先週は、10月15日〜20日まで、5泊6日でジョグジャカルタへ行っていた。
ジョグジャカルタは日本の京都に相当する古都で、実際、京都府とジョグジャカルタ特別州は姉妹関係にある。ジョグジャカルタのキャッチフレーズは「永遠のアジア」(Never Ending Asia)、インドネシアの他の都市よりもネーミングのセンスが断然によい。
前半は某日系企業関連の仕事だったが、後半は、ガジャマダ大学の学生20名との面接であった。これは、日本の某大学のプログラムで、日本語科以外で学ぶ優秀な学生のうち、かつて日本語を勉強したものの、今は日本語を学ぶ機会のない学生に再教育の機会を与え、その後の進路について、簡単なカウンセリングを行う、というものである。私は、この「簡単なカウンセリング」の部分を面接という形で受け持った。
18日午前中に、ガジャマダ大学で「日本の企業文化は今:インドネシアにおける日系企業」と題して公開授業を行った後、1人30分ずつ、20名の面接に突入した。
20名のほとんどがIPK/GPAが3.3以上の成績優秀者で、今回の再教育で日本語検定N-3を目指すぐらいのレベルに達していた。とても勉強熱心で、面接が終了した午後3時過ぎから夕方まで、彼らの日本語の勉強を追加で見ることにもなった。
面接では、彼らの将来の夢を聞いた。自分の専門を生かした職業に就きたい、日本語を生かせる職業に就きたい、といった声が多かったが、なかには、いずれインドネシアを変えてみたい、インドネシアの農業を守るために農民に土地を提供できる立場に就きたい、といった話をする者もいた。
彼らの描くキャリアパスは、まず学部を卒業してから数年間は企業で働き、その後、大学院で勉強する機会を得て、それから先の企業に戻るか、または次のステップへ移る、というものであった。
なかには、どうしても日本へ行きたい、という者もいた。しかし、多くの学生は、鉱業部門の多国籍企業で働きたいと考えていた。花形企業なのだ。賃金水準が高く、福利厚生も整い、安定している。日本語を学んでいるからといって、どうしても日本企業で働きたいという者は少なかった。
日本企業で働いたり、日本で働いたりすることを希望する者は、規律正しさや清潔さなど、日本の良さを自分で身につけたいという動機が多い様子であった。日本に対するあこがれやステレオ・タイプは、彼らにも健在であった。
彼らの多くは、高校時代に日本語を学び、友人たちと日本愛好グループを勝手に立ち上げて、彼らなりのやり方で日本を楽しんできた者たちであった。大学に入って日本語を学ぶ機会が乏しくなっても、日本愛好グループの仲間同士の付き合いは続き、日本語学校に通ったり、日本語の自主的な勉強会に参加したりしている者もいた。
どうして日本が好きなのかを何人かに聞いたが、そこで出てくるのはやはり規律正しさや清潔さなど。でも、話しているうちに、彼らはなぜ日本が好きかを冷静に説明するというよりは、うまく説明できないがとにかく好きなのだ、ということが体中からあふれてくるような印象だった。
たとえ彼らが日本企業に就職しなくとも、彼らの日本好きは簡単には消えないだろう。我々の知らないところで、こうした日本好きの若者たちがインドネシア社会のメジャーな部分に増えていくのは、やはり好ましいことである。
彼らに卒論のテーマも聞いたが、数人が「東電福島第一原発事故をめぐる日本の政治経済」をテーマにしたいといっていたのが印象的だった。しかし、彼ら曰く、情報ソースのほとんどが日本語で情報収集が難しく、かつ指導教官から対応できないと言われ、別テーマを検討しなければならないとのことだった。
むずがゆかった。「彼らの指導教官になりたい」と思わずにはいられなかった。彼らにとっても、原発事故後の日本は、関心の高いテーマであることを改めて認識した次第である。
彼らとの面接は、私にとっては至福のひとときだった。そして、自分の心に素直に従えば、学生を指導するということがやはり自分の天職のひとつだったのだということをしみじみと思った。しかも、こんな優秀な学生たちの指導ができたら、どんなに面白く、将来が楽しみになることだろう、と。彼らとこれからもずっと付き合っていければと願う。
今後、インドネシアの大学で現代日本事情(政治経済社会)を教える、という選択肢も考え始めている。そして同時に、日本の学生のことも気になって仕方がない。何とか、両方で教えられる手立てはないものか。しばらく、欲張って考えてみよう。