【インドネシア政経ウォッチ】第119回 再び現れた「国民車」の亡霊(2015年2月12日)

警察と汚職撲滅委員会(KPK)との対立が激しくなる中、ジョコ・ウィドド(ジョコウィ)大統領は東南アジア諸国を歴訪した。そして、最初の訪問国マレーシアで、「国民車」という亡霊が再び現れることになった。

マレーシアのプロトン・ホールディングス社とインドネシアのアディプルカサ・チトラ・レスタリ(ACL)社との間で協定書が結ばれ、インドネシアでの国民車開発・製造に関する協力がうたわれたのである。調印式にはジョコウィ大統領、マレーシアのナジブ首相、プロトンの創設者であるマハティール元首相が出席した。

インドネシアは1970年代から自動車製造の国産化を目指してきた。ハビビ元副大統領が進めた小型車マレオ。90年代後半にスハルト元大統領の三男トミー氏が大統領からの特別措置で韓国車を「国民車」に仕立てあげようとしたティモール。ほかにもビマンタラ、マチャン、カンチルなどが試みられたが、いずれも失敗に終わり、今に至るまで、自動車製造のほとんどを日系メーカーが占める構造は盤石のままである。

ジョコウィ大統領自身も、中ジャワ州ソロ市長時代に、地元の実業高校生が造った自動車をエスエムカーと名づけ、「国民車」として広めようとした。しかし、彼はまだ認めていないが、それは、東ジャワ州スラバヤから調達した中国からの輸入部品を使った自動車組立実習の成果に過ぎないことがのちに暴露された。

インドネシア側パートナーであるACL社の社長は、メガワティ闘争民主党党首の側近で、ジョコウィ大統領の当選に尽力したヘンドロプリヨノ元国家情報庁長官であるが、ACL社がペーパーカンパニーである可能性も指摘されている。ジョコウィ大統領は、民間=民間のビジネスであり、政府として特別扱いはしないと明言した。

協定書に基づき、プロトン=ACLは6カ月間の事前調査を行うとしている。東南アジア諸国連合(ASEAN)経済共同体(AEC)の発足を前に、プロトンがインドネシア市場へ食い込みたいのは間違いない。しかし、それに引っ付くインドネシア側には、「国民車」という亡霊しか見えてこない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください