【インドネシア政経ウォッチ】第130回 ペトラル解散の裏にある深い闇(2015年5月28日)

インドネシアのジョコ・ウィドド政権は5月13日、石油マフィア撲滅策の一環として、国営石油会社(プルタミナ)の子会社で香港に本社のあるプルタミナ・エネルギー貿易会社(ペトラル)を解散させた。ペトラルはこれまで、シンガポールの子会社を通じて原油・石油製品の輸出入を取り仕切ってきたが、その機能は、プルタミナ本社の内部ユニットである統合サプライチェーン(ISC)が担うことで、マージンコストが大幅に削減できるとみている。

ユドヨノ前政権でもペトラル解散への動きはあったが、実現できなかった。スディルマン・エネルギー鉱物資源相は「大統領府が支持しなかったため」と発言したが、それに対してユドヨノ前大統領が激怒した。ユドヨノ氏はツイッターで、「大統領府にペトラル解散の提案が出されたことはないし、ブディヨノ前副大統領を含む当時の閣僚5人に聞いたがその事実はない」と反論し、名誉毀損(きそん)だと息巻いた。

ユドヨノ時代のペトラルは事実上、シンガポールの「ガソリン・ゴッドファーザー」と呼ばれた貿易商リザル・ハリド氏が牛耳っていた。リザル氏は、ハッタ前調整相(経済)、エネ鉱省幹部、プルタミナ幹部らと近く、ユドヨノ氏周辺との関係さえうわさされた。大統領選挙でハッタ氏が副大統領に立候補した際、対抗馬のジョコ大統領候補を中傷する大量のタブロイド紙が出回ったが、その資金源はリザル氏だったと報じられている。

一方、ジョコ政権下で石油マフィア撲滅を指揮するアリ・スマルノ氏は、闘争民主党のメガワティ党首が大統領だった時代にプルタミナ社長を務めた人物で、リニ国営企業大臣の実兄である。アリ氏は当時、ペトラルを縮小してISCを主導させたが、偽原油輸入疑惑を起こし、ユドヨノ政権下でプルタミナ社長職を更迭された。スディルマン・エネ鉱相は当時アリ氏の部下で、プルタミナのサプライチェーン管理部長だった。

石油マフィア撲滅を名目としたペトラル解散の裏には、深い闇がある。

【インドネシア政経ウォッチ】第57回 森林保護区で揺れるバタム島開発(2013年10月3日)

シンガポールから最も近く、インドネシアの工業開発先進地域と目されてきたバタム島が今、土地利用問題で大きく揺れている。

それは、6月27日付の森林地の利用目的・機能変更に関する林業大臣決定2013年第463号により、バタム島総面積の64.81%が森林保護区とされていることが明らかになったためである。すなわち、商業センターのナゴヤ地区も、工業団地も、開発の進む住宅地も、バタム運営庁やバタム市庁など行政機関のある場所も、実は森林保護区に含まれており、それらはすべて、土地利用上は違法となってしまうからである。

森林保護区を他目的で利用する場合、林業省の許可が必要となる。林業省での森林保護区の利用目的・機能変更手続がネックとなり、空間計画がなかなか策定できない地方政府は数多い。工業団地の造成や商業地区の拡張が進まない理由にもなる。

バタム市の空間計画は2008年に市議会の承認を経て条例化されたが、現段階でまだ実施されていない。条例化の後で、森林保護区について林業省と協議する必要が判明したためである。バタム市は空間計画に関する判断を林業省に求めていたが、その返答が上記の林業大臣決定だった。

バタム市側は、バタム島開発自体が1970年代の大統領決定に基づくことから、今回の林業大臣決定の撤回を求めつつ、事業者に対しては通常通り事業を続けるよう説得している。そして違法との理由で法的措置が採られるなら、林業省を訴える可能性も検討している。一方、林業省は、森林保護区の制定は現場から所定手続に則って進めたものとし、林業大臣決定の根拠である1999年森林法や2007年空間計画法は大統領決定より上位であることを理由に、撤回には応じない姿勢である。

解決策はあるのか。林業省は乗り気でないが、反汚職委員会、警察、検察、最高裁などが「違法状態だが法的措置を採らないこと」で合意する、という極めてインドネシア的な手法が最終的な落とし所になると見られる。

 

http://news.nna.jp/cgi-bin/asia/asia_kijidsp.cgi?id=20131003idr022A

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久々のシンガポール→ジョホールバル

今、マレーシアのジョホールバルにいる。昨日、シンガポールのブギスから高速バスでコーズウェイの橋を渡って着いた。ジョホールバルは1991年以来、23年ぶりである。

シンガポールでは、日本の都道府県・市町村や地銀の駐在員の方とお会いし、日本の地方とインドネシア(と他のアジア)の地方とをダイレクトに結びつけ、双方の主体的な地域振興にとってプラスとなるような関係づくりについて、色々と話し合うことができた。

合わせて、予期せぬ出会いもあった。まさに、動くと何かが起こる、という感じである。

そして、シンガポールが様々な面で効率的であり、快適であることを改めて感じた。チャンギ空港を降りて、ラッフルズプレイスまでわずか30〜40分、何より、東京と同じように、時間を計算して動くことができる、ということが、インドネシアから来た身にはありがたく感じた。

それにしても、シンガポールの物価は高い。東京並み、いやそれ以上である。しかし、インドネシアから来て感じるのは、移動経費の意外な安さである。公共交通機関が整っており、その料金がかなり安い。タクシーにあまり乗る必要がなく、移動経費だけを見ると、タクシーに乗らざるをえないジャカルタやスラバヤのほうがむしろ高く感じるほどである。

シンガポールでの予定を終えて、ブギス駅近くのバス乗り場からジョホールバル行きの高速バスに乗車。料金は2.5シンガポールドル。バスはエアコンが効いて快適、しかし、ブキティマ・ロードをしばらく行くと、けっこうな渋滞である。

渋滞のなか、乗客が次々に立ち上がり、バスが止まると次々に降りていく。シンガポール側の出国審査である。彼らに続いて荷物を持って下車し、出国審査場の”All Pasport”の列に並ぶ。すんなり出国手続きを終え、再び、バスに乗るが、さっきまで乗ってきたバスにどこで乗るのかが分からない。とりあえず、同じバス内で見かけた乗客の後を追っていくと、さっき乗ってきたバスが運よく?現れたので、再び乗車する。

発車後、5分もかからないうちにコーズウェイを渡り、高架上のまま、ゴテゴテ感満載の巨大な建物の中へ吸い込まれていく。マレーシア側の入国審査場のあるJB Sentralである。

たしか、23年前にジョホールバルへ来たときの入国審査場はコーズウェイの橋の上だった記憶がある。あのときは、マレーシアの入国カードを記入し、入国審査を受けている間に、乗ってきたバスが行ってしまい、しかたなく、橋の上を歩いてマレーシア側に入境した。今は、橋の上を歩いて入境することはできなくなった。

JB Sentralでの入国審査もスムーズ。入国カードもない。パスポートを提出するだけで、あっという間に入国。普通は、この後また、乗ってきたバスにもう一度乗って、バスの終点であるラーキン・バスターミナルまで行くのだが、私はバスに乗らず、ここで降りた。今回の宿をJB Sentralのすぐ近くにしたので、歩いていけるのではないかと思ったからである。

入国審査場から少し歩くと、両替商や様々な店屋が並んでいる。そこで、持ち合わせのシンガポール・ドルをマレーシア・リンギに交換。その先には、鉄道のジョホールバル駅があり、切符売り場もある。シンガポールへの戻りを鉄道にしようかと思い、ジョホールバル駅からシンガポール側のウッドランド駅までの時刻表を探したが、見当たらず、駅員に聞いても、時刻表はないという。ジョホールバル=シンガポール間はバスが頻繁に出ているので、わざわざ鉄道で行く必要はないなと理解。

駅を後にして、架橋をわたる。途中、下にタクシー乗り場やバス乗り場が見える。そのまま架橋を渡り終えると、ショッピングモールに直結。ジョホールバル・セントラル・シティー・スクウェアである。3階に着くので、モール内を通り抜けて1階までおり、一番南側の出口を出ると、目の前に今回の宿があった。

街の中心部の安宿である。今回は、JB Sentralの近くの宿に泊まろうと決めていた。昔、歩いたゴチャゴチャした中心部をもう一度歩いてみたいと思ったからだ。

でも、さすがに疲れた。着いてしばらくウトウトし、ショッピングモール内で夕食を済ませた。そこで食べた中華がなかなかの本格派。インドネシアではめったに味わえない美味しさだった。そして、誤って落とした箸を、イケメン風の店員が、顔色一つ変えずに、すかさず拾ってくれるその速さ。そんな些細なところに、インドネシアとの違いを感じてしまう。

土日はジョホールバル。しかし、連載原稿の締め切りが月曜と火曜にくるので、時間を見つけて作業もしなければ。今、ものすごい雷音の後、雨が降り始めた。