ラマダン最終日のザンジバル(3)
ザンジバルの世界遺産であるストーン・タウンの街歩きの後は、車で30分ほどの距離にある観光スパイス農園へ行った。
ザンジバルに富を築かせたのは、奴隷貿易、象牙取引と並んでスパイス貿易であった。なかでも、丁字は、もともとオランダ領東インド(現在のインドネシア)から移植され、世界有数の品質の丁字を産するに至った。実際、インドネシアは、ザンジバルから丁字タバコ(クレテック)用の丁字を輸入していた(今も輸入しているかもしれないが)。
観光スパイス農園につくと、若い兄ちゃんが農園の中を案内してくれる。農園自体は観光用に様々な香辛料の木を植えているのみで、商業用としては大したことはない。案内役の彼は農園とは何の関係もなく、観光客を案内するために農園を使わせてもらう観光ガイドである。
農園内を歩きながら、香辛料の木の実を詰んで、匂いをかがせたり、かじらせたりする。予想通り、彼が案内する香辛料はすべてインドネシアではおなじみのものばかり。いつもと勝手が違って、驚いたり感心したりしない客だったせいか、案内役の兄ちゃんはちょっとがっかりしている様子だった。
椰子ジュースを飲んでいる間に、葉っぱで帽子とネクタイを作ってくれた。最後に、スパイス販売コーナーに連れて行かれて、スパイス農園ツアーは終了である。
日頃、本物の香辛料の木を見る機会のない人々にとっては、興味深いツアーになるかもしれないが、今回は私のような客に当ってしまい、彼らにはちょっとかわいそうだった。
ザンジバルからダルエスサラームへの戻りは、セスナ機の最終便。
乗客が多く、増便が出たが、なぜか増便のほうが早く飛んでいってしまい、元々の便を予約していた私を含む乗客はしばらく取り残された。
結局、1時間近く遅れてダルエスサラームに到着。我々が先に飛べたら、セスナ機から夕日が楽しめたのに、とちょっと残念なザンジバル日帰りツアーの締めくくりだった。