【インドネシア政経ウォッチ】第5回 汚職について考える(2012年 8月 30日)
インドネシアで汚職報道のない日はない。実際に何人もの政治家や政府高官が実名かつ現職のまま逮捕されており、汚職のイメージを払拭(ふっしょく)するのは容易ではない。
スハルト政権が倒れ、民主化の時代になってからの方がひどくなったような印象だ。地方分権化により全土に拡散してしまったという見解も一般的である。汚職を根絶できない現体制を抜本的に変えるとの期待から、イスラム法適用運動が一時的に支持を集めたが、結局、清廉さを売り物にしたイスラム政党も汚職に染まり、急速に色あせていった。
スハルト時代も汚職は大問題だった。コミッションと称して「袖の下」を要求するスハルト大統領のティン夫人は「マダム10パーセント」と呼ばれ、スハルトの親族はビジネスを拡大させた。国民は「大統領がするなら」と汚職を正当化し、一緒に行ったため、それを暴くことは事実上困難だった。
スハルト後の民主化時代になると、政治勢力が多極化した。大統領公選や地方首長公選が実施されると、競争相手を追い落とすため、汚職などのあら探しが始まった。報道や表現の自由も保証されたことから、メディアは汚職関連記事を連日のように掲載する。記事を書かれた政治家は、別の政治家の収賄疑惑を血眼になって探すなど政争に明け暮れ、汚職をなくそうという機運が高まらない。
大統領直属の汚職撲滅委員会は容疑者への盗聴も許され、訴追された容疑者は汚職裁判所で裁判を受ける。裁判では盗聴された携帯電話の通話録音も証拠となり、有罪となれば執行猶予の付かない実刑判決を受ける。
政府の役人と話をすると、援助機関が実施する研修やセミナーへの交通費や宿泊費さえ、「援助機関側から支出してもらいたくない」と言われる。汚職嫌疑をかけられる恐れがあるからだ。汚職をする時代から汚職を怖がる時代へと変化の兆しはある。でも皆が続けていることに変わりはない。
http://news.nna.jp/cgi-bin/asia/asia_kijidsp.cgi?id=20120830idr020A
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