【インドネシア政経ウォッチ】第73回 東ジャワ州知事選挙疑惑(2014年2月6日)

インドネシアでは、選挙結果に対して不服申し立てがあると、憲法裁判所が選挙の勝者を最終決定する仕組みになっている。しかも、憲法裁判所の決定には第三者によるチェックが入らず、1回の判断で決められる。この仕組みを利用して、収賄を繰り返していたとされるのが、先に逮捕されたアキル前憲法裁判所長官である。

アキルは2013年10月2日、中カリマンタン州グヌンマス県知事選挙結果の最終決定に絡む贈収賄の現場を押さえられて逮捕され、その後、いくつかの地方首長選挙でも同様に収賄を繰り返していた疑いが浮上した。

14年1月末、アキルは、地方首長選挙結果の最終決定に手心を加えるため、申し立てを行った者に金品を要求したことをようやく認めた。相場は状況によって異なるが、30億~100億ルピア(約2,500万~8,300万円)だったもようである。アキルは、「金品を要求したが、相手が本当に用意するとは思わなかった」とうそぶくが、相手にすれば強要以外の何物でもないだろう。

そして、アキルが金品を要求した事例として、新たに、13年8月の東ジャワ州知事選挙が浮かび上がった。現職が順当に勝利したと思われた選挙だが、落選候補側が憲法裁判所へ不服を申し立てていた。

アキルによると、彼を含む裁判官は13年10月2日、不服を申し立てた落選候補の当選を決定。しかし、現職側から「現職当選とするよう助けてほしい」と執拗(しつよう)に迫られ、決定を覆すために100億ルピアを要求した。まさにその夜、上述の通り、アキルは汚職撲滅委員会(KPK)に逮捕された。結局、東ジャワ州知事選挙の結果は、数日後、アキル抜きの所内最終会議で審議され、現職当選と決定された。

再選された現職の東ジャワ州知事は民主党州支部長で、敗北すれば民主党には致命的な痛手だった。実際、ユドヨノ党首(大統領)が何度も東ジャワ入りしてテコ入れしていた。もしかすると、アキル逮捕の真の理由はこちらだったのかという疑念さえ浮かんでくる。

【インドネシア政経ウォッチ】第72回 憲法違反でも選挙は実施(2014年1月30日)

憲法裁判所は1月23日、国会議員選挙と分けて大統領選挙を行うことは憲法違反との判断を下した。インドネシア大学のエフェンディ・ガザリ講師と『同時選挙のための国民連合』という団体が求めた違憲審査が認められたことになる。

憲法の第6A条2項には「大統領・副大統領候補ペアは、総選挙参加政党もしくはその複数政党の連合体によって総選挙実施前に決定する」とあるほか、第22E条には「総選挙は国会議員、地方代表議会議員、正副大統領、地方議会議員を選出するために実施される」とあり、総選挙後に、政党が合従連衡して正副大統領候補ペアが決まる現状は違憲状態にあるとの判断である。

ただし、憲法裁判所は、2014年の総選挙と大統領選挙は実施準備が最終段階に入っているとして、現状のまま実施し、同時選挙は次回の19年から実施することも決定した。これに合わせて、地方議会議員選挙と地方首長選挙も、20年からの同時実施が検討されよう。

現在の制度では、国会議員選挙と地方議会選挙を「総選挙」と称して同時に実施し、その後に大統領選挙が行われるが、地方首長選挙は各州・県・市でそれらとは関係なくバラバラに実施されている。今後は国会議員選挙と大統領選挙、地方議会選挙と地方首長選挙がそれぞれ同時に実施されることになる。

今回の憲法裁判所の判断に対しては、同時選挙とすることによって費用と労力を軽減し、有権者も理性的な判断がしやすくなるとの期待がある一方、政治家からは14年の選挙が憲法違反のまま行われることへの批判もある。違憲判断で14年の総選挙・大統領選挙が中止となる可能性もあったが、結局、それは回避された。

一方、「国会議員選挙で25%以上の得票率の政党または政党連合のみが正副大統領候補ペアを出せる」という規定についても違憲審査がなされたが、憲法裁判所はそれを退けた。これにより、14年の総選挙・大統領選挙の実施に関する懸念事項は解消された。

【インドネシア政経ウォッチ】第58回 憲法裁判所長官逮捕の衝撃(2013年10月10日)

10月2日、反汚職委員会(KPK)がアキル・モフタル憲法裁判所長官を贈収賄の現行犯で逮捕し、現場で28万4,040シンガポールドル(約2,210万円)および2万2,000米ドル(約210万円)の現金を押収するという事件が起きた。

憲法裁判所は、スハルト政権崩壊後、独立・中立の立場から違憲審査を行う機関として新設され、その判断は最終決定となる。憲法裁はKPKと並んで、民主化への国民の期待を一身に集めてきただけに、今回の事件が社会に与えた衝撃は極めて大きい。

憲法裁は、地方首長選挙の結果をめぐる不服申立に対して、それを認めるか否かの最終判断を下す役割も持つ。今回は、現職が再選された中カリマンタン州グヌンマス県知事選挙で別候補が不服申立を行い、現職側がそれを認めないよう、アキル長官に働きかけたという話である。捜査の過程で、バンテン州レバック県知事選挙に関しても同様の贈収賄疑惑が明らかになり、バンテン州知事の関与が取り沙汰されている。

実は、アキル長官をめぐっては、不問に付されたとはいえ、長官になる以前、憲法裁の裁判官のときから、同様の贈収賄疑惑が複数起こっていた。彼はまた、地方首長選挙結果の最終判断だけでなく、多くの地方政府分立の是非の判断にも関わった。『コンパス』紙は、「アキル長官への贈賄相場は1件およそ30億ルピア(約2,530万円)」と報じた。

アキル長官は西カリマンタン州出身のゴルカル党所属の政治家であり、今回の贈収賄を仲介した同党のハイルン・ニサ国会議員と同僚だった。それにしても、なぜ政治家が憲法裁のトップに就くのか。それを問題視する意見は根強いが、今にしてみると、実は内部の汚職を表面化させないためという理由がそもそもあったのではないかと思えてくる。憲法裁には、1回限りの判決が最終判断であることを悪用し、内部で汚職が促される構造があったと考えられる。

今回の事件を通じて、既存の多くの地方首長や分立した地方政府の正統性自体が大きく揺らぐ可能性が出てきた。

 

http://news.nna.jp/cgi-bin/asia/asia_kijidsp.cgi?id=20131010idr021A

※これらの記事は、アジア経済ビジネス情報を発信するNNA(株式会社エヌ・エヌ・エー)の許可を得て掲載しております。

 

大統領選挙の真の勝者はKawal Pemilu

今回の大統領選挙の勝者はジョコウィ=カラ組だが、真の勝者は、Kawal Pemilu(総選挙を守る、の意)という民間組織に集ったボランティアたちだったと思う。

今回の開票プロセスは、公開性が徹底された。なんと投票所レベルでの開票集計結果表がすべて総選挙委員会のウェブサイトに掲載されたのである。

集計結果表は、投票所レベル(C1)、郡レベル(DA1)、県・市レベル(DB1)、州レベル(DC1)とあり、すべてその結果を見ることができる。とくに、投票所レベル(C1)については、集計結果表がスキャンされて画像データで掲載されている。

投票所レベル(C1)
郡レベル(DA1)
県・市レベル(DB1)
州レベル(DC1)

そして、インドネシア全国あるいは世界中の名も無きボランティアたち約700人が、投票所レベル(C1)のデータをスキャン画像から読み取り、手分けしてそれを入力し、投票所レベルから村レベル、郡レベル、県・市レベル、州レベル、全国レベルに至るまで、ひと目で開票結果が整合的になっているかどうか分かるようにした。

これは総選挙委員会の公式開票プロセスではないが、万が一、公式開票プロセスのなかでデータの捏造が行われたとしても、それがすぐに分かってしまう状態になったのである。

日本では、各投票所のデータがウェブで検討するなどということは行われない。なぜなら、開票プロセスでデータの捏造が行われない信頼が確立しているからである。

しかし、インドネシアでは、その信頼が確立されていないだけでなく、今回のような、ブラックキャンペーンやネガティブキャンペーンを通じたなりふり構わぬ汚い選挙で僅差の場合、公式開票プロセスのなかでデータの捏造が行われ、捏造データが公式データとなってしまう可能性が極めて高かった。今から振り返っても、その危険を感じてぞっとする。

実際、ボランティアたちのKawal Pemiluのサーバーはハッカーたちの激しいサイバー攻撃にさらされた。その攻撃に伴うデータ改ざんの可能性をはねのけて、何とかゴールまで辿り着いたというわけである。

Kawal Pemiluの集計結果はウェブ上に掲載されているので、それと総選挙委員会の公式集計結果とを比べてみてほしい。どちらも投票所レベルのデータから始まっているので当然といえば当然なのだが、数字はほとんど同じといってよい。

Kawal Pemiluの集計結果
総選挙委員会の公式集計結果

プラボウォ=ハッタ組は、これらのデータが総選挙委員会による組織的な捏造だと批判している。しかし、こんな公開性の高い開票プロセスを採っている国は、インドネシア以外に世界中でどれほどあるだろうか。

結果的に、総選挙委員会の活動は公開性のある正当性のあるものである、と見なされた形になる。しかし、Kawal Pemiluのボランティアたちの作業があったからこそ、データのすり替えや捏造を防げたのではないだろうか。

誹謗・中傷の渦巻く汚い選挙運動が行われた今回、総選挙委員会とKawal Pemiluの仕事は賞賛に値する。加えて、選挙の準備段階から投票、投票箱の搬送に至るまで、公正な選挙を行うためという一心で一生懸命に活動した全国津々浦々の無数の人々の存在を忘れてはならない。

これら、懸命に民主主義を守ろうとする人々の活動があり、それを受け入れ認める土壌が培われたインドネシアを、我々はもっと信じてもいいのではないかと思っている。

大統領選挙結果発表が終わって

7月22日、総選挙委員会は大統領選挙開票結果を発表し、ジョコウィ=カラ組が勝利したことを確定した。

これに先立ち、対立候補ペアのプラボウォ=ハッタ組は、総選挙開票プロセスに様々な問題があるとして、大統領選挙自体の有効性に疑問を呈し、大統領選挙から引く(tarik diri)と発表した。その後、大統領選挙から辞退(mengundurkan diri)したわけではないとの弁明が出たり、「結果を問題にしているのではなくプロセスを問題にしているのだ」という発言が出たりして、プラボウォ=ハッタ組のなかで混乱が生じている。

この状況を、日本のマスコミも含めた多くの人々は、「プラボウォが負けを認めたくないのだ」「事実上の敗北を認めたのと同じことだ」と色々に捉えた。

大統領選挙の開票プロセスを問題にしたということは、プラボウォ=ハッタ組は総選挙委員会を批判・敵視したということである。実際、大統領選挙開票結果の発表に対して、プラボウォ=ハッタ組は証人を送らなかったし、陣営の誰も出席しなかった。

プラボウォ=ハッタ組は、不正があったと思しき投票所での投票のやり直しや開票のやり直しを求めている。これに対して、総選挙委員会は、不正があったという証拠をプラボウォ=ハッタ組に求めているが、これが証拠だというものがメディアには明確に現れてこない。それをもって、プラボウォ=ハッタ組には、憲法裁判所へ不服申立を行うよう求められている。当初は憲法裁判所へ不服申立しないという声も聞こえたものの、結局、プラボウォ=ハッタ組は不服申立を行なった。

これらの一連の不服行動で目につくのは、副大統領候補だったハッタの姿が見当たらないことである。プラボウォ=ハッタ組の名前で行動しているのだが、ハッタがいないのである。これにはいろいろな憶測が流れているし、ハッタ自身は、総選挙委員会での開票結果を尊重する旨の発言を行ったとされている。

プラボウォが「大統領選挙から引く」と演説した件についても、内部では誰がそれを進言したのかであたふたしている。ゴルカル党重鎮のアクバル・タンジュン元党首だという声が上がると、アクバルは「自分ではなく陣営内の法律チームだ」という始末。どうやら、「大統領選挙から引く」とプラボウォに演説させたこと自体が戦略的に間違っていたのではないかとの疑念が上がっている様子だ。

要するに、プラボウォ周辺は、総選挙委員会の開票プロセスや開票結果について反論し、自らが真の勝者であることを証明することにあまり自信がなさそうな気配がある。800万票の差を覆すには、どのような手法がありうるのか。現実的にそれは無理なのではないか。時間が経てば経つほど、プラボウォの周辺から機会主義的な政治家たちが去って行くことであろう。プラボウォを支えようという熱は急速に冷めつつある。

ブラックキャンペーンやネガティブキャンペーンも含めて、自分に有利なように事実を作り替えるという戦略、そうやって国民を洗脳できるという戦略は、ある意味、国民を愚弄し馬鹿にした戦略だったともいえる。この場に至っても、ジョコウィへの誹謗中傷攻撃は止んでいない。

シンガポールなど海外に多数のジョコウィ夫妻の隠し口座があるという怪文書が現れている。そんな話がまだ通じると思っている、それで世論を反ジョコウィへ転換できると思っている浅はかさこそが、今回のプラボウォ=ハッタ組とそれにすがった旧来エリートたちの態度を象徴している。

メディアは、嬉々としてジョコウィ「新大統領」を追いかけ回している。他方、どんな手段を使ってでも、どんなに資金をつぎ込んででも、大統領になろうと執念を燃やしたプラボウォは、「大統領選挙から引く」という発言によってかえって政治家としての未熟さを露呈させ、自滅の方向へ進んでしまった感がある。あの場で「敗北」という結果を受け入れ、自身が党首を務めるグリンドラ党を健全野党として育成するという姿勢を見せていれば、今頃、彼は素晴らしい人物だと賞賛されていたことであろう。

一部で懸念された暴動のような事態は、今回は起こらなかった。法規や手続きに従って物事を進めなければならないということが国民の間にしっかり浸透したことに加えて、騒ぎを起こしても国民の多くの支持を得ることはない、昔のようなすぐ暴動の起こるインドネシアへは戻りたくない、もう戻ることなどありえない、そんな空気が、経済発展の続くインドネシアで社会全体に共有されているのだと筆者は感じていた。

ジョコウィになったからといって、インドネシアのすべてがよりうまくいくとは限らない。旧来エリート層とのせめぎ合いは続くだろうし、経済が発展したからこその新たな困難な問題も多発するだろう。それを権力者が魔法使いのように解決してみせる時代が終わったことを国民は意識していくことだろう。

国民がデマや嘘情報で操作される時代は終わり、問題解決にあたって国民も傍観者として済ませるわけにはいかない時代に入ったのかもしれない。スハルト時代から言われてきた「浮遊する大衆」(floating mass)という、権力者の統治概念が変わり始めたともいえる。

大統領選挙投票日を過ぎて

7月9日のインドネシア大統領選挙投票日は、投票自体は大きな混乱もなく終わることができたが、予想通り、両陣営がともに勝利宣言をする事態となった。

これまで度重なる選挙でクイックカウントを行なってきた調査会社は、こぞってジョコウィ=カラ組の勝利と伝えたが、そのほとんどは、ジョコウィ=カラ組に与した立場を採ってきた。他方、プラボウォ=ハッタ組の勝利と伝えるクイックカウントを行なってきた調査会社は無名で、かつて南スマトラ州知事選挙の際にクイックカウントの数字を偽造した疑いのある会社や、陣営の選対関係者が関わっているとされる会社が含まれていた。

ここで危惧されるのは、これまでの選挙で培われてきたクイックカウントへの信頼が今回の大統領選挙で失われるのではないかということである。誹謗・中傷を含めた情報戦のなかで、クイックカウントまでもがその一端になってしまう可能性が明確に現れたからである。

その意味で、国営のインドネシア共和国ラジオ(RRI)が今回、クイックカウントを行なったことは注目される。RRIのクイックカウントは中立とみなされたからである。このRRIのクイックカウントの結果はジョコウィ=カラ組の勝利を伝え、これまで何度もクイックカウントを行なってきた有名調査会社のそれと変わらなかったことで、それら有名調査会社のプロフェッショナル度が逆に確認されることになった。

プラボウォ=ハッタ組が「クイックカウントはヤラセだ」と主張しても、RRIの存在により、辛うじて中立性が保たれた形になっている。

筆者の長いインドネシア・ウォッチ経験から言うと、これまで、「ヤラセだ」と相手を非難する側こそがヤラセを行なっているケースが極めて多かった。それは、自らが責められる前に相手を責めるための方便である。自らに有利なように情報操作をしているのだが、相手からそう指摘される前に、「相手が自分に有利なように情報操作している」と先制して非難をするのである。

今回も、どうやらそのような展開だったと推察できる。プラボウォ=ハッタ組の勝利を伝えたクイックカウントのデータの信ぴょう性が次々に暴かれている。彼らの勝利を最後まで伝えてきた民間テレビTV Oneは、信ぴょう性への疑問が高まったためか、株価が下落し、途中でプラボウォ=ハッタ組優勢のクイックカウントを流すのをやめてしまったらしい。

本当にそうなのか、圧力をかけるためにジョコウィ支持者が同株を売りまくったのか、真相はわからないが、実際、選挙運動期間中のTV Oneのプラボウォ=ハッタ組への偏向、ジョコウィへの攻撃ぶりには目に余るものがあった。ずっと見続けていると、容易に洗脳されてしまうような錯覚に陥った。もちろん、ジョコウィ=カラ組を支持する内容を流し続けたMetro TVも偏向していたが、相手への攻撃という観点からすると、TV Oneのほうが遥かにすごかった。

しかし、それを客観的に計測できない以上、メディアはTV OneとMetro TVを両成敗せざるを得なかったのである。

プラボウォ=ハッタ組は、クイックカウント攻勢での劣勢のなか、福祉正義党(PKS)の末端組織を使って情報を集め、「リアルカウント」の結果を発表し始めた。そして、そのリアルカウントでは、プラボウォ=ハッタ組の勝利を示し続けている。ところが、この数字が投票日よりも前に出された予測値に似通っているとの指摘も出ている。

ジョコウィ=カラ組も「リアルカウント」の結果を集計し始めた。当然、こちらではジョコウィ=カラ組の勝利という結果を出している。

情報操作合戦は、クイックカウントから「リアルカウント」へと移っている。

投票所レベルでの集計表は、総選挙委員会(KPU)のホームページにスキャンされたファイルで表示されていて、誰でも見られるようになっていた。ところが、そのなかに、両陣営の片方しか証人のサインのないものや、集計数字の合わないものなどが発見された。KPUは単なる技術ミスとしているが、不正の可能性がすでに指摘されている。理由は定かではないが、7月12日夜時点で、その投票所レベルでの集計表データがウェブ上で見られなくなった。

KPUは7月22日に最終得票結果を発表するが、7月10〜12日に村落レベル、13〜15日に郡レベル、16〜17日に県・市レベル、18〜20日に州レベルで集計作業が行われる。全国レベルの集計は20〜22日に行われる。

このそれぞれの過程で結果が出る前に、何らかの票操作が行われる可能性がある。なぜならば、今回の選挙で、少なからぬ行政の長がプラボウォ=ハッタ組への支持を明確にしており、その影響を確実に排除できるかどうかに疑問符が生じるからである。彼らもまた、ジョコウィが大統領になった場合に既得権益が維持できるかどうか、不安を抱く側にいる。他方、ジョコウィ=カラ組も何らかの票操作を行う可能性が絶対ないとは言い切れない。これらを監視するためにも、両陣営による「リアルカウント」の情報収集と票操作への監視が不可欠になるのだろう。

たとえば、マレーシアでは、投票所投票(9008票)でジョコウィ=カラ組が53.46%の得票で勝ったが、郵送投票では、プラボウォ=ハッタ組が3万9671票でジョコウィ=カラ組の3709票を圧倒した。その結果、合計では、プラボウォが4万3770票(得票率83%)で圧勝した。これをどう読むのか。投票所投票と郵送投票でこれほど極端に差がつくものなのか。

様々な状況で不利なはずのプラボウォ=ハッタ組の自信が気になる。すでに、「勝利」のための何らかのシナリオを用意しているのだろうか。ジョコウィ=カラ組も同様にシナリオを用意していることだろう。表面的な動きはあまり目立たないが、7月22日までに全国の隅々で起こる開票結果の正当性の確認作業が重要になる。

大統領選挙投票日前夜

7月5日から日本へ帰っている。私の知り合いのほとんどの日本人インドネシア政治研究者は今、ジャカルタに集結しているようだ。いつも自分は他人と違う行動を採るのが性分のようだ。

これまでずっと大統領選挙をめぐる動向を追いながら、情報というものについていろいろと考えていた。捏造・偽造情報を流したり、重箱の隅をつつくように小さなゴシップを大きな過ちとして大きく騒ぐようなことは、これまでの選挙ではあまり露骨に現れなかった。そして、それらを専門にやり続けながら、報酬をもらっている奴がいることを想像した。

インドネシア人は他人の間違いを詮索したり、揚げ足を取ったり、フォトショップを使って写真を偽造したり、根も葉もない噂をわざと流して他人を貶めたりすることに、こんなにも労力とエネルギーを使うことを厭わないのか、と悲しくなった。これだけの労力とエネルギーと「想像力」をもっとプラスに使えば、インドネシアはもっと活力のある良い国になっていくはずだと思い続け、インドネシアの友人たちへ向けてその気持ちをインドネシア語でツイートしてきた。

今回の大統領選挙はそういう選挙だった。情報合戦や心理戦争にどちらの陣営が屈するかの勝負だった。派手にやったのはプラボウォ陣営である。陣営が直接指揮した形をあえて採ってはいないが、ジャワ島のプサントレン(イスラム寄宿学校)へジョコウィを誹謗中傷したタブロイドをくまなく流すには、プサントレンの住所リストを持った宗教省、大量のそれを送付したバンドン中央郵便局などの、少なくとも間接的な協力がなければ不可能である。

プラボウォの個人レターが学校経由で教師へ送られた件も、教育文化省などによる学校の住所リストがなければ不可能である。

ジョコウィへの誹謗中傷は、目を覆いたくなるほどであった。実は華人だ、キリスト教徒だ、父親はシンガポールの金持ちだ、インドネシア共産党員の子供だ、といった話が次々に出され、死亡広告まで流された。温厚で感情を表に出さないジャワ人のジョコウィも相当に頭にきていた様子で、法的措置を関係機関へ求めたが、警察などの動きは予想以上に慎重だった。

他方、プラボウォへの批判は、彼の過去の人権侵害疑惑に集中した。とくに、1998年の活動家拉致事件やジャカルタ暴動への関与の疑いが題材となった。こちらは、本当の真実かどうかは別にして、軍のなかでプラボウォに対する措置が採られ、軍籍から離脱させられたという事実がある。プラボウォ側はその事実が嘘であって真実ではないと主張するが、彼がそのように軍から扱われたというのは、真実かどうかは別として、事実である。プラボウォ側はこれを誹謗・中傷とし、ジョコウィへの誹謗・中傷と同じレベルの話として、メディアなどで取り扱われるように仕向けた。

しかし、これは作り話と事実(真実かどうかは定かではない)との違いであって、誹謗・中傷の同列で扱えるものではない。だが、「中立」を装おうとするメディアは、それを並列で扱った。事実をねじ曲げて嘘話を捏造して流布させたプラボウォ側のほうがはるかに悪質と言わざるをえない。

5回のテレビ討論をすべて見た。内容的には中身の乏しい議論に終始したが、何か一つでも新しいことを言おうとするジョコウィ側と、テレビを通じて自分の強い指導者イメージを植え付けようとするプラボウォ側とがかなり対照的だった。そして、テレビ討論を見ている限りでは、プラボウォ側に考察の浅さと中身のなさが浮き彫りになり、果ては、ジョコウィ側の主張に同意を繰り返すことも度々だった。個々の議論は甲乙あるが、5回全体で見ると、ジョコウィ側の勝ちであった。

それでも、メディアはプラボウォの支持率が急速に上昇し、ジョコウィと僅差になったと報じる。筆者はそれが正直理解できなかった。プラボウォが選挙戦を通じて、なにか新しい画期的な主張をした記憶はない。「国富の漏れ」の話を繰り返すだけで、それを塞いでどのように効率的な政府を作るのか、政治マフィア間で山分けされないような仕組みをどう作るのか、彼は一言も話していなかった。それなのに、急速に支持率を上げているという。その理由は、ブラック・キャンペーンやネガティブ・キャンペーンを通じ、誹謗・中傷を広めることで、ジョコウィの支持率を落とす以外に理由は考えられなかった。加えて、一部ではかなり露骨にプラボウォ支持への強制や脅迫が行われているという話も伝わった。

もしこれでプラボウォが当選したら、プラボウォは嬉しいのだろうかと思った。相手を貶め、嘘八百の情報を流し、誹謗・中傷を繰り返した末に当選して、誇りを持てるのだろうか、と。プラボウォの周りには、「どんな手段を使ってでも勝てばいい」と公言する政治家も多数いる。彼らにとっては、自分の利益を守り、注ぎ込んだ資金の回収のためには、どうしても何が何でもプラボウォに勝ってもらわなければならないのである。そこには、モラルとか宗教上の教えなど、関係なくなっているのである。インドネシア人の友人は「この病気は相当に重い」と評した。

数日前から、一足早く海外で大統領選挙の投票が行われたが、その結果が伝わるなかで、風向きが大きく変わりだした。投票所の出口調査で、ほとんどの国でジョコウィが予想以上に票を取ったのである。その結果がメディアに乗り出すと、今度は、ほとんどの国でプラボウォが勝ったという出口調査結果が出回り始めた。ところが、面白いことに、プラボウォが勝ったという結果はいつの間にか消えてしまった。ジョコウィが勝ったという情報のほうがどうも正しかった様子である。

そうか、この手法でプラボウォの支持率上昇を演出しようとしたのかもしれない。若者たちが次々に面白い支持ビデオを連発するジョコウィ側に比べて、相変わらず、プラボウォのような強い指導者が必要、という以上の主張ができていない。ジョコウィ側のような自発的な勝手連の動きはほとんどなく、政党や組織が上から抑える旧来のやり方に終始している。ジョコウィの真似をしてプラボウォ側の選対も市場などへ出かけるが、相変わらずそこでカネを配るなど、住民目線ということがまるで分かっていない。

住民をコントロール可能と思ったか、住民が自発的に動くことを求めたか。プラボウォ側とジョコウィ側の違いを一言で言えば、そうなる。誹謗・中傷を信じてジョコウィに投票しないように仕向ける、ゆるければ政党や組織を使ってでも強制する、それがプラボウォ側のやり方だった。他方、ジョコウィ側は、政党や組織で動くところもあったが、それに加えて自発的な勝手連が勝手に支持活動を行うに任せた。

住民が受動から能動へ変わる、そんな動きが見え始めたジョコウィ側の選挙戦だった。そんな彼らの動きを、まだまだカネで動くインドネシアのメディアは残念ながら追い切れていない。

プラボウォが勝ってもジョコウィが勝っても、その先のインドネシアには課題が山積している。しかし、それをどう解決していくか、住民がどう関わっていくのか。そのアプローチに関しては両者に大きな違いがある。

大統領選挙投票日前夜。既得権益を守りたいエリートとそうではない非エリートの戦いは、メディアが伝えるよりも意外に大きな差がつきそうな予感がする。

さて、それが当たるのかどうか。

《お知らせ》大統領選挙に関する講演会(6月11日、ジャカルタ)

<インドネシア・ウォッチ講演会のお知らせ>
下記の通り、半年に一度、私が講師となり、インドネシアの政治経済状況を概観・分析する「インドネシア・ウォッチ講演会」を開催します。
皆様のご参加をお待ちしております。
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 大統領選挙と新政権の展望
 ~インドネシアの何が変わり、何が変わらないのか~
 講師 :松井和久(JACシニアアソシエイト)
 日時  : 2014年6月11日(水)16:30 – 18:30(受付開始 16:00)
 場所  : ホテル・サリパンパシフィック(ジャカルタ)
      Hotel Sari Pan Pacific, Jl. M.H. Thamrin No.6, Jakarta
 参加費: 600,000 ルピア + VAT 10 %
 お申し込み方法: 下記をご記入の上、メールにてお申し込みください。
 1)会社名 2)氏名および役職 3)メールアドレス 4)電話番号(できれば携帯番号)
 申込先: JACビジネスセンター(担当:田巻) tamaki@jac-bc.co.id
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インドネシアの大統領選挙は、プラボウォ=ハッタ組が「1」、ジョコウィ=カラ組が「2」と、候補者ペア番号も決まり、いよいよ6月3日から選挙運動が始まります。
巷のメディアによる「世論調査」では、ジョコウィ支持が底堅いものの伸びが鈍っているのに対して、プラボウォ支持が伸びていると評されています。現状では、まだジョコウィ支持がプラボウォ支持を上回っていますが、この選挙運動でどのような展開になっていくのか。ズバリ、どちらが勝つのか。
講演開始の直前まで、様々な動きが起こってくるものと見られます。講演では、その時点での最新状況を踏まえて、かつ、今回の選挙のインドネシアの政治史上の位置づけも意識しながら、今回の大統領選挙とその後のインドネシア政治・経済・社会について、私なりの見方をご披露したいと思います。

「偉大」と「フツー」との戦い

昔、インドネシアと関わり始めた頃、インドネシアに行く前に、「ヒゲを伸ばしたほうがよい」というアドバイスをもらったことがあった。イスラム教徒が多いから、という理由とともに、相手から軽く見られないため、という理由も聞いた。

ヒゲを伸ばすと、どうして相手から下に見られないのか、自分にはさっぱり理由が分からなかった。結局、今に至るまで、インドネシアでヒゲを伸ばさなければ、と思ったことはない。

世の中には、自分を身の丈よりも大きく見せるということに執心している人々がたくさんいる。いつ頃からだろうか。面接で自己アピールをするほうがよい、などと教えるようになったのは。

昔の職場の内部誌では、5月号に新入職員の自己紹介が載る。あれは入所して10年ぐらい経った頃だったろうか。「自分はこんなことができる」「自分はいい性格である」などと書かれている新入職員の自己紹介を読みながら、私自身がとても恥ずかしくなった。新入職員が皆、スーパーマン、スーパーウーマンに思えたからである。

私が入所した頃は、自己アピールをしすぎるのをあまり良しとはしなかった。むしろ、できないことをできない、能力がないことを能力がないと分かっていることのほうが重視された。自分のありのままを見つめ、自分を客観視できること、ある意味、控えめであることが美徳とされた。

あの時からずっと、私自身は自分の能力が大したことはないとずっと思ってきたし、今でも、謙遜でもなんでもなく、本当にそう思っている。自分はフツーのただの人間で、いろいろやりたいことはあるけれど、それが必ずできなければならない人間だとは到底思えない。

ただ、振り返ってみると、その時その時を自分なりに一生懸命やってきた結果、神様の思し召しなのか、何となく自分がこういうふうになりたいな、こういうふうにありたいな、と思う方向へそれとなく進んできているような気がする。単にラッキーだったのだ、と思う。

たとえば、インドネシアに滞在するなら、他の人が住んだことのない街に住みたいと思っていたら、マカッサルに住む機会が向こうからやってきた。スラバヤに住む機会が向こうからやってきた。いつか、肩書や所属ではない、自分の名前で仕事がしたいな、と漠然と思い続けていたら、何となくそれに近い状態になっていった。

目標を決めて計画的に何かを目指したり、そのために自分を他人にアピールしたり、身の丈よりも大きく見せたり、そうした戦略をどう取ったらいいか、意識的に考えたほうが良いよ、と助言してくれる人はいた。でも、それは何となく嫌だった。自分は、ただフツーにやってきたら、何となくこうなった、という感じなのである。

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話は変わるが、昨晩、Metro TVの「Najwaの眼」というトーク番組を観ていたら、ジャカルタ首都特別州のジョコウィ知事とアホック副知事が出演していた。それほどシリアスな内容ではなかったが、番組の進行役であるNajwaさんが質問しても、ジョコウィがボソボソっと答える一方、アホックはユーモアを交えながら楽しげに切り返していた。

この二人の答えで、一番多かったのが「フツーだよ」(biasa)という言葉だった。中身だけ見れば、ただのその辺のどこにでもいるおっさん二人が出演しているかのようだった。何を聞かれても「フツー」という答えが返ってくる。俺はすごいんだ、州知事としてえらいんだ、という雰囲気は微塵もなかった。

こんな二人が、今、インドネシアで最も注目される政治家なのである。

ジョコウィは、州知事の仕事は問題を解決することであり、現場に行って実態を見れば、解決策は意外に容易に見つかるとさえいう。大統領候補人気ナンバーワンのジョコウィは、ビジョンやミッションを前面に掲げることを控え、とにかく仕事をするということに徹したい様子である。

実際、インドネシアで、あるいは日本で、政治家が選挙戦で掲げた公約がどのぐらい達成されたかをきちんと評価してきただろうか。いや、任期が終わるときに、その政治家が当選の際に何を公約としたか、覚えている人がどれだけいるだろうか。

ジョコウィは、トーク番組での受け答えがスムーズにいかない、「弁舌さわやか」というには程遠い、実にフツーのおっさんであった。番組にはジョコウィの妻とアホックの妻も後半で出演したが、どこにでもいる感じのこれまたフツーのおばさんだった。「州知事になって何か変わったか」という問いにも、「とくに変わらない」「前と同じ」という朴訥な答え。見た感じは、偉そうに見える閣僚夫人や政府高官夫人とは全く異なるおばさんだった。

ジョコウィらは、こうしたフツーさを演じているだけ、という話もよく聞くのだが、番組を見る限りは、それを見抜くことはできなかった。実にフツーなのである。こんなフツーの人が、多様性の中の統一を国是とする広いインドネシアを治められるのか、と正直思ってしまう人も多いのではないか。

これまで、カリスマ性があり、秀でた力と能力を持つ偉大な政治家でなければ、この広くて多種多様なインドネシアを治めることはできない、と言われてきたし、我々もそう思い込んできた。ほとんどの政治家や政府高官は、いかに自分に能力があるか、そしてカネがあるか、を誇示して、子分を作り、自分に忠誠を誓う子分を従えながら、その親分になってきた。「俺に任せればすべてうまく行く」、そう思わせられる政治家が指導者と見なされてきた。

たとえ実態はそうでなくとも、忠誠を誓う子分たちの存在によって、政治家はそう演じ続けなければならなくなる。演じ続けているうちに、自分は偉大な存在だと思い始めるのかもしれない。特別扱いされて当然の存在だと思い始めるのかもしれない。

ある意味、大統領候補として名前の上がるプラボウォもアブリザル・バクリも、また、ジョコウィを大統領候補に担いだ闘争民主党党首のメガワティも、そんな従来型の、「偉大さ」を見せつけようとする政治家である、といえるかもしれない。

その「偉大さ」で勝負する従来型政治家の世界に今、「フツー」のジョコウィが引っ張りだされ、能力がないとかカリスマがないとか、叩かれようとしている。

しかし、インドネシアの社会が、そうした「偉大さ」をどう見せるかで勝負する従来型政治家の世界から離れ始めていることに、従来型政治家が気づいていない。

政治家が自分たちの私利私欲のために政治を利用してきたことを有権者は厳しく見つめている。政党ベースの総選挙(議会議員選挙)は従来型政治家の世界であり、有権者はやむなくその仕組みに付き合ったにすぎない。

しかし、人を選ぶ大統領選挙では、従来型政治家の世界だけで話が済むわけではない。従来型政治家は、制度的にそうなっているように、総選挙と大統領選挙を連続したものとしてみているが、有権者は両者をむしろ切り離し、人を選ぶ大統領選挙により関心を向けるだろう。そこには、「偉大さ」を見せようとする従来型政治家の世界への不信感を高めた多くの有権者が存在する。

インドネシアはもはや、「偉大な」指導者が王様のように治める国ではなくなったのである。下々の者を従わせ、その見返りに下々の者へ施しを与えるような、「偉大な」指導者を求めなくなったのである。多くの従来型政治家はそのことに気づかないか、気づいたとしても「偉大さ」を見せようとする性向を変えることがまだできない。

そうではなく、インドネシアは「フツー」に仕事をする指導者を求め始めているようにみえる。大統領は王様ではなく、マネージャーあるいは仕事人に変わったのかもしれない。

ジョコウィにしろ、アホックにしろ、スラバヤ市長のリスマにしろ、自分はすごいんだ、自分は出来るんだ、これだけやって偉いんだ、だから俺について来い、などと言っているのを今まで一度も見たことがない。彼らは二言目には「仕事」、そして仕事をしているのが偉いのでも何でもなくただ「フツー」と思っているのである。

自分のためではなく、他人のために仕事をする。カネや名誉や名前ではない。ジョコウィはソロ市長、ジャカルタ首都特別州知事と来て、今度は大統領選挙に出るわけで、はたから見ると野心家のように見えるかもしれないが、「どこで仕事をしても、人のためにやるのは同じだ」と番組でもボソボソっと言い切っていた。

大統領選挙への立候補も、ジョコウィ自身が「俺が俺が」と言ったのではなく、世論が強力に後押しし、闘争民主党が総選挙での得票を当て込んで立候補を促し、なんとなくジョコウィが出ざるをえない雰囲気が作られた、というのが本当のところのような気がする。もちろん、立候補するからには、当選を目指して動いていくのだろうけれども。

今回の大統領選挙は、実は「偉大」と「フツー」の戦いなのではないか。それは、インドネシア社会の大きな変化の一面を表してもいる。もしも、予想通りに「フツー」が勝利した後、まだ時間はかかるだろうが、インドネシアがどのように「フツー」の社会へ変わっていくのか、注目していきたい。

もっとも、インドネシア・ウォッチャーとしては、インドネシア特有の何かがなくなっていくかもしれないという意味で、面白さが減っていくということでもあるのだが。

貧乏人は政治家になれない?

政治にはカネがかかる。政治家になるにもカネがかかる。これは、日本でもインドネシアでもある意味、同じかもしれない。民主主義を標榜し、国民主権を掲げ、政治家は国民の代表なのだが、誰もが国民の代表になれるわけではない。

「貧乏人は政治家になれない」というのが現実である。

インドネシア闘争民主党(PDIP)幹部のPramono Anung国会議員の博士論文からの引用という数字が先週の『TEMPO』に載っていた。曰く、以下の人々が議員候補になるために必要な金額はおおよそ以下の通りである。

・アーティスト、スポーツマン、宗教家:2.5〜8億ルピア
・活動家・政党活動家:6〜14億ルピア
・官僚・ 退役軍・警察高官:10〜20億ルピア
・実業家・プロフェッショナル:15〜60億ルピア

100ルピア=1日本円とすれば、最低でも2500万円の資金を用意しないと、議員候補にはなれないということになる。この額は、日本の衆議院議員選挙に出る場合に用意する費用とほぼ同じ額になるようである。

そんな大金をインドネシアのフツーの人が用意できるものだろうか。いろいろ話を聞くが、家や土地や不動産や財産を売却し、親類・縁者から借金をして、苦労して、それでも資金が足りなくて、といった話を聞く。

だから、いったん選挙に出て、勝てば、その借金や費用の回収にどうしても励まざるを得ない。汚職への強い誘因にもなる。 そして負ければ、すべてを失い、貧困生活に陥る場合さえある。

政党は、資金調達のために、できるだけ金持ちの大企業家を取り込みたいのである。資金力が選挙での勝敗の鍵を握るのは明らかである。

それにしても、日本円で数千万円の住宅を購入するために住宅ローンを組み、勤勉に働きながらせっせと返済しているサラリーマンや、急上昇したとはいえ、1ヵ月2万円前後の最低賃金で家族を養っている人々から見れば、選挙に出て議員になるために積まれる大金は、全く別世界のものであろう。

ここに挙げられた政治家になるために必要な資金額が本当ならば、普通に真面目にコツコツ働いてお金を貯めて政治家になる、ということはもはや現実的に困難である。普通の国民が政治家の世界を別世界と感じ、きらびやかなセレブリティの世界と同一視し、政治家に対する期待も関心も失う理由となるだろう。

余談だが、官僚や軍人・警察官になるためには、試験の成績だけでなく、いくらカネを払えるかが暗黙の条件になっており、採用されるためには、ここでも大金を払わなければならない。そのために、田畑や家や家畜や財産を売り払って資金を作っている人々が相当数いるのである。

貧乏人が政治家になれない国、それでも民主国家、共和国、である。

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