【スラバヤの風-28】スラバヤのゆるさ
先日、マカッサル出身の友人たちと都市のデザインについて議論をした。彼らは昨今のマカッサルでの無秩序な都市開発を批判する一方、その対比で、皆がみんな、スラバヤを賞賛するのである。そして、それは実行力のあるスラバヤのリスマ市長の功績という話に落ち着く。彼らと話をしながら一部は賛成しつつも、何となく違和感も抱いた。「スラバヤはゆるい」という印象を持っていたからである。
ちょうど2014年6月18日、予定よりも1日早く、東南アジア最大の売春街と言われたドリー地区の閉鎖をリスマ市長が強行したばかりであった。仕事を失った売春婦やウィスマと呼ばれる売春店には、賠償金とともに転職のための職業訓練などの機会が市政府から与えられたが、彼らのなかにはそれを拒否し、閉鎖に強く抗議して法的手段に訴えようとする者も少なくない。ムスリム人口が9割以上を占めるスラバヤにドリーが存在したこと自体、スラバヤのゆるさを象徴しているように思える。
ほかにも、たとえば、豚肉を出すレストランにムスリムの客がやってくる。もちろん、豚肉の食事を食べはしないが、豚以外のものは平気で食べている。通常、豚肉と同じ場所で調理された食事をムスリムは口にしないと聞いていたし、マカッサルでは実際その辺がかなり厳しかった。ビールを飲むムスリムもよく見かける。ミュージックパブに行くと、ジルバブを被った若い女性たちが退廃的とされるパンクロックをノリノリで聴いている。
その一方で、スラバヤ市は一般店でのアルコール飲料の販売を禁止したり、ドリーを閉鎖したりと、あたかも厳格なイスラム教の教えを適用するかのような政策を採る。ただ、よく見ると、アルコール飲料の販売禁止は、若者が密造酒をガブ飲みして死亡する事件が相次いでいたことが背景にある。ドリーの閉鎖も、宗教上の問題よりもそこで育つ子どもの将来を思うリスマ市長の真っ直ぐな気持ちが突き動かしたものだ。でも売春婦たちは別の形で残っていくだろう。ドリー閉鎖への反対運動は起こったが、ビール愛好家によるアルコール飲料販売禁止への反対運動も起こっていないし、ビールも普通に飲まれている。そのへんも何となくゆるく落ち着いているように見える。
環境先進都市を目指すスラバヤは、ゴミの少ないきれいな街と言われるが、実はゴミのポイ捨てをよく見かける。他の都市よりも頻繁に清掃しているからきれいなのであって、決して市民の意識が高まってゴミを捨てなくなったからではない。これもスラバヤのゆるさの別の側面と言えるかもしれない。
(2014年6月28日執筆)