【インドネシア政経ウォッチ】第111回 人権活動家ムニール殺人犯の釈放(2014年12月4日)
11月28日、一人の男が刑務所から釈放された。ちょうど10年前の2004年9月7日、著名な人権活動家であったムニール氏を殺害したとされるポリカルプス服役囚である。彼は05年、禁錮20年の判決を受けたが控訴し、13年の最高裁において禁錮14年へ減刑となった。そして今回、刑期を6年残し、条件付きで釈放されたのである。
ムニール氏は、インドネシアからオランダへ向かう途中で殺害された。遺体から青酸カリが検出され、当初、乗っていたガルーダ航空機内で出されたジュースに混入されたと見られていた。このため、ガルーダの重役らの事件への関与が疑われた。その後、トランジット中のシンガポールの空港で食べた食べ物に混入された可能性が有力となり、食事をムニール氏と同席したガルーダの非番パイロットであるポリカルプス服役囚が実行犯と断定されたのである。
政府に批判的なムニール氏の殺害は、当初から政府当局が指示したとの見方が強かった。当時、国家情報庁(BIN)副長官だったムフディ退役陸軍少将が頻繁にポリカルプス服役囚へ電話していたことから、08年6月に事件の黒幕として逮捕されたが、結局、証拠不十分で半年後に釈放された。
ムフディ氏は諜報畑の将校で、大統領選挙に立候補したプラボウォ退役陸軍中将に昔から寄り添い、プラボウォ氏が立ち上げたグリンドラ党の副党首も務めていた。しかし、大統領選挙直前の14年5月、ムフディ氏は突如、選挙でジョコウィ氏支持を表明し、プラボウォ陣営を去った。
ムニール氏殺害事件は、ユドヨノ政権誕生直前のメガワティ政権の時代に起きた。当時のBIN長官だったヘンドロプリヨノ退役陸軍中将はメガワティ氏に近く、数々の人権侵害の首謀者としてムニール氏らから強く批判されていた。そのヘンドロプリヨノ氏は今、ジョコウィ政権を支える実力者の一人となっている。
「過去の人権侵害問題にメスを入れる」と選挙中に約束したジョコウィ大統領は、早くも言行不一致との批判を受け始めた。