ASEPHI訪問団を京都・ダリケーに案内

昨日(9月11日)、京都を訪れ、インドネシア工芸品製造輸出協会(ASEPHI)ジャカルタ支部の35名のメンバーをダリケー株式会社にご案内しました。ダリケーは、日本で唯一、インドネシア・スラウェシ産カカオを使ったチョコレートを製造する企業です。

京都、福井、富山(その1)

ゴールデンウィーク前半(4月28日〜5月2日)、京都、福井、富山をまわって、最後に高崎の親戚の家を訪ねて、東京へ戻った。

今回の旅では、東京都区内→東京都区内という乗車券を使った。東京から新幹線、湖西線、北陸本線、北陸新幹線で東京へ戻る、という形(ただし、山科=京都間の往復380円を支払う必要あり)。

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この乗車券を買うときに知ったのだが、金沢と富山の間はJR在来線がなくなって第三セクター鉄道となったので、「金沢から北陸新幹線」にしないと今回のようなグルッと切符は買えなくなっていた。

ちなみに、この運賃は14,200円(13,820円+山科=京都往復380円)だが、東京=山科=京都=山科=(湖西線)=金沢で9,610円、金沢=富山間の第三セクター鉄道が1,220円、富山=東京が6,480円で合計17,690円となる。

京都では、ダリケー株式会社を訪問し、8月に予定しているインドネシア・スラウェシへのツアーの打ち合わせを行った。

京都では、ダリケー株式会社の方々と懇談し、今年8月に予定しているスラウェシへのスタディツアーの打ち合わせを行った。昨年8月、すでにダリケーのスタディツアーに同行させていただき、カカオ農園見学・苗木植え、カカオ農家での発酵プロセス見学、カカオ農家のある農村見て歩き、カカオをめぐる農家や村の人々との討論・意見交換など盛りだくさんの内容だった。

今年はさらに内容をパワーアップさせたツアーを行う予定である。もちろん、私も、通訳兼アドバイザーとして同行する予定である。日程は8月後半という以外は未定だが、すでに希望者が20人程度照会中とのことで、興味のある方は、ダリケーの足立(あだち)こころさん(kokoro.adachi@dari-k.com)までメールで連絡してほしい。

京都からはJR湖西線経由の特急サンダーバードで福井へ。インドネシア・マカッサル滞在時から20年の付き合いになる友人夫婦の家を訪問した。彼らのホームページ(http://www.nouentaya.com/)を是非ともご覧になってもらいたい。

九頭竜川近くの彼らの畑を見せてもらったほか、農村の抱える様々な現実的な問題とそれに地元の人間としてどう関わっていけるのかについて、深い話を聞かせてもらった。合わせて、彼らが毎年受け入れているインドネシアからの農業研修生から「研修終了後、インドネシアでどんな農業をやりたいのか」というプレゼンテーションを聞き、意見交換を行う機会もあった。

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福井からは北陸本線で金沢へ。乗車した特急しらさぎの自由席はほとんど乗客がいなかった。金沢駅を降りたら、たくさんの人が行き交っていて少々驚いた。レンタルサイクルに乗っているのはほとんどが外国の方だった。北陸新幹線効果は相当なものだ。

でも、アマノジャクな自分は、今回、金沢観光はしなかった。駅前の安ホテルに1泊し、前日に夕食に招いてくれた友人(彼ともインドネシア・マカッサルで知り合った)と一緒に、4月30日は富山県中新川郡立山町を訪問した。彼はかつて立山町で地域おこし協力隊員を務めていたことがある。

到着してすぐ、彼が滞在した新瀬戸地区の地域おこしグループの話し合いをいきなり聴講することになった。最初は空家対策がメインだったが、徐々にIターンをどう受け入れて定住させるかという話になった。図々しくも、途中から私も議論の輪の中に入れてもらい、新瀬戸地区の魅力を外から来た方々と一緒にどう発見するかなどの話を楽しくさせてもらった。あー、図々しい。

地域おこし協力隊員の方が立山Craft(http://tateyamacraft.wix.com/tateyamacraft)という素敵なイベントを計画されていることを知った。地元でクラフト活動に関わる有名・無名のアーティストたちが集まり、立山町の魅力を発信する試み。残念なながら筆者は所用で行けないのだけれども、ご興味のある方は是非行ってみてほしい。

実は、立山町新瀬戸は越中瀬戸焼の発祥地である。といっても、筆者自身、ここに来るまで、恥ずかしながら越中瀬戸焼の存在を知らなかった。新瀬戸には町営の陶農館という施設があり、越中瀬戸焼の作品が展示されているほか、陶芸教室も開かれている。

友人に連れられて、越中瀬戸焼の窯元を2つ訪問した。窯元に属する職人は5人おり、「越中瀬戸焼かなくれ会」というグループで制作活動を行っている。越中瀬戸焼は尾張瀬戸から職人が移り住んだことに由来し、元々は磁器を生産していたが、今は陶器である。2つの窯元とも、ギャラリーがとても素敵で、そこに、飽きのこないシンプルな形状の作品が並べられ、満ち足りた空間を演出している。前述の立山Craftには、これら窯元の作品も展示即売されるそうである。

筆者は立山町の農家から毎月お米を送っていただいているが、今回はその農家も訪問できた。近所の兼業農家から次々に水田耕作を請け負って欲しいと言ってきて、それを請け負っているうちに、約20町歩の水田耕作を行うことになり、その面積はまだ増えそうだという。

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有機栽培にこだわったコメ作りをされているが、地元では少数派だと繰り返しおっしゃっていたのは、ちょっと意外だった。たしかに、コシヒカリのような高い米を売るならば、あえて有機にしなくともそれなりの販路が確保でき、面倒くさくない。この農家の方はそうしたやり方で日本の農業が本当に生き残っていけるのかと問うていた。

金沢から付き合ってくれた友人と富山でわかれ、4月30日の夜は、富山出身でシンガポールを拠点にアジアを股に掛けて活動中の友人と夕食。5月1日には、富山出身の大学時代の友人と夕食。二人から別銘柄の鱒の寿司をいただき、十二分に堪能した。

(その2に続く)

 

 

プトラくんとプトリちゃん

今回の「父」との日本旅行中に、京都で西本願寺の聞法(もんぼう)会館という宿に宿泊した。和洋室に「父」とその妻、私の3人で泊まり、私は和室で寝た。なかなか快適だった。

そこのお土産物屋コーナーで見つけたのが、この文房具セット。

プトラくんとプトリちゃん、とある。これは、本願寺のキャラクターらしい。しかも、ゆるキャラで、着ぐるみまであるようだ。

天真寺日記

インドネシア語では、プトラといえば「息子」、プトリといえば「娘」である。たとえば、スハルト元大統領の3男はフトモ・マンダラ・プトラという名前であり、スカルノ初代大統領の娘で闘争民主党党首の名前は、メガワティ・スカルノプトリ、である。

プトラもプトリもサンスクリット語起源ということで、本願寺のキャラクターとして愛されているようだが、「息子」「娘」との思いがけない「出会い」であった。

「父」と日本旅行中(2)

後半は、「父」とその妻を連れて大阪・京都へ行った。毎日、ホテルが変わるなど、84歳の「父」には厳しいスケジュールで、さすがにちょっと疲れが溜まってきた様子だった。

大阪のメインは、20年前、私の前の職場へ客員研究員として来ていたときに、ホームステイした先のご夫妻との再会である。正確にいうと、大阪ではなく宝塚である(宝塚は兵庫県だし・・・)。

実は、数か月前、「父」からこのご夫妻の連絡先を探せとの求めがあった。分かっていたのは名前と宝塚に住んでいるということだけ。「日本人だから全ての日本人を知っているはずということはありえない」と何度も言って諦めさせようとしたのだが、「それなら電話帳を使って探せ」とまで言われた。

日本へ帰国した折に、宝塚まで行って電話帳で探さなければならないのか、とあきれていたら、「ほれ、これが電子メールアドレスだ」と「父」から連絡があった。早速、そのアドレスへメールを送ってみた。一度戻ってきた。そのアドレスのドメインが新しく変わっている可能性がありそうなので、新しいドメインにして送ったら、戻ってこないので、それで安心していた。しかし、インドネシアを発つ数日前になっても何も返事がない。

と思っていたら、再び「父」から「メールはどうした? これがメールアドレスだ。ちゃんと連絡しろ」と再度の連絡があった。メールアドレスが前のと違っていた。新しいアドレスへ送ったところ、翌日、戦法から「是非お会いしたい」とのメールが帰ってきた。

そんなこんなで、宝塚のホームステイ先と4月20日に再会することができた。そして、翌21日、ホームステイ先の奥様と「父」とその妻の3人で、宝塚大劇場で宝塚歌劇を堪能した。最初は「父」だけ行けばいいと乗り気でなかった「父」の妻も、「とってもきれいな人がたくさんでてきたのよー。ステキ~」と大感激の様子。「父」も満足の様子だった。

宝塚の街は、宝塚歌劇の存在を前提にし、かつての遊園地などがなくなった今、景観を重視した落ち着いた住みやすい街となっていた。市の花であるハナミズキが沿道に咲き誇り、宝塚大劇場周辺は、色合いを統一して美観を保っている。時々、すらっと姿勢の良い背の高い女性が街なかを歩いているのに出会う。宝塚歌劇の女優さんである。

宝塚でホームステイ先のご夫妻と別れを惜しんだ後、京都へ移動。ちょうど帰宅ラッシュ時で、荷物もあるので、時間はかかるが、JR宝塚からJR京都線の高槻まで普通電車に乗り、高槻で京都行へ乗り換えた。ちょっと長旅で疲れた様子。

4月22日、京都では、歩くのが辛い「父」のためにタクシーをチャーターし、金閣寺と龍安寺に行った。金閣寺は外国人観光客でごった返しており、すごい人数だった。そんななかで「父」はインドネシアから来た観光客を見つけ、満足そうだった。

龍安寺では、石庭の良さが今ひとつよく分からなかった様子。京都の寺院を巡って様々な庭を愛でるには、あと数日は必要だと納得してもらった。

蕎麦屋で昼食の後、京都大学東南アジア研究所を訪問。旧来の知人である水野教授の案内で図書館をまわり、最後はインドネシア語で歓談。久々にインドネシア語全開で、思う存分語り合った後、タクシーで京都駅へ送ってもらい、新幹線で東京へ戻った。

東京では、東京スカイツリーの見えるホテルにチェックイン。雨で見えないかと思ったスカイツリーは、最上部を除いておおかた見え、「父」は満足。でも、「父」が初めて東京を訪れた1959年の東京タワーにまつわる思い出とどうしても混ざってしまうようだった。

ちょっとお疲れ気味の「父」だが、20年前と日本は大きく変わった、と繰り返していた。鉄道がより便利になったこと、あちこち花がきれいに植えられていること、エレベーターやエスカレーターが備えられて歩きやすくなっていること、外国人の姿がずっと多くなったことなど、いろいろ「父」なりに感じたことがあったようだ。そして、今回の旅を題材に、昔と今の日本についての印象を書いてみたいとまで言っている。その意欲には脱帽するしかない。

4月24日のガルーダ便で、インドネシアへ戻る。筆者も「父」と一緒に戻る。

【京都】久々の煮魚定食

「父」とその妻をお連れしての日本旅行も終盤戦。昨晩、宝塚から京都へ移動してきた。

さて、夕食をどうするか。午後8時半と遅くなってしまったが、ずっと慣れない日本食を食べさせてきたので、京都では久々にインドネシア料理を食べさせたいなと思っていた。でも「父」は、疲れたからホテルで食べたい、と言い出した。日本料理でもよい、そうだ。

今回の京都での宿は、西本願寺の宿・聞法会館。本願寺の経営している宿らしく、仏教の教に関する張り紙や、お坊さんの姿も見える。泊まったのは、5人まで泊まれる和洋室。洋室スペースにはベッドが3つ、和室でも布団が2人分ある。「父」たちは洋室スペースで、筆者は和室スペースで寝た。

結局、昨晩は、この宿の1階の和食レストラン「矢尾定」で食事をした。そば、うどん、丼ものもあって、ちょっとホッとした。「父」のようなイスラム教徒の方をお連れする場所として、このような宿・宿坊はけっこう良さそうな感じがする。

久々に煮魚定食を頼んだ。カラスカレイの煮付け、というやつである。これが、予想以上に美味しかった。

ふわっとした魚肉が口のなかでとろけるように消える。煮魚って、こんなに美味しかっただろうか。いや、もう何年も煮魚など食べていないから、そんな感想を持ったに過ぎないのだろうが。