【インドネシア政経ウォッチ】第124回 政府はアグン派をゴルカル党の正統と判断(2015年3月19日)

2014年総選挙(国会議員選挙)で第二党となったゴルカル党は、大統領選挙でプラボウォ=ハッタ組を支持したアブリザル・バクリ派と、ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)=カラ組を支持したアグン・ラクソノ派との間で分裂した。双方が正統性を主張してきたが、3月10日、ヤソナ法務・人権大臣がアグン派をゴルカル党の正統と判断したことで一応決着した。

先の大統領選挙では、ゴルカル党のアブリザル・バクリ党首は、ジョコウィ氏と組んだ元党首のユスフ・カラ氏を応援せず、ゴルカル党と直接の関係がないプラボウォ=ハッタ組を支持すると党決定した。悲願だった正副大統領いずれの候補にもなれなかったゴルカル党のアブリザル党首をプラボウォ=ハッタ組が厚遇で陣営に迎え入れたためである。アブリザル党首はこの決定に背いた党幹部を除名するなど厳しい姿勢を示したため、アグン・ラクソノ副党首が反発し、アブリザル降ろしへ動いた。

14年11月にアブリザル派がバリで党大会を開催してアブリザル党首の再任を決めると、すぐ後の12月にはアグン派がジャカルタで党大会を開催し、アグン副党首を党首に選任した。両派は互いに相手方の違法性を訴える裁判を起こしたが、いずれも訴えは却下された。そこでアグン派は、正統性を明確にするためのゴルカル党最高審議会の開催を求め、審議はされたものの、正統性について明確な判断は避けられた。ヤソナ法務・人権大臣の判断はその後に出されたのである。

ヤソナ大臣は闘争民主党員で、大臣就任前は、プラボウォ=ハッタ組を支持する国会の「紅白連合」に最も厳しく対峙(たいじ)した国会議員だった。当然、今回の判断の裏には、ジョコウィ政権安定のために、ゴルカル党を与党へ組み入れる戦略があるはずである。

もっとも、国会ゴルカル会派議員91人中、アグン派は6人にすぎない。アブリザル派は、ヤソナ大臣の判断に猛反発するとともに、アグン派による党大会開催における参加党員水増しの文書偽造を警察へ訴えるなど、徹底抗戦の構えである。

【インドネシア政経ウォッチ】第112回 政党の内部分裂の歴史とアブリザル氏(2014年12月11日)

インドネシアでは政党の内部分裂がよくある。為政者側が分裂をけしかけ、反対勢力を非主流派にし、政権基盤を安定化させる。ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)政権もそれを踏襲しているのか。

先の大統領選挙でジョコウィ氏支持かプラボウォ氏支持かで割れた各政党は、ジョコウィ政権発足後も内部分裂を深めている。分裂と比較的無縁だったゴルカル党も、反ジョコウィのアブリザル・バクリ党首派と親ジョコウィのアグン・ラクソノ副党首派に分かれ、双方が党大会を開き、執行部を選出するという異常事態となった。

ゴルカル党内では、アブリザル党首の強引な党運営への批判と総選挙で劣勢に終わった責任を問う声が上がった。しかし、アブリザル氏はそれを無視し、党首再選のために2015年1月開催予定だった党大会を14年11月へ繰り上げ実施し、満場一致で再び党首となった。

アブリザル党首は内部分裂に縁がある。10年のインドネシア商工会議所(カディン)会頭選挙で、資金力に物を言わせて腹心のスルヨ・バンバン・スリスト氏を会頭に据え、自身の大統領立候補のためにカディンを政治的に活用できる体制を敷いた。そうした動きを抑えるため、カディン内部でスルヨ執行部を否定する別のカディンが結成され、内部分裂した。

スルヨ氏率いるカディン執行部が目の敵としたのが、インドネシア経営者協会(APINDO)のソフィヤン・ワナンディ会長(当時)である。彼は今、カラ副大統領の顧問として政権内にいる。そして、労組デモ解決のためにソフィヤン氏が頼りにしたのは、ゴルカル党幹部でパンチャシラ青年組織代表のヨリス・ヤレワイ氏で、彼は分裂したインドネシア労働組合総連合(KSPSI)総裁でもある。そのヨリス氏は今、アグン・ラクソノ派に属し、反アブリザルの急先鋒(きゅうせんぽう)だ。

すなわち、アブリザル氏の権力への異常な執念は、それを阻止しようとしてきたソフィヤン氏やヨリス氏との長い戦いの結果、生み出されたのである。それ故、アブリザル氏はプラボウォ氏と組み、紅白連合に固執し、ジョコウィ大統領やカラ副大統領を支えるソフィヤン氏に対抗し続けているのである。