モフタル事件再考~900人余のロームシャはなぜ死んだのか~(松井和久)

【よりどりインドネシア第77号所収】

インドネシアの新型コロナウィルス感染状況は、依然として警戒すべき状況にありますが、政府は経済回復優先の姿勢を示し、中国と共同でのワクチン開発に楽観的な見解を示しています。在留許可者以外の一般観光客等のインドネシアへの年内渡航は難しい情勢であり、感染の収束がいつ頃になるかの目途はまだ立っていません。

そんなインドネシアで新型コロナウィルス感染拡大が続くなか、今回は、そうした感染症に絡めた話題を取り上げてみました。それは、日本軍が関わった第二次世界大戦中のお話です。

●ロームシャの大量死とモフタル事件

第二次世界大戦中の1944年8月、日本軍による占領下のオランダ領東インド(現・インドネシア)のバタビア(現・ジャカルタ)で、900人余のロームシャが亡くなるという事件が起こりました(日本側発表では400人余)。彼らは、労働を強いられた現地人労務者であり、バタビアのクレンデル収容所に収容されていました。

労務者は日本軍による道路・空港・鉄道などの建設へ強制的に徴用された者で、ロームシャという言葉はインドネシア語でも残りました。彼らは、クレンデル収容所にいったん収容された後、東南アジア各地へ派遣されていきました。日本でも有名なのは、タイ・ビルマ間の泰緬鉄道建設ですが、オランダ領東インド領内でも多数のロームシャが徴用されました。

数字は色々あるようですが、たとえば、ジャワ島からは約28万人が徴用され、帰還できたのはわずか5万2,000人に過ぎなかったと言われています。なかでも、西ジャワの鉄道建設で9万人、スマトラ・リアウのプカンバルでの鉄道建設で7万人のロームシャが亡くなったとされます。彼らの労働は過酷を極め、食料も十分に与えられず、病気で亡くなった者も多数いたと言われます。

そうした過酷な現場へ向かう前のクレンデル収容所で、多数のロームシャが亡くなるという事件では、いったい何が起こっていたのでしょうか。彼らには、収容所で「発疹チフス・コレラ・赤痢」の混合予防ワクチン接種が行われたのですが、その後、破傷風の症状が現れて、次々に亡くなっていきました。捜査の結果、このワクチンに破傷風毒素が混入されていたことが分かりました。

同ワクチンを提供したのはエイクマン研究所とされ、同研究所のアフマド・モフタル(Achmad Mochtar)所長の責任が問われる事態となり、彼はのちに日本軍により処刑されました。モフタル所長は日本軍の信用を失墜させるための策略を企てた、という理由でした。この事件はのちに「モフタル事件」として知られるようになりました。

ところが最近、モフタル所長は濡れ衣を着せられたのであって、真相は日本軍による人体実験だったのではないか、という見解が現れてきました。

英オックスフォード大学のマラリア病専門家であるケビン・ベアード博士とインドネシア独立後にエイクマン研究所所長を務めたサンコット・マルズキ博士は、共著で出版した『モフタル事件:1942~1945年日本占領期インドネシアでの医療殺人』(J. Kevin Baird and Sangkot Marzuki (2015), The Mochtar Affair: Murder by Medicine in Japanese Occupied Indonesia 1942-1945)という書物で、そのような告発をしています。

そして2020年9月、この本のインドネシア語版がジャカルタで出版されることになり、歴史に興味を持つ若者らの間で、ちょっとした話題になっています。

モフタル事件自体については、資料が残っておらず、文献的な研究から真相を明らかにすることは難しく、間接情報をつなぎ合わせてみていくほかはありません。もっとも、ベアード氏とマルズキ氏は、当時のクレンデル収容所でロームシャが亡くなっていく現場にいた唯一の証人を探し出し、彼女へのインタビューを試みています。

また、インドネシアにおける日本軍政研究で著名であり、最近『インドネシア大虐殺』(中公新書)を出版した倉沢愛子氏(慶応義塾大学名誉教授)の記事にも、モクタル事件に関係する興味深い周辺情報があります。

今回は、それら限られた間接情報を踏まえながら、モフタル事件の真相が何なのか、900人余のロームシャはなぜ死んだのか、について、ほんの少しだけ迫ってみたいと思います。

(以下に続く)

  • モフタル事件のモフタル氏とは
  • エイクマン研究所とパストゥール研究所(防疫研究所)
  • クレンデル収容所でロームシャが次々に死亡
  • 日本軍の見解:意図的な混入
  • ベアード氏とマルズキ氏の見解:人体実験
  • 731部隊は関与していたのか
  • 私なりの個人的な推理