かけ違えたボタン
最初にかけ違えたボタンを後でかけ直すのは、難しい・・・ということを感じました。
ボタンをかけ違えたことを最後まで分からないままのケースも少なくないのかもしれません。でも、おそらく、かけ違えたことを知っていても知らないふりをしたり、かけ違えてしまったことをどう繕うかに全精力を傾けてしまう場合も多いような気がします。
何のためにそうするのでしょうか。
メンツ、見栄、保身。「真実は何か」「何が大事なのか」ということよりも、自分を、組織を、どうやって守るか、ということのほうが重要だと思い込んでしまうのです。
ときには、嘘をついたり、だましたり、ごまかしたりしてでも、自分や組織を守るために懸命になっているのではないか。そんな気がします。
この社会のなかで、そうしたことに費やされるエネルギーはどれほどのものでしょうか。それをもっと建設的な議論に使うならば、世の中はもっともっと良くなっていくのではないか、と思わずにいられません。
ちょっと優しい気持ちで、メンツや見栄や保身のために必死になっている人を「かわいそうだから助けてあげよう」とすると、私自身もまた、無駄なエネルギーを費やして、余計な仕事をやらなければならない羽目になります。
久々に午後11時過ぎまで、ノンストップで仕事をしてしまいました。
5月に行った、インドネシアのロンボク島、リンジャニ山のカルデラ内にあるセンバルン地区で見たあの光景(上写真)が、ふっと目に浮かんできました。