らそうという政策である。

いつものことだが、価格引き上げが見越されれば、その商品は市中で品薄になる。値上げ前に少しでも買っておこうとする消費者心理とともに、値上げ期待で売り惜しみをする生産者・販売者も存在する。

2014年総選挙・大統領選挙を控えて、石油燃料向け補助金の削減・石油燃料値上げは、極めて政治的な意味を持つ。2年前、国会予算委員会では政府提出の値上げ案をすべての政党が承認していたが、各地で値上げ反対デモが起こり、しかもそれが暴力性を伴って展開したため、事態を沈静化させる必要と人気取りを優先した政党が前言を翻し、国会本会議で揃って反対へ転じた。結局、石油燃料価格は値上げできなかった。

政府はそれを学習し、かつ、石油燃料補助金の恩恵を受けているのが実は高額所得者ではないかという議論も踏まえて、今回のような二重価格制の導入を試しにやってみようとしているのだろう。

補助金支出が財政上の大きな負担となり、インフラ整備などへ予算を配分できない状態が指摘されて久しい。政治的理由から石油燃料補助金を一気に削減することは難しく、二重価格制のような小細工を使いながら、実質的な補助金削減を少しでも果たそうとするのは、苦肉の策ではある。

5月に上記が実施され、7月から断食に突入、8月初めの断食明けまでの物価上昇の季節である。経常収支も赤字傾向が続き、通貨ルピアは安含みで展開、輸入減少は期待できないので、輸入品価格も上昇となる。雨季作の米の作柄がそれほど悪くないとして、それがどれぐらい物価を安定させるかが鍵になるが、やはり物価上昇傾向はより鮮明になる。

そういえば、最近は「市場操作」(Operasi Pasar)という言葉をあまり聞かなくなった。以前のインドネシアでは、市中で米や灯油が足りなくなると、政府が「市場操作」でそれらを注入し、価格を安定させようとした。今は、市場メカニズムに委ねるという方向なのだろう。政府が「市場操作をやる」と表明するだけで、売り惜しみをしている側がストックを放出するというデモンストレーション効果も期待できるはずだが、最近はあまり聞かれない。

2013年第1四半期の投資は依然好調

4月22日にインドネシア投資調整庁(BKPM)から発表された2013年第1四半期(1〜3月)の投資実施額は、前年同期比30.6%増の93兆ルピア(約95億ドル、約1兆円弱)となった。投資実施総額の70%を外国投資が占めた(65.5兆ルピア)が、伸び率では国内投資が前年同期比39.6%増となり、外国投資(同27.2%増)を上回った。

カティブ・バスリBKPM長官によると、国内投資の急伸は旺盛な外国投資の影響を受けている。すなわち、外国投資が増えるとともに、その外国投資へモノを供給する、あるいは外国投資による製品に関係する国内投資が増える構造になる。カティブ長官は、自動車産業への部品サプライヤーの例を挙げて、外国投資の増加が国内投資へスピルオーバー効果をもたらしていると解釈する。

国内投資の大きかった業種は、鉱業(6兆ルピア)、倉庫・通信業(6兆ルピア)、金属・機械・電機(1.8兆ルピア)、電気・ガス・水道(1.7兆ルピア)であった。

国内投資の大きかった地域は、東ジャワ(9兆ルピア)、東カリマンタン(4.8兆ルピア)、南カリマンタン(3.4兆ルピア)、北スマトラ(2兆ルピア)、ジャカルタ(1.9兆ルピア)の順である。

一方、外国投資の大きかった業種は、鉱業(14億ドル)、化学・薬品(12億ドル)、金属・機械・電機(10億ドル)、輸送機器(9億ドル)、製紙・印刷(6億ドル)であった。

外国投資の大きかった地域は、西ジャワ(13億ドル)、バンテン(11億ドル)、パプア(8億ドル)、東ジャワ(6億ドル)、リアウ(6億ドル)の順である。

外国投資の大きかった国は、シンガポールを抜いて日本(12億ドル)がトップになった。
日本に続くのがアメリカ(9億ドル)、韓国(8億ドル)、シンガポール(6億ドル)の順である。

やはり、日本からの投資、とくに自動車関連の投資がここに来て、投資全体のなかで相当に大きな地位を占めていることが改めて分かる。なお、日本からの自動車関連投資については、別稿として考察してみたいことがある。

BKPMによる2013年通年の投資実施額の目標は390.3兆ルピア。その意味では、幸先のよいスタートを切ったといえるかもしれない。しかし、これが第2四半期にも続くかどうかは、決して楽観はできない。

たとえば、2013年2月の投資財の輸入は前月比 1.59%減となった。カティブ長官は、投資財輸入減少が今後も続くようならば、投資実施にも影響が出てくると懸念する。

APEC貿易大臣会合の会場前にて

4月20日、APEC貿易大臣会合が開催されているスラバヤのGrand City Convention Centerの前にいた。というのは、隣がGrand City Mallになっていて、そこへ行ったついでにConvention Centerの前にいた、というわけだ。決して、貿易大臣会合に何か関係があったわけではない。

Convention Center前にずらっと並んだ警察の白バイ。なかなか圧巻である。

スターバックスで警察官や会合関係者が談笑したりしていて、けっこう和やかな雰囲気だった。ちょうど4月20日は「カルティニの日」。隣のGrand City Mallでは、おそろいの制服を着た軍人・警察官・役人の奥様方が集まって、歌や踊りのイベントをしていた。

けっこう和やかな雰囲気のAPEC貿易大臣会合の現場だったが、実は、スラバヤ市内のJl. Basuki RachmatでAPEC会議開催に反対する学生たちのデモがあり、3人が拘束されたことを後で知った。

Demo Tolak APEC Dibubarkan Polisi, 3 Pendemo Diamankan
(インドネシア語記事)

デモをした学生たちは、APECを資本主義や帝国主義の観点から批判したのだろうか。搾取する側、される側という話なのか。学生も、そろそろ埃をかぶったイデオロギーを持ち出して、イメージでデモをするのを止めたほうがよい。今、ここで議論すべきは、たとえばTPP協議への参加が是か非か、といった議論になるのではないだろうか。

インドネシアでは、まだTPPに関する議論はほとんど表面に現れていないが、一部の識者から「TPPへインドネシアも参加すべきだ」との議論が出てきている。もし、今、TPPに関する議論が公に行われれば、来年の大統領選挙へ向けて大きな議論となり、おそらく現状ではTPPに反対する候補が勝つ可能性が高い。インドネシアをTPPへ引き入れたい側は、今はその議論をそっとしたままにしておきたいだろう。

そして、スラバヤでのAPEC貿易大臣会合と並行した別の交渉で、すでにTPP協議に参加している国々の同意によって、日本のTPP交渉への参加が認められた。日本での新聞報道によると、日本側が積極的に、日本のTPP協議参加への同意を既参加国へ働きかけていたということである。

TPP、世界GDPの4割 日本の交渉参加を正式承認

日本のTPP加盟へ向かう一歩は、事実上、このスラバヤで始まったのである。

美味しいソト・アヤムと出会う

私の最も好きなインドネシア料理といえば、それはナシ・ソト・アヤムである。ナシはご飯。ソト・アヤムは、鶏肉の入った実だくさんの野菜スープである。

ソト・アヤムは地方ごとに味付けや中に入れる野菜の種類などが異なる。独断と偏見でいえば、大きく、東ジャワ系と中ジャワ系に分かれる。東ジャワ系(ソト・マドゥラ、ソト・アンベガンなど)は全般に黄色っぽいスープで、ターメリックが若干入っているようである。一方、中ジャワ系(ソト・クドゥス)は全般に黒茶っぽい色のスープである。

ソト・アヤムのなかにご飯を入れて、雑炊のようにして食べるのは、東ジャワと中ジャワだが、多くの場合、ご飯を一緒に入れるか、ご飯をソト・アヤムと分けるか、と聞かれる。

ちなみに、ジャカルタでは、ほとんどの場合、ご飯とソト・アヤムは別々に運ばれてくる。そして、筆者が観察した限りでは、ソト・アヤムのなかにご飯を入れて食べている人を見かけたことはない。ご飯のうえにソト・アヤムをかけて食べている人が大多数である。

日本でも、味噌汁にご飯を入れて食べたりすると「猫マンマ」などと言われて、あまりしない方がいいように言われていたように思うが、ジャカルタでは、ソト・アヤムにご飯を入れるのも、そのような感覚で捉えられているのだろうか。

ソトにはソト・アヤム以外にもソト・ダギン(牛肉のソト)などがあり、スラウェシにはソトがないこと、スープ(ソプ)とソトはどう違うかなど、ほかにも色々と書きたいことはあるが、別の機会に書くことにして、4月20日に食べた美味しいソト・アヤムの紹介に移る。

場所は、スラバヤ市内のJl. Indragiriの薄汚れた名もないワルンである。市の中心部からJl. Dr. Sutomoを通ってJl. Mayjend Sungkonoへ抜ける手前の左側、ワルンが並んでいるところの一角である。

暗いワルンのなかでフラッシュをたかないで撮影したので、ちょっとはっきりしないかもしれない。ここのソト・アヤム、ソトのうえに細かい揚げ玉のようなものがふんだんにかけられている。これがアクセントになって、口の中に入れると何ともいえずいい。余談だが、インドネシアでナシ・ゴレンやガドガドにクルプック(揚げせんべい)が付いてくるのは、口の中にアクセントを求めるジャワ人のテイストなのではないかと思っている。

次にスープ本体だが、ややドロッとしたスープで、鶏の味が出ていて、しっかり煮込んである感じがする。極細の素麺らしきものとキャベツなどの野菜のバランスも良い。鶏肉は最初から煮込むのではなく、後から切って入れられる。これに、好みに応じてレモンやサンバルを加える。

筆者はナシ・ソト・アヤム、すなわち、ご飯がすでに中に入っているのを頼んだので、スープの下からご飯が現れる。ややドロッとしたスープとご飯との相性がまた格別である。

カウンター席の前には揚げ豆腐、揚げテンペ、ウズラの煮卵の串刺し、鶏の腸の串刺しなどがあり、それを適当につまみながらソト・アヤムを食べる、という形式である。

ナシ・ソト・アヤムが1杯7000ルピア、ウズラの煮卵の串刺し1本500ルピア、冷たいお茶2000ルピアで、しめて9500ルピアだった。普通のワルンでの食事に比べるとちょっと高めかとも思ったが、十分に経済的な値段である。

ワルンの前に置かれている屋台からすると、ラモンガン出身者のようである。ラモンガンはスラバヤから西へ車で2時間弱の地方都市で、ソト・アヤムが有名である。また、出稼ぎ者も多く、筆者がかつて住んでいたマカッサルでは、海岸沿いのジャワ人のやっている屋台のほとんどがラモンガン出身者だった。

この名前のないワルンは、昼間しか営業していない。おそらく、初めての人はなかなかたどり着けないだろうが、心配はいらない。タクシーの運転手ならみんな知っているからである。

ジャカルタと比べるとスラバヤは・・・

4月17日、日帰りでスラバヤからジャカルタへ出張してきた。今週は、締切原稿が月〜水で通常より1本多い3本だったこともあり、ブログの更新を怠ってしまった。

実は、新たに、インドネシアで発行されている日本語媒体4誌に連載を書くことになった。ほとんどがスラバヤについて書くことになっており、このブログも含めると、少なくとも5つの媒体でスラバヤのことを書くことになる。当然、同じ内容は書けないので、日夜、アンテナを張りながら、書く内容のネタ探しに勤しむことになる。それはそれで楽しいのだが、けっこうしんどいかもしれない。5つの媒体で各々中心テーマを定めながら、重複しないように書いていくことになる。

と、ここ数日、更新できなかった言い訳めいたことを書いた後で、スラバヤに来てから思っていたジャカルタとの「感覚的な」違いを少しメモしておく。今回、ジャカルタへ日帰り出張したことで、さらにその違いを実感した部分もある。

その1。渋滞である。ジャカルタの渋滞は、ノロノロ流れていればいいほうで、多くの場合はスタックして停まってしまう。本当に動かなくなるのがジャカルタの渋滞だ。一方、スラバヤでもタクシーの運転手が「スラバヤでも渋滞が最近多くてねえ」という話をするが、ノロノロでも車が流れている。スラバヤの渋滞はまだ車が動いている。

その2。ジャカルタでは空港高速に西のタンゲラン方面へ行くトラックやトレーラーが混在するので、渋滞があちこちで起きる。一方、スラバヤの空港への高速はガラガラである。これは、空港高速がほかの高速と一緒になっている部分が少ないためである。たしかに、タンジュン・ペラッ港と南のグンポルまでの区間はトラックやトレーラーが多く走り、時間によっては速度が落ちるが、分岐点から空港高速に入った途端、車がほとんど無い。ちなみに、我が家からは30分である。

その3。セキュリティーチェックについて。ジャカルタでは、爆弾テロ事件が頻発したことで、オフィスビル、ホテルやショッピングセンターでのセキュリティーチェックが今も行われている。以前に比べれば形式的になったとはいえ、それは続けられている。一方、スラバヤではそうした検知器を配したセキュリティーチェックにほとんど出会わない。スラバヤのほうがのんびりした雰囲気を感じる一因は、セキュリティーチェックのものものしさが無いことにもあるように思える。

ちなみに、ジャカルタでセキュリティーチェックがけっこうな数の雇用機会を生み出しているだろう。安全になったからといって、一度創った雇用機会をなくすわけには行かないという事情もある。たまたま、スラバヤではジャカルタのような爆弾テロが起こらなかったというだけに過ぎない。

その4。スラバヤでの地元の簡単な食事の値段がジャカルタよりずっと安い。これは体感的なもので、統計的に調べたものではない。しかし、ジャカルタでは1食に付き5万ルピアぐらいは覚悟するのに対して、スラバヤでは3万ルピアぐらいで済んでしまうという実感がある。道端の小さなワルンでナシ・ラウォン(ご飯にラウォンをかけたもの。ラウォンは牛肉を煮込んだ黒っぽいスープ料理)食べれば、コーヒーも入れて5000ルピアだったりする。

その5。スラバヤの公共交通機関は貧弱である。公共バスも乗合も走っているが、その数がジャカルタと比べて圧倒的に少ない。多くの人は自家用バイクや自家用車を使っている様子である。何度か乗合(ジャカルタのミクロレットのようなもの)に乗ったが、短い距離でも3000ルピアだった。この値段はジャカルタより高く、マカッサルとほぼ同じ金額である。反面、ジャカルタのように、道路でジグザグ運転するバスもないので、車は比較的素直にスムーズに流れている印象がある。

まだまだ色々あるが、ネタを常に仕入れる必要もあり、今回のところはこの辺で。

 

お詫び:スラバヤ市の姉妹都市は高知市と北九州市

3月15日付「4月からスラバヤへ」のブログの前のバージョンで「スラバヤ市と大阪市は姉妹都市」と書きましたが、誤っておりました。

スラバヤ市の姉妹都市は高知市と北九州市です。すでに、上記ブログを訂正いたしました。読者の皆様に謹んでお詫び申し上げます。

4月からスラバヤへ(訂正済み)

謎の赤いバツ・マーク

数日前、我が家の近所を歩いていたら、店の看板に赤いバツ・マークが貼られているのに気がついた。店の人が自分で貼ったとは思えない貼り方だった。

よくみると、「税金未納」と書かれている。

「スラバヤ市条例2009年第10号により、スラバヤ市政府の許可無く剥がしてはならない」と書かれている。おそらく、店が閉まって街が寝静まった夜中に、市職員が密かにやって来て、夜が明けるまでに貼り付けていったのであろう。

2009年以降、毎年やっていることなのだろうか。毎年恒例ならば、税金未納側も何らかの対策を打つと思うのだが。もしかしたら、今回初めてなのかもしれない。

それにしても、スラバヤ市のやり方は大胆だ。これが貼られているということは、市民の誰もがその店が税金を払っていないことを否が応でも知ってしまうからである。当然、税金を払わない店の評判に関わる話になる。

しかし、表通りのスンコノ少将通り(Jalan Mayjen Sungkono)に面した店では、赤いバツ・マークの貼られた店は見当たらなかった。さすがに、貼られたらバツが悪いということなのか。それだけでも、納税促進の効果はあるというものだ。今回、赤いバツ・マークを見たのは、スンコノ少将通りから一歩入ったところにある店である。「大通りに面していないから大丈夫だろう」と店側が高をくくったのではないか。

インドネシアはかつて石油大国だった。今から思うと、1980年代前半までは、ブルネイのように、国民に税金を払わせなくてもやっていける国を本気で目指していたように思える。1980年代前半に石油価格が暴落し、それを見越して世銀などの支援で進めた税制改革の結果、付加価値税など税収を増やして石油収入の減少を補う施策を採ってきた。それからもう30年、石油の純輸入国となったインドネシアはOPEC(石油輸出国機構)からも脱退し、税収増なしには財政をまわしていけない普通の国になった。

スラバヤ市も税収増に躍起になっている地方政府の一つであるが、それにしても、こんなふうに、赤いバツ・マークを付ける強引なやり方を見たのは初めてである。これも、新しいインドネシアの一つの表れなのだろうか。

(追記)その後、スラバヤの大きな通りを注意深く観察していると、やはりいくつかの大通りに面している建物にも赤いバツ・マークが付けられていた。たとえば、我が家の近くでは、ガソリンスタンド、ホテルなどに赤いバツ・マークが付いていた。ただし、排ガスなどの影響だろうか、色が若干薄くなっていた。

家電販売はまだ好調を維持

インドネシアの消費市場の活況の一面は、耐久消費財、とくに家電製品の販売の好調さからみることができる。なかでも、テレビがその主役を担い、電気が通っているところはほぼ100%の家庭にテレビがあるといってもよい状況になっている。

インドネシア電機事業者連合(Gabungan Pengusaha Elektronik: Gabel)によると、2012年の家電販売額は前年比18%増の28.9兆ルピアであった。2013年は2012年よりも15%増を目標としている。増加率はやや低下すると見込んでいる。

2013年1〜2月の家電販売額は前年同期比14%増の5.06兆ルピア。最も販売額の大きいのは依然としてテレビ(9,394億ルピア)だが、前年同期比5.5%増に留まっている。他方、増加率の高いのは、エアコン、冷蔵庫、洗濯機で、この3つを合わせると前年同期比25%増、9,200億ルピアとなっている。

今年に入って、家電価格が約5%上昇したが、これは通貨ルピアの対米ドル為替レートが軟化している影響と見られる。

2013年2月の主な家電販売額は以下の通りである(カッコ内は2012年2月)。

・テレビ:9,394.34億ルピア(8,998.56億ルピア)
・DVDプレーヤー:542.05億ルピア(673.5億ルピア)
・オーディオ:152.79億ルピア(160.32億ルピア)
・冷蔵庫:4,682億ルピア(3,832.03億ルピア)
・エアコン:3,722.46億ルピア(3,015.22億ルピア)
・洗濯機:3,081.82億ルピア(2,365.66億ルピア)

DVDプレーヤーやオーディオの販売額減少は、スマホや携帯機器の普及拡大の影響と考えられる。今では誰でも気軽に動画を携帯電話で見る時代となった。テレビも一家に一台の時代は終わり始めている。インドネシアが豊かになるにつれて、みんなで観る時代から個人で観る時代へ、変化し始めているのかもしれない。

テレビは今も家電の王者で、一日中付けっぱなしの家庭も珍しくない。最近驚くのは、ジャカルタなど都市部の中低所得層の家々にも薄型テレビが普及し始めていることである。さすがに地方の農村などではまだまだだが、見栄を張りたがるインドネシア人の一般的な性向が需要拡大に貢献しているとみられる。

冷蔵庫や洗濯機の普及は、インドネシアでも都市部を中心に核家族化が進み始めていることの表れであろう。たしかに、食事の用意や洗濯をしてくれるメイドの需要が少なくなっているようにみえる。もっとも、メイドたちも、一度洗濯機の便利さを分かってしまうと、もう腰をかがめての手洗いへは戻りたくないだろう。私の前に使っていたお手伝いもそう言っていた。

冷蔵庫の普及は、必ずしも核家族が自前で調理する傾向が増えたことを意味しないと思う。 なぜなら、彼らの多くは自分で調理する環境で育っていないからである。ジャカルタなどの都市部では、日本以上に、出来合いや調理済み製品の需要が大きいと思われる。主な食堂やレストランでは、持ち帰りが可能であり、それを利用して食事を済ませる傾向も以前から根強い。食品加工業やケータリング・サービス(宅配)は今後の伸びが期待できる業種である。

いずれにせよ、家電販売はまだ好調を維持してはいるが、経済発展に伴うとくに都市でのライフスタイルの変化が、家電販売の中身に影響を与え始めていることに注目する必要がある。

(上記データは、2013年4月5日付のBisnis Indonesiaから引用した)

 

Mie Tidar & Mie Babat

スラバヤの食の世界に少しずつ入り始めた。ジャカルタでやっていたと同じように、麺はそのなかでも最も重視している「食」の一つである。

スラバヤで最も有名な麺といえば、Jl. TidarにあるMie Tidarである。何軒もの店が並んでいて、私はそのうちのまだ2軒しか入っていない。いずれも、ジャカルタのコタの麺のようなシコシコ感には今ひとつ欠ける。鶏肉を味付けて細かくしたものが麺の上に乗っており、量はジャカルタのものよりも若干多目である。

4月8日は、昼食にこのMie Tidarを食べたのに、夕食も麺を食べてしまった。我が家の近くにあるMie Babat Jembatan Merahという店である。この店は、いつも閉まっているので、開いていたら食べに行こうと思っていた。運良くこの日、夕方から店が開いていた。

Babatなので、牛の内臓が麺の上に乗っており、それに濃いめの味の黒っぽいスープをかけていただく。多くの場合、内臓は硬くなってしまうので、ちょっと大丈夫だろうかと心配したが、赤みを帯びた牛の内臓は、とても柔らかだった。

黒っぽいスープはコクがあり、ちょっと甘辛い味だが、この臓物と実に相性がよい。ここの麺もシコシコ感は今ひとつだが、とくに違和感はない。臓物の柔らかさと麺とが絡み合って、意外においしい一品だった。これで1杯2万ルピア。

Mie Babat Jembatan Merahは、市内からJl. Mayjen Sungkonoを西へ向かい、Satelitロータリーを回って市内方向へ戻り、カラオケGalaxyの前を通過して次の角を左へ曲がってすぐ右にある。我が家から歩いて3分、の場所である。

Jembatan Merahという名前からすると、昔はスラバヤの旧市街にあったのだろうか。臓物に舌鼓を打っている間に、女主人に尋ねるのを忘れてしまった。彼女はとても眠そうな顔をしていた。

この辺は、昔から華人が多く住んでいたのか、海南鶏飯や、ハチミツに漬け込んで焼いた叉焼入りのNasi Campur、福建麺、火鍋などを手軽に食べられる店が点在する。店構えを見ると、メダン、タラカン等の看板が見える。我が家は、なかなかいいロケーションにあると再確認している。

スラバヤに来て一週間

スラバヤに住み始めて一週間が経った。4月1日にジャカルタから送った荷物が届き、今日、4月8日にマカッサルから送った荷物が届いた。長いこと、ジャカルタでゲストハウス生活をし、掃除・洗濯をいつでもやってくる環境だったが、今はまだお手伝いなしの一人暮らしで、やはりちょっと勝手が違う。

インドネシア生活に慣れているとはいえ、やはり新しい土地に慣れるのには予想以上に心身疲れてしまうようだ。正直、毎日、疲れを感じる。引越だからといって、連載原稿を休むわけにはいかない。それでも、スラバヤへ引っ越したことで、もっとスラバヤのことを色んな方々に知ってもらいたいと思い、さらに連載原稿を何本も増やしてしまうことになった。来月当たりから、インドネシアで出されているいくつかの日本語媒体にスラバヤのことを書いていく予定である。

部屋に机、椅子、本棚、洋服タンスを揃えたいと思い、昨日までの何日間かで、パクウォン・スーパーモール、チプトラ・ワールド、ストス(スラバヤ・タウン・スクエア)、トゥンジュンガン・プラザなど、スラバヤ市内のショッピングモールのいくつかを見て回った。建物はどこも広くて大きいのだが、中に入ると、意外に店が埋まっていない。空き店舗がけっこうある。また、一ヵ所で全部そろう、ということにはならない。欲しいものがなかなか無い、というのは、マカッサルでもジャカルタでも経験したことだが、スラバヤでもそれは同じだった。また、土日だというのに、客でごった返している感じはなく、ゆったりとすごすことができた。

ショッピングモール以外に、家具屋が集まっているスラバヤのグンブロンガン通り(Jl. Gemblongan)にも行ってみた。さすがに日曜日だったせいか、開いている店は少なく、またその多くは高級ベッド中心の店か一般家庭用家具の店で、事務用家具を扱っているところはあまりなかった。

たしかに、いくつかの店には、よさそうな机や椅子があった。いつ配達してくれるか聞くと、平日の日中しか無理というところがほとんどだった。現在一人暮らしの身としては、ウィークエンド、または夜7時以降に配達してもらいたいところだが、逆に「家に誰かいないのか」と、一人暮らししていることのほうがおかしいような言い方をされる。まあ、インドネシアの標準からいったら、そうなのかもしれない。

そんななか、夜10時までなら配達してくれる、という店があった。ショッピングモールのなかのけっこう有名なチェーン店。4月8日(日)に行ったのだが、何と、当日配達してくれるという。 これは本当にありがたい。そこで机、椅子、小型洋服タンスを購入し、8日の午後7時に配達してもらうことになった。

しかし、午後8時を過ぎても配達が来ない。夕食をとっていなかったので空腹だったが我慢して待っていると、8時半頃にようやくやってきた。

スラバヤに来て感じるのは、頼んだことをきちんとやってくれないケースがまだ多いことだった。家の台所に新しいガスコンロを入れてくれたのはいいが、スイッチ・ノブが最初から壊れたままになっていたので、対処を求めると、新しいガスコンロにすぐ替えるという返事。でも替えてくれたのは5日後だった。インターネット接続も明日、明日、と言い続けて、結局これも5日間かかった。

それに比べると、ジャカルタはこうしたことが割とすぐに対応できる状態になっていたんだなと改めて感じた。でも、そのジャカルタだって、以前は今のスラバヤのような感じだった。ジャカルタからスラバヤへ移って、あの馴染みのインドネシアへ戻ってきたような気さえする。

何やかんやで、疲れを感じる毎日で、まだまだスラバヤで全開の状態にはほど遠い。でもスラバヤに関する連載原稿をもうすぐ書き始めなければならない。徐々に、しかし少しずつ早く、全開モードへ向けて調子を上げていきたいと思っている。

夢を現実に

昨晩は、ひょんなことからスラバヤ出身のIT実業家の友人とその元学友たちらと夕食をご一緒した。ふだんジャカルタに住んでいる彼がなぜ私に会いたいといってきたのだろう、とちょっと不思議に思いながらも、会ってみることにした。

彼が話してくれたのは、彼の夢。まだ詳しくは書けないが、スケールが大きい。相当に大胆な発想である。でも、それができたら、とても楽しく面白いことになるだろう。元学友たちは、投資や資金調達の専門家だった。日本語の堪能な韓国籍の方々だった。話はとても面白かった。

彼らはもちろん、この夢の実現をビジネスとして考えている。その夢も、単にいくら稼ぐか、という話に終わらない。これをどのように、適切なモノやヒトと結びつけて現実化していくか。

その実現を、ジャカルタではなくスラバヤで、という発想も気に入った。何でもジャカルタが一番で、最初でなければならない理由はない。

無理だよ、というのは簡単だ。でも、夢を現実に、という話に大いに興味をそそられる。彼の夢の先が、より広い世界のどんな未来とつながっていくのか。それをいつか語れるように、自分の頭の中にキープしておきたい。

カネ次第の文化は教育の現場から

1998年5月のスハルト政権崩壊以後、15年が経ち、インドネシアの民主化も地に足がついたかのように見える。かつて、言論や表現の自由が制限されていた時代からすると、雲泥の差がある。おそらく、今のインドネシアはアジアでも有数の民主主義を謳歌している国家であろう。

インドネシアの民主化は、憲法によれば、政党中心の政治をもとにする民主化である。議員の選出も、大統領や地方首長の選出も、すべて政党が基本になる。すなわち、政党から選ばれた者が国民の審判を経て議員になり、大統領になり、地方首長になる。

しかし、これら政治家への国民の不満は極めて高い。3月25日付KOMPAS紙が報じた同紙の世論調査によると、回答者の65.8%は政治家が私利私欲または政党の利益のために活動していると認識している。とりわけ、来年2014年総選挙へ向けた各政党の立候補選抜に対して、87.2%の回答者が「カネ次第」と見ている。立候補するためには、その母体となる政党にかなりの金額のカネを払わなければならない、という認識である。

多くの回答者は、政党は知っているが、候補者までは知らないと答えている。総選挙は比例代表制で、政党に投票するものの、各候補者のプロフィールをもっと知りたいという希望も少なくないようである。

候補者になるのもカネ次第、という構図は、実は政治だけに限る話ではない。学校に入学するのも、進級するのもカネがモノをいっている現状がある。警察官になるのも、公務員になるにも、まずはカネが要求される。すなわち、人物の能力や成績、やる気などが評価されるのではなく、まずはカネ、なのである。そしてそれが、学校という教育の現場で再生産され、それに慣れた子供たちが社会へと巣立っていく。

インドネシアの汚職は文化だという人がいるが、私は、こうした構造的なカネ至上主義の再生産構造をどこかでひっくり返さない限り、人物の能力や成績、やる気などで評価される仕組みは、表面上の格好は作れても(表面を取り繕うのはインドネシア人の特技の一つではある)、本当には作れないと考える。

とくに、教育の現場で、たとえ成績が良くても、カネやコネがないと進級・進学できないとするならば、そこで、子供たちはどのように世の中を渡っていくかをシニカルに学ぶことになる。そして、そこにこそ、世の中に対する不平・不満、宗教に頼って世の中を変えてやる、といった意識が生まれる温床があると思うのである。

参考までに、昔、翻訳+解説した拙稿を挙げておく。

幼稚園入園狂騒曲(ニ・ニョマン・アンナ・マルタンティ)

 

スラバヤ生活をスタート

3月30日にジャカルタのゲストハウスから引越荷物を出し、31日午後の便でスラバヤに到着。

CitiLinkでただ一つの古いボーイング737-400機で、エアコンが壊れているのか、離陸までの機内は暑くてたまらない状態。空港に着いてから、空港タクシーは珍しく長い列。でも、ジャカルタのスカルノハッタ空港のように、白タクのオヤジたちがしつこく寄ってくることもなく、スムーズにタクシーで新居に到着。

しかし。誰もいない。鍵がかかっている。やむを得ず、この家を紹介してくれた友人を待つことに。友人はイースターを祝う家族の用事が終わってからということで、結局、新居の前で1時間以上たたずむことになった。その間に、雨がざーっと降った。

この家を紹介してくれた友人がようやく到着したが、鍵はこの家の様々な手伝いをしてくれるおじさんが持っているということで、そのおじさん宅へ行き、鍵を受け取って、ようやく中へ入ることができた。

後は、いろいろ買い物。ベッドシーツ、枕などをカルフールへ買い出しに行って、夜8時頃に家へ戻る。

今回はちょっとこぢんまりした一軒家。ふと、庭を見ようと外へ出ると、雨が上がった後だからなのか、ひんやりとした空気で気持ちよい。ジャカルタでゲストハウス暮らしをここ数年していたときには味わえなかった心地よさ。これから生活のなかで馴染んでいくといいなと思った心地よさだった。

私がインドネシアで腰を落ち着けて住む街としては、スラバヤは、マカッサル、ジャカルタに続いて3都市目である。実は、以前からスラバヤに住みたいと思っていた。マカッサルもずっと住みたいと思って住めた街である。明日からどんな日々になっていくのだろうか。不安と同時に、新入生のようなワクワクした気分もある。

明日、4月1日からスラバヤ・新オフィスに出勤。夕方には、3月30日にジャカルタから送った引越荷物が届く。スラバヤ生活のスタートである。

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