【インドネシア政経ウォッチ】第149回 テロ対策の光と陰(2016年3月25日)

1月14日に首都ジャカルタの中心部でテロ事件が起こってから、2カ月余りが過ぎた。社会は平穏を取り戻したかに見えるが、その裏で、テロ対策警察特殊部隊(Densus 88)がテロリスト掃討作戦を強化している。

その標的の一つは、サントソ・グループである。サントソは、国内で唯一、過激派組織「イスラム国」(IS)に忠誠を誓う「東インドネシア・ムジャヒディン」という名の組織を率い、2012 年12 月から中スラウェシ州ポソ県の山岳地帯グヌン・ビルでゲリラ活動を行っている。

今年3月、警察は軍と合同で2,200人を投入し、サントソの逮捕を目的とした「ティノンバラ作戦」を実行した。この作戦で爆弾などの証拠品を押収したほか、中国籍のウィグル族の男性2名が射殺された。彼らは15年に合流したとみられ、ISへの共鳴の広範な国際化を示唆する。

世界で最大のイスラム人口を抱えるインドネシアはISを敵視し、テロリスト・ネットワーク細胞の摘発などの成果を上げてきた。Densus 88 の貢献度は極めて高い。しかし、その一方で、Densus 88 のテロ対策が行き過ぎであるとの批判も根強い。

3月8日、中ジャワ州クラトン県で、モスクで夕方 の礼拝をしていたシヨノ氏がDensus 88 に拘束された。 彼はテロ組織ジュマア・イスラミア(JI)のメンバ ーで、火器製造の役目を果たしたとの容疑だった。当初は従順だったが、その後、急に反抗したため、3月 11 日、Densus 88 のメンバーが正当防衛として彼を殺 害した。

シヨノ氏の容疑は検証されず、誤認だった可能性が あるとして、中ジャワ州の学生らが抗議行動を起こした。国家人権委員会や国会もシヨノ氏殺害事件に注目 し、Densus 88 による行き過ぎを非難するとともに、人権侵害の可能性を危惧する声明を発した。警察は、シヨノ氏の扱いに不備があった可能性を示唆しつつも、テロ容疑者に対する処置で人権侵害ではないとの立場 を示している。

Densus 88 を軸とするテロ対策は不可欠だが、一歩間違うと、それが逆にISへの共感を強めてしまう可能性もあることに留意する必要がある。

 

(2016年3月25日執筆)

 

【インドネシア政経ウォッチ】第145回 ジャカルタ・テロ事件の黒幕は誰か(2016年1月28日)

2016 年1月14日の白昼に首都ジャカルタの中心部、サリナデパートやスカイラインビル周辺で起きた爆弾テロ事件は、市民に大きな衝撃を与えた。

警察は当初、シリア在住で過激派組織「イスラム国」(IS)に合流したとされるバフルン・ナイム氏を首謀者と断定し、シリアからテロ資金が送金されていたとも発表した。東南アジアでは「ハティバ・ヌサンタラ」というISの下部組織が活動を始めており、ナイム氏はそのトップの座をフィリピン・グループと競っているという話だった。

ところが、その後の捜査で、ヌサカンバンガン刑務所に収監されているアマン・アブドゥルラフマン服役囚が事件の黒幕として浮上してきた。今回の実行犯の4人が昨年12 月にヌサカンバンガン刑務所でアマン服役囚と面会し、テロを実行すべき時期などに関して指示を仰いだというのである。

アマン服役囚は、2004 年にデポック市の自宅で爆弾事件を起こした後、10 年にアチェでの軍事訓練に関与した疑いで禁固9年の刑を受けた。彼自身が実際にテロを実行したことはないが、彼の教えを受けた信奉者が細胞ネットワークを作ってきた可能性がある。各地での自爆テロ事件では、実行犯の指導者として彼の名前が頻繁に上がった。

警察によると、アマン服役囚は14 年4月にオンラインでIS指導者へ忠誠を誓った。中東では、ISはアルカイーダ系のヌスラ戦線と対立するが、インドネシアでは必ずしも両者は峻別されない。これまでジュマア・イスラミヤなど国内イスラム過激派の支柱とされてきたアブバカル・バワシル師もIS支持を明言している。ただし、アマン服役囚とバワシル師は面識がないようである。

もしそうならば、今回のテロ事件は、国内のISシンパが独自に引き起こし、それをISが後追いで称賛したものかもしれない。今後、国内のISシンパとシリアへ渡ったインドネシア人ISメンバーとの接点がどのような形で現れてくるのか。警察は、シリアからの帰国者への監視強化と国内の細胞ネットワーク摘発に全力を尽くすことになる。

 

(2016年1月28日執筆)

 

ジャカルタのテロ事件をイスラムで語ってはならない

どうしても、これを言わなければならない。

1月14日に起こったジャカルタのテロ事件。実家のある福島と友人との面会がある郡山とをJR普通電車で移動する合間に、事件の速報をiPadで追いかけていた。

かつて私は、事件の起こったスターバックスの入るビル内のオフィスに通い、毎日のようにあの付近を徒歩で歩き回っていた。仕事の合間、知人との待ち合わせのため、あのスタバで何度時間を過ごしたことか。向かいのサリナは、地下のヘローで毎日の食料品を買ったり、フードコートで食事をしたり、お気に入りの南インド料理屋でドーサを食べたり、本当に馴染みの日常的な場所であった。あの界隈の色々な人々の顔が思い浮かんできた。

断片的な情報を速報的にまとめたものは、ツイッターとフェイスブックで発信した。犯人がBahrun Naimだとすると、思想・信条的なものもさることながら、かつて警察にひどい拷問を受け、その恨みを晴らすことが動機の一つとなっていることも考えられる。

2002年10月に起こったバリ島での爆弾テロ事件のときのことを思い出す。犯人がイスラム過激派であることが知られたとき、インドネシアのイスラム教徒の人々のショックは計り知れないものだった。まさか、自分の信じている宗教を信じている者がこんな卑劣な事件を起こすとは、と。ショックが大きすぎて、自分がイスラム教徒であることを深く内省する者も少なくなかった様子がうかがえた。

今にして思うと、当時のインドネシアのイスラム教徒にとっては、一種のアイデンティティ危機だったのかもしれない。しかし、自己との辛い対話を経て、インドネシアの人々はそれを乗り越えていった。

そのきっかけは、2004年から10年間政権を担当したユドヨノ大統領(当時)の毅然とした態度だったと思う。ユドヨノ大統領は、宗教と暴力事件とを明確に区別したのである。テロ事件は犯罪である。宗教とは関係がない。そう断言して、テロ犯を徹底的に摘発すると宣言した。そして、国家警察にテロ対策特別部隊をつくり、ときには人権抑圧の批判を受けながらも、執念深く、これでもかこれでもかと摘発を続けていった。

余談だが、かなり昔に、上記と同様の発言を聞いたことがある。1997年9月、当時私の住んでいた南スラウェシ州ウジュンパンダン(現在のマカッサル)で反華人暴動が起こった。経済的に裕福な華人に対して貧しいイスラム教徒が怒ったという説明が流れていたとき、軍のウィラブアナ師団のアグム・グムラール司令官(後に運輸大臣、政治国防調整大臣などを歴任)が「これは華人への反発などではない。ただの犯罪だ!」と強調した。ただ、今に至るまで、暴動の真相は公には明らかにされず、暴動を扇動した犯人も捕まっていない。

その後も、ジャカルタなど各地で、爆弾テロ事件が頻発した。インドネシアの人々はそれらの経験を踏まえながら、暴力テロと宗教を明確に分けて考えられるようになった。かつてのように、アイデンティティ危機に悩む人々はもはやいない。誰も、たとえテロ犯が「イスラムの名の下に」と言っても、テロ犯を支持する者はまずいない。インドネシアでテロ事件を起こしても、国民を分断させることはもはや難しい。この15年で、インドネシアはたしかに変わったのである。

テロ犯は標的を間違えている。イスラム教徒を味方に引き付けたいならば、インドネシアでテロ事件を起こしても効果はない。個人的なストレスや社会への恨みを晴らそうと暴力に走る者がいても、それは単なる腹いせ以上のものではない。政治家などがこうした者を政治的に利用することがない限り、彼らはただの犯罪者に留まる。

そんなことを思いながら、福島の実家でテレビ・ニュースを見ていた。イスラム人口が大半のインドネシアでなぜテロが起こるのか、的を得た説明はなかった。そして相変わらず、イスラムだからテロが起こる、インドネシアは危険だ、とイメージさせるような、ワンパターンの処理がなされていた。初めてジャカルタに来たばかりと思しき記者が、現場近くでおどおどしながら、東京のデスクの意向に合わせたかのような話をしていることに強烈な違和感を覚えた。

なぜイスラム人口が大半のインドネシアでなぜテロが起こるのか。理由は明確である。テロ犯にとってインドネシアは敵だからである。それは、テロ犯の宗教・信条的背景が何であれ、インドネシアがテロ犯を徹底的に摘発し、抹消しようとしているからである。それはイスラムだからでもなんでもない。人々が楽しく安らかに笑いながら過ごす生活をいきなり勝手に脅かす犯罪者を許さない、という人間として当たり前のことをインドネシアが行っているからである。

とくに日本のメディアにお願いしたい。ジャカルタのテロ事件をイスラムで語ってはならない。我々は、テロを憎むインドネシアの大多数の人々、世界中の大多数の人々と共にあることを示さなければならない。

 

【インドネシア政経ウォッチ】第125回 IS共感者の伸長を警戒(2015年3月26日)

3月初め、インドネシアからトルコへのツアー客のうち16人が行方不明となり、その後、シリア国境で彼らがトルコ警察に拘束されるという事件が起こった。16人はトルコからシリアへ入国し、過激派組織「イスラム国(IS)」に合流する計画だった疑いが強いと報じられた。

国家テロ対策庁によると、ISへ合流したインドネシア人はすでに514名を数え、うち7人は死亡、十数人はインドネシアへすでに帰国している。国家警察テロ対策特殊部隊は、先週までに、ISへの渡航をほう助した疑いでジャカルタ、南タンゲラン、ボゴール、ブカシで5人を逮捕したほか、国内の19団体をIS支持団体とみなしている。警察によると、彼らは中スラウェシ州ポソ県を訓練場所とし、2月23日にデポックのショッピングセンターで起きた爆発事件などテロ行為を引き起こし始めた。

ISへ合流する者のなかには、過去にインドネシアでのイスラム国家樹立を目指した反政府主義者の子孫が含まれる。彼らは、2000年代前半にジュマー・イスラミヤ(JI)などの名称で呼ばれたイスラム過激派グループにも関わったが、テロ対策の強化で活動が下火となった後、その代替としてISへの共感を高めた。JIの指導者とされるアブ・バカル・バシル受刑者やポソを拠点とするサントソ・グループなどもIS支持を表明した。

金融取引分析報告センター(PPATK)によると、15年2月時点で、IS関連資金とみられる数十万米ドルの海外資金が中東やオーストラリアから流入したと見られるほか、国内でも、IS支持者のビジネスにより約70億ルピア(約6,500万円)が流れているとみられる。フェイスブックなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を活用した巧みな勧誘も盛んである。

政府は、IS共感者が急速に増える傾向があるとして、警察による取り締まりを強化するとともに、IS合流者の旅券取り消しを含むテロ対策法の代用執行政令を準備中である。経済の低迷、所得格差の拡大、揺さぶられるジョコ・ウィドド(ジョコウィ)政権という状況下で、IS共感者の伸長を注意深く見ていく必要がある。

【インドネシア政経ウォッチ】第114回 スラバヤでテロ警戒の声明(2015年1月8日)

新年早々の1月3日、アメリカ大使館は、エアアジア機墜落事故の遺族が悲しみにくれる東ジャワ州スラバヤに住む在留アメリカ人に対してテロへの警戒を呼びかける声明を発表した。スラバヤの米系ホテル、銀行に対する潜在的な脅威がある、という内容である。

スラバヤは「インドネシアの治安状況を判断するバロメーター都市」と治安当局から認知されている。スラバヤ警察は、ときにデモ対策のために首都ジャカルタへ派遣されるほど一目置かれており、スラバヤが平穏であればインドネシアも平穏であるとされる。そのスラバヤでテロへの警戒がアメリカ大使館から呼びかけられるのは異例と言ってよい。

その背景には、インドネシア国内で最近、過激派「イスラム国」へ親近感を抱く者たちが表面に現れ始めたことがある。過去にアルカイダやジュマア・イスラミヤ(JI)などイスラム過激派組織に関わった人物らがイスラム国へ合流し始めている。

スラバヤでは、昨年1月と8月にテロリストが逮捕された。とくに、8月に逮捕されたアブ・フィダは、インドネシア人56人をシリアへ送ってイスラム国に合流させようとした。加えて彼は、2002年にテロリストの大物であるアズハリやヌルディン・トップをかくまったほか、中スラウェシ州ポソで軍事訓練を行うサントソ・グループとも関係することが分かった。

国家警察によると、昨年12月にポソで逮捕した4人のテロリストはイスラム国メンバーと認められた。アメリカ大使館は、イスラム国支持者の隠れた拠点となりうるスラバヤで、ポソのサントソ・グループと連携した何らかの動きが起こるという情報をつかんだ可能性がある。

大統領選挙でプラボウォ=ハッタ組についた福祉正義党(PKS)のアニス・マッタ党首は昨年8月、「わずか30万人のイスラム国に40カ国が宣戦するのは大げさだ」と述べた。すぐにPKSは「イスラム国を支持せず」と火消しに走ったが、プラボウォ支持のデモにイスラム国の旗が現れたことと併せ、ジョコウィ政権がイスラム国と関連づけてプラボウォ側をたたくのではないかとの見方もある。